Who am I ? 2






少しだけ目を丸くしたエイミィさんの目の前には頭を下げる橙色。

「フェイトの傍にいたいんだ」

尻尾に触れて無邪気に笑う幼子二人の頭を撫でて、その紺碧は真っ直ぐエイミィさんを見詰めていました。
エイミィさんは、微笑みます。

「うん、わかった」
「クロノやリンディママの代わりにお手伝いするって言ったのに、ごめんよ」
「大丈夫」

エイミィさんの掌が、橙色に触れます。

「フェイトちゃんを、よろしくね」

その日から、幼子二人のお気に入りの橙色は消えました。


























驚くほど、自然に。奇妙なほど、当たり前に。
なのはさんは仕事へと復帰し、高町なのは戦技教導官の姿が、そこにはありました。

「きょ、教導官、病み上がり、ですよね……」
「うん、そうだよ」
「訓練、ハード、なんですが……」
「久し振りだから張りきっちゃって。でもやっぱりちょっと鈍っちゃった」
「……」

そんな教導隊員の顔色が悪くなる会話を繰り広げる姿はエースオブエースに違いありません。
不屈の心を持つ空のエース。逆境からまた立ち上がった桜色の光。
その事実は局内にその名をまたとどろかせるのに十分なものでした。
体調面を考えて控え目に組まれたスケジュール。しかし休んでいる間に溜まっている仕事からそれが徐々に元に戻っていくのは時間の問題。
けれど病室からやっと解放されたなのはさんにとってそれは待ち望んでいた日常。
慌ただしくも過ぎる充実した日々になのはさんは満足していました。

「あ」

日々の生活も、訓練も、任務も、全て。全て、元通りに。
今のなのはさんにとって、そしてなのはさんの近しい人以外にとって、全ては元通りに。

「フェイトちゃん」
「なのは」
「これからお昼?」
「なのはも?」
「うん、よかったら一緒に食べよう?」
「もちろん」

フェイトさんを見つけて声をかける姿も。二人の会話も。なのはさんが浮かべる笑顔も。フェイトさんが浮かべる笑顔も。
元通りに見える光景でした。
その本源が、ちくはぐなものであったとしても。


























「本当に、本当に荒らしたり漁ったりしてない?」
「親友からの信用の無さにあたし涙目」
「……」
「疑いの眼差しに凹む」
「……」
「え? ほんまになのはちゃんのあたしへの評価ってそういう……」
「えっと、ほら、普段の行動が」
「フェイトちゃんまで!?」

局の寮に三人はいました。
大事をとって本局の医療区画に今まで寝泊まりしていたなのはさんが寮へと戻るその日。
はやてさんとフェイトさんが付き添うことになったのです。
プライベートな空間に戻ることによって記憶が呼び起こされ、体調を崩すという最悪の事態を想定してのことでした。
しかしそんな緊張感はなく、和気藹々とした雰囲気の中。三人が立ち止ったのは一室の前。
なのはさんの、部屋。

「二週間ぶりくらい?」
「そうやな」
「何か緊張する……」
「自分の部屋だよ?」
「そうだけど……」

ロックを外して開いた扉。
主を迎え入れたのは、なのはさんが見慣れた自室。

「とりあえず、まあ、変な言い方やけど見回ってみてくれへん?」
「うん」

はやてさんとフェイトさんを玄関先に残し、なのはさんが室内を見回し、クローゼットやデスクを一つずつ確かめていきます。
一通り見終わる頃、なのはさんに変化がないか見守っていたはやてさんが声を掛けます。

「どない? 何か変わったことある?」
「んー……、とりあえずクローゼットの中は荒らされていない」
「そろそろ泣いてええ?」

ちょっと遠い目で溜息を吐くはやてさんと、苦笑するフェイトさん。
それに笑うなのはさん。その様子を見て、特に頭痛等の反応がないことにはやてさんは安堵します。
しかしその安堵を包むのは、複雑な心境でした。
頭の片隅で、何かのきっかけで思い出してくれないかと願っていたのです。

