Who am I ? 4






ベッドになのはさんを寝かせて、ロストロギア保管解析室や医療班にも連絡をし、自室へと戻ってきたフェイトさんが見つけたのは朝から姿が見えなかった橙色。
ベッドの横。明かりも点けずに床に蹲った、使い魔の姿。
対面にしゃがみ込み、フェイトさんは言います。

「こんなところにいたの、アルフ」

ただひたすらに優しい声色。
最初から、ずっと。フェイトさんはアルフさんに優しいまま。

「どうしたの?」
「フェイト……」

緩慢に上げられて、合った視線。

「……今日、会った?」

アルフさんの瞳を見て、フェイトさんは小さく問いました。
揺れる肩は肯定に他ならなく、歪んだ表情には悲しみと自責。

「フェイト」
「ごめんね。私のせいで、アルフのことも覚えてなかったよね」
「フェイト」
「ごめんね、アルフ」

最初から変わらない撫で方で、フェイトさんはアルフさんの頭を撫でます。
少し大きく、守るためと成長してからは小さくなり、そして徐々に同じ程の大きさになった、掌。
けれどちっとも変わらない、アルフさんの大好きな、主の手。
ぼやけた視界に映るのは、変わらない微笑み。

「フェイト、フェイト」
「うん」
「フェイト、……」
「うん、アルフ」

アルフさんは、名前を口にします。

「フェイト、フェイト、フェイトフェイトフェイトっ!」

何度も、何度も、何度も。
縋りついたその人の名前を口にします。

「アルフ。ありがとう」

まるで、誰かの分を補うように。



























寝息を立てる使い魔の頭を一度だけ撫でて。
くしゃくしゃに潰れてしまった自身の写真を眺め、フェイトさんは瞳を細めました。
あの後、フェイトさんが持ち帰ってきたもの。
それが、この写真。

「いつ撮ったんだろうね。しかも、よく撮れてる」

傍らの雷光に小さな笑いさえ浮かべてフェイトさんは言いました。

「やっぱり、最初にレイジングハートに確認すれば良かったかな。結局これ一枚しかなかったけど」

バチリ。光が瞬いたかと思えば、写真は炭も残さず消え去って、残光が瞼を焼きます。
ベッドに身体を預けて、フェイトさんは、雷光しか聞いていない言葉を紡ぎます。

「ちょっとだけ、ほんの少しだけ、期待してたんだ」

「私を、もう一度、好きになってくれるんじゃないかって」

嘲る声。
塵にも満たない希望は、花弁と同じく風に浚われて行きました。
それでも残ってしまった想いに、重ねて。
リボン。
それがフェイトさんが示した唯一の想い。
気付くか、気付かないかの賭け。
結果は、残らず。

「ずっと、思ってた」

「彼女が私を選んだのは、あの事件があったから、あの事件のせいなんじゃないかって」

「こっちの世界でも、一般的とは言えない」

「彼女の世界では、もっと奇異の目で見られる」

「私と彼女は」

「そういう、」

あんな出会いをしたから、あんな事件が起こったから、あんな風な結末を迎えたから。
彼女が抱いた思いは、同情にも似た、何かではないか。
そう考えたことは幾度となく。口にしたことは一度もなく。
それを確かめる術など、もうないのです。

「今の彼女がどう思ってるのか、怖いんだ」

「怖くて、」

「でも、傍に居たくて」

黙って聞いてくれている雷光に、フェイトさんは語りかけます。

「友達を、選んだんだ」

壊れることが怖いから不変のものを手にした。
けれど、さきほどの事を思い出して、苦く笑います。
もう、無理かもしれないけれど。
吐き出した息と。下ろした瞼。

「私の想いと、彼女の命」

「比べる意味なんて、ない」

誰よりも、何よりも。
守りたいと想った人だから。
彼女以上に優先するものなど、ないのです。

「名前を、呼べるんだ」

主の静かな言葉に。

「それだけで、いい」

雷光は、何も言いませんでした。



























なのはさんは目覚めて、すっきりしているのに酷く重い頭に顔をしかめました。
見慣れた自室。
ああ、自宅療養になったんだっけ。
そう思いながら、視線が止まった写真立て。
どくり。拍動する頭痛。
写真。闇。金色。黒。紅。白。あたたかさ。ともだち。
どくり。響く痛み。
****。
霞む意識。

