どっちも



フェイト・テスタロッサ・ハラオウン執務官。
その名を聞いて彼女の姿を思い出せない者はいないだろう。
その容姿を褒めるのに言葉は欠かない。
沈魚落雁。羞月閉花。雪膚花貌。花顔柳腰。こと、全て当てはまってしまうからだ。
その人がいれば周りが華やぐとまで言われる貌である。
しかしてその美貌だけが有名なわけではもちろんない。
名家ハラオウン。その名に恥じることのない敏腕執務官である。
怒ることなどないような穏やかな彼女の強さは、空戦ランクが物語る。
オールラウンダーとも呼ばれるが、そのクロスレンジは彼の烈火の将に負けずとも劣らず、本局の中でも最高のものだろう。
普段の様子からかけ離れた、戦場での凛々しい姿もまた周りを虜にする要因であった。
だからこそ、彼女に近づく者は多い。
フェイトには被保護者がいる。彼女を姉と、母と慕う被保護者を、エリオとキャロと言った。
彼らはフェイトのことを家族と思っているし、フェイトもまたそうだ。
つまり、それこそ書類上はフェイトには息子と娘がいると言ってもいいだろう。
被保護者がいる。そのことがフェイトに言い寄る者たちへのストッパーになるかと言えば、そうではなかったのだ。
名を分けたわけでもない。一人立ちも、している。子供として見るには少々足りなかった。
それこそ、彼女の義兄の名の方が一部の局員にとったら越えられない壁となっているだろう。
その容姿や人柄からの恋慕。助けられた恩義からの敬愛。家名を欲した邪念。
様々な思いが渦巻くその中心。
妙な沈黙が守られた渦中に、フェイトはいる。















祝賀会というには、少し違う。
かといって宴会というには、少々格式高い。
そんな飲み会が行われていた。
ある作戦が見事成功したことのお疲れ様会、とでも言えばいいのだろうか。
集まったのは作戦に参加した執務官職、武装隊、後方支援隊、医療班、様々で大人数だ。
その中に、フェイトもいた。
フェイトがこの様な飲み会に参加することは、珍しいことではない。
だが、途中で呼び出されることも多く、そのせいもあってかアルコールも口にすることがほとんどない。そんな参加の仕方であった。
戦闘中以外は変わることのない穏やかな顔を、アルコールという液体を混ぜて溶かすことが出来ればどんなにいいか。そしてそれを自分だけが拝むことが出来たのなら。そう思っている者も多かったのだ。
だからこそ、この一言は多大な影響を及ぼした。

「ここの参加は、クロノ提督からの許可も得ていますから」

さらりと零れたその言葉は、そのまま零すだけで終わるわけがなかった。
いうなれば津波である。
波紋はすぐに全体へと行き渡った。
クロノ・ハラオウン。ハラオウン家の長男にして、フェイトの義兄。その名を知らない者は、フェイトとは違う意味でもいない。
彼が義妹をとても大切にしていることは、本人が隠そうと思っていることに関わらず周知の事実である。彼の前でフェイトのことを口説いた局員がどうなったかを知らない者も、いない。恐怖という感情を植え付けるには過分な対応だったとだけ言っておこう。
彼という抑止力は、この場にいた者たちにとってはそれは強いものであった。何せ彼に“対応”された局員もいるくらいなのだ。
その彼からの許可を得たという今回の参加。
真意がどうあれ、参加者が都合良く曲解するのは仕方がないことである。
つまりだ。
ここでフェイトが誰とどうなっても、よしとする。
そう思ってしまう輩が出てきてしまったのである。
抑止力からの許可。一気に上がる熱気。異様な興奮。それに気付かないのは本人だけであろう。
そう、聡いように見えて、このフェイト、自分のことに関して鈍いのだ。その鈍さに想いを圧し折られた局員も多いと聞く。
何も気付かないフェイトは微笑む。

