不健康吸血鬼 4?



渇き、というものがある。



言ってしまえば、空腹と同じだ。
だがそれは空腹と比べるには余りにも度が過ぎる。
吸血という行為をが生を全うする上で必要不可欠な吸血鬼という生き物に置いて、避けては通れないもの。
ある一定の期間、血を摂取しなければ訪れる堪え難い欲求。
その欲求の閾値にも、強さにも、期間にも、個体差がある。一日摂取しなければ苦痛を伴うものも居れば、たった一滴でも数日持ちこたえられるものも居る。
そして何より、渇きによって引き起こされることがある。
渇きを得て、それを律することが出来ない。そんな吸血鬼が起こす行動が、ヒトを恐怖に陥れるのだ。
村をひとつ、食い潰す。そこで終われば、良い方であろう。渇きを得た吸血鬼が、去るまで、もしくは満たされるまで息を顰めるしかないのだ。
今でこそ贄という制度が出来、それに伴いある一定の規則が設けられた。
現在、吸血鬼がそんなことをすれば、吸血鬼たちの手によって屠られることであろう。
それが下位の吸血鬼であれば、だが。
罰する立場である高位のものが渇きを得て、同じことをしても隠ぺいされるだけなのだ。
そして、血の濃さに準ずる渇き。
純血の渇きなど、言うに及ばない。







すすり泣く声。
その出所が吸血鬼の住まう館というのならば、思うことはひとつでしょう。
ああ、可哀想な人の子がいるのだと。
糧として捉えられたモノがいるのだと。
薄暗い談話室。
そこから聞こえる嗚咽は、聞くもの全てに憐憫を感じさせるか、嗜虐を煽るか、どちらかでしょう。
それほどまでにか細く、弱弱しいもの。
蝋燭の灯が浮かびあがらせる陰影。頬の流線を描く涙の軌跡。
その涙を瞳を細めて見詰めるのは、高位の吸血鬼。
とてもシンプルな、光景。

「で?」
「な、なのはが、なの、……な、なのはぁ……」
「あああああああもおおおおおおお、ほらっ、こっち向きなさい!」

泣く者と慰める者の光景でした。
しゃばーっと涙を流すのは、紅い瞳を有する純血でした。
対面のソファから隣へと移動してきたアリサさんは、泣きやまないフェイトさんの顔をハンカチやらティッシュやらを駆使して拭いに掛かります。
途中で従者にタオルを持って来させなければなりませんでした。
ふぐふぐとしゃっくりさえ発しながらされるがままのフェイトさん。改めて言いますが純血です。吸血鬼の頂点の純血一族ですこの吸血鬼。
数十分後。
ようやく涙が止まったフェイトさん。そのほっぺやら鼻が赤いのは、アリサさんの努力といえましょう。物凄い水分含有率でした。
ソファに膝を抱えて座るその姿を見て、誰がこの人を吸血鬼だと思うでしょうか。
アリサさんはつっかえつっかえ発された泣き声とは別の言葉と、ぽろぽろと零れた呟きを解読し、要約し、概要をまとめて。

「答えがなかった、と」

一言で結論を発しました。
膝に顔を埋めて微かに頷く、自身とは色合いの違う金色を見詰めて溜息。
メンタルが強いのか弱いのかよくわからない、そうアリサさんはぼんやりと思います。

「知らないって言われたわけじゃないのね?」
「知らないなんて言葉にされたら私テスタロッサの屋敷の地下に籠もる」

淀みなく発せられた声に、アリサさんは脱力してソファの背に身体を預けます。

「何すんのよ、寝るの?」
「うん、二百年くらい経ったら起こして」
「やめなさい」
「寝惚けて周り壊したらごめんね」
「やめろ」

一度目の制止は呆れ交じり、二度目の制止はマジ顔でした。
アリサさんはフェイトさんのことをよく知る数少ない吸血鬼の一人です。
そのフェイトさんが“寝惚けて周りを壊す”。そしてそれを起こしに行く予定であるのは自分。笑える話ではありません。
どんよりと闇を纏うフェイトさんは、抱えている膝をそのままに、身体を横に倒します。
その頭が着陸したのは、アリサさんの太腿。アリサさんはそれについて何も言わず、ただその頭をぐしぐしと撫でます。

