近衛家16



春が間近に迫った天気のいい土曜日。
リビングに戻ってきた木乃香が見たのは舟をこぐ刹那だった。
ソファに身体を預けて、今にも意識を手放しそうな感じである。
微笑み、その隣に座る。


「せっちゃん?」


とろとろと顔を木乃香へ向ける刹那。
本当に珍しい、と木乃香は思う。
そして一昨日から仕事漬けだったということを思い出した。


「寝てないん?」
「・・・・・」
「ほか」


僅かに頷く刹那の髪留めを外し、癖なく流れる髪に指を通す木乃香。
その間も、伏せられた目は今にも閉じそうで。


「寝てもええよ」
「・・・・・」
「ええの。ね?」


唇が微かにでも・・・≠ニ動いたが、それを制して刹那の身体を横たわらせる。
自らは床に座って目線をあわせて、投げ出されたその手を己のそれを繋ぎ、いつもより少し高い体温に苦笑。


「せっちゃん、寝惚けると恥ずかしがらんねぇ・・・」


いつもは照れてすぐ離すんに、と指を絡ませながら言う。


「おやすみのちゅーとかはダメやろか」


なんて、さすがにしないだろうと木乃香は言葉にしたのだが。


ちゅ

「へ?」


繋いだ手の甲を啄ばむような感触。
目を見開き木乃香が視線をそこにやれば、柔らかく微笑んだ刹那。
しかしそれも数瞬で、眠気に溶けた瞳は閉じられ、残るのは穏やかな寝息だけ。


「・・・・・。かわえぇなぁ」


思わず洩れた言葉と、弛む頬。


「お疲れ様。おやすみ・・・」


そして木乃香からのおやすみは、額に。


――――――


「父上〜?」「父様〜?」


熟睡しているパパの顔を覗き込むのは、近衛家の双子。


「寝てます〜」
「パパ疲れてるんやて。しー、な?」
「しー、や〜」
「ええこやね」


明日菜と共に飲み物を買いに行った双子が帰って来たのは数分前。
二日徹夜明けであっても刹那が木乃香の部屋に訪れたのはこの双子のためでもあった。
あまりパパの寝顔を見たことがないちびたちがここぞとばかりにじぃっと見る姿に、ママは弛みまくった顔で言う。


「パパ、美人さんやろー?」
「娘にまで惚気ないでよ」


そのツッコミに視線を上げれば、呆れた顔のルームメイト。
明日菜は横たわる人を一瞥し、ある種の感嘆を漏らす。


「ぅわ、ほんとに刹那さん寝てる・・・」
「一昨日から寝てへんかったんやて」
「げ。二日も徹夜?」


授業中の居眠り常習犯には考えられないことらしい。
手を捕らわれている木乃香の代わりに、その場を離れて毛布を手に戻ってきた。


「ほら、毛布」
「ありがと」


毛布をかけつつ、再び刹那の寝顔を見て明日菜は呟く。


「・・・・・・いつもの凛々しいのが形無しね」
「せっちゃんは元々かわええの」
「はいはい」


惚気新妻に慣れている親友の反応は薄かった。
溜め息をついて、明日菜はちびたちを示す。


「刹那さんが寝たのは別にいいとして・・・、ちびズどうすんの?」
「んー・・・・・」
「札?」


木乃香が動けない以上、娘のお守りをすることは難しい。
ちらりと木乃香が娘たちを見れば、どうするの?という視線。
そして微かにつまんないという表情。
明日菜がそれを感じ取った木乃香が困ったように笑うのを見て、助け舟。