「あ」

そんなことを知らないなのはさんはベッド脇のサイドテーブルの上、複数ある写真立てに眼を止めます。
その一つ、ベッドに一番近く、一番古いであろうその写真立てを手にとって眺めていました。
不思議に思った二人が近づけば、そこには小学生の頃の写真。なのはさんを囲むように、四人の姿。

「これ、フェイトちゃん?」
「うん? ああ、そうだね」

なのはさんの右隣。金髪の、はにかんだ少女の姿。
それは今隣にいる金髪の人と同じ人。
なのはさんはやっと思い知ります。
今まで確証のなかった、自分がフェイトさんのことを忘れている、その事実を突き付けられたような、そんな感覚。
それと同時に湧き上がるのは、やはり困惑と、フェイトさんに対する申し訳なさ。

「いいよ」

それがわかっているのでしょう、フェイトさんは微笑みます。
なのはさんが初めて見た笑顔と、同じ表情。

「今はもう友達だから。ね?」
「うんっ」

そんなフェイトさんに安心したのかなのはさんも笑顔を浮かべます。
二人は、もう友達なのですから。
それは、それで、事実なのです。
そのやり取りと、写真を見ていたはやてさんはやっと気が付きます。
あれから自分からなのはさんに積極的には関わって来なかったフェイトさんがこうやって部屋まで付き添ったその理由。
それは、見落としがないかどうか。
なのはさんの部屋に置いてあったフェイトさんの私物。それを持ち出したとはいえ、なのはさんにしか分からない、フェイトさん関連のものがあるかもしれない。
それを、なのはさんの反応を見て見極めるためだったのです。
結果は、フェイトさんの行動が完璧だったということを実証するほかありませんでした。
何も。
そう、何もかもが。
この場所が、フェイトさんの痕跡を残すことなく、なのはさんの部屋であるということしかわからない、そんな状態に保たれていました。
奇しくも、フェイトさんにとっての最悪の事態も回避できていたのです。
はやてさんがなのはさんに気付かれないように非難の目を送れば、フェイトさんは微笑みました。
あの、微笑みでした。



























利用者が退院し、空になった病室。
つい朝まで居た患者の元へ、足しげく通っていた人の姿を見つけて担当だった看護師が口にします。

「お持ち帰りになりますか?」

枕元に飾られていた桜色の花束は、今もまだそこにありました。
ここにあの患者が寝泊まりしていた頃は、決して朽ちることなく、新しいものと替えられて、常に綻んだ花を付けていた花束。

「いいえ」

看護師の言葉に、その人は短く告げます。

「もう、必要ありませんから」

その人の指先が触れた桜色が、それを切っ掛けにして、はらりと舞いました。



















彼女は、もう笑っているから。






















鈍色の液体が混ざるそれをシンクに手をかけて見詰めながら、フェイトさんはゆっくり息を吐きだしました。
蛇口から流れる水。
ばしゃばしゃと飛沫を跳ねさせ、渦巻き沈みゆくそれ。
口に残る苦く、酸っぱい、内容物の残渣に嫌悪感。喉を焼く軽い痛み。軽く口を濯いで、口元を拭います。

「もったいなかったね」

足元に擦り寄るのは、橙の獣。
紺碧の瞳は、主を見詰めていました。
胃の腑に収めて然程経たず、吐き戻したコーヒー。

「大丈夫、最近は、回数減ったから」

日が経つにつれて、ゆっくりと食べ物を受け入れるようになった身体。
口にするもの全てを拒絶した最初の頃より随分と良くなったとはいえ、それは異常と言う他なく。

「眠れるようにも、なってるから」

瞼を下ろすだけで過ごした夜は、意識を失うような数十分の睡眠に変わり。
合わない金型に自身を無理矢理埋め込むような、そんな日々。
けれど、形を変えて、いいえ、ぐちゃぐちゃにして、押しこんでいけば、見た目上は、その形。