〈Good morning. My master.〉 おはようございます。

それを保たせたのは、紅玉の声でした。
薄れる痛みに頭を振って、あいさつを返せば明滅する紅。
紅。誰かの瞳を連想する色。
もう、何もせずにいることなど出来ませんでした。
また存在を増した痛みを無理矢理意識の隅に置いて、着替えて向かったのは本局の情報管理部署。
検索用ブースのモニターに映し出した人物。



Fate T Harlaown


出身:ミッドチルダ南部アルトセイム
所属:時空管理局本局執務官
階級:武装隊では一尉扱い
役職:執務官
魔法術式:ミッドチルダ式・空戦S+ランク



名門ハラオウン家。若き執務官。空戦Sランク超え。
変わることない情報。
もう一つ。なのはさんは検索を試みます。

私たちは、いつから、友達なの?

きみが最初に関わった事件が終わった後、だよ

再生される記憶。はじまりの事件。PT事件。
当事者のなのはさんのIDであれば閲覧が可能であろうその事件の簡易資料の確認は。

閲覧不可。

その文字によって阻まれていました。闇の書事件と呼ばれるものに対しても同じ結果。
それが何故なのか。何となく、なのはさんは察していました。あの人の、家族。
椅子に身を凭れて、首元に下がる愛機に話しかけます。

「レイジングハートも全部知ってるんだよね」

ずっと一緒にいたのならば、知っているはず。
はじまりの時から、今まで。
明滅。

〈She chose.〉 あの人は、選びました。

蒼い瞳を映す紅玉。

〈Now and the past.〉 今も、そしてあの時も。

〈She chose the same thing without changing.〉 変わらず、同じものを選びました。

喪うものではなく、傍にある手を。

〈Master,You should choose.〉 マスターも、選ぶべきです。

〈Now or the past.〉 現の今か、失われた今か。

二つに、一つ。

〈It is only one that you can hold out a hand.〉 手を差しだすことが出来るのは、片方だけです。

〈It is up to you which way you choose.〉 どちらを選ぶかは、マスター次第。

〈Or you choose neither.〉 それとも、どちらも選ばないか。

喪われた記憶も、作ることのできる記憶も。
どちらも、手にしない。あの人と、関わらないことを選ぶこともできます。

〈It is all up to you.〉 全て、マスター次第です。

〈I help with your decision with every effort.〉 私は、それを全力でお手伝いします。

それがどんな苦痛を伴おうとも、不屈の心は、なのはさんと共にあり続けます。

〈Preferably,……〉 願わくば、……。

それでも。

〈Your right hand should not be becoming vacant.〉 右手が、空いたままでなければいい。

幸せを願って。


























白と、黒。
それを見る度に、私をよく知る人が口にした。
それがわかるのか。
私は返せない。
白と、黒。
これは、何なの。


























親友二人は、言いました。

「あんたを探す時、フェイトを探したわ。逆も、然りね」

「なのはちゃんの怒った顔も、泣き顔も、……もちろん笑顔も、一番見てるのは、フェイトちゃんだよ」

両親は、言いました。

「フェイトちゃんは、うちのもう一人の娘みたいなものだ」

「そうね。大事な、子よ」

彼女の家族は、言いました。

「ごめんなさい、何も言えないわ。けれど、母親として言わせて。なのはさん、あなたがいたから、フェイトは私の娘になってくれたのよ」

「答えることは出来ない。……だが、兄として言おう。僕たち家族より、君の方がフェイトのことを知っていた。少し悔しかったがな」

親友の守護騎士は、言いました。

「架空模擬戦でもいい。コンビを想定した時、どんな魔導師が隣にいる?」

「あたしの前の立ちはだかったのは、お前がよぉーく知ってるやつだったぜ」

「どっちかが医務室を利用すると、自動的に相手に連絡が行くのよ」

「お前が目で追っているのは、何色だ?」

言いました。
答えた人全てが、微笑みと悲しさを滲ませて。
言いませんでした。
彼女が彼女の何だったのかを。




















二回目の、あのロストロギアの過剰反応の後。
あの人と、彼女が、会っていないと聞いた。






















久し振りに見た彼女は、とても静かな蒼を抱いていました。
はやてさんは、執務室に訪れたなのはさんと、向き合います。
湯気が立ち上る、ココアと、カフェオレ。
それぞれ口にして、気負いなく始まる、会話。

