幸せの言葉2



「フェイトさん、最近何かありました?」
「何で?」


執務室で補佐官の言葉に書類から顔をあげたフェイトさん。そう思われる己の行動も特に思い浮かばずに首を傾げれば、眼鏡の奥で苦笑い。


「何か、いつもに増してに仕事熱心って言うか、勤勉って言うか・・・。知ってます?ハラオウン執務官の仕事は速く正確で無駄がないって今まで以上に高評価ですよ」
「そんなつもりないんだけどな」


今度は自分が苦笑いを浮かべてフェイトさんはあごに手を当てて、一息つきます。コーヒーを一口。
漂う艶のある黒に映る自分の顔を見つめて呟きます。


「そうだな・・・・。強いて言うなら、色んなことを考えるようになったからかも」
「色んなこと、ですか?」
「うん、色んなこと」


視線を上げてほほ笑むフェイトさん。
シャーリーさんは内心溜め息をつきます。
最近のハラオウン執務官は妙に深みが出てきて尚良い、と局員内で人気に拍車が掛かっていることを知っているのです。しかしかの抑止力がある故に実害はない現状です。
その抑止力の名前など言わずもがなです。


「・・・・・また悩み事ですか?」
「うーん・・・・・」
「ため込まずに話してくださいね、何かのお役にたてるかもしれませんし」
「大丈夫、もうほとんど解決してることだから」
「本当ですか?」
「信用ないなぁ」
「フェイトさんの自分のことに関する大丈夫は大丈夫じゃないですから」


困ったように眉を下げれば、得意げに口端が上がる補佐官。


「なのはさんの受け売りです」


どうやら自分のまわりはなのはの認識で固められかけているらしい。
それにまた苦笑してフェイトさんはシャーリーさんに出来たばかりの書類を渡しました。シャーリーさんが執務室を出て行った後、フェイトさんはコンソールを叩きモニターを映し出します。そこに記されているのは、本局の局員寮の資料。


―――――航行執務官階級、優遇待遇。常時受け入れ可能―――――。


フェイトさんの目に止まるのは、その一文。
ふっと軽く笑い、フェイトさんはその資料をデータにして落としていきます。


「六課に入る前みたい」


ハラオウン家、被保護者、友人。
今はもう、独りではなく、それでも一人になる。


「アルフに怒られちゃうかなぁ」


独りの時も、独りじゃなくなった時も傍にいた使い魔の顔が浮かび、フェイトさんは椅子に背中を預けました。














そんな同時刻、高町家にて。


「なのはママ!」
「何?ヴィヴィオ」
「ヴィヴィオいもーとかおとーとがほしい!!」
「だ、だからねヴィヴィオ・・・」
「キャロお姉ちゃんに言ったら“そうなったらたいきょーにいいプレゼント贈るね”っていってくれたもん!」
「胎、教・・・」
「エリオお兄ちゃんも“ヴィヴィオの妹か弟なら、僕たちの妹か弟でもあるよね”っていってくれたもん!」
「え?」
「よくわかんなかったけどそうなるんでしょ?なのはママ」

ボシュゥ・・・

「なのはママ!?真っ赤だよ!?」
「・・・・・・・・・・・・・ぁー、もぅー・・・・・」






















「で、どっちが産休とるん?」

ブハッ!


休憩時間に会った元上司にして親友に半ば強制的に陸佐執務室に連行されたなのはさんは思わず紅茶でむせました。それをニコニコ見つめるはやてさん。


「なななななななな・・・・」
「な?やっぱりなのはちゃん?」
「そうじゃなくて!なんてこと言うの!?」
「いや、産休取る方が育休込みで仕事長く休まなあかんから」
「あ、そっか・・・・・。じゃなくて!!」


完全にはやてさんのペースに巻き込まれたなのはさんが、深く息を吐きます。落ち着け落ち着けとマインドコントロールです。リインさんは我関せずというか創造主にツッコむのがもう疲れているのでしょう、お茶請けのクッキーをもぐもぐしていました。


「そんでな、なのはちゃん」
「な、何?」
「正味な話、どうやってお腹に宿すつもりやったん?」


割と真剣なはやてさんの瞳になのはさんはぽっと頬を染めて、視線をそらします。かすかに聞こえる言葉。


「・・・・・、ミッドの技術で・・・とか、魔法とか、で」
「出来るん?」
「ゲノムの一部変換とか、部分変化魔法とかで」
「ぽんぽん出てくる言うことは、調べたんね」
「ぅ゛」
「いつ?」
「・・・・・・・・・・・・、中学くらい、の、時」
「ややわー、なのはちゃんってば計画的なオマセさん☆」
「それはやてちゃんに言われるとすっごく不満なんだけど」「リインもそう思うです」
「最近酷ない?あたしの認識」


