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キャラの性格や人物像に過度の歪曲があります
また、人道的に良くない表現もありますのでご注意ください
任意の上で、御覧ください












光あれ。
彼の神は最初にそう言ったらしい。
最初から闇があったのか、そうではないのか。それはわからない。
しかし光射すところにモノがあれば影ができ、闇が出来る。
モノが増えれば増えるほど影か重なり、重なり、重なり。
闇は深く。


カンカン!!

「落札!!」


ハンマーの打ち下ろされる固い音と司会者の声が響いた。
それと共に喜びと落胆の声。
眼下で繰り広げられる狂乱の宴。闇の世界で行われるオークション。


「つまらないよ」
「つきあいなんだから、仕方ないよ?」
「そうだけど・・・」


溜息を吐き捨てた蒼い瞳の少女と、苦笑を洩らす紫紺の瞳の少女。
子供と大人の境界にいる少女たちは、会場で一番高い位置に座り澱んだオトナタチを見下していた。
この世界の双肩である二人の家。その跡取りではなくとも、その家の者である二人。


「くだらない品物・・・」
「一応有名な画家の絵だけど」
「どこから来たのかもわからないものだよ?」
「何を踏みつけてきたのかも、わからないしね」


運ばれてきた道は何で彩られていたのか。
何も知らないコドモと、知りすぎたオトナの間の少女たち。
色彩に満ちた世界はいつからか灰色に。


「さあ!紳士淑女の皆さま!!今宵の目玉商品のお披露目にございます!!」


儀礼用の仮面をつけた司会者が声を張る。
意味のない仮面をつけた客陣がざわめく。
仮面をつけない二人が見下す。


「月光に煌めく金の髪。ルビーとエメラルドを嵌め込んだが如き瞳。数十年に一度の、いえ、このオークション始まって以来の上物にございます!!」


鮮赤の布を取り払われ、鳥籠を模した鉄牢には十にも満たない少女が二人。
黒いワンピースを纏い、光のない瞳が周囲に向けられたが何も映りはしない。


「鑑賞、愛玩、転売。お客様のお好きに!!」


値が跳ね上がる。
二倍、さらに三倍、さらに四倍。五倍。十倍。そこからは徐々に。
上座から見下ろす二人は閉じ込められた小鳥を眺める。
紅と翠を、蒼と紫紺が捕らえた。


「すずかちゃん」
「うん?何?なのはちゃん」


仮面がない二人は、仮面を剥がした笑みを浮かべる。


「たまには、いいよね」
「私たちの力も、みせておかないとね」


現在値の倍を現す手を、二人は同時に挙げた。

















カンカン!!

「落札!!」


ショウヒンが競り落とされたことを告げる声が響く。
だが籠の中の小鳥たちはそれを理解はしていなかった。
物心ついた時から色のない世界。
何度目かわからない闇を取り払われた後に見たのは鉄格子越しの仮面の群れ。どれも同じ、どれもモロクロのヒトタチ。


「貴女様方に飼われる小鳥たちとは・・・、なんと羨ましいことでしょう!!」


舞台にいる仮面が興の入った声を上げる。
小鳥よりもセカイを知らない雛鳥はそれでも悟る。次の鳥籠が決まったことを。それが最期まで続く鳥籠かどうかはわからないが、ソトには飛びたてはしない。
ソトは知らずとも、鳥籠の周りならば誰よりも知っている雛鳥は、無理に羽ばたいて羽を傷付ける愚行など、しない。


「では後ほどお屋敷にお届け致しますので」


雛鳥たちは瞼を下ろす。
また煌びやかな鮮赤に包まれて闇から闇に移されるのを待つのだ。今までそうだったように。


「その必要はないよ」
「うん」


だが今日は、これまでと違った。
瞼を上げる。
黒い線の入ったセカイで群れが割れる。一番高い所から一番低いこの場所に続くの道。
仮面をつけていない人物が、二人。
舞台を降りるかのように、こちらに向かってきていた。


「い、いけません!そのようなこと!!」


ショウヒンを並べるこの舞台に立とうとする二人を止めようと、司会者が慌てる。
この舞台は彼女たちの舞台ではないのだ。


「この子たちは、もう私たちのものでしょう?」
「何も問題はないよね?」


だが彼女たちは止まらない。
止めることなど出来ない。この場にいる誰もが、二人には敵わないのだから。


「鍵」


鳥籠の扉に絡みつく鎖に手を触れた栗色の髪を持つ彼女が、籠の隣に立つアシスタントに短く告げる。


「言うこと、聞けませんか?」


紫の髪を持つ彼女の一言で、顔を青くしたアシスタントが鍵と鎖を取り払う。
誰も何も言えない。見ているしかない。


「御苦労さま」
「下がっていいよ」


畏まり恐怖で固まるアシスタントに視線もやらず、二人は鳥籠を開け放つ。
雛鳥たちは見上げる。
籠を開け放った新たな飼い主を。


「私はこっちの子がいいな」
「丁度いいね。私はこっちの子だから」


紅は蒼を。
翠は紫紺を。


『おいで』


セカイで初めて認識した色。
















下ろされたのは純白のシーツの上。
ベッドというものを使ったことがなくとも上質だと思わせるキングサイズの寝台。
ふかふかのそこに下ろされた紅い瞳の雛鳥は、自分をここまで連れてきた人物を見上げていた。
あの宴の会場からこの屋敷についてからのことを思い出す。


「ただいまー」
「おかえりなさいませ。・・・・な、なのは様!その少女は・・・!?」
「競り落としてきたの。ああ、私のポケットマネーから出すから心配しないで」
「お館様が何とおっしゃるか・・・!」
「うるさいなぁ・・・。この屋敷には私しかいないんだし、ばれなきゃ大丈夫だよ」
「しかしっ」
「この屋敷の使用人が何も言わなきゃ、ばれないよ?」
「・・・・・!!」
「意味、解るよね?」