「はやてちゃんは、今の私をどう思う?」
「んー、なのはちゃんはなのはちゃんや」

変わらない、姿、声、態度。
全てがなのはさんだと語ってくれています。
けれど、今まで見てきたなのはさんは、はやてさんが知るなのはさんには。

「ただ、ちょおっとだけ、慣れへんねん」

もう、隣にあの人がいました。
あの人への想いが、色濃くありました。
それがないなのはさんを見るのは、初めてで、それが普通に思えない。
慣れない、の一言なのです。

「前の私と違うから?」
「違うことないよ。けど、足りひん」

足りない、と感じる他ないのです。
カップの波紋を見詰めて、なのはさんが呟きます。

「足りない、か……」

記憶が。あの人が。
なのはさんが何を考えているかはわかりません。

「なぁ、なのはちゃん」

上げた視線を受け止めて、はやてさんは微笑みます。

「なのはちゃんが不意に声掛けられたり、誰かに話しかけようとする時、それがあたしやヴィータでも……」

それが、誰であっても。

「いつも最初は少し上に目線を合わせようとしてるの、知ってた?」

そこを見るのが当たり前というように。
なのはさんの視線の先には。

「それが何でか、わかればええなぁ」

誰かの。





























何かを見た時、聞いた時。
その時のことはいつも覚えていない。
その後は白い部屋の天井を見上げていた。
核心を、誰も言ってはくれない。
命令なのか、誰かから言われたのか、それが引き起こすことを恐れているのか。
私を苦しめるから。私の命を削るから。
だから、誰も核心を言ってくれない。
私を大切に思ってくれている人たちばかりだから。
それならば。
私が、私自身で、切り開くしかない。
縫合された傷口を。



























知識の泉。
本局の、世界の、ありとあらゆる知識の詰め込まれた場所。
無限書庫。

「閲覧制限解除は僕でも無理だよ」

なのはさんが言う前に、彼はそう言いました。
目を伏せるなのはさんの前で、司書長権限であろう機密事項閲覧が可能なモニターが浮かび上がります。
要求された解除キー。ユーノさんが知るキーを打ち込めば、重ねて浮かび上がる解除不可の文字。

「僕やはやても見れない。用心深いよね」

彼女らしい。
そう言って、溜息。黙り込んだなのはさん。
握りこんだその手に、ユーノさんが見つけたのは、白と、黒。
懐かしい、白と、黒。間近で見ていた、あの光景。
ユーノさんは別のモニターを広げて、何かを調べ始めます。