真顔の親友と片割れに言われてはやてさんは笑顔のまま言いました。己の行動を顧みたら間違いなく仕方がないことです。
しかしそこははやてさん、何も気にせずに小首をかしげます。


「でもその方法やと申請とか審査とか検査とか色々手間かかるて知ってるやろ?」
「うん・・・・」
「そんな貴女に朗報が!!」
「ふぇ?」「はやてちゃん・・・」


キラッ☆とばかりにいい笑顔のはやてさんは言います。


「ある紙切れさえ有れば、色々めんどいもんを省いて意中のあの人の分身を宿せる技術・・・、それこそ古代文明の利器、ロストロギア!!」
「・・・・・・・・・、あのね、はやてちゃん。そんな都合のいいロストロギアがあるわけが・・・」


ため息を漏らしつつ言う自分をリインさんが遠い眼をして見ていたのをなのはさんは気づいていませんでした。まるで数日前の自分を見ているかのような遠い眼でした。
待ってましたとばかりにはやてさんの横にヴンと浮かび上がるモニター。はやてさんはさも驚いたという顔でそれを見ます。


「なんてこったー、こんなところにロストロギアの資料がー」
「はやてちゃん」


明らかに棒読みな声に、明らかに平坦な声が被ります。でもはやてさんは無視します。


「おっとー、しかも何や特殊なタイプのロストロギアの詳細資料がー」
「はやてちゃん」


さらに無視をしたはやてさんのもう片横にもう一つモニターが浮かび上がり、そこには。


「なんと総務統括官の使用許可書までー」
「はやてちゃん」


呼びかける声などスルーです。


「さらに管理局人事課所属提督・艦隊提督・聖王教会所属少将・新進気鋭若手エリート二等陸佐の付属許可書までー」


ヴンヴン連続で浮かび上がるモニターは重なり続け、ついには。


「驚くことに法務顧問相談役・武装隊栄誉元帥・本局統幕議長の同意書までー」


どう見ても一般局員が目にすることはできない書類まで飛び出しました。


「止められんなら止めてみんかいレベルの使用許可やねー」


うんうん頷くはやてさん。
そんな姿を見ていたなのはさんが、殊更の素晴らしい笑顔で言いました。


「新進気鋭若手エリート二等陸佐殿、お話聞いて?」
「ハイ」


拒否権なんてありはしませんでした。


「なんてもの用意したの!?」
「一部の人の許可書得るん大変やったんよー?」
「あまつさえ伝説の三提督にまで何してるの!!」
「やってミゼット様があら、楽しそう≠チて」
「・・・・・・・・・あの提督まではやてちゃんに洗脳されて・・・」
「ちょお待ち、まるであたしが新種のウイルスみたいな言い方止めてくれへん」
「ウイルスより質悪いですぅ」
「リインが反抗期や!」
「違います!」
「・・・・・・・ま、ええわ。で?なのはちゃん」
「え?」
「嬉しない?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、あり、がと、ぅ」
「人間素直が一番やなー」


恥ずかしそうに俯く親友を、はやてさんは微笑んで見つめました。


「あとは本人同士の申請書だけや」




















「ふぅ」

なのはさんは仕事、ヴィヴィオちゃんは学校。
誰もいない家に帰ってきたフェイトさんは、書斎で床に座り壁に背を凭れていました。
天井には何もなく、ただぼーっとそれを見上げます。


「事前手続きは済んだから、あとは正式に申請するだけ、か」


くるりと見回した書斎には執務官の仕事に必要な専門書たち。苦笑が浮かびます。


「荷物、あんまりないと思ってたけど・・・・、結構多いかも」


まとめるの大変そう、と他人事のように呟くフェイトさんはモニターを呼び出し、とあるファイルを開いていきます。そこに映るのはなのはさんとヴィヴィオちゃんの姿。
ここに引っ越してきてから撮ったもの、六課にいたころに撮ったもの、さまざまな姿を映し出していきます。
少し進めていくと、今度はなのはさんの姿。
六課前、寮生時代、中学生、小学生。自分と映った物もあれば、親友たちと映った姿もありました。そして最後の一枚。
そこには、桃子さんの腕に抱かれる赤ちゃんの姿。
その写真はフェイトさんがまだ小学生の頃、桃子さんにこっそり見せてもらったものでした。


