女将さん!お祭りですよお祭り!!



「一枚の布で出来てんのかこれ」
「ユカタ、っていうんだって」


その単衣を前にして二人は揃って首を傾げました。
長期休暇で訪れた扶桑皇国。一緒に来ていたブリタニアとガリアのお嬢さんたちは、それぞれ、とある診療所と、海軍訓練所へ行っています。
ここに居る二人はというと、他の二人の邪魔をせず、こちらはこちらで休暇を満喫しようと知り合いから紹介してもらった旅館にその身を落ちつけていました。
あらあらまあまあ。人のよさそうな女将さんは二人を見るなりとても嬉しそうにし、それはそれは親切にしてくれました。
そうして、今夜お祭りがあるのよ、とこの単衣を持ってやってきたのも、今朝のこと。


「着たら動きづらくないか」
「でも、女将さんが似合うわよって用意してくれたから」
「そりゃあ、サーニャは」
「え?」


小さな呟きに銀髪の少女が隣を仰ぎみれば、口を抑えた白金の髪の少女。どうやら自分が何を口走ったのか理解したようです。
翠色の瞳に見つめられること三十秒。瑠璃色の瞳が泳ぎます。


「に、にあ、……かわ、……なんでもない」


そして顔を逸らし口を噤みました。
相変わらず何だか情けない少女、エイラさんと、溜息を飲み下すちょっと不満気な少女、サーニャさん。
そんないつもの微妙な空気を打ち破ったのは、おっとりとした、失礼します、という声。応えれば、襖が開きます。


「お待たせしてごめんなさい。じゃあ、着付けしちゃいましょうか」
「お願いします」


現れたのは旅館の女将さんで、丁寧に頭を下げるサーニャさんと、面倒くさそうなエイラさん。
二人の髪はもうすでに女将さんの手により綺麗に結い上げられ、もう着る以外の選択肢はないにも等しいはずですが、エイラさんはサーニャさんをちらりと見てから浴衣を指差します。


「私も着なくちゃだめか?」
「ええ、ええ、きっと可愛いわ」


女将さんは手にした着付け道具を傍らに置いて、にっこりと微笑みます。
胸の前で合わせた両手、まるでおもちゃを与えられた幼子のような雰囲気を感じるのは何故でしょうか。









あらやだ、腰紐が足りなかったわ、すぐにとってくるからこのまま待っててくれる?
女将さんが慌てて部屋を出ていき、残されたのは合わせた衿と衣紋を動かさないようにしているサーニャさんと、順番待ちのエイラさん。
エイラさんはサーニャさんの着付けから背中を向けていました。何故かって、心情的に。何をいまさら、と言われようがこれがエイラさんです。


「……、ぁ」
「んあ? ああ、ずれちゃったのか」


お祭りのチラシに視線を落としていたエイラさんが小さな声に反射的に振り向けば、そこには眉を下げたサーニャさん。
あわせ衿が若干崩れていました。肌襦袢姿ならともかく、浴衣を一応着ている状態のサーニャさんならば平気なのでしょう、エイラさんは傍に寄っていきます。


「えー、っと、ここを、こうすれば、たぶん」


どうしようという視線を受け、首を捻り衣紋や裄をすこし引っ張ったりするエイラさん。
身八つ口から手を入れると言うことまでは出来ないその両手で崩れたあわせ衿を直すのは難しく。


「あれ?」


何より、素人がどうにかしようとすると余計に崩れてしまうもの。それが着物です。
衿に触れたまま、エイラさんの目線が落ちた先。
上品な黒地の浴衣から覗く白い胸元は、それはもう言いようのない色香を放っていました。


「……」


ヴィヴァ、扶桑の神秘。
脳内でそんな言葉が浮かんでいました。どちらの、とは言いませんが。


「エイラ」
「ぅあっ! ごごごごごごめん!!!」


硬質な呼び声に、肩を跳ねさせたエイラさんは連動して慌てて手を跳ねあげます。
おぶおぶと狼狽するエイラさんに対し、溜息をつくサーニャさん。その頬がちょっとだけ桜色になっているのはご愛嬌。


「ごめんなさいね、お待たせして」


そして素晴らしいタイミングで開く襖。
女将さんは部屋の中を、エイラさんを、サーニャさんを、二人の様子を見て、頬に手を当てて微笑みました。


「あら、お邪魔だった?」


否定の声ともつかない叫びが部屋に響きました。


「ああ。やっぱり似合うわ、とっても可愛い」
「あ、ありがとう、ございます」


十数分して、満足気な女将さんの前には可愛らしい浴衣姿の少女が一人。
サーニャさんは賛辞に、恥ずかしいのか目を伏せて頬を染めます。
撫で肩ということもあり、とてもとても似合ったその姿。賛辞以外の言葉などあるわけがありません。

