感覚的には姉妹



「リーネさん、あの、お願いがあるんです」


小さな、それでも一生懸命な声でそう言った女の子の頼みごとを断れるわけがない。
たぶん、とても勇気を出して言ってきたんだろうってわかってるから。
そうでもなくても断る理由なんてなくて、私は驚いた後に二つ返事で頷いていた。
昼下がりのキッチン。
エプロンをして、私はサーニャちゃんとテーブルの前に立っている。


「じゃあ、作ろっか」
「はい」


とっても真剣な顔で頷くサーニャちゃん。
お願いします、と言われて何故かちょっとだけ照れる。私も人に教えるほどお菓子作りが上手いとは思っていないけど、頼まれたからには精一杯のことをしてあげたい。


「って言っても、サーニャちゃんに教えることあんまりないと思うんだけどな」
「そんなことないです。リーネさんのお菓子、いつもとっても美味しいから」
「あ、ありがとう」


少し俯いて恥ずかしそうに言われたものだから、こっちの頬もちょっと熱くなる。
芳佳ちゃんで少し耐性が付いているとはいえ、真っ直ぐな好意は眩しくて、あったかくて、まだ慣れない。
ちょっとうろたえながらサーニャちゃんとお菓子を作り始める。今日はエクルズ。
実際、サーニャちゃんは料理が上手なだけあって、他愛もない会話をしながら滞りなく作業は進んでいく。


「どうして、私だったの?」
「え?」


具をパイシートに包んでいる最中。
ずっと気になっていることを聞いた。
どうして、私だったのか。芳佳ちゃんでもよかったはず。それこそ、私よりずっと、サーニャちゃんと仲のいい芳佳ちゃんの方がきっと。
引っかかっていた。あまり人付き合いの良いとは言えない私。サーニャちゃんとは最近までちゃんとお話すらしたことがなかったのに。
こうやって頼まれて、嫌われてはいないのかななんて、とても安心している自分に少し嫌気がさしながら、どうして私なのかなって、気になっていた。


「リーネさん、お菓子作りとっても上手ですから」
「芳佳ちゃんも上手だよ?」


翡翠色の瞳が揺れた気がした。
私でなければいけない理由がある。そう思うには十分な動揺を見てとれた。
それなのに私はそれを聞くことは私には出来そうにない。聞く勇気がないから。


「あ、ごめんね、変なこと聞いて」


それを聞いてしまって、サーニャちゃんが嫌な思いをするのがいや。それ以上に、それを聞いてきた私が嫌われるのが怖いから。
だからこうやって、少しだけ笑って、話を逸らすしかない。
あの子なら、もっと素直に、真っ直ぐに、聞けるんだろうな。羨ましいけど、それをすることはまだ出来ない。
臆病な自分に心の中で溜息をつく。


「皆が、・・・」


続かないと思っていた話題。
届いた小さな声に驚いて隣を見れば、手元に視線を落したままのサーニャちゃん。


「おいしい、って、よく、言ってます」


たどたどしい声。
その一言で、わかってしまった。
サーニャちゃんの言葉に隠れた本心に気付いてしまった。
サーニャちゃんが言う皆は、皆じゃなくて。きっと、たぶん、絶対、あの人のことだけを指している。


「そうなんだ」
「はい・・・」


けれど、サーニャちゃんがはっきりそれを言ったわけではない。
私はただ、サーニャちゃんの言葉に耳を傾けることしかできない。


「いっつも、おいしいって、食べたいなって、言ってます」


手を止めることなく、サーニャちゃんはゆっくり話す。


「だから」


ちょっとだけ、苦しそうな声だったと、思う。
ああ、わかる気がする。サーニャちゃんが今どうしたらいいかわからなくて困っている感情の名を。
私もその感情を持っている。
でも何故だろう。自分のものは嫌な感じしかしないのに、サーニャちゃんのはとても微笑ましく見えてしまう。


「サーニャちゃんが作ってくれたものだったら、もっと喜んでくれると思うよ」
「そんなこと、ないです」


私の脳裏に浮かぶ、お菓子を手にしたあの人の笑顔。
ああ、うん。


「すっごく喜んでくれる人、いると思うけど」
「でも、エイラは」


今まで、故意に口にしなかった名前。
その名前を言ってしまったサーニャちゃんは、さっきの比じゃなく動揺したらしく。
真っ赤になった顔で、私を慌てて見上げて。


「ぁっ、ち、ちがっ」


ぐしゃ


『あ』


手にした作りかけのパイを握ってしまっていた。
具がぽてっとテーブルに落下する。
何故か私も焦っていた。


「いっぱいあるから大丈夫っ」
「は、はいっ」


二人で何故か意気込んで、微妙に力が入りながらまた具を包む作業に戻る。
二、三個包んだところで、ちょっとだけ、冷静になれた。隣を窺い見る。


「ご、ごめんね?」
「だ、大丈夫、です」


サーニャちゃんの顔はまだ真っ赤だった。













「うまく出来たね」
「はい、ありがとうございます」
「ううん、私も楽しかったから」


ちょっと気まずい空気が流れたけれど、後片付けやパイを焼いている間にそれも消えて、私たちの前にはお皿に移されたエクルズ。
丁寧に頭を下げられて、少し困った。だって、本当に楽しかったから。


