不健康吸血鬼



贄と呼ばれる者たちがいる。



永き時を過ごし、人智を超えた力と頭脳を持つ、最も恐れられる肉食獣。
血を喰らう鬼に対して、人間はただただ無力であった。
あまりにも力のない、ちっぽけな人間に対し、吸血鬼という強大なものたちが提示した、契約。いつどこでむやみやたらに喰い荒されるよりも、よっぽどまし。少なからず、公示という過程を得る、危険と安全が一線で引かれた。それが、この世界を縛るルール。
極少数の不幸の上に人類の、人間の幸せが成り立っているこの世界において、その者たちは特別であり、犠牲であった。
読んで字の如く、その者たちは贄である。
崇め奉るものに対し、献上される、供物である。それを以ってして、他のものは恩恵を得る。実にわかりやすい共存。
贄に選ばれた時点でその人間は、ヒトではなくなる。吸血鬼のモノとなる。血族の安寧は約束される代わりに、自身の生命は剥き出し。生も、死も、享楽も、慟哭も、全てが奪われる。稀に、モノとなるその間際に、自ら無を選ぶヒトもいるがそれこそ少数。モノになった瞬間に無に還る、モノとして天寿を全うする、モノとして壊れるまで玩具となる、モノとして主に着き従うしか、道はない。
人の統治者が何度も変わろうとも、世界はまだ、吸血鬼の支配下にあった。



そこは高い塀に囲まれていました。
わざとバロック建築の様を残しながらも近代建築を取り入れた、規模こそそう大きくはありませんが宮殿とでも言えばいいでしょうか。
古めかしくも感じる豪奢な作りと裏腹に、その警備システムは最新鋭。中の様子を探らせないためなのか、分厚いカーテンが全ての窓に。その設えは、陽の光を一切通さないほど完璧なもの。その、陽が射しこまないにもかかわらず、光源が少なく闇の色濃い廊下。
そこに、足音が一つ。
少女では幼すぎ、女性には足りない。どこか危うさを覚える年頃でしょうか。彼女は一見して上流階級のものだとわかる質の良い装いをしていました。気だるげな雰囲気で小さな欠伸を漏らした可憐な唇から覗くのは、猥らに濡れる牙。艶を増した翡翠の瞳が細まり、白魚の様な指が美しい金の髪を緩くかき上げます。
まだ朝日の昇って間もない今、彼女は廊下を踵で鳴らしていました。彼女たちにはこの時間帯はおそらく就寝の間際。そうであるにもかかわらず、彼女は談話室と呼ばれるその一室の扉に手を掛けます。談話室にはこちらも豪奢な内装と厚いカーテンが設えられているため、その中は普段、やはり闇の色濃いものなのです。
そうして、彼女は扉を開けて。

「おはよう、アリサ」

ビャカー!!!! とばかりにがっつり朝の眩しい陽光がふんだんに取り込まれた室内が迎え入れてくれました。
その室内に、笑顔を浮かべた一人。
キラッキラでした。室内も、笑顔も、雰囲気も。これでもかと煌めいていました。
一番輝いているのはきっと笑顔の人でしょう。月の雫を垂らしたような髪。柔和に弧を描いた紅い瞳。誰しもが見惚れるであろう美貌。年の頃は、入室した彼女と同じでしょうか。

「今日もいいお天気だよ、洗濯日和だね」

夜目をいきなりの光量にやられたのか、違う理由があるのか、眉間を押さえて俯いている彼女を気にせずにその人は窓辺へと寄ります。
おそらくこの人が開け放ったのであろう厚手のカーテンは窓端に纏められて、いらっしゃいませと傅く従者とばかりに日光を受け入れていました。色味の違う両者の金の髪が陽を反射してより光を増しています。素晴らしいキューティクルです。

「中庭でお茶もいいなぁ」

そんな言葉を耳にして、俯いていた彼女はやっと動いたかと思えば、入口付近にあった燭台をひっつかみました。どう見ても相当高級そうでどう見ても鈍器であるそれを、うふふと朝日に瞳を細めるその人に向かって、全力投球。
空気を裂く音と、人の目では追えないスピード。直撃コース。予想出来る惨劇。
その瞬間が訪れるまさにその時、誰も触れていないカーテンが一斉に閉まり、部屋は暗闇へと落ちます。光から闇へ。陽に焼けた網膜が次に映したのは、シャンデリアの明かりに照らされた室内でした。
そうしてやっと上げた彼女の顔には、苦く歪めた表情が浮かんでいました。