様付けで呼ばれ、他の者が従っていた。
つまりはこの家の中で、偉い人。外でも、ということを少女は知らない。


「さて、と」


明かりを灯さない部屋には青白い月明かりだけが四角く差し込む。
闇に慣れた瞳には彼女の表情はよく見えた。


「言葉、喋れる?」
「・・・・」
「・・・・・私はなのは。呼んでみて」
「・・・・・」
「なのは。わかる?」


この館の主、なのはが少女に首を傾げる。
ぼんやりとこちらを見ていた紅がはっきりとなのはを捉え、微かに唇が動く。


「・・・・・。なの、は」
「そう、いい子」


なのはは少女の頭をなでる。
強張らせるかと思った身体は特に何の反応も示さず、強いて言うなら不思議そうにしていた。
もしかしたら、こんなことをされることは初めてなのかもしれない。


「名前は?」
「名前?」
「・・・・、なんて呼ばれてた?」
「品物。管理番号000」
「・・・・・・そっか」


しばらく考えたなのはは少女に微笑みかける。


「フェイト」
「?」
「今日からあなたは、フェイトちゃん」
「フェイト?」
「運命って言う意味」
「ウンメイ?」
「そうだよ」


名前がないと不便だし、と苦笑いしたなのは。
なのは、フェイト、なのは、フェイト。
覚えるように繰り返し呟くフェイトに瞳を細めて。


「じゃあ、フェイトちゃん」


シーツが波打ち、小さな軋みとともにフェイトに覆いかぶさる影。


「ここに連れてこられた理由、解るかな?」


蒼が違う色を見せた。

























親友と会場で別れ、帰路に着く。
月村家の息女、すずかは自分だけの屋敷に競り落とした少女を連れて帰った。


「名前は?」
「・・・・・・・、アンタは?」
「ああ、自己紹介がまだだったね。私はすずかって言うの」
「・・・・」
「あなたは?」


もっと警戒すると思っていた少女は寝室に連れてきてもうろたえさえしなかった。
ベッドに小さな身体を下しても、不遜ともとれる翠の瞳ですずかを見上げる。
すずかが改めて尋ねれば、少女は自嘲した。


「名前なんて、ないわよ」
「ないの?」
「ショウヒンにそんなものつけない。管理番号で十分」
「・・・・・・」
「それに、アンタみたいな人には、あたしみたいなモノの名前なんて特に知る必要ないでしょ?」


幼い外見とは裏腹に歪められた唇。
少しだけ目を伏せて、再び少女を見たすずかの顔は変わらず笑顔。


「じゃあ、アリサちゃん」
「え?」
「何処かの言葉で、高貴って言う意味」
「・・・皮肉?いい性格してる」
「違うよ。アリサちゃんは前のアリサちゃんと違うって言う意味」


月を覆っていた雲が晴れたらしい。
光源を増した蒼白い光の柱が窓枠を鮮明に浮き立たせた。


「私のものになったんだから」


すずかが笑みを深くしたのを、アリサが解るほどに。


「経験は?」


落札者と二人きりの部屋。
ベッドの上。
翠の瞳を持つ雛鳥を視線で絡め、すずかは微笑む。


「ないわ。シチュエーションが違ってもね」
「へぇ・・・本当に?」


そういう目的でも売られていると、アリサは自覚しているのだろう。
すずかの含みに淡々と答える。


「あたしたちを買った奴らは全員転売目的だった」


いい商品は、より深いオークションでは高くなる。


「商品価値を下げたくなかったんでしょ」


それが価値基準になるのは、珍しくもない。
値が跳ね上がるほどに。


「キレイなまま、っていうのが売り文句。高値で取引されたわよ」


最高値落札者の前で、ショウヒンは嗤う。
全てに疲れたように、嗤う。
そんなアリサにすずかはおもむろに手を伸ばし。


「ッ!!」
「震えてる、ね」


頬に、触れた。
落ち着いたそぶりは演技。抑えつけようとしても緊張からかびくつき、微かに震えた身体を感じ取り、すずかは眉尻を下げた。


「気丈に振る舞う必要なんてないのに」
「うるさい、アンタに何が解るのよ」
「何も解らないよ。でも、辛いなら、怖いなら、そんなに・・・」


すずかの言葉は遮られる。
乾いた音と共に払われた手。


「じゃあどうしろって言うのよ!!泣いて喚いて懇願して慈悲を乞えって言うの!?どうせ力づくで屈伏させられるのに優しくしてくださいって涙混じりに言って欲しい!?支配欲と加虐心を満足させたいの!?」


堰を切った悲痛な声に。


「狂って全てを受け入れれば楽なことも知ってるわよ!!でも惨めな姿をさらせるほど私は堕ちてない!!」


雛鳥は何も知らないコドモではなかった。
闇で見なくてもいいものを、見たくないものをずっと見続けていた。
色々なものを見てきた。見飽きた。


「・・・・・・・・・・・」
「何とか言いなさいよ!!」


しかしオトナほど賢くはなかった。
爆発させてしまった感情をどうしたらいいのか、どういう反応が返ってくるのか恐いのだ。
すずかは再び手を伸ばす。
アリサが、反射的に目を瞑った。



















「理由?」
「そう、理由」


驚き瞳を丸くしたフェイトがなのはを見上げる。
完全に組み伏せた小さな身体。首を傾げてなのはは微笑む。
きっと理解していない雛鳥に。


「遊ぶんじゃないの?」
「え?」


返ってきたのはコタエ。
彼女たちが籠からだされる理由のすべてに当てはまる答え。


「一緒にいたあの子が言ってた。私たちはおもちゃって。そうなんでしょう?」


紅い雛鳥と翠の雛鳥はずっと一緒にいたらしい。
同じ鳥籠で、同じものを見て、理解はそれぞれ。


「私たちの他にいた子は、新しく来ても三日もすれば居なくなった。出て行く時は、暴れたり、泣いたり、何も言わなかったり。お試し、って言われて一度帰ってきた子がいたけど結局そのお試しした人に連れていかれた」


