星空の逢瀬



「みるきぃうぇい?」
「そ。でも牛乳じゃなくて、人のt」
「乳の、道……ッ!?」
「お前そういうのほんと期待裏切らないな」

芳佳さんは慄いていました。














「宮藤ー、期待してる様な話じゃないよ? どっちかっていうとあんまり綺麗じゃない話」
「乳……乳の……ッ!!」
「よ、芳佳ちゃん? 何でこっち見てるの?」
「聞けよ乳馬鹿」

エーリカさんとエイラさんの目の前。ある一点を見詰められて困るリネットさんと、見詰める芳佳さんがいました。
手元にあった小さめのトマトを丸ごと芳佳さんの口に突っ込むと言う荒技を以ってして、こちら側へと意識を戻させたエイラさんは、続きを促します。

「タナバタ?」
「そう、そうです。七夕ですよ」

暑さの増す季節になった頃。お鍋をかきまわしながら芳佳さんが口ずさんでいた扶桑の民謡。
笹の葉さらさら。軒端に揺れる。
その歌声を聞いていたリネットさんが言ったのです。それなぁに。その場に居たエイラさんとエーリカさんもまた、首を傾げていました。
そうして始まったのは、扶桑における七夕のお話。
天の川というものが、こちらではどう呼ばれているかという話に対して、エーリカさんとエイラさんが話していたのが冒頭。というわけです。
神話に基づいた星の名称と物語。そういう天体関係の話を、何故か、二人はよく知っていました。
話は戻り、芳佳さんが扶桑での七夕の伝承を語り始めると、夕食前の食堂にはばらばらと他の隊員たちも集まり、そうして、いつの間にか隊員のほとんどが話に耳を傾けていました。
扶桑に伝わる、織姫と彦星の物語。
語り終った芳佳さんの視界には、二種類の顔がありました。

「一日しか会えないその日のために、二人は頑張って働いてるんだねっ」
「何だかロマンチックだよね!」
「うん、うん!」

興味深そうな、それこそ素敵と感じているであろう顔と。

「……それって自業自得じゃねぇの?」
「それを言ってしまったらダメです」
「えぇぇ……」

胡散臭そうに、しかめた顔。
さらに付け足されたのは、笹に吊るす短冊と、願い事の話。
それに目を輝かせたのはもちろんフランチェスカさんで、笹を調達せんと、シャーロットさんの制止も聞かずに転がる様に出て行ってしまいました。

「あー……」
「追いかけなくていーのか?」
「三十分もすりゃどうしたらいいかわかんなくて戻ってくるさ」
「そして優しいイェーガー大尉は一緒に隊長から笹調達の許可をもらいにいってやるわけかー」
「ははは……」

にやにやしているエイラさんに苦笑いを浮かべたシャーロットさんですが、実のところはちゃんと次のオフの使い道まで考えているくらいには、フランチェスカさんに甘かったのです。

「理解できん。何故仕事を放棄してまで二人は……」
「ラブラブだったから仕方ないってー」
「課せられた義務を遂行するという責務があるんだ。それをただ新婚だからと言って」
「クリスと宮藤が行かないでって言ったらトゥルーデたぶんそうなるよ」
「な、ならんわッ!!」
「今一瞬だけ迷ったー!」
「ハルトマン!!」

頬を朱に染めて立ち上がるゲルトルートさんに、朗らかに笑うエーリカさん。引き合いに出した二人の名。そこに自分の名前を入れなかったのは、故意なのか。それは言った本人にしかわかりません。
数名が席を外した食堂で、おそらく数日中に基地内に飾られるであろう笹に吊るす願い事の話が広がる中、一画では違うことを話していました。
織姫と、彦星。
二人の境遇に、誰かを当てはめると言う、遊び。

「あたしは仕事しないってことはないなー、趣味の時間は割けないけど」
「へー、やっぱ見本になりたいってやつ?」
「ははっ、あたしなんかを見本にしたらだめだろ」
「そうでもないと思うよ、私、シャーリーのこと、割とソンケーって言うか、好きだし」
「そりゃどーも」

駆け出して今はいない才能溢れる可愛い子猫。

「私はどうせなら寝てたいなー」
「いつも通りだろ」
「これでも頑張ってるんだよ」
「へぇへぇ」
「あっちが無理し始めちゃったら、ちょっとだけ、意地張り始めたら、だいぶ、頑張ろうかなー、って」
「……ふぅん」

規律や規則、何より自らの意思でがちがちに固まりそうな精悍な犬。
二人が描いた相手の姿。互いに浮かべたのは小さな笑い。深くも聞かず、語らず。
揃って視線の向かった先は、白金。

