アフター5
夜の帳が完全に下り、残すは就寝ばかりといった時刻。
学園の宿題も終えたヴィヴィオちゃんはスリッパをぱたぱたと鳴らしながら廊下を進んでいました。目的の扉の近くまで来ると、足音を殺して、静かにそれでもどこか急いでドアノブに手をかけます。
その部屋が割り当てられた役割は、両親の寝室。
なんということでしょうか、まさかヴィヴィオちゃんが両親の寝室にこっそり入るなんて!!とかそんなのは杞憂であり、間違いです。
両親には気配でばっちりばれるでしょうし、何よりヴィヴィオちゃんはここに入ることを許されているのです。そしてヴィヴィオちゃんがここをこの時間帯に訪れる理由なんてひとつだけでした。
「んふふー。・・・・、あれ?」
期待に満ちた笑顔は、フットライトにぼんやりと浮かび上がるキングサイズのベッドを見て驚きに変わります。
首を傾げて数秒、リビングに方向転換。
そこにいたのはどこかそわそわしている母親でした。
「なのはママ」
「あ、何?ヴィヴィオ」
夕食を食べ終えたあたりから、正確にいえばある連絡が入ってから開いては閉じ、閉じては開くを繰り返しているモニターから娘に視線を移すなのはさん。
そんななのはさんの姿に苦笑して、ヴィヴィオちゃんは問います。
「ステラって、もう寝たんだよね?」
「結構前に寝かしつけたけど、どうして?」
「ベッドに居ないんだけど」
「え?」
可愛い妹にお休みを言おうと、寝顔を見ようと、あわよくばお休みのちゅーとかしちゃおうと考えていたヴィヴィオちゃん。むしろ習慣です。
その妹がベッドに居ないと言われたなのはさんが首を傾げます。
「丸まっててクッションと見間違えたとか」
「私がステラを見間違えると思う?」
「そうだよねー。・・・、トイレかな」
「さっき見たけど明かりついてなかった」
「警告とか受けてないんだけど」
「この家に侵入するとか無理だよね」
「だよねー」
「・・・・・。どこかな」
「どこだろ」
最悪のパターンまでちょっとだけ思考をやってすぐ打ち消します。
時空最強のインテリジェントデバイス×2が警備の中核を担うこの家はもはや普通の家のセキュリティではありません。機密研究所以上です。
親子そろってそっくりに首を傾げて、なのはさんは首元に光る紅玉に声をかけます。
「レイジングハート」
be in study.¥総ヨかと
当セキュリティは人物追跡も可能です。
なのはさんとヴィヴィオちゃんが書斎にたどりつけば、少しだけ開いた扉と、その隙間から微かに漏れる光で安堵の息を吐きました。
やはり、心配なものは心配なのです。とても心配なのです。
中を覗きこめば、革張りのソファの上、パパの部屋着に包まって船をこぐ幼子を発見するに至りました。
かくん、と明るい栗色が揺れてぐしぐしと目元を擦っていました。
ヴィヴィオちゃんが呟きます。
「ぇー、なにあれ、かわいー」
「姉馬鹿だね、ヴィヴィオ」
「そういうなのはママは?」
「娘が可愛いのは当たり前」
「親馬鹿ー」
言い合って笑い合い、二人は書斎へと入っていきます。
それにびっくりした幼子、ステラちゃんはすぐに包まっている部屋着をぎゅっと握ります。
「ステラ?」
「・・・・・」
「もうお休みしたのに、どうしたの?」
なのはさんはステラちゃんの前にしゃがみこみ、優しく聞きます。
ちらりと姉を見たステラちゃんは、姉が微笑んでいることを見てとると、ゆっくり、小さく答えました。
「おきてる」
「?」
「ぱぱ、・・・」
ぎゅっと、握り直される小さな手。
おきてる。ぱぱ。
眠いせいかいつもより余計に舌足らずな二つの言葉から推測されること。
つまりは。
「ステラー、フェイトま、・・・・パパが帰ってくるの何時かわからないんだよ?」
「おきてる」
「でも、ステラおねむだよね?」
「ちがうもん」
ぐしぐしと擦られる目元。
眠気のせいか少し潤んだ臙脂には決意。
頑固であることは、両親譲りです。
「おひるね、いっぱい」
「でも眠いよね?」
「ねむくない」
「ほら、手もぽっかぽかだよ?」
「ぱぱのふく」
頑なな次女。
顔を見合わせた母親と長女はなんとか説得を試みていました。
幼い子供が無理に起きているのはよくないのです。
「ほら、寝よう?」
「や」
「でも」
「ぱぱに、おかえり」
「明日の朝でもいいと思うよ?」
「やあっ」
眠いせいも相まっていつもとは違い聞きわけないステラちゃん。
眠気とは違う意味で瞳が潤んできたことに気付いたママとお姉ちゃんはほんのり焦り始めていました。
「やぁだぁっ」
