ドヤァ



「どないなっとんねん」
「知るか」

ソファに並んで座った二人が発したのは、それこそ隣にいる人にしか聞こえないようなぼそぼそとした小声でした。
一人はソファに凭れ、その背に腕をかけて若干遠い目。一人は手元にある空になったマグカップを見詰めて弄びながら。
そんな、会話をする気があるのかないのか、それとも別の理由があるのか、はやてさんと、アリサさんの、二人の会話。

「あかん、一周半回ってまた腹立ってきた」
「あら奇遇ね、あたしもよ」

ぼそぼそと続くやり取り。
決して視線を合わせることもなく、決して声量を上げることもなく、決して表情を動かすこともなく。
この場に、図書室に併設された自主学習室の一室にいるのは二人だけではありません。計五人が、この場にいるのです。
しかし声を発しているのは二人だけでした。
L字型のソファ。その長辺に座る二人。そして短辺に座るのは、微笑みを浮かべるすずかさん。
その穏やかな雰囲気を以ってしてソファに腰掛ける姿は、まさにお姫様との呼び声に相応しいものです。そう、すずかさんはいいのです。まったくもって問題はありません。
さらに二人の、ローテーブルをはさんだ対面。三人掛けのソファに座るのは、真剣な顔で資料を確認するフェイトさん。
その右手にある紙束は先生に提出するものであり、さらには補講も兼ねているのでそりゃあもう真剣にチェックしていました。その真剣なまなざしはまさしく王子様の名にに相応しいものです。そう、フェイトさんもいいのです。それなりに問題はありません。
そして。

「見てへんのにめっちゃイラッとするわ」
「視覚すら凌駕した伝達能力があることに驚きなんだけど」

二人を目下ムカムカとさせるものが、そこにはいました。
そことは、対面のソファ。フェイトさんの隣。
それは自身が侵食する範囲をソファだけではなく、フェイトさんの膝にまで広げていました。
所謂、膝枕というものです。
それ、と示されている人物とは、なのはさんその人。
そう。なのはさんは今、フェイトさんの膝枕を享受しているのです。
それだけならばいいのです。いや好くはないのですがいいのです。即刻アリサさんのツッコミが飛ぶ程度で済むのです。
しかし、そのなのはさんの状態が、その、アレでした。

「どうにかしなさいよ、あんたの親友でしょう」
「そっちかて」

ドヤァ……。
そんな擬音さえ聞こえかねないどや顔でした。
完璧などや顔でした。これ以上ないってくらいにどや顔でした。もはやなのはさん=どや顔みたいなそんな感じさえするほどにどや顔でした。

「ていうか何、あれは、何」
「知らんわ」

資料に集中しているフェイトさんはさっぱり気にしていません。なのはさんが呼びかけてもちょっと反応が遅いくらいには周りに気が向いていなかったのです。
事の起こりはそれでした。その集中力になのはさんが気付いてしまったのです。
フェイトさんが何かに集中している。つまりほとんどのことにはさして動じない。
その事を知っているなのはさんが起こした行動が、膝枕、それでした。
現に今、どや顔を膝の上に置いて、さっぱり何も異を唱えません。あまつさえそれを確認して上着をなのはさんの腰辺りに掛けるほどです。理由はスカートだから。
その様子を対面で見たはやてさんとありささんがなのはさんの行動に!?を頭上に浮かべ、フェイトさんの行動にに呆れ、次に見たのが。
ドヤァ……。というわけです。すぐさま視線を逸らしました。

「何、膝枕を自慢したいわけ」
「そやろな」
「そういうのいいから」
「あたしに言わんで」

膝枕を提供しているのはフェイトさん。
フェイトさんといえば、容姿端麗、文武両道、才色兼備と名高い学園の王子の片割です。そのフェイトさんの膝枕です。例え十秒と制約がつこうともそのオークションが
とんでもないことになるのは目に見えています。その膝枕を、今、何の制約もなく、独り占めです。
そりゃあどや顔したくなるってものです。
あくまで、なのはさんは、ですが。

「しかも何で何にも言わないの」
「声掛けられるの待ってるんとちゃうの」
「誰が声掛けるか」
「アリサちゃんが」
「おい」

アリサさんの声が若干低くなりました。
そんな声に反応しないはやてさんに小さく小さく溜息をついて、アリサさんは考察します。

「自分から話しだすのはフェイトの邪魔になるから自重してるわけね」
「そやろ。けど正直言うたくてしゃあないらしいで」

それに同意しつつもはやてさんは続けます。

「“ねぇねぇ見て見て、フェイトちゃんの膝枕、最高、具体的にどこが最高かって言うとね”」
「……え」

棒読みで、ちょっと芝居がかったように感じる、そんな台詞。そう、はやてさんの言葉ではなく、台詞。
誰かの言ったことをそのまま言ったようなそれ。
アリサさんから漏れた声だけでその意味を悟ったのでしょう。はやてさんは出かかった乾いた笑いを押し止め、虚空を見つめたままです。