「ありがとう、アルフ」

獣が得た主の掌は、いつもの少し低いぬくもりでした。























誰に呼ばれたって、私が私じゃない気がした。






















「ねえ、はやてちゃん」
「んー?」

頼まれていた資料を手にはやてさんの執務室に来ていたなのはさんは出されたカフェラテに口を付けて、何気なく問いました。

「フェイトちゃんって、どんな人?」
「は?」

その問いははやてさんの作業を中断させるには十分の威力を持っていて、ぽかんと口を開けるはやてさんになのはさんはそんなに変なことを聞いたのかと首を傾げます。
当然の、有り触れた問いかけをしただけ。
はやてさんの方が、フェイトさんのことを知っているのですから。

「いや、はは、……」

不思議そうな顔をしているなのはさんに、はやてさんはどこか力なく笑い、椅子に身体を凭れました。
長く息を吐いて、なのはさんに向き直ります。

「なのはちゃんからそんなこと聞かれるなんて、思わんかったから」

その意味を、なのはさんが知るわけもありません。

「ほら、えっと、フェイトちゃんは気にしないでって言ってるけど、フェイトちゃんのこと、ちゃんと知っておかないとダメかなって」
「ほほぅ、殊勝な心がけなやないの」
「からかってる?」
「いやいや、本気やって」

むっとしたなのはさんにひらひら手を振るはやてさん。
ちょっとした冗談のようなやり取り。
しかし、表面上は軽く言っていてもはやてさんの胸中は窺い知れません。

「そうやなぁ……」

温くなったココアの入ったカップを両手で持ち、その水面を見詰めてしばらく考えていたはやてさんは、顔を上げてにぱっと笑います。

「ええ子や」
「それはもう知ってる」
「聞いといてそらないで」

肩を落とすはやてさんに苦笑いを浮かべて、なのはさんもまたカップの中の飴色を見詰めます。
桜色の花束。柔らかい言葉。あの、微笑み。

「なんて言うか、もっと、違うこと」
「ふぅん?」

カップを置いてはやてさんはなのはさんを見つめます。
そこに何かを見つけようとしているかのような、そんな目で。

「ほら、別嬪さんやろ?」
「美人さんだね」
「見たことあるか解らんけど、BJなんて着てみぃ、きゃーきゃーすっごいでー」

そんな目に気付くことなく、なのはさんははやてさんと同じように笑みを浮かべます。
容姿端麗なことは見て解ること、小さい頃は可愛かったことは写真を思い出せば明らか。

「やから、学生ん時もそりゃあモテてなー。でも本人気づかへん」
「あ、解るかも」
「鈍感で、真っ直ぐで」

はやてさんが並べる単語はなのはさんのフェイトさんに抱くイメージに馴染んでいきます。
そう、そういう人に見える。やっぱり、そういう人なんだ、と。

「あとは、そうやなぁ」

なのはさんに向いていたはやてさんの視線は、ココアに落ちます。
たゆたう波紋にうつる歪な自分を見ながら、はやてさんは呟きました。

「どうしようもなく」
「どうしようもなく?」

髪が邪魔して、なのはさんからは見えないはやてさんの表情。

「こっちが見てて辛くなるくらいに、優しい子なんや」

泣きそうに見えるのは、揺れる水面のせいにして。

















思い出す度に、思い出に浸り、思い出に縋り。
思い出すな、と。
想い出すな、と。
記憶の中のぬくもりを消し去る。




















怒りを隠すことなく宿した翡翠と、悲しみに染まる紫苑を、ただ静かに紅は受け止めていました。

“あんた、それ本気で言ってんの”
「うん」

繋いだ回線の先は、第97管理外世界。海鳴市。
親友たちとの久しい会話は、和気藹々としたものとは程遠い、張り詰めたものでした。
モニターに映るアリサさんとすずかさんを前に、フェイトさんは、少し、微笑みます。

