気付きますか?



――と、いうわけでやっと許してもらったんだけど、何でサーニャが怒ったのかわかんねー。他の隊員に聞いたらすっげぇ冷たい目で見られるしなんなんだよもー。
意外と几帳面な文字でしたためられた手紙を思い出したのがいけなかった、かもしれない。














飴色の液体が揺れるのは小鳥が描かれたマグカップ。手紙と一緒に送られてきたもの。
溢さないように、いつも以上に気を使って進んだ先。談話室、の、ベランダ。
煙い。そううるさがられるあの人がよくいる場所。
硝子越しにいつもの黒色の後ろ姿を見つけて、ちょっとだけ足を速めた。でも慎重に。また転んでしまう。

「寒くないですか?」
「慣れてる」

こっちに振り向きもしないで、持った煙草を揺らしながらの声。
ずっと前にウルスラさんが作ってくれた手摺に掛けることの出来る灰皿に灰が落ちた。
同じくウルスラさんお手製の小さなテーブルには真鍮色のカップ。中身は甘みの欠片もない色。
先客と同じように手摺に近づいて、カップを傾け甘さを舌に乗せる。
糸杉が風に揺れている。吐きだされる煙も流れていく。
隣に居るようになってわかったことが一つ。風下にいつも居てくれること。
最初の頃は近くで話そうとすると、何故か反対側に回ったり、視線で場所を示したり、良くわからない行動が多かった。
紫煙が苦手な私を気遣ってくれていると気づいたのはいつのことか。
今更気付いたの。って中尉に言われたことがあるからかなり経ってからだと思う。
あいつ、あたしにはそんなこと全っ然しないわよ。むしろそこに居るのが悪いって顔するわよ。
それはそれで素のままの付き合いって感じがして、少し羨ましく思ったのは、内緒です。
そして、私の手にある甘い匂いにちょっと眉をしかめているのがちょっと可愛いと思ってるのも、秘密です。
また、灰が積もる。

「ビューリングさん」

ふと思いついたのは、ココアを入れている時に思い出したこと。
後輩の手紙につづられていた内容。
青い目がこっちに向くのを待って、言う。

「いつもと違うところ、わかります?」

ちょっとしたお茶目。の、つもり。
相手がどれだけ私を見ていてくれているか。意地悪な問いかけ。
私自身には変わったところなんてない。テーブルに置いたカップが、いつもと違うんです。よし。怒られちゃった時の言い訳も完璧。
返答の第一候補は、わからん。第二は、髪、か。第三は、転んでないな。期待は、困った顔。
なるたけ笑顔を意識して、いると、気付く。意識した視線を受けるのは、なんとなく、気恥ずかしい。
私の馬鹿。どうしてこんな当たり前のことを考えてないの。
聞いた手前、視線を逸らすことなんて出来ない。口を引き結んで頑張っていると、最後のひと吸いを終えた煙草が灰皿にくしゃくしゃと残された。
とんとん。
空いた指先。ビューリングさんが自分の首筋を示していた。
首を傾げる私を見て、動いた指先が示したのはガラス窓。
追うように視線を動かして、ガラスを、光の加減で鏡のようになったそれを見る。
映るのは見慣れた顔。私の姿。あんまり見続けていたくはないけれど、見る。辿る目線はさっき指が示していた位置。
スオムスじゃ珍しくない肌の色。襟元から覗く。際どい。場所。
の。
止まった思考を再起動。私の出せる限界の動きでそこを掌で隠す。
一生懸命動く心臓。あああそんなに顔に血を送らなくたっていいです。それよりも。それよりも!
ばっと振り向く。ばっと口を開く。

「なななななな何で言ってくれないんですかああああ!!」
「今教えた」
「そういうことじゃなくてええええ!!」

真鍮色のカップを傾けて、こともなげに言いましたこの人!
どうしてそんなに冷静なんですかそうですよねだって自分のことじゃないですもんねそれにスカーフで隠れますもんね!
うぅぅううぅ……っ。

「皆が妙に生温かい視線を向けてきたのはこのせいなんですね……っ、キャサリンさんに至っては、おー、かじられたねー、って言ってたのはこのせいなんですね……ッ!」
「モノマネ下手だな」
「知ってます……ッ!!」

わかってます! 似てないって知ってます! でもこんなことでも言わなくちゃ、言ってることがもう頭がごちゃごちゃなんです!
ぐるぐると今日会った皆の顔と言動と、ぬるい雰囲気を思い出す。というより、やっと気付く。
ああああほんとうにはずかしい。視界がちょっと滲む。
それでも犯人を、精一杯睨んだ。

「何でこんなことしたんですか! しかも微妙に見えるところに! いえ、見えない所でもダメですけど! というか何で私が気付かない時に! ビューリングさん意地悪です!!」

こっちが意地悪しようとしたのなんてもうどうでもいいです。
睨んでいるのに、怒っているのに、対面の人の表情を見て、余計に頭に血が上る。

「もお! もー!! 笑ってないで反省してください!!」

空いている腕を振り上げて、でももちろん本人をたたくなんて出来なくて、宙をぶんぶんたたく。
しばらく、いっぱい怒ってます、そう全身で表明したけれど伝わらなくって、結局唸りながら俯くしか出来なくなった。

「エルマ」

やっと口を開いたかと思えば、私の名前。
まだ許してませんからね。そう目に書き込んで顔を上げれば、真鍮色のカップを置いて、ビューリングさんは言う。

「いつもと違うこと、わかるか?」

それ、私の台詞でした。

「だ、騙そうたってそうはいきませんよ! 私は知ってるんですからね!」

そうやって意地悪しようとしていることを、まるっとお見通しなんですからね!
と、言いつつも、ビューリングさんをまじまじ見ているのは、仕方ない。もしかしたら、って思ってしまうから。
こつ。
軍靴の踵が鳴る。

「明確には私のこと、ではないが」
「えっ」

私に落ちた。
影と。もうひとつ。

「支給品のコーヒーの銘柄が変わった」

口に残る。味。

「にがいのはかわらないじゃないですかぁ……」

肩口に額をくっつけて、そう絞り出す様に言うしかなかった。



時系列? 気にすんな

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