見たままを、素直に、率直に。
フェイトは無表情のなのはを見上げる。抵抗はおろか緊張さえ示さない身体をなのはの下に横たえたまま。


「帰ってきた時、その子はずっと嗤ってたよ?」


籠の中で見た全て。


「私とあの子は、他の子といつも別の檻に入れられてたから。連れていかれるとこしか見てない。あの子は世話係の話を聞いてて全部わかってたみたいだけど」


フェイトは理解はしていなくとも、感じてはいた。
自分たちは所詮商品なのだと。


「なのはは、私で遊ぶんでしょ?」
「・・・・・・・・・」


なのはは口を開かない。
組み敷く身体は綺麗なまま。見てきた周囲は闇。見上げてくる紅は朧気。心は。


「私は、どうすればいいの?」


純粋。

















頭を優しく、出来る限り優しく柔らかく撫でる。
強張ったことを解っていても、しばらくそうしているうちに翠がすずかを窺った。


「・・・・・・何で」
「撫でたくなったから、じゃダメ?」


動揺するアリサに微笑み、すずかは手を離す。
そのまま一歩足を引いた。


「じゃあアリサちゃん、疲れてるだろうからゆっくり眠ってね。ここには誰も入らないように言ってあるから」
「・・・・・どういうつもり?」
「休んでほしいだけだよ」


不審を探す視線に笑顔を向けて、すずかは扉まで歩み寄ると一度振り返る。


「おやすみ、アリサちゃん」
「・・・・・」


アリサの視線を背中に受けながら、すずかは部屋を後にした。


















なのはは身体を起こす。
疑問符を浮かべるフェイトの上から退き、ベッド脇に佇んだ。


「遊ばないの?」
「うん」
「何で?」
「何ででしょう」
「解らないよ・・・」


微笑むなのはにフェイトは首を傾げる。
そんなフェイトの頬を撫でて、なのはは優しく語りかけた。


「フェイトちゃんは、ゆっくり休んで」
「眠ればいいの?」
「そう。ここは私以外が入れない様にしてあるし、部屋にあるものは好きにしていいから」
「う、ん」


頬をもうひと撫でし、なのはは掌を離す。


「おやすみ、フェイトちゃん」
「おやすみなさい、なのは」


フェイトはなのはが扉から姿を消すのを見送った。















屋敷の廊下。
窓枠に切り取られた光の柱が続いていた。
場所は違えど、なのはとすずかはそれぞれの屋敷の廊下を往く。



愉しくなりそう



小さな嗤いと漏れた言葉は同じ。
美麗な貌。口元が歪む。



どうやって、懐かせようかな



どうやって、雛鳥の顔を歪めようか。











「おはようございます、お嬢様」
「うん」
「今日のご予定は」
「いいよ、知ってる。書状確認、来客はないよね」
「左様でございます。本日もよい一日を」
「ありがと」


身支度を整えてから訪れた執務室で執事から言葉を受け、なのはは短く返す。
いつもの、退屈な日常。
廊下を往けば、使用人たちからの挨拶。もはや条件反射的に返事。
従者が見る主のいつもと違うことがあるとすれば、歩く速度が少し早いことと、機嫌が良さそうということ。事実、なのはの機嫌は良かった。
だがそれを誰も本人には言わない。理由など知れ渡っている。だが誰も言わない。なのはが誰も知らない、と言ったから。理由は周知の隠し事。
屋敷の離れ。その奥の一室。昨夜急遽用意させた部屋。
なのはの足はその扉の前で止まった。


「・・・・・・・」


躊躇いは一瞬。ノックをするかどうか迷った自分に顔を顰め、ドアノブに手を伸ばし、開いた。
小さな音と共に開かれる鳥籠。
カーテンは昨夜開けたままだった。日差しが差し込み、室内を明るく照らす。ひと際明るく存在を示すのは純白のシーツ。
なのはの口元が緩む。
白に溶け込む輝く金髪。あどけない寝顔。小さな身体を丸め、雛鳥は眠っている。


「朝だよ」


ベッドに腰を掛け、なのはは呟く。
寝息は崩れない。散らばった髪を弄び、頬に触れ、頤から首筋に指を滑らせ。雛鳥は起きない。


「起きよう?」


髪を指先で梳き、露わになった耳元で囁く。


「っん、ぅ」


微かな囀りが漏れた。蒼が細く、鋭く。
桃色が歪む。


「っぃ・・・!!」


刺すような刺激に雛鳥が目を覚まし、視線を巡らせるようとして至近距離に微笑み。
混乱する頭。白い。眩しい。温かい。柔らかい。蒼。蒼。蒼。蒼。
蒼。


「私の名前は?」


闇。光。檻。扉。
蒼。


「な、の。は・・・」
「当たり。貴女の名前は?」


夜。月明かり。微笑み。暖かい。
蒼。


「フェイ、ト」
「そう。当たり」


フェイトが正答を言ったことで、なのはは覆いかぶさるように屈んでいた体を起こす。
まだぼんやりとこちらを見るフェイトが身体を起こし、なのはを見上げる。


「おはよう、フェイトちゃん」
「おはよう、ござい、ます」
「うん、少しお寝坊さんだけどね」
「ぁ、ぅ」
「いいよ。ゆっくり眠れた?」


頷くフェイトになのはは微笑む。そのまま視線を下に。
まだ黒いワンピースのまま。別の鳥籠にいた時の衣。立ち上がる。


「お風呂、入ろっか」
「お風呂?」
「そう。綺麗にしようね」
「でも私、着替え・・・」
「用意してくるから、待ってて」
「でも」
「ね?」
「・・・・、うん」


何か言いたそうなフェイトの頭を撫で、なのはは部屋を出た。
扉を背に、瞼を伏せる。見上げてくる紅と、二つの名前。
口端が上がる。


「刷り込みは、完了っと」


瞼を上げ、至極楽しそうになのはは歩き出した。





















部屋に入って最初にしたのは、溜息だった。
ベッドヘッドのクッションに埋もれるように背を預け、小さな身体をより小さく縮めてこちらを睨む雛鳥。
すずかは困ったように微笑む。


「おはよう。って言っても、ちゃんと寝てないよね?」
「寝れると思うわけ?」
「・・・・まあ、それもそうだけど」


すずかの言葉が本当とは限らない、どんな危険が潜んでいるかもわからない、何が起きるかわからない。そんな状態で眠れるわけがないといえば、その通り。
まだ前の鳥籠の方が、眠れるというものだろう。
苦笑いのまますずかはベッド際に腰を下ろす。雛鳥が警戒するのが手に取るようにわかったがそれは口にしなかった。


「体調崩しちゃうよ?」
「うるさい」


隈とはいかずとも、だるそうにすずかを睨みつけている。
雛鳥の体力は元々少なく、今までの環境からより削られていることは明らか。さらには極度の緊張。遠からず限界は来る。だがこの雛鳥は限界まで無理をするということは安易に予想できた。