「うんうん、もっと褒めていいんだぞ」
「え、エイラっ」

こちらも満足そうに何度も頷くエイラさんに、先ほどとは違う意味で頬を染めたサーニャさん。
あらあら。二人のやり取りに優しげに瞳を細めて微笑んだ女将さんはエイラさんにとあるものを差し出します。


「さて、サーニャちゃんはあとは髪飾りだけだし、とりあえずエイラちゃんはこれを巻いててね」


差し出されたものを反射的に受け取って、何度か瞬きをしたエイラさんは訝しげな視線を女将さんに向けました。
手には、白いタオルが何枚か。


「タオル?」
「細すぎるの」
「何が?」
「腰が」


さもありなん。
補正のためのタオルでした。
自覚はこれっぽっちもありませんし、下手すると周りの人の忘れかけている事実。エイラさんのスタイルは、とてもいいのです。均整のとれた、とでも言いましょうか。
浴衣、着物を着る上で仕方のないことなのです。ある意味これを渡されると言うことがステータスでもあるかもしれません。
エイラさんの顔が露骨にしかめられました。


「えええぇえぇえぇぇぇぇぇえ……ただでさえ暑いのに」
「大丈夫、今夜はそんなに蒸し暑くないわ」


にこり。女将さんは微笑みます。ちょっとだけ、とある隊長を思い出す微笑みでした。
ゆえに、エイラさんは逆らうことが出来ないのです。


「ほら、巻いてちょうだい?」
「りょーかい……」


肌襦袢を纏い、タオルを巻いていくエイラさんを、サーニャさんは無言で見詰めていました。
ふと落とした視線。自分が纏う浴衣の帯。その下には、補正用のタオルが巻かれています。しかし、エイラさんの枚数には言うに及ばず。
少し視線がきつくなるのは、仕方のないことなのでしょう。


「サーニャ?」


下準備が終わったエイラさんがサーニャさんの視線に気づきます。
ひくり、と引きつる口元。


「ご、ごめん……?」


もはや条件反射。エイラさんの口から出るのは謝罪の言葉。


「何で謝るの」
「いや、だって」


少し不機嫌そうな声色に、眉を下げるエイラさん。
サーニャさんだってわかっているのです。エイラさんの体系なら、それは仕方のないことだと。時折、はっとしたように気付くその人の整いすぎた容姿の片鱗。つまりはそういうこと。それでも、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、気に食わないという気持ちがあるから困りもの。
またしてもうろたえるエイラさんに、むくれているサーニャさん。


「馬に蹴られたくはないのだけれど、とりあえず、着付けしてもいいかしら?」


お祭りが終わってしまうわ。楽しそうな女将さんの声が、響きました。











夕闇。
黒地に白い百合の花。紺地に縞水玉と笹。
からんころんと軽やかになる下駄の音。
背の低い少女は可憐。背の高い少女は美麗。そう呼ぶのが相応しいでしょう。
扶桑ではまず目にすることがないその月明かりに映える髪色も、北欧特有の白い肌と整った貌も、人の目を惹くのに十分な魅力を放っていました。
誰しもがそのどこか危うささえ覚えかねない美しさを、二人は纏っていました。


「すげー!!!」


かたっぽが、口を開かなければ。
初めて見た神輿や山車を前にして、エイラさんのテンションは異様に上がっていました。


「あれ乗れねぇのかなー」
「だめよ、エイラ」
「ちぇー」


傍らを過ぎ去る半被を着た少年たちと同じ輝きを持った瞳に、サーニャさんは頬を緩めます。
かわいい。心を占めるのはその言葉。気分はちょっとだけ、お姉さん。
エイラさんを窘めて、二人行くのは主催の神社。まずはお参りと言うわけです。
下駄の音。祭囃子の奏。人々の歓声。出店の呼び声。
騒がしく、それでも嫌でない喧騒。
それを耳にし、目にしながら、二人は歩を進めます。