「今の私はね、友達なんだよ」

彼女と、彼女の、間柄。
それを知るものはなにも家族やミッドにいる人だけではないのです。
もしかしたら一番近くで見て、一番迷惑をかけていた人たち。
可能性は潰す。執務官として培った、堅実な方法。遂行するのに、余計な感情を挟むことなく。

「私との関係を、思い出させるようなことは、しないで」

彼女の家族へと伝えたことと同じ。
フェイトさんは、重ねます。

「絶対に、しないで」

開きかけた反論を抑え込む理由を、付けて。

「最悪、命にかかわる。それだけは、許されない」

恐らくアリサさんたちが初めて見るであろう、剣呑とさえ思える紅。
二人は、フェイトさんのことを知っています。

“フェイトちゃんは、戻れるの?”
「戻るよ。望まれるのなら、彼女がそう言うなら」

誰よりも彼女を想うフェイトさんのことを、よく、知っているのです。
ふっ、と表情を緩めたフェイトさんは、眉を下げました。

「アリサ、すずか。わがままで、ごめんね」

心を抉る、わがまま。
それで誰が一番傷付けられているのでしょうか。
押し殺した感情のまま、吐き捨てるようにアリサさんは言います。

“あんた、本当に、馬鹿だわ”
「そうかもしれないね」

フェイトさんは、微笑んでいました。




























なのは。
自身の名前が誰の口からも発される時の違和感。
なのは。
目覚めた時から誰も彼もが遣る瀬無さを感じる思いを乗せて口にする名前。
なのは。
自分の、名前。
感じる違和感が、日に日に強くなる。
まるで、違うものを呼ばれているような、どこか無機質にさえ感じる単語。
なのは。
なのはちゃん。
なのはさん。
繰り返される異口同音。
これじゃ、ない。


   。


誰の声。





























その金色と漆黒の後ろ姿を見るのは何度目でしょう。
教導後、なのはさんは見つけたその背中に声を掛けます。

「フェイトちゃん!」
「あ」

振り返ったフェイトさんはバツの悪そうな顔をしていました。
それを不審に思い、そしてその原因をすぐに見つけてしまいます。左手に包帯。
さっと引く血の気。

「どうしたのその怪我っ」
「ちょっと、その、任務で……」

誤魔化すような笑いにわたわたとその腕を触ってもいいものかそれとも痛むだろうかなんて思考を巡らせていたなのはさん。
結局触れることはなく、眉を八の字にしてフェイトさんを覗き込みます。

「大丈夫?」
「大丈夫だよ、シャマル先生に診てもらうから」

申し訳なさそうなフェイトさんになのはさんは溜息をついて。

「もう、フェイトちゃんは」

あまりにも自然に出たその言葉。
その続きが出てくる前になのはさんは気付きます。
私は、何を、言おうとしたのか、と。

「フェイトちゃんは……?」

繰り返して。
どくりと。
脳が脈打つような頭痛がなのはさんを襲います。

「後ろ見て」

さらに襲い来ると思っていたその痛みを止めたのは、あの時と同じく目の前の人の声。
フェイトさんは、微笑んでいました。示した、なのはさんの背後。

「武装隊の子たちが呼んでる」

痛みが引いていくのを感じながら振り向けば、教え子の姿。

「人望がありますね、高町教導官殿」

わざとらしい他人行儀に口をとがらせたなのはさんに、すでに頭痛はなく。

「からかってるでしょ」
「違うよ、本当にそう思ってる」
「ぅ」
「ほら、いってあげなきゃ」
「あ、うん」

真っ直ぐな言葉に少しだけ頬を染めたなのはさんに変わらず微笑み、促すフェイトさん。
少しだけ照れくささを隠して、なのはさんはフェイトさんに背を向けます。

「またね、フェイトちゃん」
「うん、じゃあね」

もう何が頭痛の原因だったかさえも、あやふやになりながら。


















痛みと共に消し去るのは何度目か。




















シャマルさんは淹れたてのコーヒーをテーブルに置きます。
くゆる湯気は香ばしく、ブラックコーヒーであると示していました。

「どうしている?」

来客、シグナムさんは言いました。
主語も何もない、問い。
シャマルさんに視線を向けることなく投げかけられたそれを、シャマルさんもまた、コーヒーカップに視線を落としたまま口を開きます。

