幸せの言葉3



「やはりあの資料をはやてにやったのはユーノだったか」
“怒らないでよ?僕は昔馴染みのお願い聞いただけなんだから”


戦艦クラウディア。本局に帰港していたその艦長室で端末を開き無限書庫司書長と通信しているのはクロノさん。溜息をつき、苦笑いを浮かべるユーノさんにわかってる、と告げます。


「なのはは何も言ってこなかったのか?」
“この前本局で会った時に、遠まわしにありがとうって言われたよ。照れてたんだろうけど”
「まあ、そうだろうな・・・」
“でも、嬉しそうだったからね。いいことしたと思ってる”
「ああ・・・」
“それにしてもさすがはやて。全部根回ししてるなんて”
「そうだな・・・」


心ここにあらず。何だか生返事なクロノさんにユーノさんはふう、と息をついて言います。


“やっぱりお兄ちゃんとしては微妙な気持ち?”
「な゛ッ!!」
“クロノってあんまり関心ない感じしても妹のことすっごく大切にしてるしねー。この前どこかのお坊ちゃんからのお見合い話を一蹴したんでしょ?下らん話をするな、ってバッサリと”
「な、何で知ってるんだッ!!」
“はやてから聞いたよ。許可書に署名するのも、一番渋ったのクロノなんだって?”
「あいつはそんなことまで話してるのか・・・!!」


俯いて絞り出すように言ったクロノさん。机の上の拳がぶるぶる震えているほどでした。思い出すのは、先日のはやてさん来訪の時のこと。


「あなたはー、神をー、信じますかー?」
「どこぞの怪しい宗教勧誘者か」


プライベートの用事ということで、物凄い真剣な顔のはやてさんから約束を受けて招いた艦長室。やってきたはやてさんの一言目は胡散臭すぎました。にっこり笑顔でした。しかも妙な間延びの口調がそれを助長していました。何がしたいのかさっぱりわかりません。


「あたしはクリスマスも祝えばお正月もしてハロウィンも楽しみ仏壇に参る人やで?」
「キミが特定の宗教に属していないのはよくわかった。だからさっさと本題を話してくれ」


一気に疲れたクロノさんがため息を吐きながら促せば、はやてさんは変わらず笑顔で再び問います。


「で、クロノ君は神様を信じるん?」
「・・・・・・・・本当にそれが本題だと言うのか?」
「んー、導入会話?」
「導入?」
「まあまあ、答えてや」


答えなければ先に進まなそうなはやてさんにさらにため息をつき、クロノさんは答えます。


「神様はいてもいいと思うさ。だがそんなものに左右された人生なんて御免だな。未来は自分自身で切り開くものだ」


何だかいいことを言ったクロノさん。中々に重みのある言葉です。本人は言った後でほんのり照れてますが。
それを聞いて、いつもならばからかったりするはずのこの人の反応はいつもと違いました。


「そう、神頼みなんてしても現実は何も変わってくれへん!!祈ってる暇があるなら自分で未来を掴みとれ!!確かな未来をこの手に!!・・・・・・・、ってことでクロノ君、これにサインちょーだい」


無駄に力の入った拳を掲げて、背景に荒波とか火山とかそんなものを背負いつつ高らかに宣言したはやてさんがにぱっと笑って差し出したのは、紙切れ。もとい、書類。
眉を顰めて、それでも書類を受け取ったクロノさんはさっそくそれに目を通します。


「ロストロギアの使用許可書?」
「そ」
「局の管理番号だけでは何の作用があるロストロギアなのかすらわからん。詳細を知らないものの許可などできるわけないだろう」
「そやったら、これがその資料」
「最初から渡せ、まったく・・・。で、何のロストロ、ギ・・・ア・・・・・・」


言葉の途中で資料の中身を軽く確認してそれが何に使われる、何のための、何が可能なロストロギアなのかを把握して固まるクロノさん。それを見たはやてさんはサムズアップでいい笑顔。