「桃子さん、凄く優しい瞳をしてますね」
「あら、フェイトちゃんを見るリンディさんの瞳も同じよ?」


ハラオウン家に引き取られて間もない頃。
母親にどう接していいかわからない時期のことでした。フェイトさんがその写真の光景に惹かれたことを感じ取った桃子さんからもらった一枚。それが、これ。


「なのはも、きっと同じなんだろうな」


幼子を抱き上げるなのはさん、それはきっと桃子さんと同じような姿。
ヴィヴィオさんと一緒にいる時のなのはさんを思い浮かべ、フェイトさんはそう考えます。
と、そこで扉が開く音と、元気な帰宅を告げる声が部屋の外から響きました。フェイトさんがモニターを閉じ、立ち上がろうとした瞬間には書斎をノックする音。
もはや立ち上がることを諦めて、頬を緩めて返事をすれば素早く開く扉。


「フェイトママっ!!ただいまっ!!」
「うん、おかえりヴィヴィオ」


満面の笑みで駆けてきたヴィヴィオちゃんをやんわりと受け止め、フェイトさんは小さな体を抱きしめます。


「フェイトママ、帰ってくるの早かったんだねっ」
「うん、ごめんね、出迎えなくて」
「ううん、ヴィヴィオの方が早かったから!」
「よく私がここにいるってわかったね」
「すごいでしょ?」
「うん。凄い」
「えっへん!」


得意げなヴィヴィオちゃんの頭をなでてフェイトさんは瞳を細めます。
その後、夕食の準備をするまでの間、フェイトさんに背を預けて膝の間に座り、本を読んでもらっていたヴィヴィオちゃん。
二人のその姿が。
フェイトさんが眺めていた写真のものと同じ雰囲気だと、フェイトさんに教えてくれる人はいませんでした。



















「お母さんはどっちでもいいんだけど、なのははどっちがいいの?」
「へ?」
「子供の性別」

ブハッ!!


何だかデジャヴを覚える感じに紅茶でむせたのは実家に帰省していたなのはさん。つい先日用があるとかで海鳴市に戻っていた親友が「桃子さん会いたがってたでー」と伝えてきたのでフェイトさんが仕事でヴィヴィオちゃんが学校の昼間にちょっと里帰りしていたのです。
そして母親と近況を含めた会話をしているうちに何の脈絡もなく落とされた爆撃が、先の言葉。


「・・・・・・・・・・・・・・ッ!!ッ!!」
「そんな金魚みたいに口パクパクしてもお母さんわからないわよ?」
「な、なん、何でそんな話してくるの!?」
「はやてちゃんから聞いたから、ヴィヴィオちゃんが弟か妹欲しがってるのよね?」
「はやてちゃん・・・ッ!!」


煌めく笑顔の元上司がなのはさんの脳裏を通り過ぎ、何ともいえない気分に駆られるなのはさん。きっとあることないこと伝えたに違いありません。それが八神元部隊長です。


「それで、なのは。はやてちゃんの話云々はいいとして・・・。なのはは子供、ほしいの?」
「なななななのはに子供だと!?相手は誰だ!?滅してくれる!!」
「士郎さん、静かにね?」
「・・・・・・・・・」


妻の爆弾発言に今までフリーズしていた士郎さんが高町家の頂点の素敵な笑みに言葉に消されました。逆らうことなど何人もできません。


「子供・・・」
「まあヴィヴィオちゃんもいるし、もう母親だけど・・・。もう一人欲しい?」
「・・・・・・・・・・・・」
「欲しいのね」


顔を真っ赤にして俯く姿は答えなど聞かずともわかりました。桃子さんはのほほんと微笑みます。それに唸るような声しか返せないなのはさん。


「もうなのはは自分のことを自分で決められるって知ってるから、特に何も言わないわ」
「お母さん・・・」
「ただ、幸せになってくれたらそれでいいの」
「うん・・・」


母親の心に少し涙ぐむなのはさん。琥珀色に揺らめく父親が淹れてくれた紅茶に視線を落とし、考えるのはあの人のこと。


「そっちの制度とかほとんど知らないけど、はやてちゃんとかも協力してくれるんでしょう?」
「うん、してくれてる」
「だったら、何も迷うことないんじゃない?あとはなのはと相手の気持ち次第よ。まあ、ヴィヴィオちゃんにも関係してるけど、ね」
「ヴィヴィオ、の、本当の親にも、なるんだよね」
「そうねぇ。でも大丈夫、なのはが選んだ人だし、ヴィヴィオちゃんはなのはの娘だもの」
「うん、・・・私の、娘だもんね」