「きゃっ」


慣れない下駄と、祭りの人ごみにサーニャさんが少しふらつきます。
それでもすぐに、いつものように、支えられて。


「サーニャ」


耳元で、声。
顔を上げれば、瑠璃色の瞳。
手には、ぬくもり。
繋がれた、二人の手。


「こっち」


引かれた手は、どんなものより確かで。
サーニャさんはゆっくりと気遣うように引かれる腕と、いつもと違う、それでも見慣れた背中を見詰めるしかありませんでした。
神社の近くまで来れば、人通りは少なくなり、参道から少し離れた場所でエイラさんは足を止めました。


「人凄いなー、大丈夫か?」


振り向きざま、何の未練もなく、ごく当たり前のように離された、手。
エイラさんの目に映ったのは、視線を逸らしたサーニャさん。それよりなにより、エイラさんを慌てさせたのが、林檎飴もかくやという顔の赤さでした。
さぁっと血の気の引くエイラさんの顔。動揺で上手く回らない口で思い当たったことを伺い立てます。


「ご、ごめっ、痛かったか?」


視線を合わせないまま、横に振られるサーニャさんの首。
覗く耳も、首筋さえも赤いかと思うくらいの赤面。日がほぼ隠れている今でなければそれはもう綺麗な色付きを見られたことでしょう。


「あの、サーニャ……」


サーニャさんを怒らせてしまったと勘違いしているエイラさんは気づきません。
離された手が、寂しそうに揺れていることに。


「ごめん、ごめんよ」


情けない声で謝るエイラさんと目を合わせることはなく、サーニャさんは視線を伏せていました。
怒っているわけではありません。
いえ、怒っているだけではありません。
手が。あの時、嬉しいと。そして今、寂しいと。そう言っているのです。触れたぬくもりは、すぐ目の前に。
気付いてと言う想いを乗せて向けた視線。そこにあるのは。


「さーにゃぁ」


一言もしゃべってくれないサーニャさんに対しての、涙目。
脱力と、呆れと、ちょっとした怒りと、そして、エイラだから、の言葉。サーニャさんの心を巡ったのはそんなこと。
けれどそれを口にすることは、サーニャさんには出来ません。だって、恥ずかしいから。
赤い顔のまま、熱を持つ心のまま、サーニャさんはぬくもりが足りない手を、エイラさんに少しだけ差し出します。
それは差し出すと言うには足りない動きだったかもしれません。少しだけ上げられた手。その華奢な手を見て、エイラさんは目を丸くしました。
頑張って。一生懸命考えて。散らばった勇気とかその他諸々をかき集めて。
それでも居座る不安を押しのけながら、恐る恐る、エイラさんは。
サーニャさんと、手を繋ぎました。
先ほどと同じように、でも今度は、自覚の上で。
少しだけ震えているような手に、緩く絡むサーニャさんの手。
色合いを濃くした顔は、不正解を告げるものでは決してなく。その色は繋がった手からエイラさんにまで移っていきます。
エイラさんが見たのは、とてもとても、幸せそうな、サーニャさんのはにかんだ微笑み。
呼吸を忘れるような一瞬。
言いたいことはたくさんあるのに、喉の奥で渋滞していて出てくる気配がありません。
結局出てきたのは。


「きょうだけ、だかんな」


いつもの、言葉。
からん。ころん。
下駄の音が、続きました。












お祭りという特殊な空間を作り上げる要素はいくつもあります。
そのひとつが、出店。
子供たちの目的であり、大人たちの手段であり、お祭りの良き役者。
からん。ころん。
ゆっくりと歩むその出店の通りを、エイラさんとサーニャさんはものめずらしげに見ていました。
つながったままの手は一言、二言、言葉を重ねるたびに照れくささは薄れ、いえ、穏やかになっていき、今はもうそれが自然体。


「いろんなのがあるんだな」
「うん、きらきらしてる」


宿の女将さんから聞いていたとはいえ、目の当たりにするそれは圧巻。
焼そば。人形焼き。綿飴。お好み焼き。籤引き。型抜き。林檎飴。金魚すくい。かき氷。
視界を巡る出店はそれぞれ活気に満ちていて、眩しさすら感じるほどです。
小さな子供が緑色の所謂ライダーヒーローもののお面を被り、ぼくの顔をお食べよ、などと言っていたり。何故か景品がほとんど撃ち落とされた射的屋が、また外国のお嬢ちゃんか、などと二人を見て驚いていたり。ブルーハワイ味ってなんだ、と思ったり。
けれど、見ているだけじゃ足りません。


