とめどなく



娘の様子がおかしい。
そう感じたのは数日前から。
普段はいつもの大人しくも可愛い女の子。
ふとした瞬間に虚空を見つめる女の子。
それは仕方のないことなのかもしれない。新しい家族が、私たちが一緒にいるようになって考えることもあるのだろう。
ただ、ここ最近のフェイトは何かが違った。


「フェイト?」
「うん?何、アルフ」
「・・・・・・ううん、何でもない」


どうやら気づいているのは私だけではないみたい。
使い魔であり最初の家族であるアルフも心配の色をその瞳ににじませていた。
主の笑顔に何も言えなくて、少しだけ困ったような笑顔を返す姿が少し、悲しくて、暖かかった。


「アルフ」
「リンディママ・・・、フェイトが・・・」
「ええ」


フェイトが学校に行っている間、私はアルフに問いかける。
返ってきたのは予想していた言葉。


「何があったかわかるかしら?」
「わかんないよ・・・。四日くらい前から精神の揺れが激しいんだ」
「四日、ね」


何があったのだろうか。
記憶を掘り起こす。四日前。フェイトとの会話なら些細なことでも絶対に覚えていると自信がある。娘との会話は、それだけで幸せなのだから。


私立図書館に、行ってくるんです


その声が、反響した。
そうだ。言っていた。友達の二人が読書好きだから、読みやすい本を教えてもらうと。
それが原因だとはわからない。でも聞いてみる価値はある。
きっとあの子は、自分から話してくれることはないから。


「フェイト、お茶にしない?」
「あ、はい」


帰宅して宿題を終わらせたフェイトに声をかける。
私の緑茶と、フェイトのココア。並べて湯気が伸びる光景に頬が緩む。


「日本語には慣れた?」
「少しずつですけど、何とか」
「フェイトは努力家だし、頭がいいものね」
「そんなことないです、皆が教えてくれますし。本とかも読むようにしてるので」


照れたようにカップを両手で包むフェイト。
だいぶリラックスしてきたところを見計らい、問う。


「この前、図書館にも行ってきたのでしょう?」


一瞬。
十分すぎる一瞬。
フェイトの体が強張ったのがわかった。
でも私はあえて気付かないふりをする。見極めなくちゃ。


「何を読んだの?」
「まだ、難しいのは無理なので、童話とか、わかりやすい文学とか」
「そうなの。他には?」
「色々見たので・・・」
「楽しかった?」
「はい」
「よかったわ」


笑顔がぎこちなかった。
確信する。フェイトは、何かを読んで、そのせいで思考の渦から抜け出せないのだと。
おそらくそれは、過去に関係すること。花冠を作ってあげた時と、同じ陰りだったから。
一度にすべて聞くことはしない。
フェイトの心はまだ繊細で弱いのに、大きな負荷にも耐えるから。めちゃくちゃになりながら耐えようとしてしまうから。
今は傷を癒してほしい。けどこれをこのまま放っておくわけにもいかない。
明日改めて聞こうと話を切り上げた。


――――――


「母子の話でも、読んだのかしらね」


夜。
静まり返るこの時間にそんなことを考えていたら時計は日付をまたいでいた。
煮詰まってしまった頭をすっきりさせようと飲み物を取りに部屋を出て、かすかに鼓膜を震わせる音。
か細く、弱く、小さい、声。
嗚咽。泣き声。
思考より早く、体が動く。
フェイトの、娘の部屋に。


「フェイト・・・?」
「リンディママ!フェイトが!」


声をかけると切羽詰まった、こちらも泣きそうなアルフの声。
部屋の主に承諾は得ていないけど、扉を開ける。待ってなどいられなかった。


「っひ、・・・・ぅ、く・・・・」


ベッドの上。
声を殺して、膝を抱えるように身体を丸めて、泣きじゃくる、フェイト。
声を出して泣くことを許されない。
泣いていることを知られてはいけない。
誰にも心配をかけてはいけない。
そんな風にしか泣けない女の子。泣けなかった女の子。