「・・・・・誰かのとこ遊び行かせれば?」


その提案にパアッと顔を輝かせるちびたち。
それはもう明日菜の服の裾をがっしり握るほどの勢いの笑顔である。


「ちょ、あたしはダメよ?ダメ」


慌てて断るママの親友に、双子は顔を見合わせる。


「きっとあやかお姉ちゃんのとこですよ〜」
「さっきメールしとったもんね〜」
「アチチです〜」
「アチチやね〜」


自分の足元で交わされる会話に顔を朱に染めた明日菜がちびたちの頭をぐわしと掴んだ。


「ちーびーズー・・・?」
『何でもない〜』


ニッコリ屈託ない笑顔に言葉が詰まる。
どうやればやり過ごせるかなど、ちびたちの知識はある種間違った方向にも進歩していた。
全ては似非家庭教師のせい。


「あんたらほんとママの性格受け継いでるわね・・・」
「明日菜、それどない意味?」
「そのままの意味よ」


基本的に近衛家の双子の性格は、ママ譲りであることは言うまでもない。
なんて遣り取りをしていると。


「ん・・・」


吐息が洩れるような声。
ぱしっと己の片割れの口を押えるちびたち。
・・・・何故自分のではないのだろうか。
そして息を呑んだ木乃香と明日菜。


「・・・・・む、ぅ」


声を漏らした人物はもぞもぞ身じろぎをして、また寝息を立て始めた。
起こしてしまったのではなかったらしい。


「・・・・・・明日菜」
「ああ、はいはい、わかったって・・・誰かのとこ預けてくるだけなら」
「堪忍な」


何だかんだで優しい明日菜はちびズと目線を合わせて問う。


「よっしゃあちびズ、誰のとこ行きたいー?」
『えっとね〜・・・』


――――――


女子寮の3−A棟のホール。
そこにはいつものように肉まんを売る四葉五月の姿。
ちびたちが指名したのは“誰”ではなくホールという“場所”だった。


「はい、ちびズ用だよ」
『ありがとう〜、五月お姉ちゃん〜』


二回りほど小さい肉まんを渡され、はもはもを頬張るちびたち。
ここに来るのを選択したのは正解だったのかもしれない。
明日菜は何処かへ行ってしまったが、客としてやってくるのは3−Aの生徒なので遊び相手に事欠かないのだ。


「双那ちゃん、おいでー」
「桜香ー、こっちこーい」
『は〜いっ』


構って貰っているちびたちを見つつ、ハルナが呟く。


「・・・・・、性格的にどっち受け継いでも穏やかな子に・・・・・、意外と黒くなったりして」
「何の話ですか」
「黒く?」


それを隣で聞いた夕映と和美が尋ねれば、なんでもないように答えが帰って来た。


「いやさー、のどかがそーな抱き上げてるの見るとまるでのどかと刹那さんの子みたいだなー、なんて」


ビシィッと夕映の周りの空気が凍りつく。
和美はニマリと笑っただけ。


「・・・・・パパ似、と言えば通じますね」
「でしょー?」
「あの母親の前で不用意にそんなことは言わないでくださいね、阿修羅が降臨します」
「・・・・・あたしがヤられる」
「賢明な判断です」


ぢゅーっとパックジュースを啜る夕映。
だが和美が話を蒸し返す。


「逆は?」
「は?」
「例えば明日菜が桜香抱き上げてるの見ると・・・ほら、ね」
「・・・・・・・・」
「桜咲、どんな反応示すかな」


脳内で構築されるそれは不確か。
妻の時のように明確に浮かび上がらない。


『・・・・・・・・・・・・』
「想像できないよねー」
「いや、刹那さんヘタレだし、何も言えないんじゃ」
「内に溜めるタイプかもです」
「そしてそれが爆発」
「妻に迫るいつもと違う夫!!」
「あ、それだ」「黙ってくださいハルナ」


この会話を聞かれれば夕映以外がとてもタイヘンなことになるのは必至である。
まさか自分たちの両親についてそんなことを言われているとは知らないちびたちは、茶々丸お姉ちゃんの足元にいた。


『茶々丸お姉ちゃん〜』
「何でしょうか?」
「父上にいつも何あげてるんですか〜?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・、刹那さんにとって必要不可欠なモノです」
「父様よぉそれ飲んどるよ〜」
「苦労なさっているのでしょう・・・」


茶々丸の目には哀愁を感じられた。
彼女は婿養子の良き理解者にして相談相手だ。
つい先日の相談は。


「赤ん坊、ですか」
「・・・・・、どこから、くるのか、って・・・言われて・・・・・言葉を濁して、逃げて、しまって。・・・・コウノトリは、迷信だって言うのを知ってて、でも

