いとしい



子供としてはすこし大人しく。
生徒としては優等生で。
娘としては一途で。
私にとっては。


「リニス」
「どうしました?」
「フォトンランサーの発射体、増やしたい」
「この前単体連射が出来るようになったばかりですよ?」
「うん。でも、やりたい」


魔導書を抱えてそう言ってきたフェイトの瞳はまっすぐに私を見詰めていた。
幼い身体に内包された魔力素質は計り知れない。身体能力も高い。
そして知識に対して貪欲。休憩時間にいないと思って探せば大抵書斎で本に埋もれていた。
そんな日々を過ごす少女は、確実に魔導師としての能力を上げている。


「その傷が治ったらにしましょう」
「平気だよ」
「ダメです」
「だって」
「ダメです。絶対」


魔力制御がうまくいかなくて暴発した雷撃に苛まれた右腕には痛々しく白い包帯が巻かれていた。
足首。額。頬。左腕。右太もも。最近だけでも白が巡った場所は多い。流された赤も多い。
子供よりもたくさん怪我をして、子供のような怪我ではなく、子供みたいに怪我をしない。
何より、この子は、フェイトは泣かなかった。
泣くことを、止めていた。


「だって、早く覚えないと」
「それだけ早く覚えても、無理をしてしまっては次が覚えられません」
「無理なんて」
「しています」
「・・・・・・・」
「フェイト。そこまで急ぐ必要はありません。今のままでも十分すぎるくらいです」


魔導書を抱える腕に力が入るのが解った。
ああ、この子はきっとまた言うだろう。


「だって、早く覚えれば母さんが褒めてくれるかもしれない、から」


小さな笑顔。
優しい母。尊敬する母。ただ一人の母。
フェイトの視線の先はいつもあの人。
いつも微笑んでくれた。寝る時はお話してくれた。ピクニックに連れて行ってくれた。花冠の作り方を教えてくれた。
そう語られる母は、今は研究に没頭している。
娘を見ることも、気に掛けることもせずに。蝕まれる自分の命さえどうでもいいというかのように。


「フェイト、プレシアは」
「私が早く魔法覚えれば、母さんと一緒に居られるよね?」


娘の瞳が映しているのは、母親だけ。
いつも母親だけ。そう、私は教師であり、母親の使い魔。それだけ。


「ええ。そうだといいですね」


だから、私は微笑み頷くだけ。


――――――


フェイトが風邪をひいた。
連日の訓練。無理が祟ったのだろう。
短く息を吐き、荒れる呼吸。額に浮かぶ汗。思うように出すことが出来ない声。


「フェイト・・・」
「・・・・ス、ごめ」
「心配せずに、ゆっくりやすみなさい」
「ぁ、・・・・と」
「ええ。さあ、目を閉じて」


薬を飲ませて、ベッドに寝かせて。
寝息がやっと落ち着いたところで、息を付く。
額に置いたタオルは、すぐに温くなってしまう。
氷水にタオルを浸し、絞る。
ぼだぼだと落ちる水はまるで外に降る雨のよう。


「ごめんなさい、フェイト」


何故気付かなかった。何故引き止めなかった。
少しでも、呼吸がおかしいことを、顔が赤いことを、思考の回りがわずかでも遅いことに気付いていれば。
午前の座学が済んだ後、外に自主訓練に行くといったこの子を、引き止めていれば。
何故、解らなかった。


「ごめんなさい」


雨が降りだしても帰ってこないフェイトを探して見つけたのは、木の根元に力なく倒れている小さな身体。
血の気が引くとはああいうことを言うのか。もう二度と経験したくない。
固く絞ったタオルを汗の浮かぶ額に乗せる。


「苦しいですね、辛いですね。・・・・早く良くなって」


冷えた掌で頬を包めば、移る熱に眉根が寄る。
代われることが出来たなら、どれだけいいか。


「フェイト」


投げ出された右手を包む。弱く握り返されて顔を覗きこめば少しだけ表情が和らいだ気がした。
微かに動いた唇が単語を紡ぐ。


かあさん


体が急激に冷えたような感覚。
この子が求めるのは私ではなく、母親なのだ。どんなに頑張っても、どんなに慈しんでも、この子の一番は変わることはないのだ。
この子が真に求めるのは母親だけなのだ。他の誰でもなく、私ではなく、だた一人。


「ええ、ここにいますよ、フェイト」


私は母親の代わりを演じる。
優しく手を握って、優しく声を掛けて、優しく頭を撫でて。
私ではない母親を見るフェイトの傍にいる。
ほら、演じきれている。フェイトの表情が穏やかになった。
私がどんな表情をしているかなんて、知りたくもなかった。


――――――


フェイト。
フェイト。
私のいとしい子。
許されるならば貴女の母になりたい。出来ることなら心が泣くほど愛を与えてあげたい。
その愛を、私に向けてくれるなら、どんなに嬉しいことか。
抱き締めて、微笑んで、頭を撫でて。可愛くて。これほど愛おしい存在がいるだろうか。
貴女とともに居られるのなら、どんなに幸せなことか。
子供としてはすこし大人しく。
屈託なく笑顔を見せてくれる日がくると信じて。
生徒としては優等生で。
それが私との時間を縮めていることに知らないふりをする。
娘としては一途で。
愛してほしいと言えない子。
私にとっては。
とても、とても愛しい子。いとしいこども。
どうしようもなく。


愛しい子。
かなしいこ。


愛しいとは、かなしい、とも読むことが出来ますよね
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