近衛家22



『ただいま〜』
「おかえりー」「おかえり」
「あ、父上〜」
「父様や〜」


お昼前。
部屋に帰ってくるなり遊びに来ていた刹那にじゃれつくちびたち。
そんな三人の姿を見て苦笑した木乃香はスイカに模したアイスを両手に腰をおろした。


「はい、ちびちゃんたち。手洗いうがいしてきたらこれあげる」
『は〜い!!』


木乃香は洗面所に駆けて行く双子を見送り、息をつく刹那に視線をやれば、柔らかい微笑みを返された。このひと時が、何よりも愛しい。


「それで?今日はどこで遊んでたんだ?」
「今日は裏山でござる〜」
「川で遊んできたでござる〜」
「誰と遊んだんだ、って聞くまでもないか・・・」


この口調は一人しかいない。
変なことは教えそうにないが、逆に覚えたらマズイことを教えそうなクラスメイトを思い浮かべて刹那は苦笑いをした。
と、そんな刹那をちびたちは無言で見詰める。


『・・・・・・・・・』
「どうした?」


刹那の嫌な予感と共に、沈黙は破られる。


「何で父様は〜」
「ん?」
「母上を呼び捨てじゃないんですか〜?」

ブハッ!!


麦茶が霧散した。


−−−−−−


「んー、ちびちゃんたちどないしたん?」
「だって真名お姉ちゃんは楓お姉ちゃんのこと呼び捨てでした〜」
「楓お姉ちゃんも真名お姉ちゃんを呼び捨てだったんよ〜」
「あー、なるほど」


木乃香が娘たちの言葉を聞いて視線を横にずらせばそこにはいまだに咳き込む刹那。
どうやら気管に盛大に入ったらしい。


「でも父上は母上をおじょーさま呼びです〜」
「母様も父様をせっty・・・・・・ちゃん付けや〜」


母親の笑顔が何故か一瞬異なるものに見えた桜香が例の呼び名で呼ぶことを止めた。
どうやら色々あるらしい。思い入れとか。独占とか。そう呼んでいいのはうちだけやとか。
双子は空気の読める子。


「うちは呼べないこともないんよ?」
『呼んでみて〜』
「ね?刹那」
「な゛ッ!?」


笑顔で言われたその言葉は収まりかけた咳き込みを復活させた。
尚もげほごほぐはぅとかそんな呼吸の有無をも心配されかねない咳をする刹那に木乃香はあやー、とのんびり背中をさする。


「お〜、ほんとに呼べました〜」
「呼び捨てや〜」
「なんや照れるわぁ」
『顔赤い〜』
「いけずやねぇ、ちびちゃんたち」


双子は感嘆の声を上げ、木乃香は木乃香でこの調子。
刹那にとったらたまったものではなかった。
早くこの場から逃げなければ。もしくは話題を逸らさなければ。
さもなくば。


「じゃあ父上は〜?」
「父様言うてみて〜」


ほらきた。
生理的に涙目になった刹那がやっと落ち着いてきた呼吸に安堵する間もなく、窮地に立たされる。
隣でにこにここちらを窺う人は頼りにならない。むしろこの場ではちびたち側だ。


「げほっ・・・。な、何で、言わないといけないんだ・・・?」
「母様は言えました〜」
「それとこれとは・・・」
「父上も言わないとおあいこじゃないです〜」


何だその理屈は。
なんてことを言ってしまえば泣き出しかねない。パパ、ピンチ。
ママに救難視線を送るも、笑顔にはじき返されてしまった。パパ、超ピンチ。
刹那はマズイと感じる。
この笑顔は。


「うちも聞きたいなぁ、呼び捨て☆」


ジーザス。


−−−−−−


「無理です」
「何でー?」『何で〜?』
「無理なものは無理です」
「恥ずかしいん?」
「そ、それもあります」
「恥ずかしがり屋や〜」
「ぅ」
「父上真っ赤です〜」
「ぅぅ・・・」