「現実的で面倒くさい手続きとかもスルー出来て安全面も保障されてる確実な未来をゲット☆」


キラッ☆みたいな擬音を発しそうな可愛さなのですが、如何せん相手がはやてさんという人物を知っているので特に効果はありませんでした。むしろ逆効果でした。
ドバンと机を叩き立ち上がったクロノさんは声を荒げます。


「誰に対しての、許可なんだ!!まさかはやて・・・キミか?」
「セクハラで訴えてもええ?丁度執務官の親友とツンデレが居るんやけど」
「許可を下す側として聞いてるんだ!!」


真顔のはやてさんに怒鳴るクロノさん。こんな会話は日常茶飯事の域です。毎度ながらへらへらした笑顔に戻ったはやてさんがぱたぱた手を振ります。


「だいたい、あたしが誰と?」
「・・・・・・、・・・・あー、・・・・、騎士カリムか?」
「・・・・・・・・・。ちょ、待って、予想を超えた答えにあたし赤面」
「意味がわからん」


ぽっと頬を染めたはやてさんに冷たい一言が投げつけられます。気を取り直したはやてさんは、そこらの局員だったらトキめきそうな可愛らしい笑顔で小首をかしげました。


「そんなんよく考えんでも解るやろー?クロノ、お・に・い・ちゃ・ん」


しかしクロノさんがそれにトキめくわけがありません。逆に疑うような視線をやりそうなものですが、今回は違いました。その発された言葉に顔を引きつらせます。


「まさか・・・」
「そのまさか」
「相手は・・・」
「言わせるん?」


ニマリ、とお馴染みの口端を上げてはやてさんは笑います。このあと。


「四の五の言わずいいからさっさとサインせぇ言うとるやろ!!」
「本人たちの承諾はどうしたと聞いてるんだ!!」


二人の口論が勃発したのは言わずもがなです。そして勝敗はご存じの通りでした。
記憶を辿り遠い目になっているクロノさんにユーノさんは、一言。


“シスコン?”
「違うッ!!」


即答でした。
それからユーノさんとの通信を半ば一方的に切り、クロノさんは、俺は違う、ただ心配なだけだ、兄として当然だ、とかそんなことをぶちぶち言いながら乗り気のしない仕事をがしがし処理していたのですが来客を告げられてその手を止めました。


“艦長。ハラオウン執務官がいらっしゃってます”
「フェイトが?」


なんてタイムリー。
入室許可を得て艦長室にやってきたのはまぎれもなくフェイトさんでした。いつもより少しだけすまなそうな色を混ぜてクロノさんに微笑みます。


「ごめんねクロノ、急に来て」
「いや、それは構わないが・・・」


先ほどの会話といい、回想といい、何だかフェイトさんの顔を見てクロノさんはある一つの可能性を見出してしまいます。もしや、今日来た目的は、と。


「そ、それで、どうした?」
「あ、えっと」


今ここで重大発表とかされたらどう反応したらいいんだとか内心凄く考えていたクロノさんの耳に届いたのは、フェイトさんの涼やかな声。


「この前依頼受けた事件の書類が出来たからその報告。通信でもよかったんだけど帰港してるって聞いてね」
「・・・・・、何だ、仕事のことか」
「え?」


深く長く息を吐き出す兄に首を傾げたフェイトさん。それに気付いたクロノさんが微妙に取り繕って話をそらします。


「あ、いや、何でもないんだ・・・。そうか、報告か・・・。すまない、相変わらず早いな」
「そうかな」


身内自慢ではなく、事実フェイトさんの仕事は早く的確。兄として、執務官の先輩として、それは嬉しいことです。


「結構前に長期航行から帰ってきたんだろう?」
「うん」
「今は家に帰ってるのか?」
「なのはたちの家にお邪魔してる」
「帰ってるってことだろう?それに邪魔どころか大歓迎されてると思うんだが」
「うーん、どうだろう」
「どうだろうって・・・。それで、今はとりあえず本局勤めか?」
「うん、次の航行任務を申請しようかと思ってるんだけど・・・、中々これだ、っていうのがなくて・・・」


苦笑気味に答えるフェイトさんにクロノさんは思います。もしや、ちょくちょくミッドに戻ってこれる・・・なのはさんたちのところに帰ってこれる任務を探しているのではないかと。理由など一つしかありません。