「見ていられないわ、友人として、医者として」

シャマルさんの脳裏には、ここ数日の記憶。
栄養剤の処方と、点滴。全てをリセットして、やっと新しく作りかえられようとする、無茶苦茶な身体。

「けれど、気持ち悪いくらいに、いつも通りよ」

何も変わることのない、態度。
それがいいことなのか、悪いことなのか。

「そうか」

飲み込めないものを無理やり喉に通した。
そんなシグナムさんの声が、現状を語っていたのかもしれません。






























本局の情報管理部署。資料室。
その検索用ブースになのはさんの姿がありました。
管理局の局員のデータをある程度閲覧できるその場所で、なのはさんがモニターに映し出した人物。

「ハラオウン、で出るかな」

ハラオウンの姓を持ち、今も尚管理局に在籍している三人のデータが映し出されます。
一人は総務統括官。一人は艦隊提督。
そして、残る一人は、航行執務官。

「あった」

なのはさんが映しだしたのは、金糸の執務官のデータ。



Fate Testarossa Harlaown


出身:ミッドチルダ南部アルトセイム
所属:時空管理局本局執務官
階級:武装隊では一尉扱い
役職:執務官
魔法術式:ミッドチルダ式・空戦S+ランク



名門ハラオウン家。若き執務官。空戦Sランク超え。
肩書きも、能力もトップエリート。
それが、あの人。
そのデータを隅々まで一通り読み終わり、得た情報はつまりはそれだけ。
先日はやてさんから聞いたこととは違う方向から調べようとした結果がこれでした。

「んー……」

ブースを出たなのはさんは少し唸りながら廊下を進みます。
局員誰しもが調べられるようなもので、当たり前ですが期待していたような情報はなく思考を巡らせます。
もっと、違う。
何がと言われれば困りますが、そう思うのです。
もっと、違う、何かを知りたいと。
それは友達として過ごした片鱗を得たいのか、どうかなのかさえ気付いていない状態でしたが、なのはさんはそう思っていました。
ふと、鼓膜を叩いたのは騒がしい声。それは強いて言えば黄色い声というか、その類。
渡り廊下からなのはさんが見下ろした階下。
そこに居る見知った金色に、視線が吸い寄せられます。
金色と、純白。そして、漆黒。

「ぁ」

BJを纏ったフェイトさんがいました。
そこは複数ある屋外訓練場への通路。どうやら手続きをしているらしく隣には技術者の姿。
そしてそのフェイトさんを遠巻きに見詰める局員たち。先ほどの声の出処。
おそらくはBJ姿のフェイトさんが現れて、と言ったところでしょうか。

「有名なんだ……」

漏れた言葉はそんなこと。
確かに、人気が出ない要素はありません。少なくとも、なのはさんが知る範囲では。
立ち止ったなのはさんが無意識にその姿を見詰めていると、ふと合う紅。
驚きになのはさんの心臓がどくりと波打ちます。
あちらも少し驚いたようでしたがすぐに微笑みを浮かべていました。
それを見てまだ落ちつきを戻さない鼓動を抑えて、なのはさんも少しぎこちなく笑みを返します。
盗み見がばれた心境、とでもいうのでしょうか。それとも違う何かなのでしょうか。
とは言え、目が合ってしまった以上、おそらく合っていなくてもそうしていたでしょうが、なのはさんは階下へと歩を進めました。

「訓練?」
「うん、魔法の威力調節」

フェイトさんも待ってくれていたようで、辿り着いた隣。
視線を感じながらも話しかければ返ってくる微笑み。何故か安堵を覚えながらなのはさんはフェイトさんを上から下までずいっと見詰めます。
蘇るはやてさんの言葉。

