ちょっと自重してください
文字列をなぞっていた視線を上げて、椅子に背中を預ける。
小さな音を上げた金属。認識する教室内の談笑。黒板には白い薄雲。赤と青、黄色の薄造り。ペンを置く。力を込めて、解く掌。吐きだす息。少し目が疲れた。
「休憩?」
首を傾げて窺ってきた紫紺の瞳に時計を見れば長針はそれなりに進んでいる。そろそろ頃合い。
瞳と同じ色の揺れた髪。根を詰めていたことをやんわりと指摘してくれたらしい。彼女の字と同じで、綺麗で静かな雰囲気。
曖昧に笑って、頷く。
「ノート、ありがとう」
「ううん。気にしないで」
今週は授業にあまり出られなかった。
構わない。と言われて入るけれどノートを借りて持って帰るのは気が引ける。予習復習を当たり前のようにする人だ。
見上げた先、紫紺が弧を描く。
「ね、フェイトちゃん」
「うん?」
「髪、触ってもいい?」
どうぞ。
断る理由なんて見つからない。いつも微笑んでいるような人だけど、嬉しそうにしている姿を見るのは好きだ。
後ろに回った彼女の手がリボンを解いているのがわかる。さしてかからずに手櫛が項から流れた。
「綺麗だよね」
「すずかの方が綺麗だよ」
「ありがとう」
お世辞でも何でもない。紫紺色の絹糸。手入れが行き届いた綺麗な髪だ。
ゆっくりと梳かれる感触を得ながら、考える。彼女が私の髪を触れること自体、とても久し振りのことじゃないだろうか。
「珍しいね」
「うん、懐かしくなっちゃって」
その一言で疑問は瓦解した。
指通りを確かめる、というよりは髪の流れを確かめるような動き。
なるほど。そういうこと。
「短いのだと物足りない?」
「それも好きだけど、ずっと長かったから」
「そっか」
嫌な顔、というより、赤くなった耳が隠せていない感情で、今私に触れている手を受け取っていた人。
金色。私と色味の違うそれを描いて口端が緩んだ。
「すずかの髪、触ってもらえばいいのに」
「すると思う?」
思い描く。
真っ赤に染まる顔。唸る子犬。並べたてられる言い訳。
苦い笑い。
「しない、かな」
ね。
返事に、少しさびしそうな声。首を後ろに倒した。
見上げた先。少し丸くなった瞳と、すぐに緩んだ頬。
首を傾げた彼女の髪が、肩口から流れる。紫紺のひと房が顔の横に。
「強請ってみれば?」
「自分から言うの、ちょっと恥ずかしいし」
「一度触れば、虜になるよ」
指先で触れるか触れないかの距離。
そういえば、私。触ったことないかな。
そんなことを考えて、それでも触れずに、綺麗な髪から、視線を顔に。
淡く笑うのが似合う人だな、って思う。でもこんな風に少し茶目っ気が含まれた顔も、好きだな。
「髪だけに?」
「ああ、うん……」
考える。
そうか。そうだね。
指を離して、笑う。失念してた。
「そう言えばもうすずかに虜だったね」
「そうだといいけど」
誰にも渡す気なんて、ないでしょう。
それは言わなかった。
思わず眉根を寄せた。
「えっ。えっ、なにあれ、なに、あれ友達の会話? 無駄に色気振り撒きおって」
教室の前方。
画になるわ。そりゃもう画になる二人。
気付いちゃいないだろう。何にも知らないクラスメイト達にほぅ……なんて頬染めて溜息つきながら見られていることに。
いや、かたっぽは気付いてるか。
ていうか。あれがこのごく一般的な学生の昼休みの会話とか。
なにこれこわい。
思わず椅子の背を傾けて後ろの席を振り向く。
「なぁ、どう思うあr暗ァッ!!」
ちょっと叫んだ。
後ろにおぞましいオーラ×2なんて叫ぶわ。普通叫ぶわ。むしろ叫んだだけで済んであたし偉いわ。
親友×2のこんなに凹んだ姿、久し振り! 初めてじゃないのが逆にめんどくさい!
「暗っ! 暗い! あんたらへんなもん背負うな! 怖いわ!! 何ぞ召喚でもするつもりか!!」
何も言わない所からダメージがいつもより大きいらしい。
うわあめんどおおおお。
「素やから! 心配せんでもあの子らアレが素やから!! わかっとるやろ!!」
何で毎回あたしがフォローせなあかんの!!
だから癒しを求めるのは仕方ない。
あの二人とは色味の違う、金色。抱き着いて、肺いっぱいに匂いをため込む。
「はやて?」
「もうめんどくさいあの子らあああっ」
「はいはい、いいこいいこ」
「ぅー……」
髪を梳く指が、心地よかった。