寂しさ指数



そうして、私は今、ひとりぼっちなのです。
ソファに座って、膝を抱え込んで、穏やかな昼下がり、平穏な時、ひとりなのです。
時計を見れば、長い針はさっき見た時より五歩しか進んでいない。あと、一時間四十三分。
まだ一時間十七分。もう一時間十七分。長い長い、一時間十七分。あ、十八分。
一時間と十八分前までいた人が出掛けていて、あと一時間と四十二分後に戻ってくるはずのその人が居ないのです。もっと長い時間、長い期間居ない時だってある。航行任務についている人だから。それこそ、何カ月とか、そんな期間。それに比べればどうってことない時間。そう、そのはず。
だけど。
名前を声に出そうとして口を噤んだ。唇をかみしめる。今言ったら、何だか駄目な気がした。耐えられない気がした。じんわりと、目が潤んでくる。どうしよう、何か、泣きそうなんですけど。ちっちゃい子みたい。
よくわからない意地で、泣くまいと視線をあげて、少し滲んだ視界に映る黒いジャケット。あの人の物。ちょっとだけもたつきながら立ちあがり、それを手にしてまたソファに座る。じっと見て、ぎゅっと握って、顔に押し付けるように、抱きしめる。匂いとか、あるはずがないぬくもりとか、そんなものを感じて。もっと泣きそうになって、失敗したと思いながらもそれを止められない。
ただ、名前を言わないように、また口を噤んだ。心から溢れる感情が、頭の中でぐずる子供みたいな声を出す。
さみしいよう。
いつもなら気にしない程度の、我慢できる程度のことなのに。我慢という箱の大きさが小さくなったのか、それともそれに入る感情の蛇口が壊れたのか。箱から流れ出る感情。
さみしい。さみしい。わかってるよ。さみしいよ。でもあとちょっとで帰ってくるもん。さみしい。うるさいな。さみしい。ああもう。
さみしいよう。
深呼吸して、肺いっぱいのあの人の匂い。吐き出して。足りなくて。服を掻き抱く。

ピンポーン

お客さんを告げる音。跳ねた鼓動はすぐ収まる。だって、あの人は鳴らさない。
のろのろと顔をあげて、もたもたとモニターで誰かを確認して、玄関のロックを解除する。そのまま、口元を服で覆うように抱きしめて、動かない。瞼を下ろす。
扉が開く音と、訪問を知らせる声と、聞き覚えのある足音。


「お邪魔しますー。久し振りの親友をお出迎えしてくれてもええんちゃうかー?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、って、おおぅ、なんや凹んどる」


近づいてくる足音。ソファ。隣が軋む。あの人よりも遠い距離。他の人よりも近い距離。


「何?どないしたん?」


何も答えずにじっとしていると、私をよく知っているこの親友は小さく笑った。
それが何故かを理解したけど、私はそれを止める気はなかった。腕の中には、あの人の服。


「寂しいんやー?」


からかうような声。これはそう、反応を見て楽しもうとしている時の声。
顔をのぞきこまれた気がして、ぎゅっと、服に顔を埋める。寂しいんやー、って。寂しいのって。それは。


「うん・・・・」
「なんや素直に頷かれると反応に困るな・・・」


ぎ、ソファの背もたれが軋む。蹲る私と、ソファに身体を預ける親友。
ちょっとの沈黙。視界を埋めるのは瞼の裏。鼻腔を埋めるのはあの人に匂い。隣に居てくれるのは親友。だけど、申し訳ないけれど、隣は埋まらない。


「もうちょっとで帰ってくるんやろ?」
「うん・・・」
「昨日も、ずっと一緒におったんやろ?」
「うん・・・」


そう。そうなの。あと少しで帰ってくる。航行任務とは比べ物にならないくらい早く、帰ってくる。昨日も、ずっと一緒に居てくれた。ずっと私だけを構ってくれた。だからね。だけどね。


「でもね」


顔をあげる。隣を見る。少し目を丸くしたはやてちゃんが居る。はやてちゃんを見たまま、抱え込んだ膝と、服の上に頭を乗せる。
帰ってくる。あとちょっとで。昨日も一緒に居た。あと少しでまた一緒に居れる。
でもね。はやてちゃん。私は。


「さみしいの」


涙が流れなかっただけ上出来。
さみしいよう。さみしいよう。心がぐずる。ねえ、はやてちゃん。私、寂しいよ。どうしよう。
私のそんな姿を見て呆れるかなと思っていたら、はやてちゃんは笑う。頭にのる私より小さな掌。くしゃくしゃと、髪を混ぜる。


「それはまた、かいらしいこと」


可愛くないよ。こういうのはわがままっていうの。











「ただいまー」


声が聞こえた。
待ち人来る。そう言葉にせずに呟く。まあ、あたしのじゃないけど。
きっとその人は、久し振りの三人での食事を楽しみにしてくれているだろう。あたしたちを待たせてしまったことを気にしているだろう。でも、今、気にすることはそれじゃない。


「ごめん、二人とも、待たせちゃったよね」


リビングに現れたその人に、抱きつくなのはちゃんを見ながら、手にしたマグカップを傾ける。


「え?」


ああ、予想通り止まった。
視線はあたしに向いている。まさか抱きついてくるなんて思ってなかったんだろう。ソファに座る二人に視線を合わせるつもりだったんだろう。でも残念、あたししかいない。もう一人は、ほら、もっと、ずっと近くに居るから。


「え、えええ?な、なのは?え、どうしたの?は、はやてもいるよ?どうし、あの、なのは?」


あたしと、くっつくなのはちゃんに視線を交互にせわしなく行ったり来たりさせながら、その人は、フェイトちゃんは慌てている。面白いくらいにうろたえている。ああ、ほんと、期待通り。
笑いがこみ上げてくる。マグカップをまた傾けて、空っぽになったそれをテーブルに置く。御馳走様。自分で勝手に入れたものだけど。ソファの上に置き去りにされた上着を見る。お勤めご苦労さん。
立ちあがって、伸びをする。フェイトちゃんに近づくと、助けてって顔。いや、助けても何も、あたしが助けてって思ってたし。むしろなのはちゃんは助けられたし。
隣に立って、フェイトちゃんに抱きついて何も言わない人の頭をちょっと撫でる。そのままフェイトちゃんに問いかけた。


「フェイトちゃん、いつまで休みなん?」
「え?あ、えと、明々後日、まで」
「じゃ、明後日もっかいくるわ」
「え?」


ぽかんと見てくる人の肩をぽんぽんと叩いて、あたしは二人に背を向ける。首だけ振り返って、ひらひらと手を振る。


「今日は思いっきり甘やかしてやり」


そのくっついてる子。
そう言って、あたしはこの場から離れる。あとは知らん。
背後から聞こえてくる情けない声と、可愛らしい言葉に苦笑い。玄関を閉めて、見える空。
あー。


「カリム暇しとるかなー」


さみしさって移るものなのだ、たぶん。



ハイパーわがままタイムへ

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