微笑み合う母子。その隣で静かにしていた士郎さんが、真面目な顔でなのはさんを見つめました。


「なのは」
「お父さん?」
「誰かは知らんが、とりあえず・・・、挨拶には、連れて来い。話はそれからだ」
「・・・・・ハイ」
「事後承諾でもお母さんは全然かまわないわよ」
「お父さんは許さん!!」
「・・・・・・・・・」


立ち上がりウガーッとなってる父親を苦笑いで見ていたなのはさんですが、なのはさんにしか聞こえない声量で呟いた桃子さんの声が届きます。


「うちになら何度も来てるじゃない」
「へ?」


疑問符を浮かべて桃子さんを見れば、そこには神々しいまでの笑顔。


「それにフェイトちゃんなら誰も文句言えないわよ」
「お母さんッ!!」


やはり桃子さんはなのはさんの母親です。
















ピピッ

「なのは?」


本局で仕事中にフェイトさんのプライベート回線が告げたのはなのはさんからの通信。約束等はなかったと首をひねりつつ回線を開けば、少し困り顔のなのはさんの姿。


「どうしたの?なのは」
“あ、ごめんねフェイトちゃん、仕事中に”
「ううん、デスクワークだし、そろそろ休憩にしようと思ってたから大丈夫」
“そう?ありがと”


安堵の笑みを見せるなのはさんに微笑み返し、フェイトさんは続きを促します。


“ヴィヴィオが本局に来てるみたいなんだけど、・・・”
「え?学校は?」
“午前中であがりになったみたい。それで一人で来ちゃったみたいなの”
「一人で・・・」


途端に心配と困惑を混ぜたような表情になるフェイトさんに内心やっぱりと苦笑いを浮かべて、なのはさんは問います。


“通信入れても気づかないし、私のところにも来てないし。フェイトちゃん、何か連絡入ってない?”
「ザフィーラには聞いた?」
“聞いたんだけど、一緒にはいないって”
「・・・・・・そっか」


ヴィヴィオちゃんが懐いている守護獣にもその居場所はわからない様子。フェイトさんはしばし俯き、ある結論に至りました。


「無限書庫」
“え?”
「・・・・・・。なのは、ユーノに連絡したらどうかな?」
“ユーノ君・・・、あ、無限書庫!”
「うん、たぶんそこだよ」
“そっか、無限書庫のこと忘れてた・・・”


娘の本好きを忘れていたらしいなのはさん。それにフェイトさんは顔に出して苦笑し、今朝のやり取りを思い出します。


「なのは今日の仕事確かもう終わりだよね?そのままユーノとお茶でもしてきたら?ヴィヴィオも一緒に」
“うーん”
「ゆっくり話すこと、中々ないでしょ?」
“そう、だね。ヴィヴィオにも聞いてみるよ”
「うん。・・・・・・・勝手に本局に来たこと、ヴィヴィオをあんまり怒っちゃだめだよ?」
“わ、わかってるよっ。ありがと、フェイトちゃん”


さり気に釘を刺されたことに頬を染めたなのはさんとの通信を切り、フェイトさんは椅子に身を凭れて息を深く吐き出します。紅を閉ざし、呟いた言葉は口の中で霧散しました。


これで、いいんだよね


誰にも聞こえないそれに、答える声はないのです。





















『フェイトおねーちゃん!!』
「久し振り、カレル、リエラ」


実家にある資料を取りに戻ったフェイトさんを出迎えたのは甥と姪、カレル君とリエラちゃんでした。フェイトさんに子守をしてもらった子供の宿命とも言うべきか、見事にフェイトおねーちゃん大好きに育っている二人に、玄関でじゃれつかれていると家の奥から現れたのは双子の母親。


「おかえりー、フェイトちゃん」
「ただいま、エイミィ」


義姉であるエイミィさんに引き留められ、ちょっとだけティータイムを取ることになったフェイトさんは自身が持ってきたお土産に夢中な甥と姪を見て頬を緩めます。


「いやー、アルフがいてくれて助かってるよ。二人相手はタイヘンでね」
「アルフが自分から言ってたことだから、気にしないで。本人も楽しそうだし。・・・・そういえば、アルフと、母さんは?」


