不健康吸血鬼 2?



贄と呼ばれる者たちがいる。



極少数の不幸の上に人類の、人間の幸せが成り立っているこの世界において、その者たちは特別であり、犠牲であった。
贄に選ばれた時点でその人間は、ヒトではなくなる。吸血鬼のモノとなる。血族の安寧は約束される代わりに、自身の生命は剥き出し。生も、死も、享楽も、慟哭も、全てが奪われる。稀に、モノとなるその間際に、自ら無を選ぶヒトもいるがそれこそ少数。モノになった瞬間に無に還る、モノとして天寿を全うする、モノとして壊れるまで玩具となる、モノとして主に着き従うしか、道はない。
主となる吸血鬼によって、そのモノの先は左右された。そして、その吸血鬼の血の濃さによっても、左右されたのだ。
吸血鬼としての血が濃ければ濃いほど、上位となる。下位の吸血鬼の贄を、上位の吸血鬼が×してしまっても、何も御咎めなどないのだ。
逆に。
純血の吸血鬼の贄ともなれば、それは他の吸血鬼にさえ触れられない。絶対の贄へと成る。



御機嫌よう。
そんな挨拶が行き交うとはいかないものの、屈指の名門校。
佇まいは荘厳にして、校風は厳格。分厚い門を潜れば、そこは厳粛な学び舎。
もちろんセキュリティも凄まじく、表立ってはいないものの下位の吸血鬼など寄せ付けないほどの設備を誇っていました。
粛々と日々の学業を全うする、云わばうら若き乙女たちが集う花園と言っていいのでしょう。
花には悪い虫がつかぬよう庭師が守り、庭園は檻に囲まれた、そんな仮初の楽園。
そこの生徒たちもまた、それぞれが一輪の美しい花。
その一人である女生徒は、赤と黄の髪飾りが彩る鳶色の髪をさらりと揺らします。
学校指定の鞄の中に視線を落としていたかと思うと、物憂げにふっと口端を緩めました。

「あかん、数学の宿題やり忘れた」
「はやてちゃん……」

高めていたアンニュイな雰囲気がぶち壊しでした。
ぐでっと椅子に腰を下ろした鳶色の子、はやてさんは、対面にいる紫紺の子、すずかさんを見上げます。
すずかさんは微笑んで、教科書を示しました。

「午後の授業だし、昼休みにしちゃったら?」
「写させてくれるとゆー選択肢は」
「自分で頑張るのって大切だよね」

笑顔でした。
語学は任せろ系のはやてさんにとって、数学はあまり見たくないものでした。といっても、一般的に見て得意といえる成績を得ているのですが、貴重な昼休みをそれで潰せるほど好きな分類ではありません。
そんなすずかさんから首を回し、隣に立つ人へとはやてさんは声を上げます。

「な、なのはちゃん! へるぷみー!」
「すずかちゃんの意見に一票」
「わぁい、民主主義」

視線の先、栗色の髪と蒼い瞳を持つ可憐な少女もまた、笑顔でした。
栗色の子。なのはさんは、尚もぶつぶつ言っているはやてさんに首を傾げます。

「珍しいね、はやてちゃんが宿題忘れるなんて」
「んー? 色々あってなー」
「えっ……あ、そっか」

とんとんと自身の首筋を指先で叩くはやてさんに、なのはさんは少しだけ申し訳なさそうに苦く笑いました。
贄の二人を友人に持つ、親友と言って憚らないこの子は、ヒトの世界に生きる少女なのです。
このはやてさんの行動。そしてすずかさんにもある行動。
それが、自身と二人との決定的な差だといつも思い知らされるのです。
かつては三人ともヒトの世界を生きていました。
しかし今は。
二人は、吸血鬼の贄である、と。
自分は、ただの人である、と。
もちろん二人はそんなことを気にしてはいませんし、それをひけらかすようなこともしません。
二人は、なのはさんを自慢の友人だと思っていますし。なのはさんもまた、そうです。
ですが。
吸血鬼という絶対のものから寵愛を受ける、ヒトの世界を生きる贄に対しての、畏怖と崇拝に似たある種の羨望。
そういうものを持っている人も、中にはいるわけであり。
三人の耳に届いたのは、贄に目をかけられる人だと勝手に解釈した、誹謗。
最も、それは一部の人だけであり、物理的な嫌がらせにはなっていないものの、それはとても気分がいいものではありません。