「危ないよ、アリサ」
「黙らっしゃい!!!」

燭台を片手で受け止めたその人の非難の声を押し潰します。
彼女、アリサさんは先ほどとは違う意味合いなのか、もしかしたら同じ意味合いなのか、その人に近づきながらまた眉間を抑えます。

「何? 何なの? 朝っぱらから陽の光を目一杯浴びてそんな爽やか過ぎる笑顔を振り撒きつつお洗濯日和だねとか何なの!?」
「きっとよく乾くよ?」
「そういうこと言ってんじゃねーのよ!!」

余談ですがこの館の家事を担っているのは使用人たちです。確かにいい洗濯日和ですね。洗濯当番が喜びそうです。
小首を傾げるその人に向かって、アリサさんはびしりと指をつきつけます。

「フェイト!!」
「うん?」

怒号。

「あんたは吸血鬼でしょうが!!!」











ソファにぐだぁっと身を沈めたアリサさんは、従者が音もなく用意した飲み物を口にするその人、フェイトさんを見て盛大な溜息をつきました。

「不健康だわ」
「早寝早起きだよ?」
「吸血鬼としてどうなのそれ」

そう、二人はこの館に住まう吸血鬼なのです。他にも吸血鬼は数人いますが、金の髪を持つのは二人だけでした。
アリサさんの力で閉められたカーテンは再び再びフェイトさんの手により開けられていました。先ほどとは違い、半分ほどでしたが。
フェイトさんの手にあるコップには、赤い液体。それをじっと見詰めたアリサさんの視線に気づいたのか、フェイトさんはカップを軽く掲げます。

「クランベリージュース美味しいよ? 飲む?」
「いらないわよ」

もっと苦く顔をしかめたアリサさん。
陽の光を浴びれば蒸発し、大蒜を嫌い、十字架を恐れる。そんな御伽噺にある吸血鬼とは彼女たちは全く違いました。血を啜るのに適した環境が、身を顰めるのに簡単な夜が活動時間。彼らが表舞台に現れたその時代に流行ってしまった伝染病や事件とごちゃ混ぜになった伝承は、まったく当てはまっていなかったのです。確かに陽の光に長時間当たれば少しは皮膚が焦げますが、それこそ日焼けの様なもの。大蒜は個人の好き嫌い。十字架にだって触れられます。伝承と当てはまるのは眉目秀麗であること、頭脳明晰であること、そして身体能力は言わずもがな。
血を糧とするのも、変わらず。
赤い液体を喉に流すフェイトさんの足元に橙色の毛並みが擦り寄ります。

「ああ、アルフ、もうちょっとしたらお散歩に行こうか。きっと朝日が気持ちいい」
「吸血鬼なのか心配になってきた」

愛狼と戯れるフェイトさんを見ながら、アリサさんはもはや頭を抱えていました。
血筋を疑う始末です。

「何で?」
「あたしたちに相応しいのは夜の世界って相場が決まってんの! あんたは! 吸血鬼として! 不健康なのよ!!」
「それ何世紀前の話? アリサ、今は夜の方が騒がしいし、人間の夜の世界って怖いんだよ、リニスが言ってた」
「あんたもうなんか腹立つわ!!」

至極真面目な顔のフェイトさんに声を荒げるアリサさん。
何故でしょうか、何故か憐れみの感情を抱かずには居られません。頑張れ。超頑張れ。
そんなストレスがマッハなアリサさんの耳に届いたのはノックの音。

「何よ!?」

おそらく従者の誰かだろうと勢いよく、かつ不機嫌に振り向いて。

「あの、学校、行ってくるね?」

扉から現れた紫紺に、びしりと固まりました。
紫紺の髪と瞳を持つ美しい少女は、少しだけ申し訳なさそうに微笑んでいました。
確かに、ノックをしたのはその傍らに控える従者なのでしょう。しかしもうそんなのどうでもいいこと。アリサさんは慌てて腰をあげました。
フェイトさんの登場に気を取られていましたが、ここに来た理由は元々こちらなのです。