「けど、本人は、見れる。解除キーも、もちろん知ってる」

顔を上げたなのはさん。モニターに映るのは、彼女の刃。

「今、第十二メンテナンスルームにいるんだって」

メンテナンス終了。待機中。

「マスターは会議」

主の、不在。

「ユーノ君……」
「ひとりごとと、プレゼント」

ファイル一つをなのはさんのモニターに。
ユーノさんは、穏やかに笑いました。

「がんばれ」
























考えて。
考えて。
考えて。
その度に頭が痛んで。
どうして私だけ。
そう思って。
でも考えて。
痛む度に浮かんだ。
見えないのにわかる。
誰かの笑顔。


























メンテナンスブースの一つ。
そこに浮かんだ、雷光。

「バルディッシュ」

対峙するのは、蒼い瞳。

「知りたいの」

たった一言に込められた願い。
張り詰めた空気。
雷の瞬き。

〈Does not expect it.〉 望んでいません。
「バルディッシュが?」

間髪の入らない問い。
雷光を見詰めるのは、懐かしさを感じる、あの時と同じ蒼。

「私は、決めたよ」

その胸元には、紅玉の煌めき。

〈Please. tell us.〉 教えてください。

その心は主と同じ。
この一人と一機がこうなってしまっては、どうすることも出来ないと雷光はよく知っていました。
そして、雷光が望んだことは。

〈I received it.〉 受け取りました。

紅玉の言葉。

「ありがとう、バルディッシュ」

蒼の微笑み。

「怒られたら、私のせいにしてね」
〈Do not worry.〉 気にしないでください。

雷光のわがまま。

〈......Please.〉 よろしく、お願いします。



























選んだのは訓練室。
それも、一番高度な障壁と結界を付加された、一等頑丈な場所。
ここなら、たぶん。
なのはさんは静かに息を吐きだしました。身を包むのは白と青のBJ。手にするのは。

「レイジングハート」
〈Yes, my master.〉 おおせのままに。

不屈の心。
























〈CAUTION!! CAUTION!!〉

ロストロギア保管解析室の静寂を破ったのは、けたたましいサイレンと、目を焼くような赤い照明。
三度鳴り響いた警鐘は、一度目と二度目とは、違いました。
障壁の展開、研究員の退避と入れ違いのように砕け散る解析機器の保護防壁。潰れていく周辺機器。
観測魔力閾値突破。制御不能を表す文字の羅列。障壁すら軋みを上げる膨大な力。
光を増す、ルビー。

〈CAUTION!! CAUTION!!〉

連なる防護結界の破損。結界班の出動要請。魔力量の増大。サイレンに混じった叫びと機械音声。
輝く宝石が染め抜く赤色。
赤。
赤。
赤。
傷口から溢れて噴き出す血のように。
紅い瞳から流された、涙のように。

〈CAUTION!! CAUTION!!〉

警鐘が鳴りやまない。
血が止まらない。
泣き声が、止まない。




























フェイトさんが辿り着いた時には、もうどうすることも出来ない状況でした。
破壊されていく障壁。修復する端から割れていく防護結界。クレーター。尋常ではない魔力放出。
時を同じくして保管管理室で鳴り響いているものが、第一訓練室周辺を包んでいました。
赤い色。
集まった人々の目に焼き付くのは、桜色を蝕んでいく赤。
触れた者を焼きつくす魔力に突入さえ出来ず。
その中心にいる、白と青のBJ。
彼女の周りに展開されているモニターには、閲覧できるはずがないもの。
彼女と彼女が、関わった。
どうしてだとか。何でだとか。そんな思考はありません。
フェイトさんの目に映るのは、見えることのないはずの、桜色のリンカーコア。
視界が狭まります。周りが闇に、一点しか、彼女しか見えなくなります。
周りの音が、上手く聞こえません。
フェイトさんに向けて、誰かが何かを言っています。
モニター越しの彼女に向けて、誰かが何かを言っています。
やめて。どうして。命が。
悲愴な声、破壊音と機械音声。
生命反応低下。リンカーコア反応弱化。示されるのは、命の危険。
桜色が散っていきます。花弁のように、ひらりひらりと舞い散って。
心の中心が、赤に喰らわれていきます。