「ぁー……」

しかたがない、となのはさんはまた苦笑を深めました。
なんと言われようが、この二人の友人を持っていることをとても嬉しく思っているのですから。

「あかんわ、ああいう子ら」
「ごめんね、なのはちゃん」

顔をしかめたはやてさんと、眉を下げたすずかさん。
二人もまた、なのはさんを大切な友人だと思っているのですから。

「ううん、気にしてないから」

それを、三人が三人とも、解っているのですから。
なのはさんは少し困ったように笑います。

「はやてちゃんたちに言うのは失礼かもしれなけど、私、吸血鬼って怖くって、夜会なんて、行ったこともないし」
「ま、それが賢明な判断やな」
「私たちは、特殊だから、ね」

二人の主は、それこそ特別なのです。
ヒトの世界を、昼間の世界を生きることを許す主など、ほんの一握り。
それを知っているからこそ、二人もまた頷きます。
なのはさんの脳裏に浮かぶ、記憶。
十年前。
絡めた小指と、紅い瞳に誓ったこと。

「それに、あの子以外の贄に、なりたくなんてないから」

授業前の喧騒に消えたなのはさんの声は、二人には届きませんでした。























薄闇の中、談話室の豪奢なソファの背が鳴ります。

「げ。あの人間の妹なわけ……」

異様なほど早くまとめられた資料を訝しく思いながら、目を通して、その理由に思い至ります。
アリサさんが視線を落とした紙に写るのは、登校中であろう少女の姿とプロフィール。

「世間ってせまいわぁ……」

これも運命かしら。
なんてことを思い、馬鹿馬鹿しいと鼻で笑ったアリサさんは資料をテーブルに放ります。
ソファに背を預けて、見上げた高い天井。ぼんやりと灯るシャンデリア。

「告知はどうしようかしら……やっぱり正統に手紙ってなると、手続きめんどくさいのよねー……」

この少女が、誰の贄になるのか。
それが一番の問題なのです。
血の濃さは格式を重んじます。
黒い封筒。羊皮紙。羽ペン。インク。赤い封蝋。紋章。宣告から受け入れ。全てにおいて手続きは複雑でした。
アリサさんの脳裏に浮かぶのは、金色と紅を持つ友人。
本来ならば、誰しもが、それこそアリサさんはもちろん、館のただ一人以外は傅かなければいけない存在。
誰よりも血を欲しているはずなのに、それを口にすることがない吸血鬼。
一度だけ見た、渇いた姿。身震いをするのは仕方なく。
アリサさんは溜息をつきます。

「あの孤高のお姫様の贄、か」

その呟きに応えるように。
沈黙を守っていた重厚な扉が開き。

「見て見てアリサ! 近所のカフェのマスターがいつも散歩偉いねぇってお菓子くれたんだよ!」

キッラキラの笑顔とどこか陽光のにおいさえしかねない毛皮をもつ小狼を連れて、その孤高のお姫様が登場してくださりました。
夕方のお散歩を終えての登場です。しかもお土産持ち。テンションあがっています。

「一緒に食べよう?」

笑顔を崩さずに近寄ってきたフェイトさんが見たのは、眉間を抑えて俯く友人の姿でした。
どうしたの。首を傾げること数秒。
すっと立ち上がったアリサさんは、低く、短く。告げました。

「座れ」
「えっ」
「正座」
「……はい」

アリサって怒ると怖いよね。
フェイトさんは後にそう語りました。














「あんた自分の血筋わかってんの!?」
「えっ、うん、テスタロッサ・ハラオウンだよ。自分の名前忘れないよ。アリサはバニングスでしょう?」
「そういうこといってんじゃねーのよ!!」



なにこれすごくひどい

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