詳しく聞こうか



「うげ、なんだよこれ」
「は、はる、と、……」
「ああうんわかった息整えてていいから」


廊下に平積みにされた大量の本と、麻袋に詰められた大量の衣服と、大量のゴミ袋。
窓枠に手をかけて、ぜはぜはと疲れきっているゲルトルートさんを見てエイラさんは遠い目になりました。
ちらりと見た室内。その居住空間の床は未だ完全に見えていません。
ベッドの上で手を振っている部屋の主に呆れた視線を向けます。


「手伝えよ」
「手伝えってうるさいのに手伝うと邪魔だって言われるんだもん」
「手際良く手伝えよ」
「トゥルーデがもう一人いたらいいのにね。……やっぱ大変だから一人でいいや」
「聞いてねーよ」


そんな二人の会話を聞きながら、ゲルトルートさんを気遣っていたサーニャさん。
やっと呼吸が落ち着いたのか、溜息を一つ零したゲルトルートさんはサーニャさんに微笑みます。


「大丈夫ですか?」
「ああ、まだまだ終わってないからな、ここで休んでるわけにもいかん」
「手伝いましょうか?」
「いや、あの馬鹿者にやらせるから大丈夫だ。すまないな、サーニャ」
「いえ……」


サーニャさんの視線は入口までやってきたエーリカさんと、その服を指差すエイラさん。
似合うー?似合わねー。そんなやり取りを聞きながらゲルトルートさんに首を傾げます。


「あの、何で大尉の上着をハルトマンさんが?」
「あいつの軍服を洗濯に出したんだが、着る服がないと言ってな……」
「……」


確信犯なんじゃ、とちょっぴり思いましたがサーニャさんがそれを口にすることはありませんでした。
後ろで、わざとだろ、何のことー?なんて会話も聞こえましたが気にしないことにしました。
何となく既視感を覚える行動だったのは言わずもがなです。


「色んな本あるなー」
「エーリカちゃん読書家だから」
「そうは見えないけどなー」
「失礼な、深窓の令嬢とかマジ似合うでしょ」
「ねーよ」


四人の視線の先には平積みされた本。ハードカバーのものから雑誌。分厚いものから薄いものまで。多種多様に渡るものがありました。
背表紙を視線でなぞりながらエイラさんとサーニャさんが感嘆の声を上げます。


「ブリタニア、ガリア、カールスラント、リベリオン、オラーシャ……、げ、スオムスのまである」
「ジャンルもばらばら、ですね」
「何でも読むよー」


実はマルチリンガルなエーリカさんです。
読書が好きなところは、妹と似ているかもしれません。


「大尉、これどうすんだ?」
「片づけてから国別に分けて本棚に戻す」
「……、過労で倒れるぞ」


黙々とさらに室内から本を運び出してくるゲルトルートさんに溜息をついて、オラーシャの御伽噺の本を手にしているエイラさん。
その横でサーニャさんもまた、青い頭巾を被った生き物が表紙の本を手にとって眺めていました。どうやらスオムスの絵本のようです。


「童話もあるんですね」
「さーにゃんも読みたいのあったら貸してあげるよ」
「ありがとうございます」


エーリカさんは何か思いついたのか平積みの一角からジェンガのように一冊を抜き出します。
もちろんその本の塔は崩れ、ゲルトルートさんの怒号が飛びましたがさっぱりスルーしました。慣れています。


「これなんてどう?」


サーニャさんに差し出された一冊の本。
Alice's Adventures in Wonderland.本の表紙には、ブリタニア語でそう書いてありました。
世界一有名な童話といってもいいかもしれません。しかも発祥の地であるブリタニアのものです。