「無理しないでお昼寝でもしてね」
「うるさい・・・」


これは気休め。もしくは予防線。そして罠。
この雛鳥は聡明だ。だからこそかかった瞬間に本人が気付く様に。今は気付かない様に。
すずかは全てを張り巡らせる。
たった一言にも、見えない糸を縫い込む。


「ねぇ、アリサちゃん」
「・・・・・、何よ」


微笑み。


「よかった。名前、認めてくれたんだね」
「っ!!」


アリサの瞳が一瞬見開かれ、すぐに逸らされた。顔は、朱。憤り。羞恥。
すずかの微笑みは崩れない。
さらに問う。


「私の名前、覚えてる?」
「・・・・・覚えてないわ」
「言ってみて?」
「覚えてないって言ってるでしょ」
「残念」


問われた瞬間掘り起こされる記憶。蘇る映像。
何度も再生される名前。声。名前。声。何度も何度も。
もう、忘れられない。
すずかは微笑む。


「私はすずか、だよ。覚えてくれると嬉しいな」
「・・・・・・・」


もう、頭から離れない。
全て、わざと。アリサが気付かない様に、気付く様に、墜ちる様に全てに張られた罠。
アリサが何も言わずに睨んでくることも構わず、すずかは腰を上げた。


「アリサちゃん、お風呂入りたくない?」
「は?」
「それ、着ててほしくないんだけどな」


示す黒のワンピースは、唯一自分のものでないもの。
そんなもの、許せなかった。


「似合いそうな服、見繕ってきたの。お風呂に入ってから気に入ったのを着てね」


すずかの声に、運ばれてきた服たちを見て、アリサは目を丸くした。



















猫足のバスタブ。
花弁が散らばる張られた湯。
黄金色のノズル。


「ほら、こっち」
「うん」


慌てる使用人たちを視線で止め、薄着のなのはは浴室にいた。
部屋に備え付けられた簡易といえど、この屋敷の浴室。華美に装われたその空間にどこか落ち着かなくフェイトがなのはに駆け寄る。


「転んじゃうから、歩いておいで」
「うん」


言われるがままに、今度は必要以上に慎重に歩く。
こちらから歩み寄り、なのはは小さな身体を抱き上げた。
落ちないようにしがみつくフェイトに問う。


「お風呂は、どうしてた?」
「私たちは、ほとんど毎日入れられてた」
「入れられて・・・?」


フェイトは香る花の匂いに気を取られていたせいかなのはの顔を見ていなかった。
だから剣呑な瞳を見ることはなかった。幸いにも、不幸にも。


「私たちみたいなものは綺麗に保たないとダメだから、ってあの子が言ってたから」
「誰かに入れられてたの?」
「ううん、何かあると大変だからって私たち二人だけで入ってた。誰か一緒にっていうのは禁じられてたよ?」
「何か、ねぇ」


なのはの視線は下がる。
バスタオルに隠された肌が白磁のように綺麗なことはさきほど確認済み。
何か、が起きてないのは本当らしい。まっさらの状態。だからこそ、なのはがここにいても何も思わないのだろう。


「じゃあフェイトちゃん。自分で入れる?」
「う、ん・・・」
「・・・・・・・どうかした?」
「・・・・・・・あ、あのね」


歯切れの悪い返事に首を傾げると、小さくつぶやかれる言葉。
髪、上手く洗えない、です・・・。
なのはは微笑んだ。

















アリサが脱衣所から浴室を見て少なからず驚いているのは解った。
元々、何故あの様な、控え目に言っても豪華な部屋を与えられていることすら疑問に思っているのだろう。


「とりあえず、当面はこの部屋にいてもらうから物の場所とか覚えてほしいかな」
「・・・・・・・」


唇を結び、こちらをきつく見上げるアリサにすずかは変わらぬ笑顔。
こちらの言葉を深読みしているのだろう。その思考さえも、アリサの気力を削っていく。すずかが思い描く通りに。


「いつもはあの子と入ってたんだよね?」
「・・・・、ええ」
「じゃあ、一人で入れる?」
「大丈夫よ」
「何だったら一緒に入ってあげるよ?」
「余計な御世話」


すずかに背を向けてワンピースに手をかけたアリサだったが、そのまま手を動かさず一拍。後ろを振り返る。


「・・・・・・・」
「ん?何?」


未だそこに佇むすずか。
心底不思議そうな顔でアリサを見つめ返す。アリサの手がワンピースから離れた。


「出てって」
「何で?」
「言われなきゃ解んないの?」
「解らないって言ったら?」
「この・・・ッ!!」


激昂して声を荒げようと口を開くアリサ。
しかし喉元まで迫ったそれは空気を震わせることはなかった。絶妙なタイミングですずかがふっと微笑む。


「冗談だよ」


短く告げて部屋へと続く扉に手を掛ける。
ドアノブに手をかけたところで、半身だけ振り向きアリサを見詰める。


「それとも、着替えとか手伝ってほしい?」
「・・・、出てって」


翠が射抜くようにこちらを向いているのを確認して、すずかは微笑み扉をくぐった。













「シャンプー、目瞑らないと出来ないんだね」
「ぅ・・・」


フェイトの髪を拭きながらなのはは笑いをこらえる。
入浴を済ませた今、フェイトの身体を包むのはあの黒のワンピースではなく、黒と紅を基調とした服。なのはが用意したものだ。
鏡台の前に座り、されるがままに髪を乾かされるフェイトの耳は赤い。


「可愛い」
「で、でもあの子にも笑われた・・・」
「・・・・・あの子に、洗ってもらってたの?」
「うん、文句は言ってたけど優しかったから」
「ふぅん」


あの雛鳥は、親友はどうしているだろうか。
そんな考えがよぎったが、なのはは直ぐに思考を打ち切る。下ろされたタオル。
乾かした艶めく綺麗な金髪。
あの環境でこれを維持できたのだから、そこだけは管理者を褒めよう。
なのはは思う。
もっと輝くであろうこの雛鳥を手に入れたのはやはり正解であったと。
なのはを振り仰ぎお礼を言ったフェイトは、再び鏡に対峙し首を傾げる。