、変なことを教わる前に、ちゃんと、教えないと・・・た、タイヘンなことに・・・・ッ!!」
(物凄く良いパパしてますね)
「・・・・どうしたら・・・・」
「小学4年前後で習う、と言ってしまえば如何でしょう。それまでは知らなくていい、と」
「なるほど・・・ッ!」


忘れ去られてはいるがちびたちが式神変化形である以上、これでこの質問は煙に巻ける。
何だか育児相談所みたいになっているのは仕方ないことだ。
そしてパパが信頼を置く茶々丸にちびたちも懐きまくっていた。


『あ』


ハモリに茶々丸が視線を落とせば、ある一点に目を留めるちびたちの姿。
その先にはジャグリングを披露する人。
茶々丸が促せば、ちびたちは彼女の方に駆けていく。


『ザジお姉ちゃん〜ッ!!』


幼い声に動きを止め、二人が傍によってきたのを見計らって一礼。
再び彼女は・・・ザジは手品を開始する。


『ほあ〜〜〜ッ!!』


それを瞳をキッラキラ輝かせて見上げるちびたち。
実はザジの手品のファンなのだ。
一度のどかたちに連れて行ってもらった散歩の際に偶然見て以来、虜だった。


「アレやってください〜」
「ひらひらでキラキラの〜」


リクエストに微笑んだザジが頷き、持っていた花束が破裂音と共に。


『ふあ〜〜〜っ』


純白の、羽へと。
羽がひらひら舞い、光浴びて輝くこの光景が双子はどの手品よりお気に入りだった。
木乃香が見れば、それは既視感を覚えるものだろう。
“あの時”の光景を思い出して。


『凄い〜〜〜ッ!!』


ぱちぱちと手を叩いて賛辞を述べるちびたち。
最後に一礼したザジがちびたちの前にしゃがみ込み、ポポンッと何処からか出したのはキューやらキーやら鳴く、よく解らない生物。
当たり前のようにその珍生物はちびたちに渡されようとしていた。
色々と危険である。


「止めろバカ」

ペシッ


だがしかしそれは新たに現れた人によって阻まれた。
ザジの後頭部を景気良く叩いたのはツンデレ+眼鏡+現実主義者・・・そう、千雨だ。
叩かれた反動でコロンとザジの手から落っこちた生物はキューキー鳴きながら千雨の足元に寄って行っている。
懐かれている、のだろうか。
生物の飼い主は叩かれた場所を軽く押えて、千雨に振り向く。


「・・・千雨。痛い」
「そのガキに変なモンやんな。母親が恐ぇだろ」


武芸に秀でた父親ではなく母親というあたりが、近衛家跡取り娘夫妻の力関係を如実に語っている。
その言葉に少し不満の色を浮かべるザジ。


「変なのじゃ、ない」
「じゃあ奇怪なのだ。ほれ、しまっとけ」


千雨はそれに全く反応せず足元にじゃれる生物を摘み上げ、ザジに投げ渡す。
妙に慣れた動作だった。


『ちうお姉ちゃんだ〜』
「ちうっつーなッ!」
『え〜?』
「・・・・少しは父親の性格受け継ぎやがれ」


性格の遺伝まで尻に敷かれる婿養子に、乾杯。


「お前らもコイツから妙なナマモノ貰うなっつっただろ」
「何でですか〜?」
「ナニか解んねぇモノ貰うなっつってんだよ」
「かわええよ〜?」


どうやらコレが初めてのことではないらしい(\話参照)。
ザジは、諦めてはいない。


「ほら、千雨。おちびちゃんたち、可愛いって・・・」
「一般論じゃねぇだろ」


生物を再び渡そうとするザジをむぎゅうっと押しやり、千雨は続ける。
先ほどよりダルさが強くなっているのは気のせいではない。


「ダイスキなパパに心配かけたくなかったら、貰うな。解ったか?」
『は〜いッ』
「・・・・ほんとファザコンだな・・・」


溜め息をついた千雨が己の足元に・・・・、正確に言えば自身の足にしがみ付く双子に視線を落とした。


「で。何でお前らあたしに懐いてんだよ・・・」
『千雨お姉ちゃん遊んで〜』


ピュアな二対の瞳がそこに。
余りにも澄んだソレに言葉に詰まるしかない。


「・・・・・・・・・・、運動部のやつらに遊んでもらえよ」
「千雨お姉ちゃんと遊びたいです〜」
「あたしは忙しいんだよ」
「忙しいん〜?」
「ああ」
「千雨、今日は暇だって言ってた・・・」
「その口を閉じろ」


