あげる



右手には鈍銀のカップ。左手には灰皿。
カップに入った錆色の液体をこぼさないように気を付けながら廊下を往くのはエリザベスさんでした。
その口元には紫煙をくゆらせるものはなく、どうやらこれから一服のようです。
これから休憩ともなれば気分もよいもの。気だるげな雰囲気は変わらずとも、不機嫌ではなさそうです。
そんなビューリングさんの視界に映ったのは大きな箱を抱える智子さんでした。


「ちょっとビューリング、見てないで手伝うとかないわけ?」


近くまでやってきた智子さんが悪態をつけば、立ち止って肩を竦めるように両手が埋まっていることを示すエリザベスさん。
その様子を見て溜息をついた智子さんは、箱を抱え直します。
覗けば、そこには補給で手に入れたであろう品々。


「嗜好品なの」


所謂、お菓子。
魔女といっても年端もいかぬ女の子ばかり。女の子と言えば甘い物好き。
智子さんが抱える箱は、さながら宝箱のようなものでしょう。
しかしエリザベスさんが望んだ嗜好品はその中にはなかったようです。
左手に持つ物に馴染むものであれば、話は別でしょうが。


「また煙草?身体に悪いわよ」
「知っている」
「本にヤニが付くって言ってたし、煙草嫌いだろうからウルスラの近くで吸わないでよね」
「ああ」


灰皿を改めて見た智子さんが眉をひそめましたが、それを気にすることなくエリザベスさんは歩みを再開しました。
一拍、横を通り過ぎるかすぎないかのところで智子さんの声。


「あの子も、苦手よ」


それが意味するところを。智子さんの考えたことを。
そして自分がそれを解ってしまったことに言いようのない感情を抱きながら、エリザベスさんは露骨に眉を寄せて振り向きます。
窘めるために名前を呼ぼうとして、口に、異物感。


「口寂しいならこれでも舐めてなさい」


遅れて、久しく忘れていた甘い甘い、味。
自分が咥えているものが何かを認識し、非難の視線を向けた先。


「あら、意外と似合うじゃない」


智子さんは笑って、背を向けました。
しばらくその背を睨みつけていたエリザベスさんは視線を落とします。
両手に持つカップと灰皿。溜息をつこうとしましたがまた舌に移る甘さに顔をしかめます。


「ビューリングさん?」


そんなエリザベスさんの背後から声。
その声の主は、振り向いたエリザベスさんの状態を、主にその口にあるものを見て目を丸くしましたが、すぐにほわほわとこちらが眠くなるような笑顔を見せました。


「甘いもの好きなんですか?」


エリザベスさんの表情はどう見てもそうは見えませんでしたが、この人はそう導き出したのでしょう。
その姓が冠する、小鳥の囀りのような和やかさを以ってして、続けます。


「私も、大好きなんですよー」


甘いものと、目の前の人。
とてつもなく似合うな、エリザベスさんはどこか遠い思考で思いました。


「疲れた時には甘いものが一番です!」


きゅっと眉を上向きに、控え目に握り拳を作り、そう宣言する様は頑張ろうねと言っている時とそこはかとなく似ていました。
その様子をじっと見ていたエリザベスさんがおもむろに動きだします。
目の前の人に差し出した右手。


「え?」


その先には、エリザベスさんが愛用しているカップと、愛飲しているその苦みと芳しい香りのする液体。
波紋を作るその水面に自分の顔が映っているのと、エリザベスさんの顔を交互にまじまじと見たその人は合点が言ったとばかりにそのカップに手を伸ばします。


「あ、はい、持てばいいんですか?」


両手で丁寧にカップを受け取ったその人。
その両手と引き換えに自由になった自分の右手で、エリザベスさんは自分の口を塞いでいた原因に付属するプラスチックの細い棒を掴みます。
離される、甘い、甘い、それ。


「エルマ」


その様子を見ていたその人の名を、エリザベスさんは呼びます。
その人、エルマさんはその声に応えるために、いつものように、はい、と二文字を舌に乗せようとして。



甘い甘い、味。



代わりに乗ったのは、そんなもの。
丸い丸い瞳に自分がくっきり写ったのを見ながら、エリザベスさんは一言。


「やる」


そう言って、カップを取り、背中を見せました。
その背中が見えなくなるまで丸い丸い瞳に映していたエルマさん。


「エルマ中尉?」


それをきっかけに時が動きだしたように声の方を向けば。


「あ、エルマ中尉も貰ったねー」


そこには、キャサリンさんとウルスラさん。
手には、棒つきの渦巻状の飴。


「メロン味……」
「グレープ味ねー」


薄緑と、薄紫のペロペロキャンディー。
キャサリンさんが、エルマさんの姿を見て元々浮かべていた笑顔をより深くします。


「にしてもエルマ中尉、キャンディー似合うねー。ウルスラと同じくらいねー」


ウルスラさんはいつも通りの無表情。しかしどことなく嬉しそうなのは気のせいでしょうか。
容貌からいって、キャンディーを片手に持つ姿はとても愛らしいものです。もう片手に分厚い難解な専門書がなければ、より一層似合っていたことでしょう。
そしてエルマさんもまた、容貌、雰囲気からいって、甘いものを持つ姿が、とても、似合っているのです。


「エルマ中尉のは?」


ウルスラさんの見上げた先。
のろのろとプラスチックの棒に触れて、口元からそれを離したエルマさんは質問に答えようとします。


「私の、は……」


思い出す、味。
キャサリンさんとウルスラさんが目を丸くしました。
互いに目を合わせ、もう一度目の前の人を見て、首を傾げます。
エルマさんの飴の味。


「イチゴ味?」
「OH、顔色で答えるなんて中尉もゲイタッシャねー」


甘い、甘い、赤い果実。


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