「お借りしても、良いですか?」
「いいよー、持ってけ持ってけー」
「ハルトマン!!」
「あーもー、はーい、悪ぅございましたー」


エーリカさんが室内へと戻っていく中、サーニャさんは手中の本を嬉しそうに見つめていましたが、ふと気付きます。


「エイラ?」


隣にいるエイラさんが、とてつもなく嫌そうな顔をしていることに。
それはもう、サーニャさんが初めて見る、とんでもなく嫌そうな顔でした。ちょっと遠い目でした。


「どうしたの?」


エイラさんの視線の先は、サーニャさんが持つ本の表紙。白いエプロンが眩しい、青いエプロンドレスを着こんだ女の子。
サーニャさんの声にはっとするものの、しばらく黙りこんだエイラさん。


「いや、何でもない」


そう一言告げて、後は何も答えてくれませんでした。













何となく気になって、自分が知らない時にその童話関係で何かあったのか調べることにしたサーニャさん。
とりあえず隊の数人に聞いてみたのですが。


「あー、アリスの童話ねー。あたしちゃんと読んだことないなー」
「唖莉素?何だそれは?」
「あら、有名な童話ね。でもそれがどうしたの?」


芳しくない結果でした。
少し考えて、目についたのはエイラさんの部屋のデスクに乗っていた手紙。
スオムスから定期的に届く、少し丸っこい、可愛くて綺麗な字の人からの手紙。
おそらく、サーニャさんが知り得る限りで、スオムスにいた頃のエイラさんを誰よりも知っている人からの手紙。
サーニャさんは、自室で便箋を手に取りました。
















「エイラ」
「んー?何d、っひ!?」


後日。
タロット占いをしていたエイラさんが呼び声に振り向けば、そこには尋常ではない雰囲気を醸し出すオラーシャの陸軍中尉の姿がありました。
ゆらりと何かを背負ったような、鬼気迫る感じでした。スオムスのトップエースも変な声が出るくらいです。


「ななななななんだよサーニャ!?」


タロットを手からこぼし、動揺しながら問うエイラさん。
扉の前に立っているサーニャさんは、にこりと微笑みました。それはそれは可愛らしい微笑みでした。エイラさんは冷や汗が止まりませんでした。
エイラさんは気づきます。
サーニャさんの手に、あの絵本と、手紙が握られいることに。
よくよく手紙を見れば、そこにある文字が、どうにもこうにも見覚えがある少し丸っこい可愛くて綺麗な字であるということに。
見事に、嫌な方向に、予想はついてしまうというものです。
エイラさんが望まなかった現実が、目の前にあるということです。


「服のサイズ、教えて?」
「ど、どうして?」
「いいから」
「何に使うn」
「いいから」


軍服のサイズではなく、本格的な身体の各サイズに基づいた服のサイズなのでしょう。
エイラさんの背中は冷や汗でびっしょりでした。
Даと言え。そんな言葉さえサーニャさんの背後に見えかねません。
けれど屈してはいけないのです。譲れないものもあるのです。


「エイラ、教えて」
「い、嫌だ」
「教えて」


サーニャさんが扉の前から一歩も動いてないのにもかかわらずベッド端、窓際にまで追い詰められていくエイラさん。
ちょっと目尻に涙まで溜まってます。
しかしこれがとてつもなく珍しいことだと誰もが思うことでしょう。
何せ、あのサーニャさんのお願いをエイラさんが頑なに拒んでいるのです。素晴らしき勇気といえましょう。引け腰ですが。


「お、教えない」


若干震えた声で、しかし重ねて拒否を口にしたエイラさん。
そんなエイラさんの耳に届いたのは、何故か、金属音。
その音が何なのかを考えて思い当たります。それは、あまり聞き慣れない、自室の鍵が下ろされた音でした。
ゆらりとサーニャさんが一歩エイラさんに近づきます。
いつの間にか、絵本と手紙を持つ手とは逆の手に、メジャー(ハルトマン印)。
ひきつった声がエイラさんから漏れました。
サーニャさんがまた一歩、近づきます。


「じゃあ、調べるね」


とてもいい、笑顔でした。
エイラさんの悲鳴が基地に木霊しました。








その日、駆け付けた隊員が、何があったのか半裸のエイラさんを保護したとか、暴走したサーニャさんを捕獲したとか、皆悲鳴を聞いて聞かぬふりをしただとか、どうだとか。
真相はわかっていません。


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