寝顔



さも5でアティ先生を見たらいてもたっても居られなくなりました
あれでしょ、学園長代理のこと信用してるからこそああやってほっつき歩いてるんでしょ、そうなんでしょ
姫様の初恋の人なんでしょ、まぁた色んな人誑かして何て罪な女性って言われてるんでしょ、そうなんでしょ
管理官さん見て瞳を細めたりしてるんでしょ、そうなんでしょ
マザーんとこ行って記録映像とかたまに見ちゃってるんでしょ、そうなんでしょ
今は亡きあの人の笑顔とか、見て、る、……(´;ω;`)ブワァッ
















右太腿に掛かる重みは、とても懐かしく、久し振りのくせに、嫌になるほどに馴染んでいました。

「あらあら、猫みたいねぇ」
「誰のせいだ」
「にゃははははー」

いつもより七割増しで赤ら顔とお酒の匂いを発している人に、アズリアさんは半眼と呆れに似た睨みを利かせます。
反省など微塵もしていないその顔から視線をまた下ろせば、そこには朱毛の猫。
アズリアさんの太腿を枕として陣取り、くぅくぅと小さな寝息を立てていました。
眠る彼女が纏う衣服は寝転がるという点においても少々防御力が低いのですが、枕につながる腕がすぐさま白い外套を引き寄せ、丸まる身体をすっぽりと覆うように被せてしまったので心配は無用。ある特定の一帯からの視線から完璧な防御を成していました。
次いで、紫電の眼光が向けられたとあってはもう機会を窺うための目線も疎らになるというものです。
宴会と呼ばれるこの席で、お酒を口にせずにお茶を舌に乗せていたアズリアさん。当たり前のように隣に座ったこの彼女が、あれよあれよと飲まされて潰れる様を眉をしかめて見ていたのです。自己管理くらいするだろうと思っていたのが愚かだった。そう後に語っています。
そうして睡眠と言う名の撃沈と相成った彼女、アティさんが枕として選んだのがアズリアさんの右太腿。
あずりあ。あずりあ。こう、片足立てて、こう、こう座って。ください。いいから。いいんです。座ってください。座って。ね。
舌足らずにしつこく言われて嫌な顔をしながら従ったらこれでした。動いて頭を落とさなかっただけ、アズリアさんは優しいのです。
何より、自身を枕に選んだ、ということに少なからず思うところもあった様で。
アズリアさんのお腹側に顔を向けて眠るアティさん。他の人からは見えづらくとも、だからこそ、その寝顔はアズリアさんの眼下にさらされているわけです。
その、ぽやぽや五割増しの寝顔を見て、溜息をつこうとして。
焚き木が浮かびかがらせる揺らめいた影。そこに、風のものではない揺らぎ。

「アティ、寝ちゃったの?」
「見ての通りだ」

気配で誰かわかっているのでしょう。声に驚くこともなく、アズリアさんは溜息をお茶で胃に流し込みました。
アズリアさんの、いえ、アティさんの傍に寄ってきたのはアルディラさんでした。
アズリアさんの斜め後ろ。アティさんの前に座り、その顔を覗き込みます。

「アティ」
「ん、……」

頬に掛かった朱色の髪を指先でよけながらアルディラさんはその名を口にします。
誰が聞いたって、その音色は特別な音でした。アズリアさんがアティさんの名を呼ぶのと、同じように。
湯呑を持つ手の力が少し強くなったことに、アズリアさんの自覚があったかはわかりません。
むずがる様に一度身を縮こませて、アティさんの睫が震えます。
覗いた澄み渡る蒼が揺らめいて、アズリアさんを見て、そして、アルディラさんを見ます。
もう一度、今度は目に掛かりそうな髪をよけてあげていたアルディラさんがその手を下げようとした時でした。

「あら」

外套から伸びてきた手が、それを捉えたのです。
胸元で、帽子を掻き抱く様にしていたそれは、次の狙いをアズリアさんの手に定めたようでした。
いつもより高い体温を数字で脳内に叩き出しながら、アルディラさんが少し丸くなった目を向けた先。アティさんは、ぼんやりとこちらを見詰めていました。

「あぅぇぁ」
「ん?」
「ぅ……」
「寝てていいわ。運んであげる」

単語としても成り立たない音を発するアティさんに微笑みとも苦笑いともつかない、ただ柔らかい笑みを浮かべてアルディラさんはそう告げました。
その言葉の意味が解っているのかいないのか、アティさんはまた瞼を下ろし、眠りへと落ちていきます。
数秒立たず、また聞こえる寝息。
自身を枕に、この島の重要人物である護人の一人を捉えて、ただ子供の様な寝顔をしたアティさんにアズリアさんは湯呑を置いて問います。

「こいつは、よくこうなるのか?」

こんな状態。誰かを枕にし、誰かと手を繋ぐ。そんな酔いの回り方をするのかと。
焦燥するのは、頭と、心の一部。

「いいえ。初めてよ」

繋がれた手を解かないように座り直したアルディラさんは否定します。
焦燥が薄れるその瞬間。

「貴女が隣にいたからでしょうね」

違う何かが、アズリアさんの内に生まれました。
声の方を見れば、その目は、しっかりとアズリアさんを見ていました。
意識下でゆっくりと息を吐きだし、口を開きかけたアズリアさん。

「センセーぐっすりじゃん」

それに被さる様に、違う声。
二人が振り仰げば、立ったまま身を乗り出してアティさんを覗くソノラさんがそこにいました。
高い声が通ったその場の先ほどまでの言いようのない空気は、もう、消えています。
ソノラさんはその事にすら気付かないのでしょう。ある意味、この場の救世主はしゃがみ込んでアティさんの頬を軽くつついて、笑います。