「これは、確かに……」
「え?」
「ああ、うん、こっちの話!」

両手を振って慌ててごまかせば小首を傾げるフェイトさん。
その姿に背後からの視線が強くなったのを感じて冷や汗を流していると。

「騒がしいと思ったら、お前たちか……」

訓練場の重厚な扉が開き、現れたのは烈火の将。
必然、背後での騒がしさが増します。自身の登場で声量が跳ねたのを感じたのでしょう、顔をしかめるシグナムさん。

「すみません、シグナム」
「いや、……」

苦笑いを浮かべるフェイトさんと溜息を吐くシグナムさんの、その短いやり取りは、なのはさんが何かを感じ取るには十分なものでした。
なのはさんに交互に見られて、疑問符を浮かべる二人に口を開きます。

「フェイトちゃん、シグナムさんとも仲良かったんだ」

感嘆すら混じった言葉。
そんななのはさんにいち早く反応したのは、フェイトさんでした。浮かべた微笑み。

「よく、手合わせしてもらってるんだ」
「あ、はやてちゃんとも仲良いもんね。ヴォルケンリッターとも仲良いのは当たり前か」
「うん」

なのはさんが思い浮かべる親友の顔。その繋がりを辿って行けば、そこには見知った四人。
頷けるのです。
フェイトさんがはやてさんを知っているから、ヴォルケンリッターも知っている。そう考えれば、全て納得できるのです。
なのはさんがさらに口を開こうとしたところで。

〈Nachladen.〉 装填。

ガシュッ!!

焼け付く金属音が空気を切り裂きました。
薬莢が床に硬い音を響かせます。

「高町なのは」

低い声。
なのはさんが突然のことに肩を震わせ、シグナムさんを見れば、強い感情を抱いた瞳と眼が合いました。
その感情の意味がわからず、ただ見つめ返せば、ゆっくりと視線は逸らされます。
次になのはさんが見たのは、シグナムさんの背中でした。
重厚な扉は今度は受け入れるために開かれ、そこに半身を進めたシグナムさんはなのはさんに、二人に振り向くことはなく告げます。

「……高町教導官。もうすぐ教導の時間だろう」

さきほどとは違う、声。けれどいつものものではない声。
硬く握りつぶしたような、そんな響きを以ってして、シグナムさんは続けます。

「急いだ方がいいのではないか」

確かに時間は迫ってきていました。
けれどさして慌てるようなものでもありません。
それなのに、なのはさんがシグナムさんに返す言葉は同意を意味するものしか選べない、そんな雰囲気がここにはありました。
それじゃあ、失礼します。挨拶もそこそこに、追い立てられるように背を向けたなのはさんの背後。
微かに聞こえる、声。

「……ハラオウン、執務官」
「はい」

何かを押し殺したような、声と。

「模擬戦に付き合え」
「喜んで」

最初から、最後まで。

「お手柔らかにお願いします、シグナム」

変わることのない、声。






























訓練場の中央。
対峙する雷と烈火。

「ありがとうございます」
「何がだ」

剣を抜き放ち佇むシグナムさんに、フェイトさんもまた戦斧を構えながら言いました。
つい、先ほどのこと。

「ハラオウンと呼んでくれて」

一閃。
踏み込みが地を穿ち、続いて聞こえるのは高く響いた剣戟がひとつ。
鍔迫り合い。
刃同士が金属音を鳴らすのを挟んで、シグナムさんは表情を無に戻していました。

「腑抜けているかと思ったが、腕は鈍っていないようだな」

開始の合図もないままに振るわれた斬撃を受け止め、フェイトさんは口端を上げます。

「守りたい大切なものが、ありますから」

手にした大切なものは数多く。
どんな時であっても、何があったとしても。
それを守りたいと。
そう言うフェイトさんに、口をついて出てしまった問い。

「あいつも、か?」

言って、八つ当たりの様なものだと、シグナムさんは自嘲します。
シグナムさんは、真っ直ぐフェイトさんを見ていました。どんな反応をするのかと、そう思って。
返ってきたのは。