「あれはどうなると思う?」
「まず彦星が嫁ぐかたちになるだろ」
「ああ、わかる……。でもさ、こっちがあてられるくらいお熱いことになるだろうけど、仕事ほっぽり出すってことはなさそうだよね」
「伊達にダイヤモンドとか言われてないからな」
「おいお前ら、聞こえてんぞ」

口元を引きつらせたエイラさんが二人の前に立っていました。
どうやら視線に気づいて寄ってきたようです。そしてエイラさんが近づいてきてるのに話を止めるどころか嬉々として続ける二人はさすがでした。

「何がどうだってぇ?」
「いやー、スオムスの彦星様は尻に敷かれそうだよねーって話」
「はあ?」
「オラーシャの織姫様は苦労しそうだよなって話」
「はあッ!?」

意図を読めないエイラさんが眉を寄せます。
頬杖をついて、如何にも面白そうに顔を緩ませるエーリカさんは、続けました。

「ていうかさー、織姫彦星じゃないけど、何だかんだあってもエイラがサーニャから離れるなんて……」

一度区切った言葉。
めぐる視線は他の隊員たち。こういう時にも、繋がる心。
吸いこんだ息は、エイラさん以外のもの。

『ムリダナ!!!!』

一斉の、声。

「な、何だよお前らー!!」

作り上げられたのは、真っ赤な顔。
























「素敵だけど、切ないお話ね……」
「ぁー、うん」

自分が思った感想に蓋をして、エイラさんはサーニャさんの言葉に頷きました。
月夜の時間。
今夜は空を駆ることなく、そして、いつも通り、サーニャさんはエイラさんの部屋に。ベッドの上に座りこんでエイラさんが語る昼間のことを熱心に聞いていました。
素敵、素敵か? いやだって、それこそ何でその約束守ってんの? 川くらい渡れるだろ。舟操縦出来ねーのか。
エイラさんがロマンチックの欠片もないことを考えているなんて知らず、その考え事をしているせいで余計に色が希薄になった顔を見ながら、サーニャさんは思いを巡らせます。
七夕。
織姫と、彦星。
一年に一度しか許されない会合。二人を隔てる天の川。
絶対の距離を置かれ、離れ離れになった二人。
サーニャさんは、思います。
エイラさんが約束してくれた、そして自分が願う一番のこと。
両親との、再会。
それを叶えた、後のこと。
離れ離れに、なるかもしれない。
いいえ、ならざるを得ない、自分と、相手。
ウラルの山は、途方もない隔たりに。
二人の距離は、心の距離をも、広げていってしまうのでしょうか。
膝の上、ぎゅっと握った手に視線を落としてこの遣る瀬無い不安を口に出さないように唇を噛んで。

「私らには関係ないなー」

聞こえた声に、はっと顔をあげました。
そこには、何も憂うことなどないというように、いつもの何を考えているかわからない表情。
関係ない。
何が。どれが。

「どうして?」

ばれけた言葉をかき集めて、サーニャさんが紡ぎ出したのはたくさんの意味を込めた疑問。
誰に。どんな風に。
それとも。
一緒に居たい、と、考えること自体が、サーニャさんだけのものなのか。
問いに対して、エイラさんは人差し指でくるくると、宙に描きます。

「空、飛べるだろ」

魔女として、手に入れた力。
二人が出逢うべくして出逢った、その根源たる力。

「川だって、山だって、何だって、越えられる」

エイラさんは笑います。

「それこそ、ナイトウィッチなら、夜の飛行なんてお手の物だろ?」

曇りでも、雨でも、雪でも、雷雨だって。どんなに暗い空でも、飛んで行ける。
私ももっと夜間哨戒頑張んないとなー。
そう零すエイラさんを、どこかぼうっとした心地のまま、サーニャさんは見ていました。
エイラさんは、笑います。日溜まりを掬ったような、淡い、笑み。

「望めば、いつだって、どこへだって行けるさ」

見詰める先は。

「傍に、いたいから」

愛しの人。
その言葉を理解すると共に、サーニャさんはエイラさんの肩に顔を埋めました。

「えっ、えっ!? ちょ、サーニャ!?」

すぐ近くで聞こえる慌てた声を無視して、それでも動かないその身体の、裾を精一杯掴んで。
月明かりの下でも、鮮やかな顔色を隠すために。
かささぎは、必要ありません。一年に一度なんて、耐えられない。
サーニャさんは、思います。
隔たりなんて、ないのだと。
二人には、空を駆る力と。
共にありたいと願う気持ちがあるのですから。


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