補給

 


場違いだ。
そうリタは思った。思ったが、気にはしない。
磨き上げられた廊下。壁。天井。豪奢な設えと調度品。
城。しかも王都の、皇帝が住まう場所なのだ。
そんな場所を、リタは特別研究員に支給された若干くたびれたローブをまとって進む。
華奢で小柄な体に些か、というよりはだいぶ大きいそれは、リタをより小さく見せる。
王城には似合わないであろうその姿の前を行くのは、真っ直ぐ伸びた背筋と、整えられた軍服。
二股の青いマントが歩みに合わせて揺れる。
ずっと顔を見上げていると首が痛くなると知っているリタは、その背中を見ながら言った。

「わざわざあんたが案内しなくていいでしょ」
「僕くらいしか空いてなくてね」
「っは、何言ってんだか、キシダンチョー殿は」

苦笑交じりの声を、鼻で笑う。
騎士団長の肩書きを持つものが一介の客人の案内などしないであろう。フレンは小さく笑っていた。

「つーか、あたしじゃなくて皇帝のとこついてなくていいわけ?」
「たまには休めと追い払われてしまったんだ」
「ださっ」

しょぼくれて主の傍から離れる犬を想像して、リタはまた鼻で笑う。
こうでもしない限りこの真面目すぎる騎士団長は自ら休みなど取らないであろう。皇帝はそれはわかって言っているのだ。
それをリタも察していたが、それは言わない。いつもの調子で笑うのだ。
フレンも、それを解っている。

「副帝殿下は来客があって、席を外してるから、部屋で待っててくれないか」
「いいの、勝手に通して」

思い描いていた部屋の前についたとはいえ、主が不在の部屋に通されるとは思っていなかったリタはようやくフレンの顔を見る。

「殿下から事前に仰せつかってるからね」

一介の客人。
リタはその枠ではない。
副帝殿下の特別な客人である。
殿下の個人的に言うならば、優先順位は限りなく上位である。
今は侍女も居ないらしいその部屋の扉に手を掛けて、リタは問う。

「来客って、どのくらいかかるの?」
「殿下は可及的速やかに要件を済ませたいみたいだったけど、相手はどうかな」

含んだ言い方。
剣呑な光が翡翠に宿った。
それにフレンは苦笑いを浮かべる。自身が少し冗談で言った言葉にこれである。
ちょっとした罪悪感すら感じるが、この光を宿した瞳に見られるのは堪ったものではない。しかも、ぱりぱりと静電気の様な音が聞こえてきたものだから、冷や汗ものだ。

「……誰」
「リタ、目が怖いよ」
「誰だっつってんのよ」
「心配しなくてもこれっきりさ。僕が丁重にお帰り頂く様に話すからね」

皇帝の命令でもある。
つまり、その来客が金輪際、副帝殿下にお目通り願うことは叶わないだろう。
その意味を正しく理解したリタが、視線を扉に戻したのを見て、フレンは気付かれないように胸をなでおろした。魔術蜂を相手にするのは流石に辛い。

「嘘だったらぶん殴るからね」
「相手を?」
「あんたもよ」
「肝に銘じておくよ」

苦笑を背中に、リタは部屋にその身を滑りこませた。
部屋は前に訪れた時と何ら変わりはなかった。変わったところがあるとすれば、本棚の中身だろうが、そこまで仔細に覚えているわけもない。
部屋を包む部屋の主の気配に、知らず、息をつく。
リタはとりあえずローブを脱ぎ、ソファに放った。装いは、赤の普段着。さらにゴーグルを外して、ローブの上に投げる。
軽く伸びをして、室内を見回した。
主が不在の部屋。勝手知ったる、と言ってもどうしたものかと首を捻る。
ふと、枕元にあるものを見つけた。
チョコレート色の、猫のぬいぐるみである。
ベッド脇で初めて見たそれを見下ろし、こんな子供っぽいものを持っていただろうかと記憶を探っていると金属音。
リタは振り向いて、否、振り向こうとした。