「どこから見る?」
「あれ」


いざ、出店へ。











「痛ぇ……」
「一気に食べるから」


顔をしかめて頭を抑えているエイラさんにサーニャさんは苦笑しました。
初めに手にしたのは、ふわふわの氷。
彩るのは、いちごの色と、メロンの色。
ストローを加工して作られたスプーンを咥えて、ぷらぷらさせながらエイラさんは次の出店を見定めていました。


「んー、帰ったら夕飯もあるし、あんまり食べるのもなー」
「女将さん、量少なめにしてくれるって言ってたけど、それがいいと思う」


お祭りで食べるものの特別な美味しさというのも格別ですが、元々小食のサーニャのこともあります。
二人は食べ物以外を中心に回ることを決めて、出店を見回しながらかき氷に舌鼓を打っていました。
そうして、ようやく回る算段をまとめたころ、丁度良く無くなった器の氷。
備え付けられたゴミ箱にそれを入れようと進めた一歩。


「サーニャ」
「え?」


サーニャさんが振り返れば、子供のような、顔。


「舌。べ、ってしてみて」



首を傾げて、控え目に出した舌先。
やっぱり、と笑うエイラさん。


「真っ赤だ」


いちご色に染まった、舌。
自分で確認しようもないその事実に、サーニャさんもまた、目の前の人に問います。


「エイラは?」


べ。と悪戯っ子の似合う舌の出し方。
そこは、メロン色。


「緑色」


顔を見合わせ、浮かぶのは笑顔。自然に繋がる手。
些細なことすら楽しい。
それも、お祭りの魔法なのでしょう。













籤引きと言っても色々な種類のものがあります。
一般的な籤を使うもの。おみくじのようなもの。無数にあるひもを引っ張るもの。それぞれ運だめしだとかそんな名前で催されていました。
二人が訪れたのはひもを引っ張るタイプの出店。
店の奥。景品として置かれているそれを見ていたサーニャさんの視線の先に気付いたエイラさん。


「ほしいのあるのか?」
「うん、あれ」


示された先には、三毛猫の小さなぬいぐるみ。
ふぅん。と小さく答えて、エイラさんは目の前に下がる無数のひもをまるでウィンドチャイムを奏でるように触れて、止まった手。
そこに握られた、一本のひも。


「これ、引いてみて」


手渡されたそれを首を傾げながらも引けば、浮き上がる番号札。


「はい、あたり」


店主からおめでとうの言葉と共に掌に乗せられたぬいぐるみは、まあるい瞳にサーニャさんを映していました。
それは、サーニャさんが望んだものにほかなりません。


「エイラ、今……」
「まあ、ほら、一回くらいは」


口端を上げて笑ったエイラさん。
彼女の固有魔法。この場では、サーニャさんしか知らないこと。
お祭りの場でそういうことをしていいものか、それでもこの気持ちが嬉しいことには変わりなく、サーニャさんはまた一回分の料金を店主に渡します。
再びエイラさんに向いた視線は、促すもの。
もう一度、するようです。


「使っちゃだめよ」
「使っちゃだめっつってもなぁ」


それこそほとんど意識しないままに発動してしまうそれ。
さきほどほんの一瞬だけ現れた黒い獣の耳。
エイラさんは適当にひもを一本を掴み、それと同時に、本当に、一瞬だけ、瞼の裏に浮かぶような未来。
飴か。
それを口には出さないままするすると引っ張った先、上がる札には残念賞の書かれていました。
はいよ。と渡されたそれは。


「あれ?」


おもちゃの、指輪。
まじまじと、どこからどう見ても、それは飴ではなくて、プラスチックでできた小さな赤い宝石付いた指輪。


「おっちゃん」
「なんだい?」


店主である、おっちゃんというより、青年にエイラさんが視線を向ければ返ってくる笑顔。
エイラさんは言葉に詰まります。いかさましただろ。なんて言えないのです。だってエイラさん以外は知らないのですから。
にこにことこちらを見ている店主に何も言えず、掌にあるものを見詰めるエイラさん。


「うーん」


飴ならそのまま食べればよかったのです。
しかしこれはどうやっても姿を消すことはありません。かといって、持っているのも、なんだか、とても、合わないような気がしてなりませんでした。
エイラさんは気づきません。
サーニャさんが、その指輪を気にしていることに。自分の、手と、交互に見ていることに。
それがどういう意味を持っているのかはわかりません。サーニャさんさえも、もしかしたら無意識なのかもしれません。
エイラさんは、それに、気付いていません。
けれど、気付いていなくても。