「あれ?」
「ん?どうしたの?」
「あ、えと、何でもないです」
「そう?」


あえて深くは聞かなかった。
フェイトの視線の先には、鏡の中の自身。耳の下あたり。
なのはは理由を知っているから。
首筋に、紅い花。さきほどの湯に浮かぶ薔薇の花弁より鮮麗な、紅。


「痒く、ない、・・・けど」


微かに呟き、指先でそこに触れるフェイトを何食わぬ顔で見詰めていた。
想いを馳せる。
一枚でこれほどなのだから、雪原に薔薇の花が数多に散るのは、さぞ美しいのだろうと。

















記憶が霞むほど前のこと。
とまではいかずとも、記憶していたくない前のこと。
紅い雛鳥とともにいる前。
それ以来ぶりの一人での入浴は、どこか安心と空虚と不安に彩られていた。
考えていたよりも早く入浴を済ませ、アリサは姿見の前に立つ。
キレイなままの身体。キレイなままでいられた身体。キレイなままでいた身体。
湯気が鏡を曇らせていく。もう輪郭すらよく解らない。


「・・・・・・」


姿見の隣には、翠と白を基調にした服。お薦めはこれ、と差し出されたソレを受け取ってしまった自分。
一度だけ右手を強く握り、アリサはそれに腕を通した。
衣服を整え、改めて髪を拭こうとタオルを取り、何気なく。


「ッ!?」


振り向いて、言葉を失う。
すずかが扉に背を預け、そこに立っていた。崩れることのない微笑みが、どこか面白そうに瞳を細める。


「うん、思ってた通り、可愛いねアリサちゃん」


音もなく。気配もなく。
すずかはアリサを見詰めていた。新しい、自分が用意した服に身を包むアリサを。
思考が止まるどころか、奪われたように立ち尽くすアリサの口がどこか緩慢に、それでも動く。


「・・・・・・いつか、ら」
「いつでしょう」


すずかは首を傾げて部屋とここを結ぶ扉のドアノブの上、サムターンに触れる。
解るのはこの扉は施錠が可能だということ。


「鍵、かかってなかったからいいのかなって思って」


確かにアリサは鍵をかけなかった。そんなこと考えもしなかった。侵入を、許してしまった。
戻ってきた思考で、それでもアリサは考える。どう答えるべきか。どう返すべきか。どれが正解なのか。


「それを、開ける、手段は?」
「私が持ってるこれだけ」


すずかの白魚のような指にぶら下がる、小さな金属。
つまるところ。
所詮、施錠など意味のないことなのだ。
考えても、その結論は全てすずかの手のうち。まるで問題を解かされている気分。解らなければヒントも与えられる、そんな問題。


「ほら、ちゃんと髪乾かそう?私がやってあげるから」
「・・・、結構よ」
「訂正。させてほしいな、ダメ?」


アリサの思考など、すずかは全て推測が出来る。
眉尻を下げて、微笑む。


「髪しか、触らないよ?」
「・・・・・・・」


タオルが、投げるつけるように渡された。












「お腹空かない?」
「お腹・・・」


入浴を済ませて自室に戻り、問いかけにフェイトが自身のお腹に手を置き、首を傾げる。
それになのはが首を傾げた。
おそらく半日以上は何も口にしていないはずなのに、空腹を感じていないというのだろうか。


「フェイトちゃんって、いつもは何食べてたの?」
「あの子が、簡易栄養食って言ってた」
「なるほどね」


ショウヒンの維持は簡単で的確な方がいい。
確かにさきほど見た身体は細く、折れそうなほどだった。
おそらく胃も環境下に合わせて小さくなっているのだろう。


「何か食べたいものある?」
「食べたいもの?」
「うん」


なのはの家には無論専属のシェフがいる。
大方のリクエストには答えられるだろう。
膝を折り、身を屈めたなのはに、フェイトは悲しそうな、申し訳なさそうな顔をした。


「ごめんなさい」
「・・・、何で謝るの?」
「私、食べ物、あまり知らないから、答えられない・・・」
「・・・・・・。そっか」


俯くフェイトになのはは微笑む。
出来るだけ無色の雛鳥を手に入れたかったなのはにとって、その事実さえ喜びとなる。
全てを自身が教え込ませられるのだから。


「じゃあ私がお気に入りのスープでも飲もうか」
「すーぷ?」
「うん」


なのははフェイトの頬を両手で包み、顔を上げさせる。
見上げてくる紅は、何の猜疑心も警戒心も何もなく。あるのはただ純粋な問い。どうしたの、と語ってきた。
なのはは言い聞かせるように口を開く。


「フェイトちゃんが知らない料理、私が教えてあげる」
「ほんと?」
「ほんと。料理だけじゃなくて、楽しいこと、面白いこと、色んなこと教えてあげる」


フェイトの瞳を嬉しそうな色と、尊敬の色を彩った。
無色に垂らされるのは、ごく薄い一滴。


「なのはって、凄いんだね」
「そうだよ、なのはさんは凄いんです」


ゆっくりと広がるそれは、一目に色と判断できないほどの淡いもの。
初めて落とされた色。


「だからね、フェイトちゃん」


なのはは水滴をゆっくり落とす。
少しずつ。染まるのを愉しむように。
嗤う。


「ちゃんと、覚えてね?」


私が教えたことを、刻みつけてね?






















髪を乾かし終わってもアリサの警戒は微塵も解かれなかった。
それに内心苦笑して、すずかは櫛を置く。


「はい、終わった。ありがとうアリサちゃん、私のわがまま聞いてくれて」
「・・・・・・別に」


輝きを増した金髪に瞳を細めて微笑むすずかにアリサは視線をそらした。
確かに、髪にしか触れなかった。
すずかは鏡越しにアリサに微笑みかける。


「何か食べたいものある?出来る限り用意させるけど」
「・・・・・毒とかその類が入ってない食事」
「じゃあ、新しく用意しなくていいね。行こっか」


嫌味にも微塵も雰囲気を崩さないことに顔を顰め、アリサは扉の前で手招きするすずかの後を渋々付いて行く。
付いて行かなければ、手を繋ぐ?とか言い出しかねないから。
おそらく食堂までの道のり。
アリサは改めて認識する。この屋敷の主が、最上位がすずかであることを。
行き交う使用人たちは総じて立ち止まり頭を下げていた。そしてアリサのことを一瞬だけみて、すずかが過ぎ去るのを待つ。