「ちょ、ぉ、おおおおおっ!?」

振り向くよりも早く、部屋へと入ってきたそれに捕獲され、そのまま勢い余ってベッドに倒れ込む他なかったのだ。
ぎしりとベッドが悲鳴を上げるが、流石は上等なベッドだ。リタにあまり痛みはなかった。が、なかったと言えば嘘になる。

「ったぁー……、何すんのよっていうか、ちょっと、苦しいんだけど、こら、マジ、あんた見た目に反して力強いんだから! 折れるってば!!」

倒れ込んだ痛みよりも、ぎりぎりと締め付ける力の方が大変であった。
リタをその両腕で捕獲し、ベッドへと沈めた張本人は、しばらくリタの胸元に顔を埋めて恐ろしく静かだった。反対に力は緩みもしなかったが。
制止の悲鳴によって折れるまではいかないにしろ、逃げることなんて不可能な抱擁に、リタは溜息をついて好きなようにさせていた。

「はぁー……、一カ月ぶりのリタです……!!」
「はあ?」

やっと口を開いたと思えば、一言目がこれである。
待ち人。副帝殿下。エステリーゼはご満悦という言葉をそのまま表情にして、胸元からリタを見上げるように言う。

「正確には25日と半日ぶりくらいのリタです!!」
「……何、指折り数えてたわけ」

時間感覚がずれているとは自覚しているが、そんなに経っていたのかと思いながらもリタは呆れ交じりに言う。
はい。と力強く頷かれては、返す言葉もない。
エステリーゼはきりっと真面目な空色で翡翠を見詰めた。

「リタ分が足りません。可及的速やかに補給を要求します!!」
「あたしを養分にすんな!」

ぎゃーぎゃー言いながら逃げようとするリタを抑えつけるのも手慣れたものである。
エステリーゼはお姫様と言われながら剣術はそこらの騎士に負けることはなく、もちろん腕力も強い。反対に、身体的な力がさほどないリタ。
勝敗は解りきっていた。

「フクテー殿下がこんなんでいいわけ?」

逃げることを諦めて、疲れたように言うリタに目を瞬かせて、エステリーゼは笑った。

「リタ。リタ。髪留め外してください」
「は?」
「お願いします」

眉根を寄せながらも、綺麗に結い上げられた、先ほどのじゃれあいでも崩れることがなかったその髪から、髪留めを外すリタ。
癖なくさらりと零れる桃色に指を軽く通して、改めて見れば、そこには最初にあった頃と同じ髪型。
リタにとって、見慣れた姿。

「というわけで、今の私はエステリーゼ副帝殿下ではなくエステルです。よってリタ分を補給しても何の問題もありません」
「なにそれ」

依然ドレス姿のまま、そんな風に笑うエステリーゼにつられて、リタも笑う。
エステリーゼが、微笑む。

「リタ。逢いたかったです」
「……あっそ」

それが自身にしか向けられない表情だとわかっていながらも、わかっているからこそ、リタは視線を逸らした。
身体を少し起こして、リタの顔の両脇についた両肘。エステリーゼは、問う。

「リタは?」

触れた頬は、こちらを向かせるため。
合わせた額は、伏せた瞼を上げて目を合わせてほしいから。

「リタ」

微かに聞こえた返事は、エステリーゼだけのもの。










「最近何してたんですか?」
「ああ、ジュディスと一緒に遺跡各所を回って研究したり、ガキンチョんとこで依頼の手伝いさせられたり……あれ、何で力入っってんの、う、腕放してってば! えっ、何で怒ってんの!? ちょ、うわ、待っt」

殿下は以外にヤキモチ焼きである。


 

翌日。
「エステリーゼ様、リタが客室に居なかったのですが」
「私の部屋で寝てます」
「はい?」
「(ニコッ」

エステリーゼ様マジリタコン。

 
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