その日、木乃香が彼女を見たのは、これが最初であった。

「せっちゃん、ちょお、おいで」

明日菜と訓練をした後だというその人に手招き。
首を傾げる面々と、何故か口角を上げる真祖。
これから休憩にお茶を、そう言っていた矢先なのだ。
和を乱すことはない。お茶が先ではだめなのかと口にすることはなかったが、その人の表情でそれを察したのだろう。
しかしそれを無視し、木乃香は言う。

「せっちゃん」

呼ぶ。
下手に文書を作り上げるよりよっぽどの威力。
それだけで十分で、過分。
刹那は、皆に頭を下げて、引かれる手をそのままに木乃香の後を追った。
ログハウスの書庫。
繋がれた手はな離れない。

「何で連れてきたか、わかる?」

真っ直ぐな視線を、強い瞳を、受け止めるのは下がった柳眉。

「恐れながら、検討がつきません」
「嘘」

木乃香は解っている、刹那が答えたくないだけなのだと。
木乃香にだけわかる、刹那の機微。

「ここ」

指差した先は、刹那の左上腕。

「見せて」

黒い訓練着に隠された場所。
刹那は動かない。
ただただ困った顔をするだけで、木乃香の声に応えない。

「せっちゃん」

先ほどより強い呼び名。
裾に掛かる手に、重ねるように抑えて、刹那は首を振る。
繋がれたままの手に視線が向き、木乃香がようやくそれを放す。
微かな息を吐いて、刹那は上着を脱ぎすてた。
白い肌とは、違う白。
左上腕には、胸部を覆うものとは違うサラシが巻かれていた。
木乃香が手を伸ばす。
解かれていく白い帯の下に隠されていたのは、白い肌ではない。
息を飲む。
焼け爛れた、赤黒さ。

「何で、言うてくれへんの」

火傷だ。
刹那は仕事が終わってから訓練に合流したと言っていた。
その仕事で負ったものだと考えるのは難しいことではない。
解いたサラシを握りしめ、滲む視界で刹那を映す。

「軽傷です」
「こんなん違う!」

怒りを含んだ叫びに、刹那は頬を緩める。

「軽傷なんです。私には」

適切な処置をしても、広範囲の皮膚が壊死して落ちるであろう程の火傷。

「すぐに、治るんです。治ってしまうんです」

けれど、それは人間であれば、当てはまることだ。
口を戦慄かせた木乃香に、刹那は、やはり困った笑みを向ける。

「お嬢様。私は、ヒトとは、」
「せっちゃんは、せっちゃんやろ」

最後まで言わせなかった。
木乃香が手にした簡易杖。
仮契約の力を使えばおそれくもっと早く済むことであろうが、木乃香はそうはしなかった。
木乃香しか、刹那の傷には気付いていなかった。いや、一人気付いていたが、彼女はそれを放っておいたのだ。
何より、刹那は傷のことを隠していた。気付かれたくなかったのだろう。
だから、仮契約の力を使うことにより、他の誰かにこのことがばれるよりはいいと判断したのだ。
紡がれる呪文と共に、火傷を包む魔力光。
未だ簡単な治癒魔法しか出来ないものの、時間をかければどうにかなる。極東最高の魔力。それは今、たった一人に向けられているのだから。

「あほ」
「申し訳ございません」

黙ってそれを受ける刹那は、苦く笑う。

「せっちゃんが怪我したら、全部、うちが治す」
「それには及びません。私の力不足によるものですから」
「じゃあ怪我せんで」
「善処します」

沈黙が訪れた。
薄暗い書庫で、魔法光が二人を照らす。
刹那は魔法杖を持つ手が、白くなるほど強く握られていることに気付いていた。
けれど、何も言わなかったのだ。
あまり目の触れていたくないであろう火傷をじっと見詰めていた木乃香が、口を開く。

「さっきの、訂正」

刹那の瞳を見ることなく。

「ほんまはいややけど、怪我してもいい。うちが治したる。けど」

ただ、僅かに回復してきた皮膚を見ながら、言う。

「うちのとこに、帰ってきて。絶対、帰って、きて」

傍に居ても隣に居なかった。
その時でさえ、辛かったのに。
隣に居ることを、望んで、欲して、手に入れた今では。

「せっちゃんが居らんの、もう、いやや」

堪えられない。

「勿体ないお言葉です」

けれど刹那は答えなかった。
そう、答えを濁すだけだった。
従者としての模範解答。護衛としての台詞例。
木乃香は、刹那を、見る。

「あほ」
「存じております」

困った笑み。
未だ、刹那は木乃香に応えることはない。



他の人と違う私。
貴方と同じはずがない。

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