「・・・・・俺の方でも探しておこう。それなりに斡旋もできるしな」
「ほんと?いいの?」
「ああ」


斡旋どころか決定できる権力保持者だったりするのですが、それを言わないのがクロノさんらしいです。その言葉にフェイトさんは微笑みます。


「ありがとう、お兄ちゃん」
「そ、それはやめろと言ってるだろう」


照れ屋で優しい兄にフェイトさんは感謝しました。
自身が探している任務。ミッドにほとんど帰ってこない・・・大切な人たちと会うことがほとんどない長期の、年単位の長期任務が見つかるかもしれない、と。

















「それでですね、高町教導官」
「なんですか?八神二等陸佐」
「いつになったらあたしに、おめでたやねって言わせてくれるん?」
「レイジングハート」
〈All right, my master.〉

ガシュッ!

「あ、ほんますんません、マジで」


素敵な笑顔で愛機にエクシードモードでカートリッジロードを命じる空のエースオブエースに、陸のエリート捜査官はひきつった笑顔で平謝りしました。どうやら今、なのはさんにその類の質問はデリケートな話題らしいです。ピリピリしてます。
二等陸佐執務室。先ほどまでのちょっと格式ばった会話は塵と帰し、今は親友同士の雰囲気が二人を包んでいました。別々の意味で内心穏やかではありませんでしたが。


「で」
「・・・・・」
「結局まだ言えずにいると?」
「・・・・・・」
「ぇー・・・」
「ぅ。・・・だ、だって仕方ないでしょ!!なんて言ったらいいかわかんないんだもん!恥ずかしいんだもん!!フェイトちゃん前にすると何も言えないんだもん!!だからどうしようもなくて抱きついちゃうんだもん!!」
「ぇー、逆切れと思わせといて惚気とか勘弁なんやけどー。時空を超えてアリサちゃん召喚したい気分に駆られるんやけどー」
「惚気じゃないもん!!」


不満をこれでもかと表現するはやてさんにぷいっとそっぽを向くなのはさん。教導隊で尊敬されている高町教導官の姿とは思えません。それに、まあ予想はしていたとばかりに笑い半分に息を吐くはやてさん。


「あたしがあの許可証とか渡して結構経っとるな」
「・・・・うん」
「その許可証貰う結構前にヴィヴィオがフェイトちゃんに爆弾発言したんよね?」
「・・・・うん」
「つまりかなーり、待たせてるゆーことになるんやけど」
「・・・・う、ん」


だんだんしょぼくれていくなのはさんにはやてさんは苦笑の色を濃くします。
ぱっと思い出す、なのはさんが待たせている人物の表情は困ったような笑顔。見慣れたいつものフェイトさん。


「それにしてもこれだけ待たせても何も行動とか起こさんとは・・・・。まあ、フェイトちゃんは戦闘以外ではほとんど積極的とは言えへんし、どっちかってーと消極的やし」
「でもそれを他の人に絶対感じ取らせないしね」
「あの極度の心配症は自分のことは疎かで過小評価しとるから」
「素直だけど他人に合わせるって言うか・・・」
「あたしあの過保護がわがまま言うてるの見たことあらへん」
「わがまま・・・」
「ある?」
「・・・・・・・・・・えと」
「すぐ思い出せん言うことは、強いてないんやな」


なのはちゃんがないんなら誰も見てへんのかなー、とはやてさんは呟きます。もしくは、なのはさんたちが知らない誰かしか見たことがないのかもしれません。


「フェイトちゃんもフェイトちゃんやで」
「え?」
「きっとずっと待つんやろ、なのはちゃんが決めるのを」
「うん・・・、フェイトちゃんは何でも優しく受け入れてくれるから」
「でも絶対何か我慢しとるんちゃうん?」
「そうかな・・・いつもと変わらない・・・・」


フェイトさんの優しさを一番感じているなのはさんが微笑みます。蘇るのは、最近のフェイトさんとの時間。


「あれ・・・?」


そこでなのはさんの心に何かが引っ掛かりました。ほんの小さな違和感。ほんの小さな異物感。凄く注意しなければ気付かないほど、すぐに見失ってしまうほど、とても小さなもの。