フェイトさんの言葉にピシリとエイミィさんが固まります。それに首をさらに傾げたフェイトさん。しばしの沈黙の後、ふっと暗い影を背負い義姉は口を開きます。


「・・・フェイトちゃんがこっちにくるって連絡を受けた五分後に本局に呼び出しがあってね・・・、無視するわけにもいかずに駄々捏ねるリンディさんをアルフにお願いして転送ポートに・・・。物凄く手を焼きましたよ、ええ」
「・・・・・・・・・・あ、あはは」
「フェイトがッ!久しぶりの画面越しじゃないフェイトに会えるのになんてKYなの協議会は!!って大変ご立腹でした」
「・・・・・、また後日改めて帰ってきます」
「うん、そうして」


母親のその時の姿を想像して苦笑いを浮かべるフェイトさん。同時に頭を抱える兄の姿もオプションとばかりに浮かぶのは仕方のないことなのでしょう。
そしてエイミィさんは先のフェイトさんの言葉に、当たり前のように付け足します。


「その時はなのはちゃんとヴィヴィオちゃんも連れてきてね」
「それは難しい、かも」
「え?」


予想していなかった小さな呟きにエイミィさんが目を丸くしてフェイトさんを見れば、一瞬だけ、ともすれば気のせいだったかと思わせるほどの瞬く間、困ったような、色んな感情が混ざった表情は微笑みに変わります。いつものフェイトさんの表情。
違和感を流してしまうかのようにフェイトさんはソファを立ち、鞄を手にしました。


「もう行かなきゃ。エイミィ、コーヒーありがとう、美味しかった」
「あ、うん。気をつけてね」
「エイミィも、無理しないでね」


息子と娘にも挨拶をして去っていく義妹の背を見送り、玄関に佇んだままエイミィさんはあごに手を当てます。再生されるのは、あの微かな言葉。


「・・・・・・・・・え?もしかして、もうなのはちゃんが・・・・・。安定期まで安静にってこと?」


色々なものが巡り巡っているとは、渦中の人は知る由もありません。























「・・・・、フェイトちゃん、ちゃんと食べてる?」
「え?いきなりどうしたの?」


自宅のソファでクッションを抱きしめつつ、フェイトさんがコーヒーを入れる後ろ姿を見ていたなのはさん。そして何となく感じ取ったのは、いつも以上の線の細さ。


「食べてるよ?」
「家にいる時はね。でも仕事中は?」
「食べてるよ?」
「シャーリーに確認取るよ?」
「・・・・・・・・、食べてるよ?」

ピ、ピピ、ピ・・・

「実はちょっと食事抜いてたりしました」
「素直でよろしい、でもそれはだめです」


無言で端末を開いたなのはさんにやっと真実を口にしたフェイトさん。苦笑いを浮かべて、怒ってますオーラを発する人にコーヒーを手渡します。フェイトさんが手を引くと同時にカップを持っていない方の腕を伸ばすなのはさん、その先にはフェイトさんのほっぺ。


むいっ

「・・・・、いひゃいれふ」
「・・・・・」
「にゃにょふぁ」
「・・・・・」
「ごみぇんにゃふぁい」


八の字に下がった眉を見て、やっと戒めの指を解いたなのはさんは未だ怒ってますオーラ。少し赤くなった頬を擦ってそれを困ったように見るフェイトさんを、自分の隣へと促します。


「もう、ちゃんと食べなきゃだめって言ってるでしょ」
「お腹、あんまり空かないから」
「フェイトちゃんが元々小食だって知ってるけど、それじゃ体壊すよ」
「栄養面は管理してるから大丈夫」
「そういう問題じゃないの」


溜息を吐き、カップを置いたなのはさんが今度は両腕を伸ばしました。その行動の結果などわかりきっています。いつものこと。日常。当たり前のこと。だからこそ、なのはさんは気付かなかったのです、気付けなかったのです、気付かせてもらえなかったのです。自身にふわりと抱きついてくるなのはさんに、フェイトさんが一瞬だけ無の表情を取ったことを。