「サーニャ、これいるか?」


こういうことを、言える人です。
言ってしまえる、人です。


「私が持っててもしょうがないし」


それも、その類のことなんて考えずに。


「サーニャのほうが似合うだろ」


ただ、純粋に。ひたすら、真っ直ぐに。
エイラさんは、本当にそう思ってそれを差し出したのでしょう。
ひどく驚いた顔で固まるサーニャさんを前にして、疑問を感じるほどには、他の意味なんてこれっぽっちもなかったのです。
よく考えたら、貰っても困るか。
そう考えたエイラさんは、苦笑いを浮かべました。


「ごめん、いらないよな」
「いるっ」


手を引っこめようとしてその動作を止めたのは、半ば叫ぶような声でした。
自分でもそこまで大きな声が出るとは思わなかったのでしょう。慌てて口に手を宛がっているサーニャさん。
エイラさんがそれをどこか呆然と見詰めて、数秒。


「あの……ほしい」


祭りの喧騒に掻き消されないほど、小さい声。
普通ならば聞こえないでしょう。けれど、そこはエイラさん。ずっと、ずっと耳を傾けていた声です。届かないわけがありません。


「あ、うん、はい」


頷いて。
あっさりと、それはサーニャさんの掌に移りました。
エイラさんから貰ったそれを、両手で、大切そうに包み、瞳を細めて微笑むサーニャさん。
丁寧に、手提げ袋にしまわれるその様子を見ながらエイラさんは、徐々に、徐々に、それを構築し始めます。
さきほどまではさっぱり考えなかったこと。
自覚と言う名の、照れ。
自分が、サーニャさんに、何を、渡したのか。
指輪。
例えおもちゃであっても、それが意味することは。
せり上がってくる赤色と、嬉しそうな翠色を見ていた店主は、どこかあたたかい声をかけました。


「お嬢ちゃんたち、カップルかい?」


ぎゃあ。
叫びが喉の奥で騒ぎました。
あとは、からころと鳴る下駄の音が残るのみ。
小さくなる背中に。繋いだ手は、しっかりと。










「違う、違うんだ、違うくないんだけど、そうじゃなくて、そうだけど、ええっと、これは、その、あの」
「エイラ」
「へ?」
「……ありがとう」
「……うん」










「お、おお……!!」


それを見つけたエイラさんの感動はちょっと筆舌に尽くしがたいものでした。
小さなビニールプールに浮いた、水風船。
水風船釣り。
二人が向かったのは、その出店。
エイラさんの謎のテンションの上がり方にサーニャさんは疑問に思いましたが、とりあえず楽しそうなので何も言わず、エイラさんが釣り糸を手に水風船を吟味している姿を見ていました。
とても真剣な顔で浮かぶそれらを見ていたエイラさん。


「……ハッセ、ラプラ……、ニパは流石にないな」


異様な真顔で謎の呟きを漏らして、目に留めたのは水色に黄色の流線の書かれた水風船。


「エルマ先輩にしよう」


やはり謎の言葉を漏らし、何なく釣りあげたそれ。
遊び方は周りで子供たちがしているのを見れば聞かずともわかるもの。
ここまでくれば、エイラさんのこの行動にどんな意味があるのか、エイラさんをよぉく知っている人ならば、安易にわかることでした。


ぱしゃん、ぱしゃん、ぱしゃん。


「サイズはよくても感触までは無理か……」


しばらく遊んでいたエイラさんは、残念そうに言いました。
もはや冷たい視線を甘んじて受けなければいけないレベルでした。ダメだこいつ。
そして、オラーシャの冬よりも凍てつく声を発する人が、ここにも一人。


「エイラ」
「ぅい!? 違う! 違うんだかんな!!」
「何が」
「(やばいこれすんごく怒っていらっしゃる!!」


自分が熱中していたことがなんなのか瞬時に理解したエイラさんが言い訳を口走りながら見たのは氷なんて比じゃない冷え切った翠色でした。
ほんの数分前までのあのどこか甘酸っぱい雰囲気など霧散しています。
暑さのせいだけじゃない汗が、エイラさんの背中を伝いました。
とっても情けないことになっているエイラさんと、むくれて無表情になっているサーニャさん。
二人のこの雰囲気を破ったのは、小さな悲鳴でした。
二人が目を丸くしてその発生源に視線を向ければ、地面に倒れている小さな女の子。
どうやら転んだらしく、何とか上げた顔にはまだ自分が転んだことをわかっていないきょとんとした表情。