「どうしたん?」
「ん、何か、おかしいんだ」
「おかしい?なのはちゃんがフェイトちゃんのこと好き好き大好き愛してるーってのはいつも通り過ぎておかしないで」
「茶化さないでってば!・・・・・、ほんとに、何か、おかしい・・・・、いつもと違うことがあったような気がして・・・」


真剣な表情で記憶を巡るなのはさんにはやてさんも何かを感じ取ったのかただ静かにそれを見守ることにしました。
巡り、巡る、辿り、辿る。記憶の渦。記憶の塊。記憶の欠片。記憶の隅。記憶の、靄。


大丈夫だよ。
心配しないで。
なのはの方が心配だよ。
ヴィヴィオはなのはの子供だから、ちょっと無茶しそうだから気をつけてね。
無理しないでね。
私は、大丈夫だから。
なのは。


流れる、戻る、繰り返す。声。表情。動作。
重なる、比べる、違う。声。表情。動作。
違和感の、正体は。


「ぁ」
「・・・どないしたん?」


気付いてしまった。気付けばよかった。気付かなくちゃいけなかった。
微かな、違い。


「はやてちゃん・・・」
「ん?」
「フェイトちゃん。・・・フェイトちゃんが」
「フェイトちゃん?」


はやてさんの反芻にうん、と頷いたなのはさんはぽつり、と零します。


「フェイトちゃんから、私に触れてきたこと。あの日から、ない」


傍から見れば些細な、本人からすれば大きな、積極性。
あの人がそれをしないということは。


「・・・・・。よぉ解らんけど、それが続くとマズイんちゃうか。なのはちゃんのフェイトちゃん分補給的にも」
「ど、どうしよう、はやてちゃん」
「さっさとぶっちゃけろ、娘を見習え」
「〜〜〜ッ!!」


顔を真っ赤にして言葉に詰まるなのはさんと、ニヤニヤしているはやてさん。
それが正解ではありませんでしたが、本当のことに近づいたのには変わりはありませんでした。



















誰もいない家の、自分以外いない書斎。
フェイトさんは壁一面に設置されている本棚から専門書を選り分けていました。
よく使うものと、あまり使わないもの。


「こっちのは先に纏めちゃおうかな」


数冊を手に取り、箱に詰め始めたフェイトさん。それをずっと見ていたデスクの上の閃光の戦斧が静かに言葉を発します。


〈sir.〉
「何?バルディッシュ」


寡黙な相棒が自分から話しかけてきたことに驚きつつも手を止めてフェイトさんがバルディッシュを見れば、また点滅する金色。


〈Are you all right?〉
「大丈夫だよ。どうして?」
〈Disorder and the tiredness of some brain waves are confirmed.〉若干の脳波の乱れと疲労が確認されます。
「そっか・・・」


首を傾げれば、あまりにらしい言い方。
苦笑したフェイトさんは、自分よりも自分のことを分かっていると言われた己の半身に問いかけました。


「何かそれに関して支障は出てるかな?」
〈Especially, there is no obstacle.〉特に支障はありません。
「なら、大丈夫だよ」
〈・・・・・・〉


主の微笑みに沈黙を返した忠実なるデバイスは、再び口を開きます。


〈sir.〉
「うん?」
〈Take it easy.〉無理をなさらずに。


たった一言。されど一言。
フェイトさんはその一言に詰められた愛機の想いを感じ取り、困ったように、さきほどより優しく微笑みました。


「ありがとう、バルディッシュ」
〈No problem.〉


最初から全てを知っていたのは、もしかしたらこの雷神の斧だったのかも知れません。





















「・・・・・・・・、ヴィヴィオ、入ってきてもいいよ」


書斎で苦笑を洩らしながらフェイトさんが扉に視線を向ければ、そこにはちょっとだけ開いたその隙間からちらちら見えるヴィヴィオちゃん。フェイトさんの声にびくりと肩を震わせるものの、顔を覗かせてお伺いの瞳。