「あー、うん、行ってきなさい」

ふわりと微笑む紫紺の子に向けて、照れてぶっきらぼうになった言葉を渡しました。
どことなく甘い空気です。

「行ってきますのちゅーとかしてええねんで。さあ、遠慮せずに」
「黙りなさい」

それを一瞬で凍らせたのは紫紺の子の隣、扉から半身を覗かせた鳶色の髪と藍色の瞳をもつ可愛らしい少女でした。
今までの瞳とは打って変わって半眼を鳶色の子に向けたアリサさん。

「あんたんとこのは?」
「あたしのおやすみからおはようを見守って、朝の挨拶し終わったらそのまま熟睡やけど」
「あたしもあんまりよく知らないけど、なんか、あんたんとこのって……」
「いやー、愛されてるわーあたし」

鳶色の子はふにゃりと笑います。それはそれは可愛らしい笑顔です。
しかし次の瞬間には、近づいてきていたフェイトさんににじり寄る鳶色の子。アリサさんに振りかかる嫌な予感。
鳶色の子は、フェイトさんにまるで内緒話をするように言いました。

「それより、ちょっと聞きまして? すずかさんったら今朝はほうれん草のスープを頂いてましたのよ」
「鉄分豊富だね」
「しかもシェフに聞いたら晩餐はレバー系ですって!」

声量は落としていません。ついでに視線はアリサさんです。
釣られてフェイトさんの視線もアリサさんです。
二対の視線に、頬を引くつかせるアリサさんです。
こてっと、とっても可愛らしく鳶色の子が首を傾げます。

「アリサちゃん、飲みすぎはあかんよ?」
「よ?」

ついでにフェイトさんも。

「そんなに飲んでるわけないでしょ!!」

案の定落ちた怒号にも。

「飲んだことは否定せぇへんのね」
「ね」

顔を見合わせてこれです。
紫紺の子の少し赤い頬を視界の端に収めて、アリサさんは思いっきり息を吸い込みました。

「さっさと行け!!! Get out here!!!!!」
「きゃーっ☆」
「い、いってきます」
「いってらっしゃい」

その頬は、紫紺の子と同じ色。














就寝前なのにもかかわらず多大なエネルギー消費にアリサさんはもう一度溜息をつきました。
ひらりひらりと手を振っていた隣の、吸血鬼を見ます。
紅い瞳。

「で、いい加減あんたも贄迎えなさいっつってんでしょ」
「代替品の味、バリエーション増えたよね。コーヒー味とかでないかな」
「聞け」

糧の代わりとなるものも、もちろんあります。
しかしそれは所詮偽物。吸血鬼としての血の濃さに反比例して、効果は薄くなります。
フェイトさんの血筋にとってみれば、それは水に等しいものでした。
贄。
吸血鬼の、糧。先ほどの紫紺と鳶色を示す言葉。
贄でありながら人として生きることを許されている彼女たちは昼間の世界に生きています。だから、学校にも通っているのです。
彼女たちを糧とする吸血鬼は、上位です。その贄であるからして、護衛は付きます。鳶色に至っては、守護騎士と呼ばれる者までいるのです。
贄であるのに、贄であるからこその、待遇。
苦痛だけが待ち受けているわけでない。それが、贄なのです。
そしてフェイトさんが選ぶ贄ともなれば、その待遇は恐らく特別の枠にも収まらないでしょう。
なのに、フェイトさんにはまだ贄がいませんでした。

「実は飲まず嫌いなんだ」
「フェイト」

困ったように笑ったフェイトさんに、アリサさんの静かな声。
翡翠と紅が対峙して、しばらく。

「贄なら、もう決めてる」

観念したのはフェイトさんでした。

「約束したんだ。きみだけしか選ばないって」

十年前。
絡めた小指と、蒼い瞳に誓ったこと。
フェイトさんが語った短い言葉にアリサさんは呆れと共に納得します。何だか、フェイトさんらしいと。
自身の焦りは杞憂だったかと、アリサさんはとても軽い気持ちで聞きました。

「で、その子はどこにいるの?」
「えっ、知らない」

だって、その時の一回しか会ってないもの。
きょとんとした顔で言われて、それがどうかしたの、とでも言いたげな顔をされて。
アリサさんの何かがぶちりと切れやがりました。

「この馬鹿あああああああああああああ!!!!!!!!」

鼓膜が破れるかと思った。
フェイトさんは後に語ります。










「名前! 調べるから名前教えなさい!!!」
「えぇ……」
「何よ!?」
「あの、こう、私だけが知っておきたいと、いう、k」
「いいから吐け」
「は、はいっ」



なにこれひどい

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