こいねがう
「今日は、何の本ですか?」
「んー?」
古めかしいハードカバーの本。
垣間見える文字はおそらく彼女の国のもの。
いつもならお茶を共にしている人が上官に呼び出しを受けてしまったから、一人で紅茶を飲んでいた私の元に、こちらも珍しく一人で現れた彼女はゆっくりとページをめくっている。
勧めたお茶は、彼女の手にある錆色の液体が入ったカップに防がれた。次は頼むよ、なんて言葉を貰って少し安心する。
他愛もない会話。とまではいかない。どこかぎくしゃくとした、途切れがちの会話。その原因のほとんどが私にあるのは自覚している。
彼女が読書家だということはなんとなく知っていた。その種類が多岐にわたることも知っていた。あのウルトラエースとは少し違うジャンルだけれど。
何を考えているのかわからない、色のない表情。ページをめくるその姿はいやに様になっていた。そう、この人は美人だ。
黙っていれば宝石のように輝くその容姿。そして、戦う姿さえ宝石に例えられた、スオムスの至宝。ダイヤのエース。
さして私と年も変わらない彼女と、私。けれど、どうしても違う彼女と私。
「占い」
「占い、ですか」
「おまじないって言った方がいいか」
「エイラさんおまじないできるんですか?」
彼女の部屋に香炉だとか燭台だとか、そう言うものがあるということは人伝に聞いていた。床にも魔方陣が描かれているとも。
いつもポーチにしまわれているタロットカードを思い出して、そう問う。出来るか出来ないかではなくて、会話を続けることの方が私には意味があった。
沈黙は、思考が渦巻いていくから。
「何だ、なんかしてほしいのか?」
「え?」
返ってきたのは予想していたとは言わないけれど、やっぱり掴めない反応。
ニィ。口元が上がるその顔は、彼女の使い魔のようで。沈黙を守っていた時とは違う、子供みたいにからかうような表情。
「そうだなぁ、リーネのことだから恋のおまじないとかか」
「こ、・・・・っ!?」
顔に血が巡る。耳まで熱くなるのを自覚する。
恋。そう言われて浮かんだ人の笑顔を瞼をぎゅっと瞑って必死に隠す。
ここで過剰に反応したらそれこそ面白がられるだけ。そう考えられるくらいには、経験値がある。
一呼吸。瞼をあげて、できるだけ突っぱねるような声色を出す。
「そんなこと言って、できるんですか?」
それが成功したかどうかなんて、彼女の顔を見ればわかる。失敗だ。
けれど彼女はそれに追い打ちをかけることなく、間延びした声と共にページをめくって本に視線を落とした。
「意中の相手の髪の毛、月の光を満たした水、自分の髪の毛、妖精の涙、・・・・」
「・・・・・・」
「その他もろもろ、用意できるならしてやるけど」
指折りあげられていくその材料を聞きながら、熱は引いていく。呆れるという感覚に近いかもしれない。
やっぱりからかわれた。そんなことを思って、変わらずこっちをにやにや見ている彼女に非難少し込めた視線を送る。
「妖精の涙って御伽噺じゃないですか」
「他の方法だと火吹きトカゲのしっぽとかもあるぞ」
「それ、何だかおまじないって感じじゃないです・・・」
イメージしたのは、ぐつぐつと煮える大鍋、ごぽごぽと気泡をあげる液体、つるされた何のものかわからない干物、真っ黒なローブを被った人。
これは、もう、私の認識ではおまじないなんて言えない。
私の考えたことが分かっているのだろう、肩を竦める彼女。
「まじないってのは呪いも含まれるんだ。そんなもんさ」
「呪いだなんて、怖いです」
「魔女の十八番だろ?」
空を駆る魔女と、彼女が語る魔女は、きっと違うもの。
だって、私の前に居る魔女はとても神秘的ではあるけれど、悪戯好きな優しい人。
怖い魔女なんかじゃ、ない。
「しょうがないなー」
返事に困る私を見て、彼女はページをめくる。
開いたのは、本の扉と遊びの間。そこには長方形の紙片。
それを指先で挟み、彼女は私の前に差し出す。
「これなら、リーネのとこでもよく知られてるだろ?」
その栞には押し花が添えられていた。
いや、正確には花ではなく、葉っぱ。
四葉のクローバー。
四枚の葉を持つその植物がどんな意味を持つかなんて、きっと小さな子供でも知っている。
誰しも一度は探したことがある、その四つの葉。
「しかもこっちに来てから見つけたやつだからブリタニアの御加護付きだぞ」
私の国でわざわざ見つけたという、それ。
「見つけたのは確か、宮藤がこっちに来た頃かな」
あの人と同じ頃にここに来たという、それ。
「これならそういう幸福もくれるさ」
私の前に置かれた栞。
「やるよ」
「えっ、でも」
思考に沈んでしまっていて慌てて視線をあげれば、にやにやした表情はもうなく、そこにあるのは飄々とした、いつもの掴みどころのない表情。
閉じられた本とともに、何でもないことのように。
「私はそんなのなくたって大丈夫だからなー」
奇跡のエースは、そう言った。
ずるい。そう言われては、もう何も言うことが出来ない。だって彼女には幸運に縋るまでもない実力を持っているのだから。
「ありがとう、ございます」
「いーよ」
手に取った栞は手作りで、手先の器用な彼女らしくとても丁寧に仕上がっていた。
ぐるぐると回る思考は、何を考えているのかわからないくらい色んな事が混じっていて。どうしたらいいかわからない。
「もうすぐ夕食の用意じゃないのか?」
「あっ」
そんな思考を止めたのも、彼女の声で。
時計を見れば、確かにその時間。栞をポケットに身長に入れて、ティーセットをお盆に乗せる。
そんなことをしている間に彼女はもう席を立っていて、扉を開けていた。違う意味で慌てる。
「あの、エイラさんっ」
「今日のおかずちょっとおまけしてくれないか?」
言葉を先読みされた。
お礼なんていい、そう言えば私が気にすると知っている彼女は、そう言ったのだ。
全部、解っているのだ。
「はいっ」
私は、笑顔で言う他なかった。
食堂へ急ぐ後ろ姿を見詰めて、目を細める。
「そんなもんなくたって、もう、大丈夫だろうけどな」
踵を返す。視界に後ろ姿はない。
「あー・・・、起きちゃってるかなぁ」
あの子のところに、戻ろう。