どっちが



高町なのは教導官。
その名を聞いてエースオブエースという言葉を連想しない人はいないだろう。
一騎当千。その人がいればどんな戦局でも覆せると言わしめる人だ。
しかしその強さだけが有名というわけではない。
決して自己主張が強いわけではない。けれど、香り立つような、可憐な美がそこにはある。
傍でその自然な微笑みを目の当たりにしたものなら、虜になるだろう。
それが、高町なのはという人だった。
だからこそ、お近づきになりたいと思う者も多い。
JS事件と呼ばれる大きな一区切りを得て、なのはには娘が出来た。養子とはいえ、その繋がりはとても深く、濃い。
その二人の姿を見たものならば思うだろう。ああ、本当の母子なのだと。
一児の母となったなのはに、近づくことを諦めた者もいれば、逆に興味を抱く者、またはより一層気持ちを増した者もいたわけである。
つまり。
高町なのはは、依然として高い人気を誇っている。
本人がそれを望むか望まないかを、別として。









その日は打ち上げという名の飲み会であった。
教導隊が属する武装隊。その部隊ひとくくりの、盛大と言えば盛大な飲み会である。
とはいうものの、有事に武装隊全員が酔っ払って出撃不可何てことのないようにある程度の選別はあった。
しかしそこに参加した中に、高町なのはの姿があったのが、ある意味、問題であったのだ。
ヴィヴィオという可愛い娘がいるなのはは、こういった飲み会に参加する機会が減った。元々顔を出すだけ、もしくは一次会で姿を消すくらいの参加率だったのだが、それ以上に参加が減ったのだ。娘が待ってるので。そう言われては無理に誘うことも難しい。
そんななのはの、今回の飲み会参加である。
色めき立つ人たちがいるのは仕方ないといえよう。そして飲み物注文の際にそれは助長した。

「あ、今日はお酒で」

はにかんでそう言ったなのはに、参加者たちはざわついた。
なのはが管理外世界の出身で、その世界の、なのはが住んでいた地域の飲酒可能年齢に達している。それを知っている者は一部だったが、ミッドでの法律は違う。あまりアルコールを摂取しないなのはに、歯噛みしていた者も多い。
そこでこの発言である。
唯一の救いというべきか、飲み会中になのはの周りを固めたのが女性局員たちだった。彼女たちは男性局員たちが目の色を変えたのを察したのだろう。そしてそれと共に思うのだ。守らねばと。女性局員たちは、男性局員たちよりも、なのはのことをよく知っている。色々な角度で、知っているのだ。同時に、察しているのだ。
女性局員の守りとフォローもあってか、飲み会は平和に進んだ。悶々とした何かはそのままに、なのはに近づくことなく終えた局員も多い。アルコールとは違う熱気がそこにはあった。
そうして、彼らは機会を待つのだ。今夜最後の機会。

「それじゃあお開きにしようか」

アフターという名の、チャンス。
飲み会会場から出て、その駐車場に屯する。
公共交通機関で帰るものも多ければ、タクシーを呼ぶ者もいる。はたまた徒歩。そして二次会に向かうもの。
なのはは事前に、一次会で帰る旨を宣言していた。

「ヴィヴィオちゃんは大丈夫なんですか?」
「明日はアイナさんが来てくれるから、寝坊しても大丈夫なんだ」

飲み会前のその言葉を盗み聞きしていた輩は多数である。
つまり、この後のなのはは、フリー。少なくとも、少し遅くなっても問題がない。
これは絶好のチャンスである。流石に個人的なお誘いに無理矢理付きそう他の局員はいないだろう。
なのはの状態を見る。その頬は魔力光を透かせたように桜色。纏う空気も柔らかい。言動も、少し砕けたものとなっていた。お酒の力は偉大である。追随を許さない防御力はかなり下がっているだろう。ここで踏み込まずにいつ踏み込む。まずは誘うことがスタートだ。
なのはの周りを固めていた女性局員の一人が、気遣わしげに訊く。

「なのはさん、タクシー呼びます?」

来た。羽ばたく脳内作戦を練っていた局員らは思った。ここだと。
家どちらの方向ですか。一緒の方向じゃないですか。良かったら相乗りでも。
そんな常套句をいの一番に告げようとスタートラインを一斉に切ろうとして。

