おかあさん



リビングで娘が眠っていた。
傍らの狼に凭れるように、ぐっすりと。
彼女が、フェイトが私の娘になってから一年。
ぎこちなかった呼び方も、だんだん慣れてきたようで以前のような硬さもない。
ぱたり、ゆっくりとゆれる狼の尻尾に微笑み返して娘に近づく。
こうして、寝顔を見ることができることも嬉しく思う。
最初の方は使い魔以外の気配で目を覚ましていたみたいだから。


フェイト


こうして呼びかけて、頭を撫でてもその寝息が揺らぐことはない。
娘の寝顔を見つめることが、こんなにも幸せだなんて。


フェイト


精一杯の愛で包み込んであげる。
壊れやすくて、傷だらけの心が、怯えない様に。
ずっと、いつまでも。
無償の愛を、貴女に与えましょう。
貴女が微笑んでくれるように。


フェイト


ぱたり、またゆっくりと狼の尻尾が揺れた。
少し遅れて紅を隠す瞼が上がる。
こちらに焦点の合わない紅が向く。
寝ぼけた娘に微笑んで。


かあさん


漏れた言葉に心が軋んだ。
半年前。同じ状況。同じ場面。同じ言葉。
続いて漏れた言葉は、娘の母親の名前。


フェイト


呼びかける。
あの時。
何よりも心に重く突き刺さったのは呼ばれた名前ではなく、直後に見た娘の表情。
恐怖。謝罪。哀愁。悲哀。
全てが混ざった、表情。
覚醒した頭で、自分が何を考え、何を口にしたかを理解した時の表情。
そして、ごめんなさい、という言葉。


フェイト


呼びかける。
大丈夫。もし、同じように母親の名を口にしてもあの時と同じように抱きしめてあげる。
大丈夫。いい子ね。そう頭を撫でてあげる。
愛で、包み込んであげましょう。
まだ、焦点の合わない紅が私を見つめる。


かあさん


微笑んで、ゆっくりと、空気を震わせた。


りんでぃ、かあさん


母親の、名。
ああ。
ああ。どうしましょう。
起きて、いきなり目の前で母親が泣いていたら、きっとこの子は困ってしまう。慌ててしまう。
でもどうしようもない。
心が、幸せだと泣き叫んでいる。


フェイト


娘を、抱きしめる。
それしか、私には出来ない。


たった五文字の、大切な呼び名
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