「   」

フェイトさんは足を踏み出していました。
声と言えない微かな空気の震えは、誰にも届きません。






























頭が痛い。
割れそうな、なんてものじゃない。内側から焼けていく、痛み。
周りに浮かんだ大量のモニター。
痛みが記憶を食い荒らしていく。補おうとしたものも片っ端から全て。
あのロストロギアのせいなのか。自身とは違う魔力を感じる。痛みの、原因。
喰らい尽くす赤。
魔力には魔力を。ぶつけて相殺。その制御は全て、レイジングハートに任せている。記憶を探すことに集中する。
訓練室の障壁の悲鳴。地面が抉れている。警報。
モニターから視線を外さない。手には、白と黒。
ジュエルシード。手にした紅玉。阻んだ魔導師。紅い瞳。***。黒いデバイス。市街戦闘。**。魔力拮抗。橙色の獣。その主。****・******。ぶつかる桜色と金色。集束魔法。落ちる紫雷。プレシア・******。その娘。****。クローン。崩れ落ちる***。砕け散った金色。時の庭園。傀儡人形。目の前の傀儡を打ち落とした*。黒いBJ。****。崩壊する庭園。探した姿。虚数空間。落ちていく母子。手を伸ばした***。手を。伸ばして。
白と、黒。
頭が痛い。
映像が見えない。虫食い。文字が読めない。塗りつぶされている。画像がわからない。白く抜けている。そこにいるのは。
重ねたモニター。古い本。赤い騎士。砕け掛けた紅玉。振り下ろされた鉄槌。阻んだのは****。黒いマント。金色。白。触れたぬくもり。夜天の騎士たち。自身の、デバイスの強化。ぶつかる思い。消えた騎士たち。解放された闇。取り込まれた***。振り下ろされた闇。阻んだのは、やはり、金色。****。全てを背負って、翼を宿した主。打ち破るための力。星光。**。終焉。隣にいたのは、****。
流れる映像。文字。画像。
音はもう聞こえない。目も霞んでいく。
頭が痛い。
心臓も、痛い。

「ま、だ、いける、よね……?」
〈Of course. My master.〉 もちろんです。

愛機の声は、聞こえる。
笑うことも、出来る。
大丈夫。
傷口を開く。
記憶を、引きずり出す。

〈A limit breakthrough.〉 限界突破。

ひびが入った紅玉。
それでも輝きは失わない。




















呼びたい。

呼べない。

貴女の名前。

貴女は誰。





















「いやだ……」

瞳に映るのは彼女だけ。蒼と桜色だけ。
行かなきゃ。傍に。止めないと。
あんなこと、だめなんだ。
失いたくない。

「いやだッ!!」

誰かに腕を掴まれた。
何かを言ってる。聞こえない。
邪魔するな。止めないで。
拘束が増える。
離せ。放せ。退け。
魔法が展開できない。
アルフ。
何で。
バルディッシュ。
行かないと。
傍に。
彼女の元に。

「やめて!!」

心が叫ぶ。
守らないと。
きみだけは。
喪いたくない。
私が私を喪っても。

「思い出さなくていい!! 知らなくていいんだ!!」

劈く想い。
彼女の、きみの声が、脳に響く。
私が、私であろうと誓った。
あの日。あの時。あの場所。
きみの声。
私のはじまり。
名前を。


「なのはあああああああああああああッ!!!」


名前を、呼んで。





















声が、聞こえた。




















砕かれた赤い宝石。
修復が不可能であるのは、誰が見ても瞭然。






















白い、白い部屋。
繋がれた計器が奏でるのは、心音。
彼女がまだ命をその身体に抱いている証拠。
生命すら危ぶまれるほど削られたリンカーコア。
その機能を止め掛けた心臓。
満開の星空は、暁天の星ほどに。
ベッドに横たわるなのはさんと、そこから少し離れた所に佇むフェイトさん。
負荷に耐えきれずに自壊したのはロストロギアの方でした。
原因である宝石の破壊は、分析による解除法設定の可能性と、何より被害者の生命の安全を考慮して、避けていたこと。
けれど、もう遅いのです。
砕け散った宝石は、元に戻ることはありません。
命に別条はない。
リンカーコアも回復する。
脳波にも身体にも異常はない。
医療班からの言葉を反芻して、フェイトさんの心に、桜の花弁が降り積もります。
一枚ずつ。一枚ずつ。
元に、戻るのだと。
唯一の不安は、記憶のこと。
ロストロギアが破壊された今、どうなっているのか解らないのです。
戻っているのか。戻らないのか。
もっと失くしている可能性だって、あります。
室内には、二人だけしかいませんでした。
もうすぐ目覚める。その言葉を聞いた他の人たちは、黙したまま、フェイトさんだけを残しました。
静穏な時。
時間と共に花弁が降り積もります。
もしかしたら。と。
掌の内に、黒と、白。
そうして、薄く開かれた瞼。
中空を見ていた瞳が、この場にいる自身以外の人に気付きます。
何も言わず、表情が浮かばず、窓から注ぐ陽光に栗色が輝き、ベッドの上で上半身を起こした人。
紅と、蒼が、交叉して。