「・・・・・アンタ、何か言ったわけ?」
「何を?」
「あたしのこと」
「別に何も。今日からアリサちゃんが住むよ、って言っただけだよ」


すずかは微笑む。
彼女の言葉は不文律。絶対のルール。
アリサは苦虫を噛み潰したかのような顔をした。つまり、自分はすずかの所有物だと認識されたということなのだから。


「ほんと、いい性格してる」
「ありがとう」
「褒めてないわ」


食堂について視覚と嗅覚が認識したのは、おいしい、ということ。
純白のクロスが掛かる長テーブルに並んだ料理。味を確かめたわけでもない、食べたことがあるわけでもない。その二感がそれを告げていた。


「腕によりをかけさせて作らせました」
「ふぅん・・・」
「胃がびっくりしちゃうから、まだ軽いものだけだけど。近いうちにもっと色んなもの用意するからね」
「別にそんなことしなくていい」
「私がしたいから、それにつきあってくれると嬉しいかな」


すずかに促され、アリサは部屋の一番奥の席に座る。使用人が一瞬目を見開いたことから、この席が普段はすずかが使っている場所だということは安易に想像が出来た。
その当人は角をはさんだ席で以前こちらを見てにこにこと笑顔を形作っている。


「食べないの?」
「・・・・・・・・」


並んだ、軽めとはいえ、豪奢な料理。
アリサの身体は栄養を欲していたが、それよりもアリサを制するものがあった。
感じる視線。我関せずと佇む数多の使用人。意識はこちらに。


「・・・・・ああ、なるほど」


すずかが呟く。
視線を上げれば、よく通る声が告げた。人払い。
広い食堂に、二人きりとなる。アリサの斜め後ろ、そこに立ったすずか。柔らかい声。


「テーブルマナー、教えてあげるね」
「っ!?」


反射的に振り仰いだすずかの微笑みに、アリサの言葉が詰まる。
気付かれた。アリサの葛藤とプライド。透明を無理矢理自分の形に塗りつぶした心。
ショウヒンとして見られることを、忌み嫌っていることを。


「しばらくは二人きりで食事にしようか」
「・・・・・・」
「ちゃんと出来るようになったら、見せつけてあげよう」
「・・・・・・・」
「びっくりするよ、きっと」


すずかの微笑みは変わらない。
色々な感情が交じった表情。しばらくこちらを見上げていた翠が正面をむき、頷いた。
じわり、と。
アリサの中で色が染みだす。
塗りつぶした色に、微かに、僅かに、染み入る。


「解らないことがあったら何でも聞いてね」


すずかはあの夜。
アリサの中に小さな塊を埋め込んだ。すずかという、存在を。
中で暴れることもない、大きくなることもない、塊。
ただ、ゆっくりと、弄る様に色が広がる、周りの色を飲み込むものを。


「大丈夫、アリサちゃんは頭がいいし」


すずかは見守る。
色が染みだしていくのを。
その速度を調節し、愉しんで、操り、意のままに。
いつものように、微笑む。


「すぐ覚えられるよ」


その色は、いつまで持つかな?














「御馳走様でした」
「美味しかった?」
「うん」


綺麗に平らげられたお皿を使用人が下げていく。
どこか必死にスープを飲むフェイトを満足そうに眺めていたなのはを見た使用人はこう思っただろう。あんなに愉しそうな主を見るのは、初めてだと。
それとともに改めて認識する。
フェイトが、如何に彼女のお気に入りの雛鳥かということを。


「じゃあ、館を少し散歩してからお部屋に戻ろうか」
「うん」


それはもう自然な行為。
なのはが手を伸ばせば、フェイトはそれを握る。手を繋ぐと言うことを、フェイトは覚えていた。
何かを掴むことを禁じられ、何かを掴むことを強いられ、何も掴めなかった小さな手。
その手が掴むことを許されたのは、ただ唯一、なのはの手。


「フェイトちゃんがもうちょっと元気になったら、外にお散歩に行こうね」
「外?」
「っていっても、中庭だけど」
「外、出るの?」


廊下を往くなのはの足が止まる。
否、止めざるを得なかった。手を繋いだ先が、止まったのだから。


「なのは」
「どうしたの?」


紅い瞳がなのはを見つめる。真っ直ぐに。愚直なほど、ただ一直線に。


「要らなくなった?」


なのはがそれを理解するまで数秒かかる。
フェイトが言う、外とは。
雛鳥にとって、今までの外とは。
飼い主が決まった後の、外とは。
ソトとは。


「もう、要らない?」


少しだけ力の込められた小さな手に、フェイトは気付かず。
なのはは、それに気付いた。
無意識の行動。
口端が上がりそうになるのを耐えて、なのはは膝を折り、柔らかく微笑む。
雛鳥は、籠から出てもなお、籠の中。


「大丈夫。フェイトちゃんを離したりしないよ」


放したりしない。


「絶対に」














「二人きりの食事がしばらく続くかなって思ってたけど、残念ながらそうならないみたいだね」
「何が言いたいわけ」
「あと数回で覚えちゃいそうってこと」


簡単な屋敷の案内を含めた散歩をした後、すずかとアリサは部屋に戻ってきていた。
アリサはベッドに身を沈ませ、すずかはその脇に椅子を寄せ座っている。
ベッドに横になることを勧めると拒んだアリサ。


「一人で寝るのが嫌なら、添い寝してあげようか?」


そんなアリサもすずかのその言葉には逆らえなく、こうしてベッドに横になっていた。
アリサはまだ気付かない。朝に張られた糸にゆるゆるとからめられていることに。
すずかは微笑む。じわじわと想い描く通りに動く雛鳥に。


「アリサちゃん」
「何よ」
「少しだけ、これ、読んでていいかな?」


すずかが手にしていたのは封蝋で閉じられた手紙。
さきほど使用人から手渡されていたものだろう。


「本当はアリサちゃんとお話したいんだけど、お仕事だから」
「自分の部屋で読んだら」
「アリサちゃんの傍に居たいの」


アリサがもう少しだけすずかのことを知っていれば気付いただろう。
本来のすずかならば、ここで、傍に居たいんだけどダメ?と問いかけの言葉を発することに。
けれど、今は言い切り。反論も、意見も、何も聞かない言葉。


