貴女の名前



「ハルトマンさんって、バルクホルンさんを名前で呼ばないですよね」
「ひょんへぅひょ?」
「・・・・ごめんなさい、呑み込んでからお願いします」


お芋を頬張ったまま視線を向ければ凄く困った顔の宮藤。
お昼ご飯に出されたお芋。身体的休養に全力を注いでいた私は危うく食いっぱぐれるところをこの宮藤に救われたのだ。お芋おいひぃ。
咀嚼。嚥下。


「ん、んー。トゥルーデでしょ?呼んでるじゃん」
「いや、あの、珍しい愛称といいますか」
「ああ。まあ確かに、リーネとかシャーリー、さーにゃんみたいに一般的な愛称じゃないよね」


トゥルーデ。
私が考えた愛称。所謂一般的な名前の省略とかそういうものではない。
でも、私はこの愛称を、とても、とても気に入っているんだ。


「ミーナ隊長もその名前で呼んでますけど、任務とかそういう時はバルクホルン大尉って言ってるじゃないですか」
「そーだね。ミーナはそこらへん分けて使ってるかも」
「でもハルトマンさんはいっつも同じじゃないですか」
「うん」


ミーナは私たちにとても甘くて優しいけれど公私は分けている。
隊長なんて責任ある偉い立場だから、そういうのはちゃんとしているのだ。だけど最近少佐のことを名前でふと呼んで慌てて訂正することが増えた気がする。大体少佐はずるいんだ。私たちの方が付き合い長いのにすんごく信頼されてるし。最近なんてミーナが珍しく居眠りしてるとか思ったら少佐の軍服がかけてあるし、起きたミーナが照れつつも、起こしてくれればいいのに、とか明らかに初めてじゃない反応するし。でもミーナが何だか嬉しそうだから邪魔はしないんだエーリカちゃんちょう優しい。ていうか少佐は軍服脱いであのインナーのまま出て言ったのだろうかちょっと気になる。大分気になる。
じゃなくて。
トゥルーデ。そう、今はトゥルーデの話。そうだよね宮藤。


「トゥルーデはね、いつでもどこでもゲルトルート・バルクホルン大尉なんだよ」


トゥルーデは、公私を分ける必要がないんだ。
私が知っているトゥルーデは初めから軍人だった。口うるさい上官。けれど面倒見のいい上官。


「ずっと、堅物バルクホルン大尉なんだ」


五年前からずっと、ずっと、ずっと。
ずぅううううううっと。カールスラント空軍所属、ゲルトルート・バルクホルン。
例外があるとすれば、それは。


「お姉ちゃん、って呼ばれる時以外はね」


唯一無二の肉親。
私たちがいくら頑張っても並ぶどころか追いつくことさえできない絶対の人。
比べることが馬鹿馬鹿しいってわかっていても、複雑な気持ちであることには変わりない。きっと、トゥルーデの心の一部は不可侵なのだ。


「でも、お姉ちゃんって呼ばれる時は、お姉ちゃんでしかないんだ」


けれどそれも軍人でないだけで。


「お姉ちゃんって呼んでくれる人の前では、ずっと、お姉ちゃんなんだよ」


トゥルーデはお姉ちゃんになるだけなのだ。
バルクホルン大尉から、ゲルトルートお姉ちゃんに、変わるだけなのだ。
だからね。


「だから私はトゥルーデって呼ぶの」


軍人でも、姉でもない。


「かわいーでしょ、トゥルーデだよ?トゥルーデ。すっごく考えて決めたんだー」


大体、名前が堅っ苦しい感じがするよね。
それに引き換え、トゥルーデ。かわいいよね。響きとかちょうかわいい。それを考えた私がスーパー美少女なんだから、最高にかわいいよね。まあトゥルーデ自体もかわいいんだけどね。


「トゥルーデは、トゥルーデなんだ」


陸でも、空でも。私の目に映っているのは。


「私が呼ぶのは、いつでも、どんな時でも、トゥルーデなんだよ」


他の誰でもない、まっさらなトゥルーデなんだ。


「わかる?宮藤」


語り終えてすっきりした笑顔で今まで反応を示さなかった宮藤に向き直れば、何だか妙な汗を流していた。頭から煙出てない?


「わ、わかりません!!!」
「あはは!そーだよねー!」


細かいことなんて気にしない。一直線な瞳。信じることを貫く強さ。
宮藤のそういうところが、きっと。


「ありがと、宮藤」


私よりも少し低い頭を撫でる。不思議そうに、それでもはにかんでくれる宮藤。
うんうん、お姉さんは感謝しているよ。


「宮藤がバルクホルンさん、って呼ぶ時は、トゥルーデは、ちょっとずつトゥルーデになってきてる」


悔しいことに私の知ってるトゥルーデじゃなくなってきてるところもあるくらいだし。
でも、あれは私が引き出せてあげられなかったトゥルーデなんだろう。引き出してよかったかどうかは、まあ、別として。


「でもね」


これだけは、譲れない。


「宮藤はトゥルーデって呼んじゃ駄目だよ」


これだけは、渡せない。


「私と、ミーナだけなの」


渡さない。


「約束!!」
「は、はい!!」


ぽかんと口を開ける宮藤に小指を差し出す。反射的に出された宮藤のそれに私の小指を絡ませて。


「ゆーびきーりげーんまーん、うーそつーいたーら」


そうだなぁ。


「リーネとの接触一週間禁止」
「えええええええええええ!!!??」


宮藤にはきっついよねー。
エイラに一週間部屋の鍵を掛けて寝なさいっていうくらいの罰だよね、うん。あ、これさーにゃんへの罰か。
ゆーびきーった。そう言って指を離す。そうそう。


「知ってる?このゆびきりの口上ってめちゃくちゃ怖いことが由来なんだって」
「そうなんですか?って違う!違いますハルトマンさん!!その罰は厳しすぎます!!」
「破らなきゃいいんだよ」
「あ、そっか。じゃなくてえええええ!!!」


話を聞いてください!と騒ぐ宮藤。聞いてるよー。笑いながら返して、私は耳に意識を向ける。
食堂に近づいてくる足音がある。聞き間違えるはずがない足音だ。
さん、に、いち。


「ハルトマン!宮藤を困らせるな!!」
「えぇー?困らせてないよねー、宮藤ぃー」


扉を開け放って入ってきたのは、トゥルーデ。
私はそんなトゥルーデの姿を見て、さらに頬を緩ませるしかなかった。
ありがとね、宮藤。
トゥルーデは、トゥルーデでいることが多くなってるよ。


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