「ステラ。ステラが眠いの我慢してると、ママも心配だし、パパも心配するよ?」
「ぱぱぁっ」
「・・・・」
「いや、あの、なのはママ、そんな目で見られても私、こういう状態のステラあやせない」
「頑張ってお姉ちゃん!」
「・・・・・・。えと、ステラー?」
「ぱぱ、ぱぱぁっ」
「駄目です、ママ」
「うーん・・・」
ほとほと困り果てる二人に、ねるのやだ、あいたいの、ぱぱ、と連呼しているステラちゃん。
稀に見る駄々っ子モードです。
長期航行に行っている間はほとんどこんなことはないのですが、きっと今日パパが帰ってくると聞いてしまったからなのでしょう。
三人は気付いていません、紅玉がちかちかと瞬いていることに。
「ステラ」
凛とした、声。
ぴたりと止まった空気。
蒼、赤と緑、臙脂、三色が丸くなり、書斎の出入り口を見れば、微笑んだ紅。
その新たに現れた人物はゆっくりとソファに、ステラちゃんに近づいて、伸ばされた小さな腕を見てとり、大きすぎる部屋着に包まる身体を優しく抱き上げます。
「ぱぱ、おかえりなさい」
やっと言えたステラちゃんの言葉は。
「うん、ただいま、ステラ」
嬉しそうに頬を緩めたパパに届きました。
ほしかった言葉ももらい、満足と安心に包まれたステラちゃんからすぐに寝息が聞こえ始めます。
それをしばらく見つめていたパパ。出張から帰ってきたフェイトさんは周りの妙な雰囲気にやっと気付きます。
なんだか呆れられたような、不満そうな、微妙な空気です。
「えーっと、ただいま戻りました。あの、とりあえずステラをベッドに連れて行きたいなー、なんて」
順番を色々間違えた。
そう、どこか口端が引きつっている困ったような笑顔でフェイトさんは伴侶と長女に向けます。
先に口を開いたのはヴィヴィオちゃん。
「おかえりなさい、フェイトママ。・・・・、ステラは、私が連れていくよ」
「ただいま、ヴィヴィオ。それじゃ、お願い」
「りょーかい」
「明日、お土産渡すね」
「うん、楽しみにしてるね」
ヴィヴィオちゃんからの迎える声にまた嬉しそうに微笑み、フェイトさんはステラちゃんを抱き渡します。
「おやすみ、ステラ」
抱っこしたステラちゃんの額にちゅーをしていたヴィヴィオちゃんは気付いてしまいます。
こちらを見る紅。とっても微笑ましげで、何だか羨ましげなその色。
「・・・、フェイトママはよくほっぺにちゅーしてもらってるじゃん」
「え?あ、うん、ステラにはね」
「ステラには?」
どうしたの、何でそんなことを。
そんな風に首を傾げるフェイトさんを数秒見つめたヴィヴィオちゃんはさらに気付いてしまったのです。
フェイトさんが羨ましそうに見ていたのは、自分ではなく、妹だということを。
(そ、そりゃあ、もうおやすみのちゅーとかしてない、けど)
羞恥と、色々混じった思考が駆け巡り。
「フェイトママ、屈んでっ」
「え?」
「早く!」
「う、うん」
「なのはママも屈む!」
「ふぇ!?はいっ」
両親の頬に一瞬の感触。
目を見開けば、駆けていく金色の後ろ姿。
「お、おやすみ!」
扉が閉まる前に見えた顔は、真っ赤でした。
ぽかんと閉まった扉を見ていたフェイトさんが耐えきれないというように小さく笑う姿に、今まで何も言わなかったなのはさんがやっと口を開きました。
「フェイトちゃん」
「うん?」
「顔、ふにゃふにゃしてる」
「仕方ないよ、嬉しいから」
その行動は流れるように。
自然に重なった唇と、繋がれた片手。
至近距離に紅と蒼。
「ただいま、なのは」
「おかえり、フェイトちゃん」
今日、一番幸せに溢れた言葉を交わします。
「何で、私たちが書斎に居るってわかったの?」
「バルディッシュに教えてもらった。レイジングハートから、ステラがぐずってるって連絡も受けてたしね」
「・・・・、いつの間に」
目の前の人とは別の意味で己の半身でもあるデバイスを見つめれば、どちらも瞬く不屈の心と雷神の戦斧。主想いな、デバイスたち。
「なのはたちには申し訳ないけど、ちょっと嬉しかったな」
「ステラがぐずってること?」
「うん、私、待っててもらってるんだなぁって」
とても嬉しそうにつぶやくフェイトさんに、なのはさんは少しだけ不服そうに、漆黒の制服を纏う身体き抱きつきます。
「な、なのは?」
「私も、待ってたんだけどなー?」
「あ、・・・」
「とーっても、待ってたんだけどなー?」
むくれた声に少しだけうろたえたフェイトさんは、本当に、心から嬉しそうに微笑んで抱き着いている身体を抱きしめ返しました。
耳元で、伝えます。
「お待たせしました」
返ってきたのは、フェイトさんの一番好きな笑顔。