「あたしらには念話っちゅうけったいなもんがあってやな……」
「あんたそれちょー便利ってこの前言ってたじゃない」
「それは相互の利害の一致があっての話や」
「で、言うとね、の続きは」
「即行通話切ったに決まっとるやろ」

言い切った声は真剣なものでした。マジ声でした。
そんなはやてさんの眉根が寄ります。宙を見上げていた首がかくんと崩れました。ソファに掛けた腕、その手は拳に。
自分の膝小僧を睨みつけてはやてさんは絞り出す様に言います。

「負けへん、あたしは負けへんねん」
「何してんの」
「ジャミング」

なのはさんは言い足りなくてしょうがないようです。
しばらく脂汗さえ出かねない勢いで脳内攻防が続いていたのですが、歩くロストロギア舐めんな、そんな小さな勝鬨がはやてさんから聞こえました。
どうやら妨害プログラムの作成に成功したようです。この数分で。さすがエリート魔導師。

「ところでアリサちゃん」
「何よ」
「さっきからあたし目の前のどや顔の他に気になってることが」

そんな攻防に関せず、やはりマグカップの取っ手を撫でる様に弄んでいたアリサさんの方がほんの少し揺れます。
重ねますが二人の会話は決して視線を合わせることもなく、決して声量を上げることもなく、決して表情を動かすこともなく、ぼそぼそと会話にすら見えないものです。
加えて、今、二人の視線は自分の膝もと。
アリサさんははやてさんが言おうとしていることを察したのでしょう。しかしそれを遮る前にはやてさんからの指摘が飛びます。

「めっちゃキッラキラのオーラがアリサちゃんの向こう側から飛んできてんねんけど」
「気のせいよ」
「え、どんだけ鈍感なん」
「気付いてるわよ馬鹿」
「うましか言うな」

アリサさんの向こう側。つまりはL字ソファの短辺側。そこにいる人は、ひとりです。
そして、その人はまず間違いなく膝枕のその光景をばっちりしっかり見ているはずで。何を考えるかなんて、長い付き合いの二人には、殊更アリサさんには予想は難くな
いのです。先ほどとは違う意味で、アリサさんの声が低くなります。

「何のためにあたしが空になったマグカップをずっと膝の上にキープしてると思ってんの」
「ああ、そういう」

はやてさんの眼球がほんの一瞬だけ、動きます。
うん。そんな頷きを以ってして、はやてさんはまた自分の膝小僧を見詰める作業に戻りました。

「あっちもさり気なく両膝空けてたりするんやけど」
「しろってか、しないわよ」
「専用席やろ」
「そういうのいいから」

疲れたような声でした。いえ、アリサさんは確実に疲れているのでしょう。
正面からと、側面からのプレッシャーです。どちらかというと側面からのもののウェイトが大きいですが。

「したったらええねん」
「しないわよ」
「そういうツンええから」
「ツンじゃねーわよ」

疲れで言葉も荒くなりつつあります。
空になってどのくらい経ったのか、アリサさんが底が乾いてしまったカップを見ていると、聞こえるのは唸り声のようなもの。

「くっそぅ、どいつもこいつもリア充しよってからに」
「あたしはしてないでしょ」
「うっさい、勝ち組」
「何でいきなり突っかかるわけ」

どうやらはやてさんも色々疲れているようです。ちょっとおかしな方向に進んでいました。
拳を形作っていた手はまただらんと力なくソファの背に乗っています。

「ええもん、ええもん」
「何が」
「あたしかて専用の膝枕あるもん」
「家族はノーカンよ」
「うっさいわ」

よくわからない対抗心というか、ヤキモチというか、拗ねているというか。
やはりはやてさんも相当疲れているようです。
ほんのり口調がいつもより子供っぽくなっていました。

「専用あるもん」
「へえ」
「どや顔したやろ」
「してないわよ」

二人は、この会話が始まってからお互いの顔を見てはいません。
けれど伝わるものがあるのです。
ぎゅっとまた強く握られたはやてさんの拳がそこにはありました。

「ブロンドの長い髪(フェイト要素)でそこはかとない色気(すずか要素)を持った人がおるもん」
「ああそう」
「お姉さん要素もあるもん」
「ああそう」
「同学年とは一線を画すもん」
「ああそう」

アリサさんははやてさんが誰のことを言っているのかさっぱりでしたが、それが嘘だとは思いませんでした。
かといってそう反応するわけでもなく、流した返事をするのみです。
もん、もん、と幾つも並べ立てていたはやてさんの声が止まり、しばしの沈黙後。

「あたしの勝ちや」
「どや顔すんな」
「何故ばれたし」

くどいようですが二人は決して顔を見合わせることなく、ぼそぼそと互いにしか聞こえないような会話にも見えないやり取りを続けています。
小さな小さな溜息が、同時にはやてさんとアリサさんの耳に届きました。
視線は膝小僧と、マグカップ。

「これいつまで続くわけ」
「フェイトちゃんの資料確認が終わるまでやないの」

終わりは、いつか。


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