「フェイトママ・・・」
「いいよ、おいで」
「フェイトママっ」


仕事のために開いていたモニターを閉じて、いつもの黒い革張りの椅子に座ったまま手招きすれば駆けてくるヴィヴィオちゃん。抱き上げて小首を傾げれば、何故か微妙に涙目。


「ごめんなさい、お仕事してたのに・・・」
「ううん、大丈夫。それで、どうしたの?なのはママは?」


ヴィヴィオちゃんがさきほど帰ってきたなのはさんのところに行ったのでお仕事を再開していたフェイトさん。ヴィヴィオちゃんがまた戻ってきたということは、なのはさんと、もしくはなのはさんが何かあったと推測するのが普通です。


「なのはママが・・・」
「なのはママが?」
「おかしいの」
「おかし・・・・え?なのはママが?」
「うん」


おかしい。娘にそう表現されるなのはさん。
それが想像できないのか怪訝な顔をするフェイトさんにヴィヴィオちゃんはほんとだよ、と念押し。とりあえずそっか、と頷いたはいいものの現状を確認するためにヴィヴィオちゃんを抱き上げてその件の人がいるキッチンへと向かえば。


「・・・・・・・・・・」


何やら妙なオーラを放つ人が、そこにいました。
形容しがたいオーラ。今まで見たことがない雰囲気を纏うなのはさん。しかしその手元はテキパキ調理しているから余計に異様でした。
ね?とばかりに見つめてくるヴィヴィオちゃんに困ったような表情を返し、フェイトさんは中々こちらに気づかないなのはさんは近づいていきます。


「なのは」
「ひゃいッ!!」
「っと、・・・・ごめん、驚かせたね」


呼び声にかなりびっくりしたなのはさんが取り落としたリンゴを片手で掴み、フェイトさんは苦笑。リンゴをヴィヴィオちゃんに渡し、腕の中の少女を抱えなおします。


「なのはママ、はい」
「あ、ありがと、フェイトちゃん、ヴィヴィオ・・・」


リンゴを受け取ったなのはさんはバツが悪い表情。フェイトさんの表情が曇りました。


「体調悪い?」
「え、ううんっ、そんなことないよ?」
「・・・・・・、ヴィヴィオ、なのはママのおでこに手、あててみてくれる?」
「うん。なのはママ、おでこ!」


それを遠慮すれば余計に追求が厳しくなることは経験済みのなのはさんが動かずにいると、額に当たる子供特有の温かい体温。もう片方の手で自分の額に手をあてたヴィヴィオちゃんがうーんと唸ります。


「どう?ヴィヴィオよりも熱い?」
「んーん、熱くないよ」
「そっか、なら大丈夫かな。・・・・なのは、無理しちゃだめだよ」
「うん・・・」


頷くなのはさんの表情に、いまだに違和感を感じるフェイトさんとヴィヴィオちゃん。


「体調がいいんだったら、どうしたの?何かあった?」
「あ、何でも、ないよ」
「・・・・・。そっか」


少しあわてたなのはさんに少しの沈黙の後、薄く微笑んだフェイトさんはそこで追及をやめました。抱えられたままのヴィヴィオちゃんが再びフェイトさんを見つめます。それにフェイトさんは安心させるように今度こそ優しい笑みを向けました。


「フェイトママ・・・」
「うーん、なのはママちょっと考え事してただけみたいだから、大丈夫だよ」
「ほんと?なのはママ」
「え?」


心配顔の娘に状況が飲み込めないなのはさんの脳に響く落ち着いた声。
なのはの様子がおかしい、ってヴィヴィオが心配してたんだよ。
それは娘を抱き抱えている人の声。その人を見れば、いつもの微笑みで頷かれます。なのはさんはやっと事情を理解してヴィヴィオちゃんの頭をなでました。


「ごめんね、ヴィヴィオ。大丈夫、少し考え事してただけだから」
「・・・・」
「そうだ、デザート一緒に作ろうか」
「デザート?」
「リンゴのパウンドケーキ」
「けーき!?」