「贄にする前からそれでどうすんのよ」
「約束を憶えてないんなら、私はあの子を贄にしない」
「じゃあ別の子を見初めるわけ?」

今は厳重に保管されている黒い封筒のことを思い浮かべながら、アリサさんは問います。
フェイトさんは視線を合わせることなく、虚空を見詰めていました。

「贄がどう言う立場か、知ってるよね」
「立場も何も、実物が近くにいるでしょ」

この屋敷に居る、贄二人。
そしてそのうち一人の贄を持つ吸血鬼であるアリサさん。
フェイトさんは、未だ、どこかを見詰めたまま言葉を続けます。

「私たちの贄は、貢物から選ばれることが多い」

“私たち”。
それがどの範囲を示すかを、アリサさんは察します。
目にしたことはないが、耳にしたことはある、貴族たちの催し事。

「最上級の捧げ物が並べられて、選ぶんだ」

品定めされ。選定され。着飾った。貢物。
捧げた者が口々に言う。この捧げモノがどれだけ素晴らしいものか、と。
そうして選ばれたモノは。

「出品者の家系は、目に留まるらしいよ」

貴族の序列。
アリサさんの脳裏にそんな言葉が浮かぶ。
そうして浮かぶ、もう一人の贄の顔。

「じゃあ、あいつも……」
「あの血筋は別格だよ。そんなことしたら、逆に滅ぼされる」

贄の持ち主である吸血鬼と、守護騎士。
よくは知らずとも、その力は知らずにはいられない。
冷や汗がアリサさんの背中を伝いました。

「アリサだって、色々あったでしょ」

はっとして見れば、紅が一瞬だけこちらを見ていました。
アリサさんが、自身の贄を選んだ時のこと。
高位の吸血鬼。それも、純血と繋がりがある。
その吸血鬼の贄。
掛かる声は数多。
そんなものではなく、こちらを、と。
一蹴した提案。潰した言葉。

「寵愛を賜る。なんて、馬鹿みたいだよね」

紅は、また虚空を見ていました。
贄は一人だけ持つことが許されています。

「手紙、出さないとだめかな……」

その贄が、居なくなるまで。





















「すずか」
「なぁに?」

自室へと戻ったアリサさんは、ベッドに腰掛けていた自身の贄と向かい合います。
対面に立ったアリサさんを見上げて、すずかさんは微笑み。

「ひとつ、頼みたいことがあるわ」
「いいよ」

一呼吸さえ置かない返答。
目を見開いてから溜息を吐き、アリサさんはこめかみを抑えます。
我が贄ながら、わからない、と。

「無理難題言われたらどうすんのよ」
「アリサちゃん、そんなこと言わないでしょう?」

小さく笑うすずかさんに、アリサさんはもう一度溜息。
敵わないと口にはせずとも表情にしている吸血鬼にすずかさんは首を傾げました。

「じゃあ、うまくいったらご褒美くれる?」

それはそれは、蟲惑的な笑み。

「それこそ無理難題じゃなければね」

返すのは、不敵な笑み。





















「よく耐えられるものだな」

月明かりさえ差し込まぬようにカーテンも、扉も、厳重に閉ざされた室内。
一本の細い蝋燭のみが光源のその部屋。
あまりに頼りない灯に照らされるのは、部屋の主の紅だけではありませんでした。
紅が、もう一対。
フェイトさんは、椅子に凭れていた身体を起こし来訪者を見詰めます。

「お前の血筋なら、発狂してもおかしくないだろう?」
「それを貴女に言われるとは思いませんでした」

微かな笑みを浮かべて、フェイトさんは続けます。

「幾千幾万の血を食い潰してきた貴女が眠りについて、長い時が経って……」

瞬き。
瞼の裏には、人懐こい笑み。

「眠りから目覚めさせたヒトを、贄にするなんて思ってもみなかったです」

瞼を上げれば、来訪者。
来訪者は、フェイトさんから視線を逸らしません。
紅と、紅。
来訪者は、静かに言葉を紡ぎます。

「他の血など考えられない、そう思わせる瞬間がある」

わかりやすい言葉にするなら、運命だと。

「お前ももう出逢っているだろう?」

答えは、ありませんでした。


















「こんな夜更けに部屋に居ないなんて……わ、わたし置いて浮気にいったんだわー!」
「……ハンカチ噛んで何してんのはやて」
「昼ドラごっこ。ヴィータもやらへん?」
「え、遠慮しとく」



なにこれめっさひどい

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