「ううん、終わり際に連絡したら、うちの人が帰ってきてるみたいで、迎えに来てくれるってー」

踏み込んだ先は崖だった。
膝が崩れそうになる者。肩をあからさまに落とす者。様々いる中でなのはの言葉に疑問符が大量に発生する。誰だろうと。
だが女性局員たちからは発生していない所が、やはりというべきか。
飲み会後、迎えを呼んだ者ももちろん居る。その車に乗り込んで家路につくのだ。
うちの人。
なのははそう言った。先ほど言っていたハウスキーパーだろうか。もしかして。いやまさか。様々な思考が渦巻く。
終わり際と言っても会計やらなんやらで時間は結構立つものである。そして、なのはが連絡したのもそれなりに前だったらしい。
一台の車が、駐車場に静かに滑り込んできた。
黒い、スポーツカー。手入れのされたそれは闇夜の中でもネオンサインに照らされて光沢を得ていた。艶めく黒、とでも言えばいいだろうか。
近くの駐車スペースに停まったその車から、その人は出てくる。
スキニーパンツに七分丈のトップスという、ラフな装いである。所謂、外出だけれど迎えに来ただけ、という格好。だが、そのプロポーションと貌から溜息の漏れる姿と言っていいだろう。
違和感を感じるのは、おそらく髪型のせい。現に、一目でその人だと気づかなかった局員もいたくらいだ。普段は背を覆うその髪は、緩く纏め結い上げられていた。
そう、その場に居た局員たちは、現れた人のことを知っていたのだ。
その人は淀みない歩きでなのはの前に進む。その際に目の合った局員たちに会釈もする。いちいち声を掛けないのは、これがオフシフトの武装隊の飲み会であることを理解したうえでのことだろう。あくまで迎えに来た人。その立場である。
女性局員たちにもそうして微笑みを向けていたその人が、なのはの前まで来る。
なのはは、その車がきた時から、いや、もしかしたら連絡がきた時からかもしれないが、終始笑顔だった。

「結構飲んだ?」
「んーん、そんなに飲んでないよぉ」
「そうかな……」

指の背でなのはの頬に触れたその人は、困ったように眉を下げて口元を緩めた。
なのはは上機嫌にされるがままになっている。手に持っていた鞄が、いつの間にかその人の手の内にあることにすら気付いていないだろう。とても自然なことだった。

「ヴィヴィオは?」
「もういい子に寝てるよ」

母の顔になったなのはに、その人は微笑む。
なのはママにおやすみって伝えてね。そう言われたと口にしながら。
なのはは嬉しそうにさらに相好を崩して、そうして少しだけ口をとがらせた。

「おやすみって言いたかったなぁ」
「帰ってから、可愛い寝顔に言ってあげようね」

ヴィヴィオの寝顔を思い出しているのか、なのはとその人の瞳はとても優しい。
なのはの頬の色を見て、その人は首を傾げる。

「明日は?」
「午後からお仕事ー」
「起きれる?」
「起きれるよぉー……、私より寝起き悪いくせに」

眠たげに発されたその言葉に、周りの空気が波紋を立てた。
何故か黙したまま二人のことを見ているしか出来なかった局員たちが発した声にならない衝撃。仕事中、普段のなのはから見れば、考えられない言動である。それをその人も解っているのだろう。ふう、と小さく息をついて苦く笑う。

「……酔ってるね」
「ないもん」

なのはの返しは、酷くなる一方だ。
少しだけ舌足らずになっているのは、おそらく目の前の人の存在のせいだろう。
不意にばっと顔を上げたなのはが、局員たちの方を向く。びくりと肩を震わせた局員たちに向かって、なのはは笑顔で敬礼。

「お疲れ様です! お先に失礼します!」

お疲れ。お疲れ様でした。お疲れっす。
釣られて敬礼を返しながら口々に発される声。
それに笑顔を崩さずに頷いて、なのはは一人で車の方へと向かう。
その後ろ姿を見て、また息をついたその人は、改めてその場に居た武装隊局員たちに軽く頭を下げた。

「ご迷惑おかけしました、それとありがとうございます」

後者の言葉は、なのはの周りに居た女性局員たちに向かっての言葉だと察する。
どこかふらつくなのはを支えて助手席に乗せ、その人もまた車に乗り込み、黒いスポーツカーは入ってきたと同様に静かに発進し、その姿を消した。

「いいなぁ……」

その場に残っていた誰かが発した声に、恐らく全員が頷いたのだった。



なのはさんに「うちの人」って言わせたかっただけだ。

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