「大丈夫かー?」
「怪我してない?」


そんな女の子にすぐに駆け寄った二人。
エイラさんが抱きあげて立たせ、サーニャさんが半被に着いた汚れを払います。
見たところ地面が土だったのが良かったのか怪我はなく、ぼんやりと二人を見ていた女の子の目に段々涙が溜まり始めます。
転んだことが、わかったのでしょう。痛みも、自覚したのでしょう。
ぼろぼろと流れる涙と、上がるしゃっくり。


「せっかくのお祭りなんだから、泣くなって」
「お友達も、きっと、待ってるよ」


その小さな頭を撫でるエイラさんと、涙を拭いてあげるサーニャさん。
徐々に止まってきた涙に、あとひといきだとエイラさんは手にしていた水風船を女の子の前に掲げます。


「ほら、これやる」


くるりと回るまあるい水色に瞬きを一つ。


「これも、あげるね」


小首を傾げた三毛猫に、瞬きをもう二つ。
二人の手にあるそれを交互に、そして二人の顔を女の子は見詰めます。


「いいの?」
「うん」


笑ったその瞳から、最後の一滴が流れました。


「お姉ちゃんたちありがとう!!」
「走ってまたコケんなよー」
「気をつけてね」


踊るように駆けていくその小さな姿をため息混じりに見ていたエイラさんは、くすくす笑うサーニャさんに首を傾げます。
視線に気づいたサーニャさんは、微笑みました。


「エイラ、優しい」
「そんなんじゃねーよ」


不貞腐れたように呟くのは、何だかとても居心地が悪いから。
そっぽを向いていたエイラさんが、ちらりとサーニャさんを見ます。


「よかったのか? 欲しかったんだろ、あのぬいぐるみ」
「うん」


サーニャさんは、頬を柔らかく緩めます。
少し掲げた、手提げ袋。


「私には、こっちがあるから」


その、中身。
エイラさんがまたそっぽを向いたのを見て、サーニャさんは笑みを濃くしました。
その頬を、桜色に染めて。
見詰めるその耳が、同じ色に染まっていることに気付きながら。















お祭りの最後は花火で締めくくられます。
高台にあつまった見物客は多く、その中に二人も居ました。


「すっげぇ……」
「きれい……」


次々と打ちあがる極彩色。
見上げた夜空には、大輪の華。
花火の色に彩られた景色。


「ストライカーがあれば特等席だったんだけどなー」


隣から聞こえた小さな声にサーニャさんは、それを想像して笑いがこみあげました。
きっと、大騒ぎになるだろうと。
ひと筋の光が伸び、それが咲き誇る度に周りから上がる掛け声。
花畑をも連想させる幾つもの華。
見惚れるには、十分。
時を忘れるとはこのことでしょう。
気がつけば、もうずいぶん経っていました。


「一番でかいのがあがるのか」
「うん」


次で、本当に、最後。
今宵一番美しく、一番大きな花火が打ち上げられようとしていました。
これを見るために集まる人も、少なくはないでしょう。
もしかしたら、ここに集まる人全てが。
誰しもが夜空に咲く華を見上げる、その一瞬。
繋がった手が、不意に引かれて。



エイラさんの瞳に映ったのは。



大輪の華を映したエメラルドの華。















「あ、エイラさーん! サーニャちゃーん!!」


帰り道。
参道を行くその途中、背後からの声に振り向けば、そこには同じくお祭りに来ていた芳佳さんとリネットさんでした。
二人とも、色違いの浴衣を着て、それは可愛らしい姿です。


「芳佳ちゃん、リーネさん」
「二人も来てたんだね」
「うん」
「うわあ、二人とも浴衣凄く似合ってる」
「ありがとうございます……、芳佳ちゃんも、リーネさんも、とっても似合ってます」


予想外の出会いに喜びながら、芳佳さんが両手を広げてそれはもう楽しそうに言います。
それは、今宵一番のあのこと。


「すごくきれいでしたね! 最後の大花火!!」


声の向かう先は、今だ一言も喋っていない人。


「ああ、すごくやわらかかった……」


エイラさんは、小さくそう言いました。
なんだかとっても上の空でした。いっそ芳佳さんたちさえ認識していないかもしれません。


「やわらか……? エイラさーん? エイラさんってば!!」


その様子にエイラさんに近づいて目の前で手を振ったり声をかけたりする芳佳さん。
芳佳さんは、わかっていません。
そして、サーニャさんを驚いた顔で見詰めるリーネさんは、たぶん、わかってます。
全ては、宵闇に隠されて。
からん。ころん。
下駄の音が、響きました。


後遺症:花火に過剰に反応
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