かぜっぴき



サーニャちゃんが、風邪をひきました。









「みぃやぁふぅじぃー!!! 手っ取り早く直す方法ないのかよー!!」
「む、無茶言わないでくださいよぉ!!」


つまるところ、この第五〇一統合戦闘航空団で平静を失った人が一人生まれるわけです。
キッチンから見える先、とても理不尽なことを言いながら詰め寄ってくるエイラさんに、芳佳ちゃんはほとほと困った顔をしている。
サーニャちゃんが体調を崩したのは今朝の、実質昨日のこと。でもきっと、一昨日から調子が悪かったのだろうと今更思った。
更に言えば、そのサーニャちゃんの機微に聡いエイラさんも、ハルトマンさんも、ここ数日出撃が続いたり、サーニャちゃんとのシフトが悉くすれ
違っていた。
そして、もうひとつ。
たぶん、だけれど。サーニャちゃんが悟られないようにしていたから。というのもひとつなのかもしれない。


「まだそんなに酷い風邪じゃないですから、薬を飲んでちゃんと休んでれば良くなります! 軍医さんだって言ってたじゃないですか」
「だって、だって、サーニャ苦しそうだし、熱もあるし、サーニャが、サーニャ、さぁにゃああああああああ!!!」
「ああもうにゃーにゃーうるさいですわ」
「サーニャが心配じゃないのかツンツンメガネ!! サーニャは風邪ひいて辛いんだぞ!!」
「どうしてサーニャさん絡みだとそんなに面倒くさいんですの貴女は!」


そうして、サーニャちゃんの寝顔を見て、エイラさんがすぐにおかしいと気づく程度には、風邪は表面に現れていた。
そこからは、もう、なんというか。
大変だった。
まずエイラさんがサーニャちゃんを所謂お姫様抱っこで医務室に運び込み、診察の間に混乱と後悔を繰り返し、報告を受けたミーナ隊長がやってきた時にはそれはもう落ち込んでいたらしい。かく言う私と芳佳ちゃん、坂本少佐も朝の訓練が終わってすぐに医務室へ向かって、凄まじい負のオーラを目の当たりにしたわけだけれど。


「氷嚢変えに来たと思ったらこれだよ……」
「ねぇねぇシャーリー、サーニャのお見舞いに行ってもいいかなー」
「そうだなー、もうちょっと良くなってからにしようなー」
「んー、わかったぁ」


下された診断は、芳佳ちゃんが言う通り風邪。
医務室でなくて、自室での安静を言い渡されるくらいには、酷くはなかった。
看病を申し出たのはもちろんエイラさん。芳佳ちゃんはエイラさんによって却下されて、ミーナ隊長もそれを苦笑いで了承。幸い、エイラさんは本日オフでシフトにも影響は出ない。出たとしても、エイラさんは如何にかしてしまっていそう。
ともあれ、すぐに寝入ってしまったサーニャちゃんにつきっきりのエイラさんは、眠りを妨げないようにもちろん室内では静かにしているわけで。
どうにもこうにも溜まってしまった不安やら遣る瀬無さが今こうして、隊員のほとんどが揃っている食堂で発散されている。


「エイラ、サーニャにはちゃんと薬を飲ませたのか?」
「まだ。何か食べてからの方がいいって言われたんだ」
「それでリーネに頼んだというわけか……」


バルクホルン大尉の視線に無意識に背筋が伸びる。その目が、すまないな、って、言ってる気がして口端の強張りが溶けた。大尉のせいじゃないのに、優しい人。
私にはこんなことしかできないから、むしろ立候補したくらいなのに。


「ところでさー、さーにゃん、上と下のベッドどっちで寝てんの?」
「ど、どっちだっていいだろそんなの」
「ついでにエイラはどこで寝んの?」
「ソファだ!!!」


エイラさんは気づいているだろうか。その答えが、サーニャちゃんがどっちで寝ているかの答えにもなっているということを。
病人を二段ベッドの上段に寝かせると言うのも、酷な話。だから、別にどうこう言われることもないのだろうけど。そういうところもエイラさんら
しい。元々、上のベッドが使われているかどうか知れたことではないけれど。たぶん、サーニャちゃんのぬいぐるみ専用みたいになってるんだろうなぁ。
程よく煮えたリゾットの味を確かめて、出来あがり。
量は少なく、食べやすく、薄味。芳佳ちゃんにも少し手伝ってもらったそれは、たぶん、サーニャちゃんの好みにも合っている。と、思う。
食堂からのちょっとした喧騒を耳に、リゾットをお皿に移しながら考える。
エイラさんではないけれど、どうして、気付いてあげられなかったんだろう。
たぶん、皆が思っていること。
とても、不甲斐なくて、とても、申し訳なくて。