きらきらし始めたオッドアイに笑顔を向けながら、ヴィヴィオちゃんを腕から下ろして書斎に戻るフェイトさんを見送りながら、パウンド生地が膨らむのを楽しそうに見ている娘を見ながら。
なのはさんは思います。


(やっぱり、触れてこない)


思い返せば。
あの時も、この時も、その時も。
最初に触れたのはなのはさん。後から触れたのがフェイトさん。その唇が触れてきてくれたのも、あの額の一回のみ。抱きしめられたのは、あのキッチンでの一回のみ。
あとは本当にそっと、腕を、手を、指を、添えられるだけ。


「・・・・・・・・・ヴィヴィオ」
「なぁに?なのはママ」
「なのはママ、凄いこと気付いちゃったかも・・・」
「ふぇ?」


どこかまだぼーっとしたように呟くなのはさんにはてなマークを浮かべるヴィヴィオちゃん。


(・・・・・・、私が返事するまで我慢してるってことなのかなぁ)


フェイトさんの行動の理由を、なのはさんはまだ解っていません。


















昼下がり。
早めに仕事を終えたなのはさんは帰路についていました。あのことに気づいてしまったから頭を離れない疑問。
何故、触れてくれないのか。
様々な仮説、推論、考察。しかし幾ら考えたとしてもそれは予想、答えなどわかりません。だからこそ、なのはさんは確かめようとしてました。
もし、触れること自体を嫌がっているのならあんなに優しく受け入れてくれるはずがない。
ならば、今までより触れたらどうなるか。


(・・・・・・・・・で、でも・・・)


思い返せばなのはさんから触れていたこれまでも、あの返事のことが頭をちらつき、妙な気恥かしさからフェイトさんとしてきたのは触れ合わせるだけの口付け。
それ以上のことをしてはいないのです。


(ぅー・・・・ッ)


一人耳まで赤く染めてなのはさん。しかし道は無限に続くわけではなく、考えがまとまらないうちに家についてします。
ヴィヴィオちゃんはまだ学校。そして駐車場には見慣れた黒い車。フェイトさんは、家にいるようでした。
玄関の前で一呼吸。気合いを入れなおしたなのはさんが扉を開けます。


「た、ただいまー」


入れたはずの気合は声と共に外に出てしまい、少しどもりながらなのはさんは帰宅を告げます。それに呼応して家の奥から聞こえる扉の開く音とこちらに近づいてくる足音。


「おかえり、なのは」
「ただ、いま。フェイトちゃん」


執務官の制服を纏ったフェイトさんはいつものように微笑みます。いつもの、フェイトさんがそこにいました。


「疲れたでしょ?コーヒー淹れるよ」
「あ、うん、ありがと」


キッチンへと消えていくフェイトさんを追い、なのはさんはその後姿を眺めます。どんなによく見ても微笑みも、立ち居振る舞いも、全ていつものフェイトさん。
何が、違うのか。


「・・・・書斎にいたの?」
「うん、資料整理してて」


自分好みに淹れられたコーヒーを受け取り、なのはさんはフェイトさんを視線で追います。
今まで、気付かなかったこと。
カップを渡す時も、触れないようにしていること。いつもなら隣に座るのに、さり気なく少し距離をあけていること。身嗜みをその手で直してくれず、言葉で教えてくれること。
気付いてしまえばきりがなく、いつもと違うことが増えていきます。
それと共になのはさんに積る、寂寥感。


(何で・・・)


そう思って、考えてしまえば、躊躇など消えてしまいました。
飲み終えたカップをシンクに置いて戻ってきたフェイトさんに歩み寄るなのはさん。


「なのは?どうしたの?」


首をかしげるのは、いつものフェイトさん。いつもと違うフェイトさん。
なのはさんは腕を伸ばし、フェイトさんの首にそれを絡めました。触れたその身体が一瞬硬直したことにも気づいてしまいました。


