きみしか見えない



予定していた教導が終わった。
今日のスケジュールはこれで何もない。
けれど帰るには何だか早い時間。ぽっかりと空いてしまった時間。
手持無沙汰。暇を弄ぶ。
まさに、そんな感じ。
端末を開いて、すぐに閉じる。
親友も、あの人も、仕事の最中だろうから。
局の廊下をいつもより遅い歩みで進んでいく。
掛けられる声に他愛もない返事をし、向けられる笑顔に少し微笑む。
さながら、散歩。
職場で散歩。変な感じ。
滑らせる視線は行きゆく局員。いつの間にか改装した一画。品ぞろえが変わった自販機。
如何に自分が周りをあまり見ていないかがわかる。そんな時。
吹きぬけのフロア。視線を下ろした階下。
私がよく見ている色を、見つけた。
金色。
その周りに、まるで彼女を中心に公転する天体。
何人かの、局員。
いつものこと。日常的な光景。
彼女が囲まれるのは、珍しくもなんともない。
今日の天体は身なりから言って、階級は高い。
残念ながら、私には覚えのない人。
首元から紅玉の声。
その声に、少しだけ口元を引き結んだ。
声が並べ挙げたのは、所謂、名門の、人たち。道理で。心の中でそうつぶやく。
代々管理局の重役につく、その家の名を継ぐ人たち。
たまに、突き付けられる。
彼女もまた、その名門の人なのだと。
彼女は。
私のように、それこそ例外な、他時空からの叩き上げ魔導師、実力で進んできた魔導師なだけ、ではない。
もちろん、実力は誰もが認める魔導師だけれど、それだけではない。
彼女がもともと持っていた名は、大魔導師と言われたその名。
彼女が今持っている名は、誰もが認める名門の名。
私は、実力だけを以ってして、今の地位にいる。
彼女も、実力だけを以ってして、今の地位にいる。
けれど、彼女が持つものは実力だけじゃない。その名を、携えている。
義母のため。義兄のため。彼女は、その名に相応しくあろうとしていることを、私はよく知っている。
自分のために。だけじゃない。その名のため、実には家族のために、彼女が今の彼女を作り上げていることを私は、とてもよく知っている。
だからこそ。
彼女は、目の前にくるくると廻る天体のこともよく知っているし。その対応も知っている。どの天体が恒星か。惑星か。それもよく、知っている。
その天体の中心にいる彼女は、とても綺麗だ。着飾った天体が周りにいても尚、その存在だけが揺ぎ無い。
名門というものを携えている以上、彼女は、名門の長女という立場にある。
ほら、目の前でだらしなく顔を緩める子息にも笑顔を向けて。添加物に塗れた言葉で餌付けしようとする息女にも柔らかく言葉を返して。
煌びやかで目をつむりたくようなその世界に、彼女はいる。いる時が、ある。
私はこんな時、どうしようもなく目を逸らしたくなるのだ。
いらいらする。
むかむかする。
悲しくなる。
そして。
寂しくなる。
違うのだ。踏み出した場所が同じあっても、踏み出した先が、もう違った。
遠い存在になる。
そんなことはないと、彼女に言われているのに、そう思ってしまう。
口元を引き結んだ。
煌びやかだと言われるそれから、視線を外した。
瞼を下ろして、再び上げた時には、階下は背後。
一歩、踏み出そうとして。


“部屋で待ってて”


幻聴かと思うくらい、唐突。頭蓋を反響したたった一言。
目を丸くして、背後を見れば彼女は変わらず天体を見ている。
自分の鼓膜が都合のいい言葉を作り出したのかと思って軽く頭を振る。


〈Room number and unlock code received.〉 宿泊室番、解除コードを受け取りました


紅玉が、都合のいい現実を静かに告げた。


−−−−−−−


目の前で白く綺麗な指がコンソールを叩く。
背中に彼女のぬくもりと、耳元に呼吸を感じて、ゆっくりと時は流れる。
部屋に帰ってきた彼女は微笑んでいた。どうしていいかわからない私の頬に手を添えて、もしよければ少しおしゃべりでもしませんか、そんなことを言った。
今の仕事の間だけ借りているらしい部屋。
窮屈な制服から、彼女のYシャツを身を包んだ。まだ仕事残ってるから少し待って、そう言って部屋着に着替えた彼女。
ベッドの上、ヘッドボードのクッションに凭れた彼女の足の間へ、潜りこんだ。少し驚いただけで、許してくれた。
モニターに連なる文字は何かの報告書だろうか。私が見てもいいのと聞いたら、機密じゃないけど内緒ね、と返された。
その指が止まることはない。流れていく言葉を読むことはなく眺める。
膝を抱えて丸まって、思い出すのはあの光景。
見ていたことはばれている。それならと口を開いた。独り言のように。
どんなことはなしてたの、って。


「つまらないこと」


短く返ってきた答え。その声に色はない。
つまらないことって、どのくらい。


「クロノがこの前言ったダジャレくらい」


ああ、それはつまらないね。
何だかほっとして、膝を抱えていた腕を緩めた。
身体全体を、ゆっくりと凭れる。
でも、話しこんでたね。


「この時間と比べたら一秒にも満たない時間だけどね」


それとも比べられないかな。そう言われて、何だか耳元からむずむずして、小さく笑いが漏れた。
肩口から流れてきた金色を指に絡ませる。私は触れられる。
作り笑い、上手くなったね。


「なのはには本当のしか向けないよ」


作る必要ないから。ばれちゃうし。今度は彼女が小さく笑った。
うん、ばれちゃうね。私は、わかるから。
金糸を口元に持っていく。変わらない、匂い。
疲れてるんじゃないの。


「うん、少し。だから、今凄く落ち着く」


肩口に埋もれる金色の頭。
吐息が首筋を撫でて、くすぐったい。
近づけるだけじゃなく、近づいてきてくれる。
短く息を吐いて、顔を上げた彼女の手が少しだけ強くコンソールを叩いた。どうやら終わりみたい。
閉じたモニター。消されたコンソール。


「お待たせしました」


お疲れ様。
これよりさっきの方が面倒だったと苦く笑ったその表情。
じゃあ、そんなお疲れ執務官さんのわがままを一つ聞いてあげましょう。


「本当に?」


とても近くに、金と紅。
どうして遠くに感じてしまったんだろう。こんなにも近くにいるのに。
毎回、ああやって悩んで。毎回、こう思う。
ただのヤキモチだと、そう言われて、仕事忙しいんだから惚気聞かせるなと親友に怒られたこともあった。
でも、どうしても私は毎回、そうやって、悩んでしまうのだ。
彼女に言うこともなく。彼女が言うこともなく。


「それなら」


横に向きなおされた私は、首を傾げる。
そのまま、手を取られて。


「私のわがままです」


掌に、唇が触れる。
懇願。彼女から、私への。わがまま。
微笑む紅は私だけを見ている。


「甘えてくれませんか?」


どうして、気付かなかったんだろう。
いつでも、どんな時でも。
彼女は、わかってくれているのに。


「なのは」


彼女が見ていたのは天体じゃなく、その前にある空だけだ。



きみいがいいらない

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