「フェイト」


小さな狼が寄り添っている小さな子供に近づく。
ベッドに腰掛けて、できる限りの優しさを持って頭をなでる。濡れた紅がゆっくりこちらに視点を合わせてくれる。


「りん、でぃ、さ」
「フェイト」


今のフェイトの目に映るのは、リンディさん。
ええ、そうね、でも違うわ。


「ご、ごめんなさ、・・・おこ、し・・・」
「いいの、大丈夫よ」


慌てて涙をぬぐうフェイトの頬を包み、瞳に私を映す。
ここにいるわよ。


「母さんはここにいるわ」
「ぁ」


貴女の母さんは、ここにいる。


「大丈夫。いい子ね、フェイト。大丈夫よ」


小さな身体を抱き寄せて、ゆっくり頭なでて、背中を擦って。
震える呼吸をそのままに。


「泣いても、大丈夫」
「ぅ、あ、ぁ、ぁああぁああっ!」


母さんが、受け止めてあげるわ。


――――――


「夢を、見たんです」
「そう」


小さな狼が擦り寄る姿をみると、少しは落ち着いたみたい。
アルフが何も言わないのは、きっと私に全てをまかせてくれたから。
まだ背中をなでる手を止めずに、私はフェイトの声に耳を傾ける。


「プレシア、母さんの、夢」


母さん、の夢。
その夢を見ていることは知っていた。そういう日は大抵、いつもより寝起きが良くなかったから。それこそ、アースラに寝泊まりしている時から。
そして今回は、きっとそれだけではなくて。
図書館で、格言書ってものを読んだんです。続く格言が、おそらく原因。



愛されなかったということは、生きなかったことと同義である。



あまりにも、深く突き刺さる言葉。
あまりにも、残酷な言葉。
白くなるほど握りしめられた小さな手。


「私は、生きる価値がなかったのかな、って」
「そんなことないわ」


その手に手を重ねて。こちらを見てくれる紅をまっすぐ見つめて。
沁み込ませるように、語りかけるように、言葉を紡ぐ。


「フェイトは私の娘よ。大切な、私の娘」


全ての人に自慢したい、愛娘。


「生きる価値も、幸せになる価値も、そして愛する価値も愛される価値もある」


この子にその価値がないなんて言わせない。


「大好きよ、フェイト。母さんは貴女を愛しているわ。これからも、ずっと、いつまでも」


たくさんの人に、何より私に愛されている。


「大丈夫。心配することなんてないわ。私はフェイトを愛してる」


だから。


「フェイトは、私の、愛する娘よ」


もっと泣いていいわ。もっと笑っていいわ。もっと愛されていいわ。
今までの分を取り戻すように。
さきほどとは違う意味の涙を流すフェイトを抱きしめて、前に読んだこちらの格言を思い出す。
愛の、格言。



与えてください。あなたの心が痛むほどに。



与えよう。心が痛むことはない。
だって限りなく溢れる娘への愛情は、枯れることなんてないんだから。
与えよう。母親の愛情を惜しみなく。
誰にも負けない親愛を。
与えよう。この子がそれを受け入れることができるまで。
拒否する理由なんて、ないのだから。
与えよう。この子が自分の愛を与えることができるよう。
親愛ではない愛情を、際限なく与えてくれる人が現れるまで。


「リンディ、母さん」
「ええ、母さんはフェイトを愛してるわ」


――――――


あのままフェイトと一緒に寝て、起きた時の照れたようなはにかみに陰りがないことを見てとって、安堵する。これで、今回は大丈夫。


「おはよう、・・・・・・・・・・早いな、フェイト」
「あ、うん、おはようクロノ」


フェイトと朝食を作っているとクロノが起きてきた。
朝が早いとはいえない妹を見て目を丸くし、そのまま細める。


「どうしたんだ」
「え?何が?」
「泣いただろう。目が充血してる」
「それは、その・・・」


不機嫌丸出しな、見ようによってはフェイトに対して怒っているような態度。


「誰かに何か言われたか」
「ち、違うよ」
「嘘をつけ。じゃあなんで泣いていた」
「これは」
「言うんだ」
「あの」
「脅されでもしたか。それなら尚更、言うんだ」
「く、クロノ、あのね」


詰め寄るようなクロノに、困り果てるフェイト。
そろそろ助けようかと思って、クロノの背後に見える人影に思い直す。


「はいはーい、クロノくんストーップ!」
「わぁ!?」


エイミィさんの登場で場の空気が一気に和んだ気がした。
後ろからのしかかるようなエイミィさんにクロノは慌てふためいている。


「尋問じゃないんだから。もうちょっと優しく聞きなさい」
「ぼ、僕はただ・・・っ」
「そうだよねー。可愛い妹が心配なだけなんだよねー、お兄ちゃんは」
「エイミィ!!」


顔を真っ赤にしたクロノとにまにま笑うエイミィさんを見ていたフェイトの顔が綻ぶ。


「ありがとう、お兄ちゃん」
「だっ!」
「はいはい、ご飯できたわよー、妹が大切なお兄ちゃんも席についてね」
「母さんまで!!」


フェイト。
貴女の周りは愛に溢れているわ。


少しずつ、ハラオウン家の娘になっていければいい
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