「ええ」

揺るぐことのない紅。

「友達、ですから」

はっきりと口にした瞬間。
雷撃が、弾けました。






























稲妻と炎。粉塵。爆発。そして刃のぶつかり合い。

「中距離魔法から指定広範囲魔法、バレットにシザーズブレイク、オールラウンダーだけど、クロスレンジ寄り、かな」

教導が行われる場所までやってきていたなのはさんは、近くの欄干に腰を下ろして、モニターを見詰めていました。
モニターには、第二屋外訓練場。映るのは、さきほどまで一緒に居た二人。

「教導前に他のやつの模擬戦観戦かよ」

声に視線を上げれば、対面の段差の上に、鉄槌の騎士。
ヴィータさんが近くに来ていたことにも気付かないほど集中していた自分になのはさんは苦笑を浮かべます。
高ランク魔導師の模擬戦。
戦技教導官として、というのは建前で。
あの穏やかな彼女が、空戦S+ランク。
見てみたいと思ったのです。彼女の、戦いを。

「フェイトちゃんって、高速機動型なんだね」

金色の魔法光が描く軌跡を追いながら、なのはさんは呟きます。
だから、ヴィータさんが眉根を寄せたことにも気づきません。
短く息を吐き出して、ヴィータさんは、言います。

「瞬きしたら、すぐそこに居やがるからな」

思い出す、あの時。
それに対するなのはさんの言葉は。

「近くで見てみたいなぁ」

さらにヴィータさんの表情を歪めました。
けれど、それになのはさんはやはり気付くことはありません。
視線の先には金色。
その戦術を、見詰めていました。
無詠唱。スフィア形成。それを伴ったままハーフターン。接触。ブレイク。追ってこさせて。エアブレーキ。
そう、ここで。

「ファイア」

なのはさんの小さな声と同時に、スフィアから放たれる雷撃。
なのはさんは気付きません。
どうして、そのタイミングがわかったのか、なんて。
何も、思いません。
ようやっと、ヴィータさんが何も言ってこないことに気付いたなのはさんが再び視線を上げます。
欄干に浅く腰かけたなのはさんと、それなりの段差の上にいるヴィータさん。
見上げた先に、鉄の伯爵を携えた、紅の鉄騎。
そうして、なんとなく。

「この立ち位置、久し振りだね」
「あ?」

そんなことを、口にしたのです。
間の抜けた声を出したヴィータさんに、なのはさんは笑います。

「ほら、最初」
「……あぁ」

なのはさんを見下ろす、この立ち位置。
思い至ったのでしょう。
ヴィータさんは、何も考えずに言いました。

「あたしのアイゼンが止められなかったら、お前、やばかったな」

どうして、止められたか。
何が、止めたか。
そんなことを、考えずに、言って。

「そうそう。誰かの魔法障壁だったよね」

笑顔と共に吐き出された言葉が、脳を叩きました。
あのロストロギアの発動効果は、特定の人の記憶を失うこと。
他の人が関わっていたとしても。
それが、とても、とても、強い記憶であったとしても。
強い記憶で、あるからこそ。
改竄し、捏造し、朧気に、曖昧に。
その違和感すら、何も感じないのです。
笑顔で、いられるのです。
ヴィータさんが、俯きます。

「ヴィータちゃん?」
「何でもねぇ」

拳が白くなるほど、鉄槌を握りしめて。
様子がおかしいと察して、尚も声をかけようとするなのはさんに対して。

「何でもねぇっつってんだろ!!」

声を荒げてしまうくらいには、それは、酷く残酷なものだったのです。
酷く辛いものだったのです。
なのはさんの顔を見ることなく、ヴィータさんは背を向けました。

「教導、始まんぞ」
「うん……」

それを告げることも、出来ないのです。






たとえ痛みに苛まれようとも。

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