指し示す



小さな頃にした遊び。
指先が辿る線を、頭に思い浮かべて、その軌跡が描いた言葉を当てる。
そんな、とりとめもない、それなのに、どうしてかとても楽しかった遊び。
お母様の指を必死に頭の中で追って。道を辿って。出来あがった言葉を満面の笑顔で、得意になって言って。頭を撫でてもらうのが、嬉しくて。
お父様の背中をキャンパスにして、ゆっくり、大きく、描いた線が。言葉になって返ってくるのが、嬉しくて。
とてもとても、楽しかった遊び。


「したことないな」


何なんだそれ、と首を傾げるエイラに目を丸くした。
家族と。そう言おうとしてそれを言葉にする前に呑み込んだ。
思い知る。思い知らされる。私は、エイラのことを何にも知らない。エイラという人をよく知ってはいるけれど、エイラのことは、よく知らないのだ。
ぎゅっと手を握って、思いを閉じ込める。今それを聞いたらいけない気がするから。いつか、きっと。
だから、今は。


「エイラ、背中」
「え?」
「私の背中で、書いてみて」


まだうまく笑うことが出来ないと解っているから。背を向けた。
戸惑う声と、気配を感じながら、振り向けずに。それでもどうにかしたくて。どうしたらいいかわからなくて。
私は、その“とてもとても楽しかった遊び”を、エイラに伝えることが出来ない。私がそれを“とてもとても楽しい”と感じたのは、だって。


「か、か、書けってそんなこと言われても」
「何でもいいの」
「だって、サーニャの背中にだぞ?」
「うん。私、当てるから」


膝を抱え込むように座って、瞼を下ろす。
背中に集中して、声を聞く。


「私が指で文字を書いて、それをサーニャが当てる。そういう遊びなのか?」
「うん」


どこが楽しいんだろう。平坦な音に混じる声。
私はとてもとても楽しかったの。エイラ。だから、少しでも。
いつまでたっても動かないから名前を呼んで短く急かせば、ぎ、ベッドが軋む音。


「んっ」
「うわああああ!!」


声も何もなく触れた指先に、驚いて思わず声が出て、後ろでもっと大きな叫びがあがった。
それにもっと驚いて、後ろを振り返れば。


「ごごごごごごごごめん!!!」


頭を下げているエイラ。何度もごめんと口にして、謝っていた。
そんな姿に少し笑ってしまう。


「ううん、大丈夫」
「わ、私が、大丈夫、じゃ、なくなる、ぞ、これ・・・」


一気に疲れた表情で、エイラがうなだれる。
二人で顔を見合わせて、何だか面白くて笑って。


「エイラ、もっと強く書いてもいいから」
「え、でも、痛くないか?」
「今くらいだと、くすぐったい」
「あ、うん」


そうして。
やっと私の背中に届いたエイラの指の軌跡を辿る。
頭の中に思い描く、白い光の点。それが動いて、線になって、形になって。


S A N Y A


「サーニャ=v
「お、正解だ」


エイラの声に、頬が緩む。
だって、そんなにはっきりくっきり書いて、それが私に一番馴染んだ五つの文字だから。
また点が線になって、形になる。


E I L A


「エイラ=v
「正解。凄いな、サーニャ」


次は、私が一番安心する四つの文字だから。
次から次へと。点は線になり、形になる。


そら。くも。よる。ねこ。きつね。みどり。あお。


私の背中を辿る言葉を口にして、エイラの嬉しそうな声に頬を緩める。
少しは楽しいかな。少しだけでも、解ってくれたかな。そんなことばかり考えて。
頭の中に浮かぶ文字が言葉になって私の口から出ていく。最後に出ていった言葉から、ちょっとだけ、間が開いて。



     



今までより、早く、急いで書かれた言葉。


「エイラ、もう少しゆっくり書いて?」
「あ、いや、その」
「エイラ?」
「・・・・・・うん」


振り返らずにそう言えば、どこか歯切れの悪い声。
どうしたのだろうと思って振り向こうとすると、背中に触れる指。私は振り向けない。
目を閉じて、背中に意識を集中して。
二度目は。早く。
もう一回。
三度目は。少し早く。
もう一回。
四度目は。ちょっとだけ早く。
もう一回。



五つの文字。



それが意味する言葉が頭の中に思い浮かんだと同時に、周りを白く染める。
たった五つの文字が作る。
たったひとつの言葉。


「エイラ」
「えっ!?もしかしてわかっちゃったのか!?」
「ううん」
「なんだ・・・よかった・・・。あっ、いや、その」
「エイラ」
「え?」


慌てる声に、首を横に振って、ほっとした後にまた慌てるエイラ。
私は膝を抱えるように座ったまま、言う。


「もう一回」
「わからないのか?」
「うん」
「そ、そっか」


安堵の息と、触れる指先。
ゆっくりと、点が線になり、形になっていく。
軌跡が、頭に浮かぶ。


「当たんないなら答えは教えないかんなー」
「どうして?」
「ど、どうしても!」


その理由を、教えて。とは言わない。
今は、言わない。
その代わり、何度も、もう一回、とせがむ。
背中に指で描かれる紡ぎ。



     



ブリタニア語じゃない。
オラーシャ語でもない。
私がわからない。
私がわからないはず。
私がわかるわけがない。と、エイラが思っている言葉。
私は振り向かない。


「エイラ」


エイラの指が、描いている軌跡の、言葉。
そして、エイラの綺麗な指が、指しているのは。
私は、振り向かない。


「もう一回」


何度でも、示して。
















pidan


私の好きな


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