たいおん



とてもとても真剣な、それでいて切羽詰った表情をしていたものだから、私はその口から発せられる一言が何か爆弾のようなものであるのだろうと固唾を呑んだ。例えどんな言葉であっても受け止めようと一人決意する。果たして、震える唇から。

「あ、甘える、って、どうしたら、いいのかな」
「ふぇ?」

意を決して放たれた一言は、爆弾ではなく綿飴のようなものだった。










リンディ提督がね、甘えてくれてもいいのよ、って言ってくれたんだ。
真っ赤な顔で、知らないところに放り出された子供の目で、フェイトちゃんは少しずつ説明してくれた。彼女の保護責任者であるリンディ提督。こちらに越してきた時から一緒に住んで、私のお母さんとも仲がいい優しい女性が、私のことも、そして何よりフェイトちゃんのことをとても気に掛けていることを知っている。
フェイトちゃんを見る目が、とても優しくて、まるで。

「それで、あの……」

フェイトちゃんは膝の上で固く拳を握っていた。真っ赤になった顔。硬く瞑った瞼が開くと、泣きそうな、目。

「わ、私、甘えるって、知らなくて」

その姿は、どうすることも出来なくて、座り込んだ女の子。

「ご、ごめんね、こんなこと、普通聞かないんだろうけど、なのはにしか、聞けなくって」

また下がってしまった視線に言葉に詰まる。
言葉自体を知っていても、どういうことを言うのか知らなければ、それをすることが出来ない。
たぶん、教わることも、お手本も、そしてそれをしようともしなかったんだろう。使い魔から聞いているのは、そんな過去。
あの人の命のままに、その身を削ったこと。
ふと、口から滑る。

「甘えてって言われたから、甘えるの?」

少しの、不安。
義務、とでも言えばいいのか。自分の意志ではなく、以前と同じくそれが相手の望みだからと。
上げた顔に映る驚きは、すぐに困ったものに変わる。

「提督の望みをかなえたいって言うのも、ないとは言い切れない」

膝の上で握られた手を解いて、合わされる指先。
はにかんだ、口元。

「けど、提督に、頭を撫でられるの、私、好きなんだ」

あったかいんだ。
他人の温度を知らなかった彼女は、言う。
使い魔の体温と、もうずっと前に触れていた先生のもの、そして、ほんの数瞬しか与えられなかった、あの人のもの。
それ以外を知らない。他人の温度は、触れることすらなかったもの。

「でも、甘えるって、何だろうって、わからなくって、結局何も言えなかったから」

眉を下げて、申し訳なかったなって、思って、そう繋げたフェイトちゃんに私の心が揺れる。
他人の、体温。

「フェイトちゃん、こっち」

考えるより早く、手を伸ばしていた。
ベッドに座ったまま、床に座り込むフェイトちゃんに手を伸ばす。躊躇いなく触れた手に、安堵して、繋いだそれを引っ張った。

「わっ」

思った以上に軽い衝撃を腕の中に。
背中からベッドに倒れ込んで、引き倒したフェイトちゃんが私の上に。大して変わらない体躯を、固まったその身体に、腕をいっぱいに使って。

「ぎゅうぅぅうぅ」

抱きしめた。
頭を抱えるように腕に囲って、苦しくない程度に、精一杯抱きしめる。

「なっ、なの、なのっ、はっ!? 私、重いよ!?」

慌ててるフェイトちゃん。
紅潮から少し暖かくなった頬が首元にあたって、口元が緩んだ。
他人の、体温。

「重くない。それに、抱きつくって、甘える方法の一つなんだよ?」

本当は。
本当は、甘えるなんて、私もよく知らない。
でも、フェイトちゃんを抱きしめたいなぁって思ったから。これはたぶん、甘やかしたいって気持ちだから。
動きを止めたフェイトちゃんが、一人頷く。
雰囲気が変わって、所在なさ気に彷徨っていた手に、ぎゅっと力が入る。

「わ、わかったっ」

言うや否や、私の背に回った腕が、手が、必死なんだなぁ、って思うくらいに縋りつくのを感じた。
体重を全部かけないよう身体に力がとても籠もっているのに、私には苦しくもなんともない、不思議な力加減がフェイトちゃんらしい。
その背中を撫でながら、フェイトちゃんの体温を感じながら、もう一度ぎゅっとその身体を抱きしめて、腕の中の顔を覗き込んだ。
ぐぬぬ。
そんな言葉がぴったり。目を力いっぱい瞑って、真っ赤な顔。
思わず、小さく噴き出す。湧き上がる笑いが、止められない。

「なのは? 何で笑ってるの?」

その振動が直接伝わってしまうフェイトちゃんが、緩んでしまった腕から身体を起こす。
不思議そうに、心配そうに、そんな瞳が見下ろしてくる。

「もしかして、あの、違うの? ぎゅっ、て、こうじゃ、ない? 私、間違って」
「ううん。だって、フェイトちゃん、真っ赤なんだもん」

ぽっと重ねて灯った頬の熱に、掌を触れさせた。
そのまま手を滑らせて、首裏に。さして抵抗がないのをいいことに、またその頭を胸元に引き寄せる。
いつもなら私より少し低い体温。今はちょっとだけ高い体温。
自分以外の、体温。

「こうしてると、落ち着く」

金色の髪に鼻先を埋めて、抱きしめる。
もぞりと動いたフェイトちゃんの、声。

「お、落ち着かないよ」
「そうかなぁ」

くつくつと喉の奥で笑う。
フェイトちゃんは気付かない。自分で精一杯で、フェイトちゃんのそれと同じくらいに私の心臓が動いてることに、気付いてない。
どきどきするのに、落ち着く。不思議。
私が腕を離す気がないとわかったのか、フェイトちゃんは少し身体の力を抜いた。
乗っかっちゃっていいのに。そう思ったけど、今はきっと無理だろうから、言わない。

「甘えるって、難しいんだね」

零れおちた言葉に、瞼を下ろす。

「練習しようか」
「うん」

背中に回された腕に、手に、息をつく。
他人の体温より、まず、私の体温を憶えて。
なんて、身勝手なわがまま。
でも。
うん。
この体温を手放すなんてこと、出来ない。


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