項垂れ凹むパパにひっついてきゃいきゃいはしゃぐ双子とは別の意味で木乃香は内心はしゃいでいた。
所謂好きな子ほどいじめてみたい精神が発動したのである。ルームメイトに、あんたそれ止めれば刹那さんもう少し素直になるわよ絶対、とまで言

わせた精神だ。本人はもちろん止める気はない。楽しいから。


「しゃーないなー、刹那は」
「ッ!!お、お嬢様、それは止めて頂きたく」
「んー?」
「ぐ」


笑顔のまま顔を近づければ、仰け反る身体。
黒い双眸は大海原に。頬は夕焼けに。


「じゃあ、せっちゃん」
「・・・・・、何でしょうか」
「Repeat after me.」
「?y・・・Yes.」


刹那が担任の授業で使われるお馴染みのフレーズに頷けば、木乃香は流れる様に紡いだ。


「Please say 木乃香お嬢様」
「はい?」
「木乃香お嬢様」
「えっと、木乃香お嬢様」
「Excellent!」
「Thanks.・・・・?」


担任と、何より木乃香のおかげで刹那の成績は上がっている。
といってもこの程度なら誰でもわかるであろう。
何故英語なのだろうか。刹那に問う権利は与えられていない。おそらく気分なのだろう。
木乃香は笑顔で続ける。


「Next.木乃香様」
「木乃香様」
「OK.・・・・木乃香さん」
「木乃香さん」


首を傾げて、可愛い笑顔。


「木乃香」
「木乃香、さん」


しかし刹那の答えを聞いてふくれっ面。


「Boh!Incorrect answer!!」
「But・・・I cannot say it...」
「せっちゃんのあほ!」
「そ、そんなこと言われましても・・・」


まだ英語の知識はないちびたちが疑問符を浮かべる中、木乃香の理不尽とも言える口撃(何で言うてくれへんの!?うちのこと嫌いなん!?さんと

か様とかお嬢様抜いただけやん!!)や攻撃(ぽかぽか叩く)を八の字眉で受ける刹那は心底困っていた。
どうもこうも立場とか、慣れとか、こっぱずかしさとか、色々あるのだ。


「木乃香言うて!!」
「む、無理ですよぅ」
「言うてくれなきゃちゅーするで!?」
「ちょ、ちびたちがいますよ!?」
「構へんもん!!」
『ちゅーう!ちゅーう!!』
「コール!?どこで覚えた!?」


涙目の刹那が防衛を終えるのは、暴れ疲れた木乃香が眠りに落ちた時だった。
寄りかかってくる華奢な身体を腕に収め、刹那は溜息を吐く。
いっしょに騒いでいたちびたちも刹那の膝枕で眠っていた。
もう一度溜息を吐く。


「やっぱり、お嬢様似だ・・・」


周知の事実である。
身じろぎした木乃香の寝顔を見詰め、絡められた片手に少しだけ力を入れる。
刹那は少しだけ視線を泳がせ、木乃香の耳元に口を寄せた。


「せめて、二人きりの時に言って頂けますか?木乃香」


微かな声。
言われた本人はそれに気付くことなく安らかな寝息を立てていた。
言った数秒後に顔を赤く染めて空いた片手で仰いでいた刹那は気付く。


「父様の照れ屋さん〜」
「父上の秘密ゲットです〜」


双子がばっちりこっちを見ていた。
いつ起きていたのか。言葉を失う。


「母上にチクらなければいけません〜」
「明日のおやつはお手製ケーキやね〜」
「ちょ、待て、双那、桜花」
『えへへ〜』
「・・・・・・・・・・・・はぁ、どうしたらいい?」


どこで覚えたのか、悪戯笑顔。
観念した、とばかりに片手を上げて刹那は微笑む。
返ってきたのはとびきりの笑顔。


『お祖父ちゃんのとこ連れてって〜』
「ぅ゛」


交渉開始である。

頑張れ、パパ。

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