「呼び出しも抑えるって言ってたし、今日はお酒にしようかな」

第二波である。
これは素晴らしいチャンス。いや、もうあるかわからないチャンスの到来。
皮算用を立て、ここ一帯の宿泊施設を検索する者まで出てきたほどだ。
かくして飲み会は始まる。
だが全てうまくいくわけがない。フェイトはひとりでの参加ではなかった。補佐官を伴ってのものだったのだ。
昼行燈。そのように呼ぶ者もいるが、シャリオはフェイトの補佐官である。その有能さは、補佐官という枠を超えていた。
アルコールを口にするフェイトの隣で、ソフトドリンクを飲みながら、次々と入れ替わるフェイトの話相手の牽制をやってのけたのである。例えそれが階級が高いものであれ、何であれ、彼女のガードは物腰が柔らかいのに堅牢であった。見れる、話せる、だが近づけない。まるで鉄格子だ。
それだけではない。
フェイトの、己へ向けられた好意に分類される感情というものに鈍感なその性格も、アルコールによって助長されてしまったのだ。全てかわされてしまう。戦闘中の高速機動の既視感すら覚えた者がいるほどだった。紙一重で回避された。もしくは掠りももしない。そんな手応えの無さである。
だが、熱気と興奮は収まることを知らなかった。
飲み会のお開きが告げられた瞬間でさえ収まることがなかったのだ。むしろ、その言葉を待っていた者がいるくらいである。
会場を出て、出入り口近くのホールに溜まる参加者たち。
二次会へと向かう者。帰路に付く者。様々いる中で、その大部分がフェイトの様子を窺っていた。
フェイトはシャリオに気遣わしげに、アルコールによって淡く朱に彩られた頬を緩める。

「シャーリー、明日補佐官職の会議でしょう? ごめんねこんな遅くまで……料金は私が出すから、タクシーで帰って?」

彼らは知っていた。
補佐官職が集まる会議が明日あるということを、誰かが漏らした情報は瞬く間に広がっていたのだ。
ここで壁は居なくなる。そう、知っていたのだ。
あとは、フェイト本人だけ。
本番は、これからだ。
誘いの言葉などいくらでもある。
今回の任務の反省点を執務官視点から聞いてほしい。先日の作戦に付いて相談したいことがある。孤児院についての話を伺いたい。
全て、フェイトの性格に則った誘い文句であった。下心が丸見えである。
誘ってしまえば、二人きりになってしまえば、あとはどうとでもなる。その考えが浮き彫りだ。

「そうですね……、フェイトさんはこれからどうするんです?」
「うーん、明日は休みだし……」

ここで更なる熱気の上昇が起こった。
明日は休み。これ以上何を望むことがあろうか。
薄く色付いた頬。緊張のない緩んだ紅。少々ゆったりとした口調。アルコールは着実に、そのもはや薄いを越えた防御を崩していた。機動力も、落ちていることだろう。回避不可の距離で、一撃で仕留める。そんな言葉が彼らの脳裏によぎる。
シャリオという檻が退くのを待つのみなのだ。フェイトの視線が往来へ向き、タクシーのランプを捉えた。
さあ、餌を囲う檻が外れる。
獣が地に爪を食いこませて。

「フェイトママぁ!」

警笛のようだった。獣が肩を震わせ動きを止める。
その音を聞いた獣も、傍観者も、檻も餌も。全ての意識を向けさせた、警笛。
外されない檻。その隙間を通りフェイトに辿り着いた者がいたのだ。
舌足らずの声と、落ち着いた色合いの金色。夜の街には不釣り合いな幼い体躯を包むのは、パーカーにホットパンツ。
ネオンを反射する、光彩異色。
逸早く反応したのは、フェイトだった。その姿を見ると、まず目を丸くして、駆け寄る少女の名を口にする。
それにより一層の笑顔を浮かべた少女は、屈んだフェイトの腕の中に飛び込んだ。

「フェイトママっ」
「ど、どうしたの? えっ? 何でここに?」

アルコールが入っているとはいえ、その体幹がふらつくことはない。
フェイトに抱きあげられた少女は、長さの足りない腕で精一杯に抱き付いた。
が、すぐに少し距離を空ける。むっとした、微妙な表情。

「ぅぁあ、お酒のにおいぃ……」
「ご、ごめんね、離れる?」

眉をこれでもかと下げたフェイトが、少女に提案する。
すると、少女はフェイトの少し悩んでから。

「んー……抱っこのが好きだからいい」

やはり、フェイトに抱き付いた。
その時のフェイトの顔を見ることが出来たのは少数だったが、とても嬉しそうなものだったという。
傍観者の中で父という役目を持つ者たちが、各々の記憶を巡らせて少しだけ遠い目になっていたのも追記しよう。
小さな乱入者に場の空気が乱されていた。
混沌とした中で、清涼剤ともいえる無垢な存在。獣たちがぐるぐると喉を鳴らす。お預け。その言葉が似合う。
誰だあれはという思考に混じる、少女がフェイトを呼んだ呼称の謎。
一部は、ある特定の部隊に属する者たちを中心に、もう手遅れだということを感じていた。そう、少女のことを知っているのだ。
少女に向けられていたフェイトの視線が、上がった。
そうして、気付くのだ。その場にいる全てが、知るのだ。
少女が駆けてきた方向から、やってくる人が、いる。
プルオーバーのトップスにクロップドパンツ。近所を散歩に、そんな装いである。どこか美しさより可愛らしさの方が先に来る、可憐な貌。そして栗色の髪は後頭部に纏め結い上げられていた。その髪が左側に揺れていないことが珍しく感じる者も多い。
その人を認識し、少女の存在を理解するに至る。
この場にいる誰しもが知る、人だった。