「フェイトちゃん」
「何?なのは」


腰に回されたフェイトさんの腕は、触れるだけ、添えられただけ。見上げた紅もいつもの優しい色ですが、いつもと違う色。
勢いのまま、なのはさんはフェイトさんの唇に、自分のそれを重ねました。
あれから。今までは。これだけ。けど今は。
なのはさんは唇を薄く開き、フェイトさんの唇をちろりと舐めます。開けることを促すように。自ら開いてくれるように。
ちろり、ちろり。
何度も、何度も、繰り返し、誘って。
それでも開かない唇。


「・・・・・・、フェイトちゃん」


開けてくれない唇に、やっと離れたなのはさんが見たのは、ただこちらを見詰める紅。
フェイトさんの瞳には、なのはさんしか映っていません。


「フェイトちゃん」


頬を滑る指。澄んだ蒼。己の名前を紡ぐ唇。


ドクン


フェイトさんの中で何かが鼓動する音。
心の奥。暗い箱。
ダイジョウブ。
その鎖と鍵が、一瞬だけ緩んだのです。


「フェイ・・・ッ!!」


いきなり強引に引き寄せられ、フェイトさんの腕の中にいると感じ取る前になのはさんの思考を奪う唇の感触。意識を埋める、貪るような深い口づけ。



「っは、・・・ぁ、んく・・・・・」


呼吸を奪い去り、頭の中を白く染め、それしか考えさせない、感じさせない。
無意識にそれを受け入れて、応えて、求めて。
飲み下せなかったものが顎と首筋を伝い。
それでも止まらず。
二人は、あれから初めて、長く深い口付けを交わしたのです。






















フェイトさんが押し込めた暗い箱から溢れ出たもの。
それは、ただ、膨大で深い愛情。
そして、哀しみ、嫉妬、苦しみ、独占欲、支配欲、所有欲、ありとあらゆる愛に関する情と欲。


「フェイトちゃん」


その箱を開いたのは、皮肉にも、箱を作った理由。
溢れ出た想いを代弁するかのように深く口付けたフェイトさんの占めるのは、なのはさんへの、限りない愛情。


愛してる

誰よりも、何よりも

大切な、大事な人


それ故の、情。
それ故の、欲。


だから

誰にも、渡したくない


今まで抑えてきたもの。隠してきたもの。恐れていたもの。
その片鱗が姿を現してしまったのです。


「ん、・・・っはぁ、ふぇい、と、ちゃ・・・・っ」


再び鎖と鍵が箱を封じたのは、その声を聞いたから。名前を呼ばれたから。彼女が名前を呼んだから。
無理やり押し込められた想いはまた暗い箱に姿を隠し、鎖と鍵はきつく縛られ、フェイトさんの頭に再生される、さきほどまでの自分の行動。


「ぁ・・・・」
「ふぇいと、ちゃん?」


彼女に、名前を呼ばれます。
他の誰でもない、なのはさんに。
鼓膜を打つそれがフェイトさんの頭に響き、それと同時に巡る言葉。


誰よりも、何よりも、大切で、大事で、愛している人。
だから。
幸せになってほしい。
だから。
幸せになってもらうために。
私は。
私が、出来ることを。
邪魔な私を、遠ざけるために。
想いを、閉じ込めたのに。


まだ口内に残るなのはさんの味、感触。耳に残る水音、声、乱れた息。瞳に映る紅潮した頬、潤んだ瞳、濡れた唇。全部、自分のせい。


私は、何を、しているんだ。


フェイトさんはなのはさんを強く抱きしめます。肩口からくぐもった声がしても、ただ強く。
顔を見ないように。顔を見られない様に。
まるで、最後だからというように。


「ごめん。ごめんなさい、なのは・・・」
「え?」
「ごめん、・・・・ごめんね」


謝罪。
それが何に対するものなのか、なのはさんにはわかりませんでした。
今の口付けのことなのか。今までのことなのか。これからのことなのか。もしくは、全てのことなのか。


「私、これから本局に、行かなきゃ、なんだ」


掠れた声は、静かに。穏やかに。優しく。


「今日、帰らないから」


それを塗り潰す苦しさに彩られていました。


「ごめんね、なのは」


身体を離し、背を向けられる一瞬。
見えたのは、困ったような、哀しそうな、微笑み。
なのはさんは、その背中に声をかけることができませんでした。










全てを知らず。


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