「リーネちゃん」
「あ」


俯いたままの視線を上げれば、カウンター越しに芳佳ちゃん。
取り繕ったような笑顔を頬に張り付ける。美味く笑えた気がしない。


「サーニャちゃん、隠し事上手だよね。私、全然気付いてあげられなかった……なんか、悔しいな」
「う、ん……」


あはは。元気のない、ような、笑い顔。ねえ。リーネちゃん。呼び声は静かに。きっと、私の考えがわかってるわけじゃない。芳佳ちゃんは、たぶん、同じことを考えていただけ。


「たぶんね、エイラさんの顔を見たら、安心したんじゃないかな」


そうして、私の心にすとんと落ち着く答えのような、それをくれる。
そっか。そうだね。
たぶん、身勝手な解釈。だけれど、とても納得してしまうもの。
頑張り屋さんの小さな彼女が、気を張り詰めていた夜間哨戒を終えて、辿り着いた先に見たもの。
もう、だいじょうぶ。
そう、思ったのかもしれない。
その思いの通り。私が勝手に考えた空想通り。サーニャちゃんの傍には、あの人がいる。
そうだね。ありがとうの意味も込めたその言葉を伝えて、二人で目元を緩めた。


「宮藤!」


声に振り向いた芳佳ちゃんの目の前。さっきみたいに詰め寄るエイラさんの姿。
相当、切羽詰まってる顔。
状況が状況だけれど、一生懸命さに、頬が緩んでしまう。


「なんか風邪に効くもの知らないか!?」
「風邪に効く……、あっ、葱です!! 首に巻くといいんですよ!」
「首に巻くとか何言ってんだお前!」
「こ、答えただけなのに……!」


扶桑って、不思議。改めて思う。
エイラさんは風邪に効くものを集めているらしく、皆に聞き回っていたみたい。
蜂蜜。生姜。ベリー系の各種ジャム。赤ワイン。ビール。流石多国籍部隊。色んなものが出てくる。


「人に伝染せば良くなるって聞いたことあるよなぁー」
「傍迷惑な直し方だな」
「なんて言って、お前も考えたことあるんじゃないかー? 誰かさんが風邪引いた時とか」
「その口を閉じろリベリアン……!」
「おーおー、怖い怖い」


大尉たちの口論になりかけの、いつもの会話を隣にハルトマン中尉が蜂蜜の飴をひとつ口に放り込みエイラさんを見た。
テーブルに載せられたものをひとつひとつ確認するエイラさんは真剣だ。


「同じ部屋に居るんだから空気感染しそうなもんだけどねー」
「サーニャが治るんならそれでもいい」
「ふぅん……」


ミーナ中佐やバルクホルン大尉が聞いたら怒られそうなことをさらっというエイラさんは、とても、エイラさんらしかった。
からころとほっぺを膨らませたりしていたハルトマン中尉は、なんというか、にたり、と笑う。


「そんなエイラにいいことを教えて進ぜよう」
「は?」


蜂蜜やジャム。サーニャちゃんが好きそうなものをリゾットと一緒にトレイに載せていたエイラさんに、ハルトマン中尉は近づく。
ちょっと話はそれるけれど、二人の顔を距離が近づいたのを目を見開いて声を発そうとした人が、耳打ちだと理解してその口を溜息の形に変えたのを私は見た。
何事かをエイラさんの耳に届かせたハルトマン中尉は、赤に染まり上がった頬を見て、ぐっ、と親指を立てる。


「グッドラック!」
「うっせぇ!!」


赤い顔のまま、逃げるようにエイラさんはトレイを手に食堂から去って行った。


「何言ったんだ?」
「んー、ちょっとしたイリョウチシキってやつを」


何を言ったか、私たちが知ることはなかった。






















翌日の朝。
いつものように訓練を終えた私と芳佳ちゃんが廊下を歩いていると、さきに、人影が二つ。
芳佳ちゃんに続いて駆け寄れば、ずいぶんと顔色の良いサーニャちゃんと、その隣にいて当たり前の人。


「サーニャちゃん、もういいの?」
「うん、熱ももう下がったから」
「そっかー、よかった」
「リーネさん、リゾットおいしかったです。ありがとうございます」
「あ、ううん、それならよかった」


軽くシャワーを浴びてきたらしく、そのくらい良くなってきていると思うと同時に違和感。
さっきから、ずっと、黙ったままのとある人。
どうしたんだろう、と視線を向ける前に。


「ごほっ」


小さな、咳。
見れば、水色の袖口を口元に当てて、視線を泳がせた、人。
私と芳佳ちゃんは顔を見合わせてから、その人に言った。


「エイラさん、もしかして伝染りました?」


熱もあるのか、耳まで染まったエイラさん。



そして。
看病を申し出たのは、予想通りあの人。


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