「勝手にしなさい」
「ありがとう」


だからアリサは許可するしかなかった。許可するように仕向けられた。
紙をめくる音と、微かな小鳥の囀り。
部屋を、それだけが支配する。
すずかの視線は手紙に、けれど文字なんて追ってはいなかった。所詮、ただのお世辞が並べ連なった紙切れなのだから。
すずかは待つ、静かに、ただ待つ。
果たして、待ちわびた音が、すずかの鼓膜を打つ。


「・・・・・・・・、成功、かな」


極度の疲れ。足りない睡眠。満たされた胃。そして、静かな空間と柔らかな寝具。
あえて会話という刺激を断ち、揃えられたこの条件。


「おやすみ、アリサちゃん」


飼い主の目の前で眠りに落ちた雛鳥が、そこにいた。
















「眠るの、好きなのかな」


部屋についてベッドに入るなり寝息を立て始めたフェイトになのはは苦笑する。
数時間前と違わず髪を弄び、肌に指を滑らせる。
身じろぎするフェイトに瞳を細め、繰り返す。
ふと、目についたのは、鮮明な赤。
指で触れ、確かめ、なのはの口が緩む。
それをつけた時と同じように身を屈めて、唇が触れると言う瞬間。


コンコンコン


微かなノックが響いた。
蒼が細められる。先ほどとは違う意味で。剣呑な光を帯びて。


「何」


扉の向こうの使用人は、主の機嫌の悪さを鼓膜で感じ、慄きながら告げた。
来客の存在。
なのはが向かった先は来賓室。恭しく使用人によって開かれたそこにいた人は柔和に微笑んだ。


「急に来てごめんなさい、なのはさん」
「いえ、こちらこそご足労頂いて申し訳ありません。カリムさん」


なのはの家に古くから関わるグラシア家の次期当主。
穏やかな外見からは想像できないが、彼女もまた、なのはと同じでこの世界の統率者の一族。
カリムは手にした手紙をゆっくりとなのはに差し出した。


「正式な譲渡書」
「譲渡されたもの、ないですよ?」
「私的な買い物も、緘口令を敷いたとはいえあそこまでパフォーマンスされたら私の耳にも届いてしまうの」


沈黙が降りる。
お互い笑顔のまま、アンティーク時計の長針がひとつ、動いた。


「ああ、そっか、あの会場、カリムさんちの館ですっけ」
「ええ、失念していた?」
「すっかり」


緊張感は抜け、椅子に凭れるなのはと、それをくすくすと微笑んで見るカリム。
さきほどまでのは、ちょっとしたお遊びだったのだ。


「衝動買いなんて、珍しいわね」
「言葉の通り、衝動的でしたから」
「どんなもの?」
「すっごく良いものです」


見せてとは言わない。それが何か分かっていて、尚且つなのはの性格をわかっているから。
見ますかとは言わない。それが何か知られていて、尚且つカリムの性格をわかっているから。
なのはははたと思いだす。
そういえば、この人は、と。


「カリムさんも買いませんでした?」
「ええ、半年くらい前に」
「衝動買い?」
「そうね」


彼女もまた、雛鳥を飼っているのだ。
紅茶に口をつけて、なのはは探るように問う。


「どんな感じですか?」
「・・・・・・、なのはさんが教えてくれたら、言うわ」


そうきたか。
なのはは苦笑した。それでも等価交換。もとより損得の会話ではない。


「可愛いですよ。凄く。真っ白で、真っ直ぐで、素直で」
「あら、デレデレね」
「どう育てようか迷ってます」
「決まってるくせに」


なのはの言葉に笑い、カリムもまた口を開いた。


「懐いてくれてるわ。とても、良い子よ。悪戯もするようになったし、使用人たちとも仲良くなってる」
「明るい子なんですね」
「ええ、でもね」
「でも?」
「凄く、寂しがりやなの」


だから、私の傍を離れたがらない。
そう締めくくったカリム。
なのはは言わない。離れたがらないのは、貴女がそうしたせいではないのかと。
一瞬見えた瞳の色は、なのはのそれと同じ色だった。
つまり、そういうこと。


「少し慣れたら、どっちも会わせてみませんか?」
「あら、愉しそうね」


どちらも、似た者。

















目覚めると共に、理解する。
目覚めたということを、自覚する。
自分が眠っていたということを、認識する。


「よく眠れた?」


そして、思い知らされる。
ぼやけた思考はすぐさま動きだし、数時間前の疲れたそれとは違う、流れるようなその動きに苛立ち、言葉を求める。
けれど、それはもう、後手。ずっと前から。それこそ、朝から。


「お昼寝にはちょっと早かったけど、いい陽気だもんね」


穏やかな微笑みを浮かべる主は何も言わない。
ただ雛が寝ていたということを刻みつけるだけ。
その事実だけを、深く、強く、認識させる。すずかの目の前で、眠っていたということを。


「・・・・・・・・」
「どうしたの?」


アリサは何も言わない。何も言えない。
無理しないでお昼寝でもしてね。
頭を巡り、悔みを助長させるのは、朝聞いたその言葉。
結局、アリサはすずかの思い描いた通りの行動をしてしまったというわけだ。
何を言ってもすずかを喜ばせるだけだと、この数時間で感じ取ったアリサは口を紡ぐことでその喜びを最低限のものにしようとしていた。


「あ」


わざとらしい声。
アリサが伏せていた視線を上げれば、そこには済まなそうに塗られた表情。
その幾重にも塗りつぶされた表情を剥げば、愉悦に彩られた本当の貌があることなど、アリサはもう解っていた。


「ごめんね、アリサちゃん。もしかして、昨日もそうだったの?」
「・・・・何が」


だから、警戒して、感情をあまり表さないような表面と声で心を守り固めて、アリサはすずかを見る。
心配するような表情から紡がれる、囲う為の糸。


「独りだと、眠れない?」


顔に熱が集まるのに必要な時間など一瞬。
昨夜眠らなかったのも。すずかが居るこの部屋で眠ったのも。起きてだんまりを決め込んだのも。全て。全て。
そう。客観的に見れば。
そう、捉えることも出来るのだ。
固めた防御壁はすぐに崩れ、熱に溶かされる。少しずつ燃料を加えられていたそれは、微かな火種で燃え盛る。残るのは、無防備な心。


