兎は寂しいと死んじゃうらしいです



何言ってんのこの子。










エステリーゼさんは目は口ほどに物を言うという言葉を目の当たりにしました。
続けざまの呼び声に、広げた魔導書からやっと視線を上げた翠色は、そう言っていたのです。
視線がエステリーゼさんの顔と、頭上を、数度行き来して、もう一度。

「何言ってんの」

今度は直接的な空気の振動としてその言葉は伝えられました。
フンス。
息巻くエステリーゼさんは聞いてくださいとばかりにいい笑顔です。

「先日読んだ本に書いてありました!」
「それって兎がストレスに弱いってのと世話しないと死んじゃうってことでしょ。寂しさ=死因じゃないわよ」

ふ、とまた魔導書に落ちる翠色。
二の句を継げずにエステリーゼさんは固まりました。それでも諦めません。

「あ、赤い目は泣きすぎたからなんです!」
「前の理屈から行くと泣きすぎる=寂しい=死因ってことでもうそいつだめじゃない。あれは遺伝の取捨選択から生まれたアルビノ固定品種」
「水を飲まないのに身体から水分が出ちゃったら死んじゃいます!」
「水飲むわ」
「え? 本当です?」
「飲むわよ、兎」

ぺらり。ページがめくられる音と共に沈黙が降りました。
エステリーゼさんは視界の端に移る白を目で追います。自分の頭に付けられた、兎耳。
そして、さきほどからリタさんにしつこく言っていること。
何がしたいのか、何となく察してしまうと言うものです。

「り、リタぁ……」
「何」

冷たい。もう本へと意識を半分以上向けている声でした。
渋々兎耳を取り、そっと横にどけた後にしばらくリタさんを見詰めていたエステリーゼさんはじりじりと目標へと近づいていきます。
その顔は真剣です。何でこんなに真剣なんだろうと思うくらいには真剣です。どんなことにも真剣です。こと、リタさんに関しては。
背後から膝の上の本を覗き込むように寄り添ったエステリーゼさんは、茶色の髪に隠れた耳にとても近い位置で呟きます。

「寂しいです」
「兎じゃないから大丈夫じゃないの?」

ぺらり。ページがめくられます。
リタさんの位置から外された兎耳が確認できるのでしょう。
もう、兎だから、なんて言葉は通用しません。先ほどもしていませんでしたが。

「構ってください」
「あたし、読書中」

ぺらり。ページがめくられます。
もし、他の誰かがこんな、リタさんの読書を邪魔すればどうなるかなどわかりきっています。
この距離を許されているエステリーゼさんは、それを自覚していましたが、今は、それでも足りないご様子。

「リタじゃなきゃいやです」
「忙しい」

ぺらり。ページをめくる指先が一瞬止まったのを、エステリーゼさんは見逃しませんでした。
片腕を、細すぎる腰に回して、抱き寄せようとすれば少しの抵抗。それでも高が知れた物です。ほどなくエステリーゼさんの胸元に着地する薄い背中。
さらに近づいた耳に、吹き込むような声。

「リタじゃないと困ります」
「だから」

もう、ページをめくろうとしていた手は拳を作っていました。
それは攻撃の意思表示ではなく、耐えるためだと言うのを知っていました。エステリーゼさんには、少しずつ色付いた首筋が見えていましたから。
空いていた片腕もお腹に回して、ぎゅっと、距離を詰めて。揺れた髪から覗いた彼女の服と同じ色の耳。

「リタ」

そこに注がれるのは、ある種の中毒性を持った声。
嬉しそうなその声と、それが自分の名前だからと知っている、教えられたリタさんにとって、どんな強制力よりも強力なもの。

「リータ?」

続いた呼び声は、リタさんにとって名前ではなく、確認の言葉として聞こえたことでしょう。もしくは、確信か。
視界に移る文字の羅列は、もう、頭に入ってなんかくれません。せせら笑うようにさえ、見えてきます。
さらに強く握りしめられた手に重なる、自分よりいくらか大きい綺麗な手。
それにまた、かっと喉元から熱くなる感覚を憶えて、リタさんは絞り出す様に吐き捨てます。

「性格悪くなってんじゃないの……っ」

それは、降伏宣言。
重ねられていた手によって、魔導書は閉じられました。
耳元で聞こえるのは。

「だとしたら、リタのせいです」

鈴が鳴る様な嬉しそうな声。



かまえ!

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