「こらー、先に行っちゃダメって言ったでしょ?」

そんなことを口にしながら駐車場よりやってきたその人は、歩みと共に目があった局員たちに会釈をした。獣にも傍観者にも、須らく。
敬礼を返す者もいたが、あえて言葉を足さないのは、そういうかしこまった場ではないと正しく認識し、ただ迎えに来た人という立場を示しているからだろう。
その人はフェイトの傍に来るなり、開口一番に抱きあげられた少女に対するお小言を口にする。

「迷子になったらどうするの」
「だって、フェイトママ見つけたんだもん……ごめんなさい……」
「まったく……」

どうやら繋いでいた手を離して駆けてしまったようだ。
さきほどより抱き着く力が強くなったことに苦笑を洩らすフェイトと、このやりとりを間近で見て別の意味で苦笑を洩らすシャリオ。
その人は、シャリオに声を掛けてから、フェイトに向き直った。

「お迎え」

微笑みを以ってして発されたのはその一言。
それだけで、様々なことが伝わるのだろう。フェイトは頬を緩めた。

「ここで飲み会してるのも、終わり時間も聞いてたから」
「誰に?」
「内緒」

瞳を細めて笑うその人に、フェイトは眉を下げる。
フェイトは飲み会のことも伝えていないのだ。つまり、このお迎えは完全に予想外。
情報の取得先も、この分では教えてもらえないのだろうとフェイトは思い、思考を別のことに移す。
抱きあげている少女のことだ。フェイトが知る限り、少女はこの時間もう夢の中のはず。そしてこんな時間まで起きていることをこの人が許すことはないだろうということも知っていた。

「寝てたのに起きてきちゃって、一緒に行くーって聞かなかったから、特別にね」
「そっか」

視線だけでの問いに返ってきた答えに、フェイトはやはり目元を緩めた。
嬉しいものは、嬉しいのだ。
その人はしかたないと言いたげに少女の頭を撫でて、フェイトを見る。

「家に帰ったら、自分が寝る前にちゃんと寝かしつけてください」
「了解しました」

このやり取りによって起こったのは、電撃であった。
一瞬で全員に伝播したそれは、その言葉から察する意味を皆に刻みつけたのだ。
シャリオに視線を向けて、その人は車の鍵を軽く揺らす。

「シャーリーも乗って、送って行くから」
「いいんですかー?」
「うん。酔っ払い上司に付き合ってくれたお礼。乗って行って?」

そう言われては、というよりも渡りに船である。
シャリオは笑顔で首肯した。
その会話を聞いていた少女が、フェイトに首を傾げる。

「フェイトママ、酔っ払い?」
「酔っ払い、かなぁ……」

フェイトは苦く笑うしかない。
そうして、フェイトの視線はやっと局員たちの方へ向く。
足を縫いつけられた獣たちも、傍観する者たちも、今の今まで音を発することなくただ見ているしか出来なかった局員たち。
フェイトは、微笑みを浮かべた。

「お疲れ様でした。お先に失礼します」

少女を気遣いながら、頭を下げる。
口々に、お疲れ、お疲れ様です、などと返ってくるそれにやはり微笑みを向けて、同じく頭を下げていたシャリオを伴い背を向けた。
少女がフェイトの背越しに、ばいばいと小さな手を振り、幾人かが破顔してそれに手を振り返していた。
そうして。

「お世話様でした、失礼しますね」

その人もまた、軽く頭を下げて背を向ける。
その場にいた者たちは、駐車場へと向かうフェイトたちの背を、見るしか出来ない。
獣たちは、肩を盛大に落とす。ただの小動物へと、その姿を変えていた。
檻は、上がることはなく。無垢な加護を得て。餌は守られていた。
檻より、加護より、何よりも。
近づくための鍵を持つ者。

「抑止力どころじゃない……」

誰かが漏らしたその言葉。
その場にいた者たち全てが、黙することしか出来なかった。



少女がフェイトさんに駆け寄るところが書きたかった。

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