鈴付き野良猫



警報が鳴ったら逃げてね。迎撃されるわよ。あなたなら大丈夫でしょうけど。
床で寝てたら気をつけてください。魔法が飛んでくるかもしれません。私はされたことないですけど。
怖えな、おい。
事前情報はそんな感じだ。最近周辺設備やらを所謂"機械化"したらしい。あと寝起きがくっそ悪いのは変わらないらしい。
何度か来たことがある、ちょっとした森の傍にある小屋、というほど粗末ではなく家、というには足りない、そんな建物の前に立つ。
警報は今のところなっていない。蓋つきのバスケットの持ち手を握りしめた。つーかバスケットて。しかもふりふりのレース付き。正直人目が少ないところでよかった。知り合いに見られるのは歓迎したいことじゃない。

「おーい、起きてっかー」

鍵は掛かっていなかった。ついでに警報も鳴らなかった。大丈夫なのかこれ。
カーテンも締め切り、薄暗い部屋。変な実験器具が蛍光色の液体にこぽこぽと気泡を浮かばせている。よくわからん物体が蒸気を噴き出している。マジで大丈夫なのか。これ。なるべくそちらには近づかないように、獣道にすらなっていない床を進む。
この家の間取りは二部屋と台所、風呂、トイレ。
リビングとかダイニングとか言われてる場所にあたるこの一間のあり様は凄まじい。壁一面は天井まで本棚。それでも足りないとばかりに連なる本の塔。黒板には図面。その下に転がる大小のチョーク。散らばる紙束。さして狭くもないはずの部屋が、狭いと感じざるを得ないほど物が連なり空間を圧迫している。何度見てもすげぇなこれ。
その部屋の、奥。ソファ。魔力依存型のランプに照らされたそこに、山吹色の小山が一つ。

「起きろー」

近くにしゃがみ込んで、その小山、塊に声を掛ける。
一度で気付くわけがない。何度か繰り返して、少しだけそれが動いたタイミングで、その塊に手を伸ばす。
山吹色のブランケット。それを少しめくる。
翠色の瞳が、薄らと開いた。瞳孔が丸く、それから若干小さくなってピントが合ったのが解る。

「……なんでいんの、あんた」

猫のお目覚めだ。









どうやら睡眠時間は足りていたらしい。魔力が立ち上ることはなかった。
未だに目と口くらいしか動かさないリタにバスケットを軽く掲げる。

「最近暇がないどっかのお姉さんたちが心配して、お前の様子見て来いって言われたからだよ」
「ああそう……」

そう言って、また瞼を下ろし、おい。

「リタ、寝んなっつの、起きろ、ほら、顔洗ってこい」

俺の任務は飯を食わせることだ。それを遂行しないことには帰還は許されていない。怖いお姉さんたちに怒られるのは勘弁してもらいたい。
ブランケットをはぎ取れば、黒に近い深い青の、見るからにあたたかそうな毛織物にリタは腕を通していた。その下は見慣れた赤い服ではなく、けれど同じようなデザインの臙脂色の服を着ていた。脚は覆っていない。のろのろと身体を起こして、それこそ猫のように伸びをしてからもこっとした履物に足を通してのたのたと歩きだす。こけんなよ。

「お姫さんから補給物資どうするよ」
「……適当に置いといて」

洗面所に向かったリタから視線を外す。
適当に。ってお前。ソファの隣にあるテーブルに、何本も建設された本の塔を見る。これどかせってことかよ。崩さないように慎重に、塔をそのまま床の、比較的空いている場所に下ろす。ここで順番を変えたりすると、このどこに何があるかわからないように見えて全部記憶している天才魔導師サマはお怒りになるのだ。ほんとめんどくせえ。

「ユーリ」
「あん?」

振り向いて、目の前に放り投げられた白いものを反射的に掴む。濡らした布巾。リタとそれを数度見比べる。テーブル。そう言われてわかる。如何にも食事にさっぱり使ってないというテーブルだ。拭けってことか。なるほどな。そこらへんも教育済みってわけか、お姉さんたちは。
空けた場所をざっと拭きながら、リタを見る。

「随分先行投資した服じゃねぇか」

ソファにまた身を沈めて、かなりだぼ付いた袖を手繰り寄せていた。手が小さいから、余計に、着られてる感がある。裾だって、ワンピース並みだ。
さっきは気付かなかったが、どう見たってサイズが合ってない。
まだぼんやりしているリタは、ゆっくり瞬きをして、余りある袖を見ながら言う。

