気付いて



教えてもらった遊び。
幼い頃にするはずのもの、らしい。
指先が辿る線を、頭に思い浮かべて、その軌跡が描いた言葉を当てる。
誰かの背中をキャンパスにして、点が線に、線が文字に、文字が言葉に。返ってくる言葉が当たっているかを楽しむ遊び。
やったことがないという私に、サーニャはそれを教えてくれた。
楽しいのか、そうじゃないのか。私は未だにわからない。けど、サーニャとやると、とても楽しかった。遊びよりも、サーニャと一緒ということが大事だった。
けどサーニャが言うこの遊びは、もっともっと楽しい、もの、らしい。それが何故なのか私にはまだわからない。
もう、わからないものなのかもしれない。わからない。


「エイラ、手」
「手?」
「うん」


いつものように、いつの間にか私の部屋のベッドを占領しているサーニャの隣。タロットを捲るのを止めて、手を差し出す。
寝転んだサーニャは両手で私の手を受け取った。あったかいのは、きっといままで眠っていたせい。
ぼんやりとした翡翠で私の手を見つめるその姿が、なんだかとても可愛くて、頬が緩む。
ああ、可愛いなぁ。なんて、何度目か解りもしないことを考える。


「エイラ」
「ん?」
「当てて」


何が、と問う前に、掌にくすぐったい感触。
指先で撫でるような、撫でるとは違う明確な軌跡。ああ、またこの遊び。
あれから。私がサーニャにこの遊びを教えてもらってから、たまにサーニャはこうして遊びたがる。
私に拒否する理由もなくて、理由なんてありはしなくて、いつものようにそれを甘んじて受け入れる。
けど、いつもは背中だから、なんだかとっても気恥ずかしくなって。


「サ」
「こっち見ちゃだめ」
「ハイ」


怒られてしまった。視線を反対の手に持ったタロットカードに無意味に落として、気付かれないように息を吐き出す。
確かに、手の動きを見たら問題にならない。
けど、問題どころじゃない。さっきは寝惚けてるから、なんて思っててさっぱり気にしてなかったことが気になってしょうがない。
手から伝わる体温とか、柔らかさとか、手の小ささとか。
ああ、可愛いなぁ。なんて、馬鹿みたいに何度も思う。


「エイラ」
「ハイ」


ちゃんと考えて。そう名前に付け加えられて言われた気がした。
どうしてこうも考えていることがばれるのだろう。しかたないのか。だってサーニャのことを考えていたんだから。サーニャにばれないわけがないのか。
もう一度息を吐いて、顔に上がる熱を極力気にしない方向で、頭の中に思い描く、白い光の点。
点が線に、線が文字に、文字が形に、形が言葉に。


L I T V Y A K


「リトヴャク=v
「うん」


何故かこの遊びを始める時は、最初は誰かの名前ってことが多い。
私が自分の名前以外できっと一番目にしている名前。わからないはずがない。
悩むように掌を指で押して、線が描かれる。


Л И Τ В Я К


「リトヴャク=v
「え?」
「キリル文字の方だろ?」
「知ってたんだ」
「そりゃ、まあ」


顔は見えない。けど私の手に触れる手が、少しだけ強く握ってきた。
何故かは、わからないけど。けど、怒っては、たぶん、いない。
時折さっきみたいに掌を指で押したりしながら、サーニャの指は文字を描く。言葉を紡ぐ。


たいよう。つき。ほし。て。みみ。たぬき。しろくま。


ブリタニア語だけじゃない、中尉から教えてもらったのかカールスラント語まで。
掌から伝わる言葉を口にして、うん、って小さく返してくれるのが嬉しくて。
何が楽しいんだろうなんて頭の片隅で思って、でもサーニャが楽しいなら私も楽しいから。きっとこれは楽しいんだ。
今までより長く、掌を押していた指が動く。今までとは、違う言語。


Ф О К С


「きつね=v
「エイラ、オラーシャ語、わかるの?」
「あー、……ちょっとなら」
「そうなんだ」


何故。なんて聞かれなくてよかった。顔をそむけててよかった。
サーニャのために覚え始めた。なんて言うのは不純すぎる。だけどその通りだから言うのは恥ずかしすぎる。
さっきとは違う意味で顔に血が上る。ああ、熱い。
下手なことを言わないように、タロットを手放して口元を覆う。答え以外を言わないように。
掌に触れる指が増えた。親指以外の指で、撫でられて、慣れていたはずのくすぐったさがまたむずむずと顔を出す。
けど振り向けない。だって終わりだとサーニャから言われていないから。
四本の指が離れて、少し。



  



今までより、とてもゆっくり描かれた線。
けれど、何文字なのかすらわからなかった。眉根を寄せる。


「わかった?」
「いや、わかんなかった」
「じゃあ、もう一回ね」
「うん」


また、とてもゆっくり描かれる線。
けれど私の頭に、線が文字を描いてくれない。ただの線として残る。どこが区切りなのかもわからない。
ふわふわと浮かぶ線。どこを繋げて、どこを塊にすればいいのかもわからない。
口に栓をしていた手をどけて、眉根を寄せる。


「サーニャ、難しいオラーシャ語私はわからないぞ?」
「オラーシャ語じゃないよ」
「違うのか?私が知ってる言葉か?」
「うん。エイラがよく知ってる言葉」


私がよく知っている言葉だという線の集合体。
けど、わからない。ヒントが欲しい。


「何文字?」
「二文字」
「その割には線いっぱいじゃないか?」
「うん」


うん、って。それ以外は答える気がないのか、サーニャは何度も何度もそれを描く。
掌に、その言葉を。
二文字で。私がよく知っているという言葉を。


「わかった?」
「全然」
「エイラ、よく言ってる」
「サーニャに?」
「私の前じゃ言わないけど」
「……、そうですか」


ぎゅって、手を握る力が少し強くなる。
今度はどこか、不満そうな感じ。顔がちょっと引き攣る。怒ってはいないけど、ご機嫌ではないらしい。
これは早く答えを当てなければいけない。


「私がよく言ってることかー」
「うん」


二文字。サーニャの前では言わない、私がよく言っていること。
さっぱりわからない。
また掌に描かれる線。頭に描かれない言葉。


「エイラに、言ってほしい」
「でも言ってるんだろ?」
「うん」


わからない。
答えは教えてくれる気はないらしい。少なくとも、今は。
飽くことなく、サーニャは私の掌に描く。せがむ様に。


  


スオムス語でも、カールスラント語でも、ブリタニア語でも、オラーシャ語でも、ない。きっと、違う。
けど、私が知っているという言葉。
さっぱりわからない言葉。


「サーニャ」


けれど。
サーニャがそれを望んでいるらしい。
それなら、私がすべきことなんて一つだけ。
掌に描かれる言葉。頭に浮かぶ線。
今は、わからないけれど。


「いつか、言うよ」
「うん、待ってる」


ぎゅっと、手を握られた。













く ノ 一 了 一 き


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