「・・・・やっぱり、少し痩せたでしょ」
「そうかな」


抱きしめるわけでもなく、引き剥がすわけでもなく、フェイトさんの腕はなのはさんの背中にゆっくりと添えられました。これがもし、いつも以上の強い力で抱きしめたのであれば、肩を掴んで引き離したのであれば、なのはさんが気付いたのかもしれません。
ただ、フェイトさんは優しく、いつもの、いつも以上の優しさでなのはさんを包み込んだのです。


「ちゃんと食べてよ?」
「うん、・・・」


自身の胸元にすり寄る人に、決して気付かれぬように。


「もう、心配させないようにするね」


本当の意味に、誰も、気付かないように。




















平日。
学校から帰ってきたヴィヴィオちゃんは暇を持て余していました。宿題もなく、アイナさんもおらず、ママたちもいない。そんなヴィヴィオちゃんは書斎でフェイトさんが使っている椅子に座り足をプラプラさせていました。


「つまんなーい・・・」


書斎にはフェイトさんが使う難しい専門書が並ぶ中、ヴィヴィオちゃん用の絵本もまぎれてはいたものの、一人で読む気にはならないようです。
なのはさんが帰ってくるまであと一時間ほど。ヴィヴィオちゃんはうんうん悩み、ぴこんとサイドに結われた髪が揺れたかと思えば端末を開きます。


「えっと、短縮回線・・・」


執務官なママにおねだりして作ってもらったヴィヴィオちゃん用の回線。それが繋ぐのは、執務官なママの被保護者たちの端末。ちなみに作ってもらう時にしたお約束は、二人の邪魔をしないこと。
しかしあの人に育てられた二人が、ヴィヴィオちゃんからの通信を喜ばないわけがないのですが。


ピピッ

“ヴィヴィオ?”
「こんにちはっ、キャロお姉ちゃん」


回線が繋がれば、そこにはキャロさん。奥にエリオ君の姿もありました。


“こんにちは。どうしたの?いきなり”
「あ、・・・・お仕事、忙しい?」
“大丈夫だよ、僕たちも休憩中だったから”


迷惑だったらどうしようと窺うような表情に答えたのは、端末の方にやってきたエリオ君でした。キャロさんもその隣で安心させるように微笑みます。
それに表情を明るくしたヴィヴィオちゃん。事情をたどたどしくも説明すれば、じゃあ僕たちとお話してよっか、と嬉しい提案に笑顔で頷きます。


“それにしても”
「何?」
“ヴィヴィオは本当にママたちのことが大好きなんだね、話す度に思うよ”
「ふぇ?」
“だって、自分の話以外は全部ママたちの話だよ?”


その指摘に何だか恥ずかしくなったヴィヴィオちゃんは、口を尖らせて二人から視線をそらして呟きます。


「ヴィヴィオだけじゃないもん」
“え?”
「なのはママも、フェイトママの話ばっかりしてたもん」


まるで、だからヴィヴィオもママたちのことを話している、とでも言い訳するように。それに首をかしげる二人に、ヴィヴィオちゃんは口を尖らせたまま。


“なのはさんが?”
「この前ユーノさんと一緒にお茶飲んでた時、そうだったもん」
“そうなんだ・・・”


ヴィヴィオちゃんが話し始めたのは、先日勝手に一人で本局の無限書庫に行って、なのはさんに見つかった時のこと。予想していたよりも怒られなかったことに首をかしげたこと。カフェテリアのミルフィーユが美味しかったこと。なのはさんとユーノさんが話していたこと。


「ユーノさんも、なのはママは僕と話してる時のほとんどがフェイトママのこと、って言ってたもん」
“ふふっ、フェイトさん、長期任務多いからね”
「それではやてちゃんにからかわれるんだよ、って言ってたもん」
“ああ、八神二等陸佐だったら喜々としてやりそう・・・だね”
“うん、すっごく嬉しそうにやりそう・・・”


苦笑を浮かべた二人は、ちらりとこちらを覗き見たそのオッドアイに優しく微笑みます。


“それじゃ、ヴィヴィオがママたちの話をするのは、なのはさんに似たんだね”
「そうなの!」
“うん、そうだ”


どうやらご機嫌は直った模様。保護者と同じく子守には強いキャロさんとエリオ君。それからしばらくして、ヴィヴィオちゃんは二人に問います。


「キャロお姉ちゃんとエリオお兄ちゃんは、寂しくないの?」
“どうして?”
「だってヴィヴィオよりも、フェイトママと会えないでしょ?」
“まあ、そうだけど・・・。でもフェイトさんともよく通信してるし、会えなくても、フェイトさんの優しさは感じることができるから”
“寂しい時は、やっぱりあるけど・・・”