「寝顔久し振りに見た」
「貴女は何度か一緒のベッドで寝てるものね」
「い、いいじゃん、同じ船に居るんだから」

事実を告げる言葉に、口をとがらせて顔を背けたソノラさん。
その頬が焚き木の赤とは違う赤に染まっているのには、二人は何も言いませんでした。

「でもなー、せっかく一緒に色々話そうと思ったのに」

また視線をアティさんに戻して、先ほどとは違う意味で嘴を作るソノラさんの背後に、さらに影。

「んっふふー、なんならアタシが相手してあげようかお嬢ちゃん……」
「えっ、遠慮しまぁすっ」

付き合わされたらどんな結末が待っているか、考えずともわかります。
ソノラさんは顔をひきつらせて離脱。
次の獲物を見つけた酒豪は、ふらつきながらその後を追っていきました。
アズリアさんは何度目かの溜息を、アルディラさんは苦笑で、それを見送ります。

「あら、アティは寝ちゃったんですか?」

去る者もいれば、訪れる者もいるのです。
霊気の残滓を引いて、現れたのはファリエルさんでした。
ファリエルさんは眠る人の様子を見て、その頬を緩めます。

「ふふっ、義姉さんの手、掴んでますね」
「ええ。そのおかげで動けないわ」
「アズリアさんは、枕ですか」
「ふん」

直接触れることは出来なくても、眠る人の頬に掌を添わせて、ファリエルさんは瞳を和らげました。

「珍しく、深い眠りですね」
「ええ」

アティさんとて皆の前で眠りについたことがないわけではありません。
けれど、それは物音で瞼をすぐに上げられるような、そんな、意識を張り詰めた眠り。
身体を休める最低限の休息。
それを、アルディラさんもファリエルさんも、わかっているのでしょう。
ファリエルさんはアズリアさんに笑みを向けました。

「貴女がいるからなのでしょうね」
「さきほど、同じことを言われたが」

そこにいる、お前の義姉に。
顔を見合わせた姉妹は、示し合わせたように笑います。

「妬けますね」
「本当に」

姉妹の言葉。
それはアズリアさんの穏やかとは言い難かった顔をさらにしかめる結果となりました。

「お前らの方が今のこいつを知ってるだろう」

こんなことを言われているだなんてわかっていない当の本人を見下ろして、アズリアさんは噛み砕けない何かを口に入れたような、そんな声を出します。

「ええ」
「そうですね」

返ってきたのは、やはり姉妹で同じようなものでした。
肺いっぱいの溜息を吐きだして、どうしたいんだ、その言葉を乗せた視線をアズリアさんは、何が楽しいのか微笑みを浮かべる二人に向けます。
二人は、楽しい遊びを思いついた子供の様な目で、口元を緩めていました。

「けど、私たちがやっと見れたものを、貴女は最初から見てたでしょう?」
「スタートラインに立っただけですよ」

誰が数歩前にいて。どのくらいの長さのコースなのか。解らないことだらけのレース。
解っているのは。

「誰が最初にゴールするか、見物ですね」

ゴールに居る人。それだけ。
姉妹の笑顔にもはや言葉を返すことを諦めたというか、無駄なことを止めたアズリアさんの頭上から、また、降る声。

「そのレース。参加制限ってありますか?」

幼さを残した、その声。
見上げれば、眠りこけた先生の、生徒。
その瞳が、真っ直ぐにアティさんを見ていることを、誰しもが知っています。
頭痛を覚えながら、アズリアさんは吐く息に混ぜて言います。

「子供は参加不可、だろうな」
「なら、私は数年後に必ず追い付いてみせます」

そして、追い越します。
宣戦布告。自ら望んで先生の隣に立ち、戦場を駆るようになった生徒は、戦友に向けて、そう言いました。
そう言いきって、また、自身の席へと戻って行ったのです。
それを目の当たりにした人たちは、苦笑しか、零すものはありませんでした。
苦笑の対象が誰かは、さておき。

「さ、とりあえず、明日は二日酔いだろうからラトリクスに運ぶわね」

宴も酣。
そろそろ、と席を立つ者が多くなってきた頃です。
アルディラさんは繋いだ手をやんわりと解いて、近場の二人を見ます。

「さすがにファリエルの鎧だとちょっと繊細さに欠けるし……」
「め、面目ないです……」

細かい、そうでなくとも衝撃を殺した歩き方や抱きかかえ方など出来ないであろう白亜の鎧。

「貴女も、流石にそこまで筋力ないでしょう?」
「背負えば運べる」
「横抱きは?」
「ラトリクスまでだと難しいな、筋力の用途が違う」

抱えて運ぶことは出来ますが、それなりの距離となると流石に辛いものがある人。
ましてや、自身は肉体労働には向かない身体。
アルディラさんは周りを見回します。

「そうなると……」

ここで。
実は聞き耳を立てていた男性人たちが腰を上げようとしていました。しょうがねぇなぁ、とばかりに。
アルディラさんもそれを解っているのでしょう。
声を、掛けます。

「ヴァルゼルド」
「了解」

寡黙な護衛機械兵士は、いつの間にかクノンさんから受け取った毛布を手に、恭しく頭を垂れました。
電子頭脳で完璧に演算された衝撃緩衝歩行と、毛布による機械体のごつごつした感触の緩和。条件クリアです。
男性陣はは別の意味で頭を垂れました。
















「あれ、何で私ラトリクスで寝てるんです? あっ、頭痛い……」
「潰れるまで飲むな馬鹿者!!」
「わあああああアズリア大声止めてくださいぃ……!!」



チキチキ、アティ先生争奪レース

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