「ジュディスの。寒かったから着てる」
「ああそう」

笑いが漏れた。こうなること込みで"忘れて"ったな。そんな推測は簡単にできた。
適当な木箱を椅子として、俺も手を洗って、バスケットから水筒とホットサンドを取り出す。冷めても美味いって点でチョイスしたメニューだろう。もちろん、お姫さんお手製だ。

「ハムチーズ、トマトバジル、ブルーベリージャム」
「はむち」
「ほらよ」
「ん」

テーブルに手を伸ばす気もないねぼすけに、ハムチーズのホットサンドをひと切れ渡す。もそもそ口に運んでいる姿が、如何にも小動物っぽいが言わない。いくら眠気に負けているとはいえ、機嫌を損ねるとそれまでだ。水筒の蓋に紅茶を注いで、それも渡す。
俺用のもきちんとあるが、これはいわゆる報酬なのだろうか。ツナサンドとアップルジャムサンド。二、三口で胃に落とした。悪くはない味だ。

「ジュディスは良くこっち来てんのか」
「いつの間にか来てる気がするわ」
「なんだそれ」
「ほんとだもの」

時間感覚がアレなリタだ。いつの間にかってことは、少なくとも一週間に一度は来ているってことだろう。バウルもいるし、移動ついでに寄ることが多いんだろう。

「エステルは来るのか」
「ジュディスほどじゃないけど、来るわ。手紙も。ふくてーでんかって仕事忙しいんじゃないの」
「いやそれはお前……」
「なに」

首を傾げるリタに、苦笑いが浮かぶ。解ってないなら、あえて言うこともないだろう。曖昧に濁す。
リタのために時間を空けるんです。エステリーゼ様のやる気は、それに左右されるんだ。白亜の騎士が遠い目でんなこと言ってやがったぞ。
少なくなった紅茶を足してやって、少しずつ、それでも着実に消えていくホットサンドを見ながら、思う。

「いつぶりの飯だ?」
「……さあ?」

本当にわからないって顔をしやがる。泳いだ視線は、左上から右上へ。
ハムチーズを全部食べたのを見て、トマトバジルを渡す。

「この前の、寝る前くらいに食べた気がする」
「何を」
「飴」
「それが飯って俺は認めねぇからな」
「食べたことには変わらないでしょ」

食事に対する冒涜だと俺は思う。
寝食を忘れることに関してはリタの右に出るものを知らない。こりゃあ、二人が心配するのも頷けるってものだ。
この前の。ってことは、予想して三日以上前だ。良くてこれだ。しかも寝るっつっても。

「寝室あるんなら使えよ」
「使ってるわよ」

奥にある扉に視線を向ける。あの部屋がほとんど使われていないことがわかるのは、外開きの扉のくせして前に本の塔が既に何本も建設されているからだ。開けてねぇだろ、あれ。

「明らかにここが寝床だろ」

指差すのはソファ。ブランケットが置いてあるところがもう正解だ。
せっかくこの研究室兼住まいを建てる時に二部屋に、寝室を作ったと思ってるんだ。ベッドが本で埋まってゆっくり休めないのを阻止するためだって言うのに。その進言をした二人が泣いちまうぞ。

「だから、使ってるって言ってるでしょ」

ブルーベリージャムのホットサンドを受け取りながら、リタは拗ねたように言った。
使ってる。だが今は使ってない。ってことは、使う条件がある可能性があるってことだ。ソファを見る。リタの体型なら問題ない広さだろう。丸まって寝るし。けれど、それこそリタよりでかいやつは窮屈だ。ああ。なるほどな。

「添い寝してやろうか」

口端を上げて言った。
紅茶を飲もうとしていた手が止まった。
つまりそう言うことだ。お姫さんか、竜騎士か。どっちかがいる時は、ベッドじゃないとだめなんだろう。ベッドで眠りにつくんだろう。そう言うことだ。
ニヤニヤしながら見ていると、リタが着ている毛織物の裾がぶわりと浮いた。

「以下省ry」
「おいやめろ冗談だっつの!」

オーバーリミッツも省略するとかどんだけ進化すりゃ気が済むんだ。
嫌な汗をかいた背中が気持ち悪い。
ふん、と小さく息をついて、リタはまた食事を再開した。
自分のじゃない服に袖を通して、自分が作ったものじゃないものを胃に収めて、今日もソファで丸くなるんだろう。
未だに首に嵌められた、魔導器を見る。

「通い飼い主ってか」
「何言ってんの?」

鈴付きの猫は、首を傾げていた。



「で、どうでしたか」「で、どうだったの」
「……ぁー」

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