フェイトさんが帰ってくる場所にいる自分も寂しいのに大丈夫だと言う二人に何で、と視線で伝えれば二人は、二人の母親と同じ微笑みを浮かべてくれました。


“それに”
「それに?」
“こうやってヴィヴィオが通信してきてくれるから、寂しくないよ”


目を丸くするヴィヴィオちゃんに、顔を見合せて少し笑うとその理由を教えてくれます。


“ヴィヴィオは僕たちの妹みたいな存在だからね”
「いもーと?」
“そう、妹”
「キャロお姉ちゃんとエリオお兄ちゃんが、ヴィヴィオのお姉ちゃんとお兄ちゃん?」
“そう思ってくれるなら、嬉しいかな”
「思う!!」
“ありがとう、ヴィヴィオ”


力いっぱい頷いたヴィヴィオちゃんを見て、二人は頬をさらに緩ませます。


“ヴィヴィオも、お姉ちゃんになれるといいね”
「なるもん!!」
“そうなったら、私たちにも弟か妹が増えるね、エリオ君”
“うん、だってなのはさんの子供だもんね”
「よくわかんないけど、そうなるよ!!」


根拠もないし理解もしていないヴィヴィオちゃんがこれ以上ないくらいに断言した姿を見て、兄と姉は苦笑いを浮かべました。



















本局の廊下、吹き抜けの上階。
補佐官を伴わずにフェイトさんは歩いていました。その姿は執務官候補生のみならず局員憧れのハラオウン執務官の姿そのもの。
誰も、その変化に気づいてはいないのです。
本人さえも、その変化に気付かないふりをしているのです。
想いを心の奥の暗い箱に詰めて。
大丈夫。
その言葉を、鎖として。
大丈夫。
その言葉を、鍵として。


(次の長期任務の前に、荷物まとめないと)


休憩室の扉をあけ、誰もいないそこを眺めて考えるのは今後のこと。荷物整理。申請書。引っ越し。任務。寮。そして、大切な人のこと。


(大丈夫。なのはが、ヴィヴィオが、幸せなら。私は大丈夫)


俯いたフェイトさんの視界の隅に、慣れ親しんだ青と白、そして栗色。
反射的に視線でそれを追い求めれば、そこには。


「・・・・・・・・・・・・・・なのは、と、ユー、ノ」


なのはさんと、その隣にいるユーノさん。
人が居ないここから見下ろす、局員が行き交う階下の二人。
フェイトさんは二人の進路が自分が今居る階であろうことを予測します。


(一応、声かけようかな)


そう思いながら改めて二人の姿を紅い瞳に映して、それを脳で認識します。
瞬間、フェイトさんの中で、何かが波打ちました。


「ぇ・・・?」


動きを止め、自身の掌を見つめても何も感じず、再び視線を上げて。


ドク ン


二人を、なのはさんとユーノさんをその瞳に映すと共に波打つ、鼓動するナニか。
迫りくる焦燥感に似たものに、フェイトさんは二人から身を隠すように誰もいない休憩室に身を滑らせて扉をロックします。


  ドクン
    ド クン
ドク ン


溢れだしそうなそれを押さえつけるようにフェイトさんはその場に座り込んで、胸元の服をきつく握りしめ、瞼を下しました。
暗闇に反響する、鼓動。木霊する、思考。


違 う、  違う。
こんな の、  違 うんだ。
今ま で は、出 来て  たのに。
今  ま でと、少 し変わ るだ け なのに 。
私は、二 人に 、普 通に挨拶 して、
仲  がいい ね、って言  わなき ゃ。  お茶 して き たの、って。
そ れで、
ごめ んね、  邪 魔しち  ゃって。
それ じ ゃ、私は も う行く  ね 。そ う言わな  きゃ。
だ めな  んだ。
言わない と。   言 わ な く ち ゃ 。


ノイズ混じりの、強弱も出鱈目な、己の言葉。
頭を駆け巡る声に、さらにフェイトさんは瞳を強く瞑ります。まるで、それを表に出すことを拒むかのように。


「言わなきゃ、だめなのに」


漏れたのは、掠れた声。


「私じゃ、だめ、だから」


零れたのは、一筋の雫。










全てが解らず。


inserted by FC2 system