「リーネさん、は」
「うん?」


紅茶は何にしようか、なんて考えているとサーニャちゃんの声。


「大変、じゃ、ないですか」


躊躇ってから言われたのは、そんな問い。
その意味を聞くことなんて必要ない。だって、解ってるから。


「ああいう人なんだな、ってわかってるつもりでいるし。ああいう人だから、きっと好きになったんだと思う」


色んな人に好かれて、色んな人に必要とされて、色んな人に大切なことを教えてくれる。自分じゃ、よくわかってないけれど。
ああいう人だから、あの子だから私は好きになった。そう、自信を持って言える。


「私」


サーニャちゃんの俯いた視線の先には、ぎゅっと握られた手。


「私、リーネさんみたいに、何かしてあげる、ってこと、出来なくて」


そんなことない。私だって、何も出来ないもの。


「いっつも、貰ってばかりなのに」


私も、貰ってばかりだよ。


「あげられないのに、喜んでほしくて」


サーニャちゃんがいるだけで、きっとあの人は他に欲しいものなんてないよ。


「でも、それも真似しか、出来なくて」


サーニャちゃんにしか出来ないことが、いっぱいあるよ。
途切れながらの言葉に、返したい言葉がいっぱいあったのに、私はそれを呑み込む。
どんな言葉がサーニャちゃんに届くのがわからない。
けれど、これだけは伝えなきゃいけない気がした。


「たぶんだけど」


サーニャちゃんが私を見上げる。
何故か、緊張した。


「サーニャちゃんがあの人のために頑張ったなら、それだけで嬉しいんだと思うよ」


微笑んで、伝える。


「だって、あの人はサーニャちゃんのことが大好きだから」


出来る限り、優しく笑えたかな。
丸くなった翡翠と桜色に染まった頬が可愛いな、って思いながらそんなことを考えた。


「ちょ、押すなうわあっ!!」
「わあ!!」


その直後。
背後で何かが倒れるような音と声。
驚いて振り向く。


「エイラさん、芳佳ちゃん・・・」


折り重なるように食堂の入口に倒れているエイラさんと芳佳ちゃんがいた。


「い、いやあ、ほら、美味しそうな匂いがしてさー!なあ宮藤!」
「そそそうですね!!」


明らかに慌てふためいた二人。
もしかして、覗き見されていた。と思ったけれど会話は聞かれていないことを察する。
たぶん聞かれていたならエイラさんが顔を青くしているはずだから。サーニャが好きな人って誰だ!って。想像してため息が出そうになる。


「と、ところで何でリーネだけじゃなくて、サーニャが?」
「サーニャちゃんが手伝うって言ってくれたので」
「それだけか?」
「それだけです」


まったく、この人は。
きっと今、頭の中で色々な仮説が浮かんでは消えているんだろう。


「わー、おいしそう!」


エクルズを見て目を輝かす芳佳ちゃんはこの様子だとエイラさんに付き合わされていただけなんだろう。
芳佳ちゃんなら普通にキッチンに入ってくるはずだし。
気持ちの整理がついたのか、エイラさんもテーブルの近くまで来た。


「サーニャが作ったのどれだ?」
「こっちのです」
「よし、いただき!」
「あー!ずるい!!」


サーニャちゃんが包んでいたエクルズをひとつ手に笑うエイラさん。
つまみ食い禁止。なんて言葉は通用しない。
芳佳ちゃんに意地の悪い笑みを向けているエイラさんに、私は問う。


「エイラさん、独り占めですか?」
「皆のために作ったんだろうし流石に出来るわけないだろ。だからせめて一番最初に食べる」


予想通りの答え。本当は、独り占めしたいってことなんだろう。
サーニャちゃんは、相当驚いたのかずっと固まったままエイラさんを見ている。
一口。エイラさんは凄くよく味わってからそれを喉に通した。
そして、サーニャちゃんに言う。


「うん、うまいよ、サーニャ。凄くおいしい」


とてもとても、嬉しそうな顔で。
それは私たちが見ることがあまりない表情。きっとサーニャちゃんだから引き出せる表情。
ね、サーニャちゃん。この人は、サーニャちゃんだから、こんな顔するんだよ。


「サーニャ?」


何も言わないサーニャちゃんにエイラさんは首を傾げる。
ああ、もう。この人は本当にわかってない。


「ばかっ」


さっきよりももっと真っ赤になったサーニャちゃんは、去ってしまった。
同じくよくわかっていない芳佳ちゃんがこっちを見てくるけれど、曖昧な笑顔しか返せない。言えるわけがない。
サーニャちゃんの背中を呆然と見送ったエイラさんは、数秒固まってからテーブルに手をついて項垂れた。


「サーニャに怒られた・・・ばかって言われた・・・・」


ええ、本当に。


「エイラさんのばか」
「なんでリーネまで言うんだよ!!」


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