「・・・・・・・ごめんね、気付いてあげられなくて」
「違うッ!!」
「無理しなくていいんだよ?」
「違うっつってんでしょ!!」


泣きそうにさえ見える赤い顔で怒鳴るアリサに、すずかは微笑む。
糸を伝って心を守る防御壁に沁み込むのは可燃性の声。それに火を灯すのは、すずかの思うがままに。


「ねぇ、アリサちゃん」


すずかは安心させるような微笑みを以って、アリサに告げた。


「独りで眠るのが寂しかったら、いつでも言ってね?」


糸は、確実に張り巡らされている。













譲渡書と必要な書類を確認した後に、なのはが部屋に戻った時フェイトはまだ眠りの中に居た。丸くなり眠るフェイト。
先ほどのカリムとの会話を思い出す。慣れたら、というのは何を対象にしているのかを聞いていなかったな、と考えながらなのはの視線が巡る。
金色の髪。白磁の肌。桜色の頬。紅い花弁。
白い、喉元。
微かに動くその喉を無表情に見詰めて、なのはは軽くフェイトの肩を押した。存外抵抗なく仰向けになる身体。寝息は崩れることなく、よりよく見えるようになった喉元に触れた。
薄い皮膚越しに、脈。寝ているせいか少しだけ汗ばんだそこを撫でて、鎖骨になぞる指先。
そこから先は衣服に隠れ、黒に覆われている。
阻まれた指先から、フェイトの寝顔に視線を戻してなのはは微かに口端を上げた。釦に指を滑らせる。
鼻歌を奏でんばかりの、慣れた手つき。一つ。二つ。三つ。丁度、鳩尾が露わになるくらいに肌蹴られた胸元。
それに満足そうに瞳を緩めて、喉元から胸骨を通り、心臓の真上にまで辿り着いた指先。
指先に直接感じる鼓動。なのはがさらに釦を外そうとしたところで、微かな声が聞こえた。


「ん・・・」


なのはが視線を上げれば、ぼんやりとこちらを見つめる紅。焦点の合わなかったそれがなのはを捉え、腕を伝い、その手の先へ。
そこには、肌蹴た自分の胸元。


「なのは?」


眠気が残る舌足らずな声。
なのはに焦りなど微塵もなく、あるのは楽しみだけ。首を傾げてフェイトの言葉を待つ。
この状況に置かれて、フェイトがどう反応するかをただただ、楽しんでいた。
なのはのそんな考えなど知らないフェイトが発したのは。


「きがえなら、ひとりでできるよ?」


そんな、言葉。
不思議そうな視線と共に、なのはに届いたそれは。


「ふ、ふふっ」


思わず笑みを漏らしてしまう程度には、なのはを満足させるものだった。
笑う合間に、なのははフェイトの頭を撫でる。


「そうだね、フェイトちゃん一人で出来るよね」


そしてまた、漏れだす笑いに耐えられないとばかりに、フェイトの肩口に顔を埋める。
それを無抵抗に受け入れて、フェイトは肩を震わせるなのはに首を傾げた。


「どうしてわらってるの?」


その言葉に、さらに笑うなのは。
吐息がむき出しの肌を撫でて、フェイトは身をよじる。


「なのは、くすぐったい」


耳元で聞こえる声に、なのはは思う。
ああ、どこまでも白い、と。どんな色にも染まるだろう、と。
閉じていた瞼を上げれば、目の前にある白い首筋。
ここに歯を立てたら、今度は何て言うかな。
探せばいくらでもある楽しいことになのはの口端が上がったことを、フェイトは知らない。












カリムが館に戻ったのは、予定していた時刻よりも一時間遅かった。
そして館の奥に進むにつれて、微かに慌ただしい気配がすることに気づく。


「カリム様っ」
「どうしたの?」


主の帰宅を迎える言葉も早々に、カリムの身辺を担っている従者が困り果てたように呟いた。


「はやて様が・・・」
「はやて?」


館の奥。
そこは主の寝所に近い場所。特別な場所。
その奥に設けられた一室では、幼い叫び声が響いている。


「いややっ!!放して!!放せぇ!!」


暴れて、ともすればすぐにでも部屋を飛び出そうとする少女を従者がどうにか捕まえていた。
万が一にも怪我などさせないように、それでも決して放さないように。従者にとってすればとても難儀なことだろう。
そんなことをしらない少女はその拘束を解こうと暴れている。


「カリム!!カリムッ!!」


少女は、カリムの名前を呼んでいた。


「カリムどこに居るん!?」


切羽詰まった表情と、悲愴な声で。
その姿を垣間見て、カリムの脳裏に再生される先ほどの従者の声。
カリム様が予定していたご帰宅の時刻を過ぎてから、段々落ち着きがなくなってしまいまして・・・・・・今はもう暴れているんです。
先日新しい主が見つかった雛鳥たちと同じ年頃の少女、はやては、主の名前を呼び、その姿を探しているのだ。
そのことを理解し、カリムの目元が緩む。


「はやて」
「カリムッ!!」


カリムが部屋へと足を踏み入れ、その姿を捉えるとはやての表情が泣きそうなものに変わった。
カリムがはやてを捕まえていた従者に視線を送れば解かれる拘束。
解放されたはやてが、少し不自由な足で駆け寄るのは、もちろんカリムの元。カリムは縋りつく小さな身体を抱き寄せた。


「カリム、カリム、カリム」
「ごめんなさい、遅くなったわね」


何度も名を呼びながら縋る手に力を込めるはやての頭を撫でるカリム。
従者たちは既に退室し、二人きりになった部屋ではやてを宥めるカリムは、愉悦に口端を上げる。
寂しがり屋。そうなのはに伝えたカリムの雛鳥の姿。それが、これなのだ。


「私が悪かったわ」


優しく背中をさすって穏やかな声色でそう告げたカリムは、はやてと身体を少し離して、その少しだけ涙の跡が残る頬を撫でた。


「でも」


その二文字にはやては何かを感じ取ったのか、身体を固くする。
もう、カリムの腕の中。そうでなくても、逃げられない鳥籠。
そんなはやてにカリムは。


「いい子にして待っててね、って言ったわよね?」


そう、確認し。


「ね、はやて」


微笑んだ。






続かぬ





なんかもう酷い厨二全開である。ごめんなさい。

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