余計なことを言うな、とザジを一瞥した目が語っていた。
その一言をばっちり聞いていたちびたちが、己の片割れとちょっぴり俯き加減で会話を開始。


「嘘つくいうことは〜・・・」
「千雨お姉ちゃん、わたしたちのこと〜・・・」
「嫌いなんかな〜・・・」
「嫌いなんですかね〜・・・」
「うちら好きなんやけどな〜、そうな・・・」
「そうですね〜、おうか・・・」
「嫌いなんやって〜・・・」
「嫌いなんですね〜・・・」


紛うことなき精神攻撃。
オプションは千雨の服の裾をぎゅぅっと握る小さな手。
ママ直伝の泣き落としはパパ遺伝の応用力スキルによって進化していた。
ある意味恐ろしい。
無論。


「〜〜〜〜〜っだーーーッ!!わーったよ!!遊んでやるよ!!」
『やた〜〜〜ッ!!』
「くそッ、あの両親の遺伝はめんどくさすぎる・・・ッ」


根はいい人属性の千雨が抗えるはずがなかった。


『ザジお姉ちゃんも一緒〜』
「うん」
「げ」


――――――


「双那ちゃんと桜香ちゃん、どうしますの?」
「四葉さんとこには居なかったし・・・、たぶんもう誰かに部屋に連れてってもらったんじゃないかな」
「そうならいいのですけど」


夕方。
明日菜と共に寮の廊下を歩くあやか。
どうやら二人でお出かけだった模様。


「おい、神楽坂、と、ついでにいんちょ」
「え?あ、千雨ちゃん・・・と、ザジさん?」


そんな二人の背後から掛かる声に振り向けば。
千雨とザジ、と・・・。


「これ、持って帰ってくれ」


千雨の背中で眠る双那。
ザジに抱えられて眠る桜香。
遊びつかれたようだ。


「あ、千雨ちゃんたちがお守りしててくれたんだ」
「させられたんだ。勘違いすんな」
「ちびズ、自分らのこと嫌いな人には絶対に懐かないわよ」
「うっせぇ」
「ザジさんも好かれてますのね」
「手品、好きみたい・・・」


顔を逸らす千雨に苦笑して双那を受け取る明日菜。
そして微笑んだザジから桜香を受け取るあやか。


「確かに渡したからな」
「うん、近衛夫妻に伝えとく。千雨ちゃんがお守りしてくれてたって」
「要らんことすんな」


去っていく千雨と、それを追うようについていくザジを見送る二人。
と、その腕の中で。


「はは、うえ・・・」「とーさま・・・」


ふにゃふにゃと寝言。
顔を見合わせ、苦笑する明日菜とあやか。


「ママとパパんとこ帰ろうねー、ちびズ」
「帰って来るの待ってますわよ」


この後。
帰宅した明日菜とあやかが見たのは。


「何してんの?」
「あぁあぁぁあすなさんといいんちょさんたすけてくださいぃっ!」
「あ、帰って来てもーた」


おはようのちゅーを迫られている婿養子と。
おはようのちゅーを迫る跡取り娘の姿だった。
ちなみに婿養子は壁際に追い詰められているという体たらく。
それでも神鳴流剣士か。


「・・・・・、ちびズが寝ててよかったわ」
「そうですわね、情操教育的に」


似非家庭教師や良き理解者、色んな人が婿養子の周りには居るが。


「あと少しやったんにー」


一番の曲者は、やはり妻にして母の跡取り娘のようだ。

頑張れ、パパ。

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