「貴女は、誰ですか?」




花弁が、風に浚われます。
ぐらつく心は一瞬。フェイトさんは、真っ直ぐに蒼を見ていました。
同じことを、今度は、知らない人として。

「私は」

名前を。



「フェイト・テスタロッサ・ハラオウン」



紡ぎだされた名前は、フェイトさんの声によるものではありませんでした。
紅い瞳に映るその人の口から、発されていました。
揺れる紅を、真っ直ぐに見詰める蒼。

「貴女は、私の、何ですか?」

言葉が出てこないフェイトさんに、なのはさんは問いかけを重ねます。

「どうして、友達って言ったの?」

「どうして、言ってくれなかったの?」

目覚めた、あの時。
フェイトさんが口にした返答。続かなかった答え。

「ごめん」

「私が言えることじゃないよね」

「私の方が、もっと、酷いよね」

透明だった表情が色付きます。頬には朱を。蒼には潤みを。唇には震えを。

「忘れてて」

「思い出せなくて」

「ごめんね」

声には。



「フェイトちゃん」



愛しさを。
彼女に呼ばれる、自身の名前。空洞が、満ちていきます。
それを耳にしても尚、フェイトさんは動けません。
嘘だと誰かが叫んでいます。本当にと誰かが咽んでいます。

「ずっと待って。やっと、友達になれた人」

「私の、友達、だった」

なのはさんは、手を伸ばします。
フェイトさんへと向けて、真っ直ぐに。
フェイトさんだけに、向ける想いで。

「貴女は、フェイトちゃん」

花弁が風に浮かび上がります。
フェイトさんを囲むように、舞い踊ります。
咲き誇る。桜色。

「私の、恋人だよね」

フェイトさんの手にある、黒と、白。

「名前を、呼んで」

リボンを手に。
頬を滑る雫は、紅と蒼、同時に。




「なのは」




名前と共に、きみを腕の中に。


















絶たれた手は、また繋がる。





















桜の花弁が舞い踊る。

例え散りゆこうとも、咲くことを憶えていれば何度でも咲き誇る。

何度でも。

何度でも。

桜色を手にしたのは、きみのため。

きみの傍で。

いつまでも。













































「レイジングハートも、よくこう言うの考えつくよね」
〈Honored.〉 光栄です。
「褒めてないんだけどなぁ……」

ひびを残す愛機に苦笑いして、メンテナンスルームの格納ポット越しの会話。
なのはさんの前にはモニター。
プライベートモニターの中、さらにプロテクトがかかったそのファイル。
中身は、メールや、通話記録。画像や映像。全てフェイトさんとのものであると、もう、愛機から聞いています。
浮かぶ認証画面。
解けることがなかった、パスワード。

〈should be able to untie it. master.〉 マスターなら解けるはずです。

未だ教えてもらえない、パスワード。
ヒントは一つ。

「私の一番好きな言葉、か」

コンソールを打つ指先。
打ち出されたのは、たった数文字。
Unlock.
解錠を示す表示。
明滅する赤。弧を描く蒼。

〈Wonderfully!!〉 御見事!!
「ありがと」
















私が好きな、言葉は。



「なのは」



貴女の、呼び声。





















あとがき









おまけ






「はいはーい、ご両人、お熱いとこ悪いんやけどぉー」

抱擁を中断したのはノックの音、返事すら聞かずにがらりと空いた扉には親友。
物凄く苦く、疲れた顔をしていました。

「保管解析室一個潰したのはまあしゃあないにして、訓練室大破、おまけに違反がひい、ふう、みい、……いっぱい」

指折り数えられる事象。
確認するまでもなく、二人がやったこと。
さあっと、引いていく頬の熱。
笑顔。

「ぜぇんぶ、報告書よろしくな?」
「「……」」
「返事」
「「……了解です」」

胸元に剣十字を揺らし、久し振りに見た親友の。

「よしっ!」

満面の笑顔。






あなたのことだけ。

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