おさんぽ



「猫……」
「猫?」

物干し場所。
洗濯ものを干していたリーネさんの鼓膜を叩いたのは芳佳さんの呟きでした。
自分が声を出していた自覚がなかったのでしょう。少し驚いてリーネさんを見た後、笑い、指差します。

「ほら、そこに」

シーツの合間から見える、石段。木陰になっているそこに小さな影。

「わあ、可愛いね」

小柄な黒猫がそこに座って、二人を見ていました。
僅かに金色が混じる綺麗な翠色の目で、じっと二人を見つめる黒猫。
芳佳さんがシーツを干す手を止め、その黒猫に寄って行きます。

「おいでー、怖くないよー」
「芳佳ちゃん、急に近づくと……」

手を伸ばして近づいてくる芳佳さんに、少し瞳孔を丸くした黒猫。

「あっ」

もう一歩進んだ瞬間に黒猫は身を翻します。
小さな声と共に止まり、その様子を見るしかない二人。
立ち去ると思われた黒猫は、少しだけ離れた石段にまた座り、毛づくろいを始めました。

「嫌われてはないみたいだね」
「うー、撫でたいなぁ」

頬を緩めるリーネさんと、残念そうな芳佳さん。
けれど芳佳さんはもう近づくことをせずに、またシーツを手にとって干し始めます。

「真っ黒。綺麗な黒猫だね」
「うん」

毛づくろいを止めて、やはりこちらを見ている黒猫。
近くで見なくても、その毛並みがとてもいいと解るほどに綺麗な猫でした。
リーネさんは微笑みます。

「良いことありそう」
「え?黒猫だよ?」
「うん」
「日本じゃ、黒猫はあんまり良い話聞かないな」
「ブリタニアとか、こっちの方だと黒猫は幸運を運んでくれるの。魔よけにもなるって」
「あ、魔よけは知ってる」

黒猫。
その捉え方は国それぞれ、人それぞれ。
二人の話を聞いているかのように、静かに座っていた黒猫が急に立ち上がります。
それに気付いた二人の視線の先で、耳をしきりに動かし、そして、もう一度二人に視線を向けてから。

「あ、行っちゃった……」
「突然どうしたんだろうね」

黒猫は、石段の奥へと消えていきました。
小さな黒が去ってしまった方向を見ながら、二人は呟きます。
そして数秒後。

「宮藤! リーネ! 洗濯が終わったなら風呂に行こうじゃないか!!」

物干し場所の扉が勢い良く開き、そこに仁王立ちするのは我らが扶桑の魔女。

「……」
「…………」
「ん? どうした、そう見つめられると照れるぞ! はっはっはっはっは!!」

なんとなく、黒猫が去った理由を察した二人でした。













ココアとコーヒーのマグカップが乗ったトレイを持って廊下を歩いていて、気付いた。
薄く開いた窓。その窓枠。あまり明るくない、影になった場所にそれが座っていた。

「こんなとこにいたのか」

こちらをじっと見つめている。少しだけ頬が緩んだ。
近づけば、見上げてくる。その瞳が少しだけ似ていた。

「そろそろ起きる。いないと心配するぞ」

視線が、私の手元に。
トレイに載った彼女の好物。ああ、なるほど。
片手を空けて、近づける。

「ミルクは今度な」

寄せた手の甲に、顔を摺り寄せてきた。

「戻ろう」

私の足音の後に、音のない足音。



あるじのとなりにいるひと。

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