さてそのほかは、



何気なしに手に取ったのは、ハードカバーの重い本。
目の前には、辞書とカテゴリされた本棚。
先生に頼まれた資料を取りに来て、司書の人を待っている最中だった。
無作為に開いたページ。
それに流すように目を通して、留まったのは数有る中の一つ。


「高町さん、お待たせしました」
「あ、ありがとうございます」


覚えたのは、一つ。


――――――


必要なもの以外置かれていない、彼女らしい部屋。
目立つものと言えばベッド脇の大きなコルクボード。
そこに新しい写真を貼り付ける部屋の主、フェイトちゃんをベッド脇から見上げながら思い出したのは、あの時偶然覚えたもの。


「ねぇ、フェイトちゃん」
「うん?」


いつもの優しい微笑みで、無意識に小さな子供に聞き返すような柔らかい声。
それが癖だってわかっているけど、何だか子供扱いされているようで妙な気分。


「グリル・パルツァー、って知ってる?」
「グリル・パルツァー・・・・・・、聞いたことあるな。・・・・どこかの劇作家、じゃなかったけ?」
「あ、そうなんだ」
「そうなんだ、って。なのはが聞いてきたんだよ?」


苦笑されてしまった。
私が知っていたのは、その人があの言葉を考えたと言うことだけ。
劇作家。
なるほど、言われてみればそれっぽい言い回しかもしれない。


「でもよく知ってたね」
「母さんがこっちの世界のこと色々調べてる時に、オペラとか歌劇とかも資料として見てた時期があったから」


リンディさんらしいというか、なんというか。
付き合わされるクロノ君の姿が簡単に想像できて笑えてしまう。
見上げた彼女はむしろ自身の興味から一緒に見そうだけど。


「ねぇ、フェイトちゃん」
「何?なのは」


思い返せば。
仕事で学校を休んでいたフェイトちゃんと会ったのは、一週間ぶりで。
思惑がなかったといえば、嘘になるかもしれない。


「グリル・パルツァーのキスの格言、って知ってる?」
「きすのかくげん?」


あの時開いた格言書。
目に留まったのはあの一文。


「どんなの?」


フェイトちゃんが首を傾げる。
大人っぽい容姿とは裏腹の幼い仕草に可愛いなー、と関係ないことを思いつつも口を開いた。
あの時覚えた格言を。



手の上なら尊敬のキス。
額の上なら友情のキス。

頬の上なら厚情のキス。
唇の上なら愛情のキス。

閉じた目の上なら憧憬のキス。
掌の上なら懇願のキス。
腕と首なら欲望のキス。

さてそのほかは、みな狂気の沙汰。




ふぅん、と零れた微かな声。
しばらく私を見詰めていた紅が、少しだけ楽しそうな色になったのを私は見逃さなかった。


「なのは、こっち」
「え?」


促されたベッドの上。
導かれた膝の上。
目の前にはフェイトちゃんの顔、少しだけ見下ろすこの体勢は少し前にやっと慣れた。
それ以前に、腰に回された腕が膝から下りると言う行為をやんわりと取り除いているのだけど。
下りる気は、元からない。
ヘッドボードにクッションを重ねて背にし、そこに凭れるフェイトちゃんは何だか楽しそう。


「もう一回言って」
「格言?」
「うん」


何となく、フェイトちゃんの考えてることが解った。
きっとそれは私の期待通り。


「手の上なら尊敬のキス」


優しくとられた左手。
その甲に、柔らかい感触。


「お姫様とかにするやつかな」
「じゃあ、私がお姫様?」
「うん、私にとったらお姫様」
「・・・・、アリサちゃんに恥ずかしい台詞禁止!って言われるよ?」
「そう?」


くすくす笑いながら、続きを促されて。


「額の上なら友情のキス」


引き寄せられて、少し俯かせた額に感触。
これは、よくされる。


「友情?」
「らしいね」
「・・・・・・」
「してません」


思考を読まれて、苦笑された。
だって、誰にでも優しいから。


「頬の上なら厚情のキス」


考えを遮るように言った言葉。
頬に触れる感触。
これも、慣れた。


「厚情って?」
「深い思いやり」
「フェイトちゃんにぴったり」
「なのはもだよ」


額を合わせて笑って。
続き。


「唇の上なら愛情のキス」


唇に触れる、少しだけ長い感触。
閉ざしていた瞼を開ければ、はにかむ表情。


「・・・・・・」
「何か言ってよ、なのは」
「だって、必要ないから」
「・・・、そっか」


嬉しそうに細められた瞳に、こっちも嬉しくなる。
同じこと、考えてるんだって。


「閉じた目の上なら憧憬のキス」


さっきとは違う意味で閉じた瞼に感触。
これは、最近気付いた。


「私が寝る前に、してたでしょ」
「良い夢見られるおまじない」
「ほんと?」
「あと、眠りそうななのはが可愛いから」


こういうのをさらっと言うから、怖い。
リンディさんも、割とさらっと言ってしまうタイプ。
きっとハラオウン家のそういう意味での口下手ところは長男に集まったんだと思う。
エイミィさんはそれを楽しんでそうだけど。
手を持ち上げられると同時に言う。


「掌の上なら懇願のキス」


掌に感触。
少し、くすぐったい。
気付く。


「あ、そこは初めてかも」
「初めてじゃないよ」
「え?いつ?」
「いつでしょう」


悪戯っぽく弧を描く口。
忘れてしまったのか、思い出せないのか、記憶していないのか、そんな余裕がなかったのか。
後者なら、悪いのはフェイトちゃんだ。
掴まれていない方の手でむいっと軽く頬を引っ張ると、笑いながらごめんと謝罪になってない謝罪をされた。
これで終わりじゃないし、仕方ないから許してあげる。


「腕と首なら欲望のキス」


そのまま掴まれた腕を持ち上げられて、二の腕の内側に感触。
さらに引き寄せられて、下げた視線を埋める金、首筋に感触。
離れはしたけど、中々退いてくれない頭。


「よくぼーだって」
「よくぼーだね」
「よくぼーなんだって」
「よくぼーなんだね」


からかっているのに気付いているのかあんまり反応なし。
むぅ。
少しつまらない。
じゃあ、最後。


「さてそのほかは、みな狂気の沙汰」


頭が動いて、顔の横。
耳に感触。
そこにくるとは考えてなくて、ぴくりと肩が動いてしまう。
しかもそれだけじゃなくて。


「ん、ゃッ!フェイトちゃん!」
「なぁに?」
「っ、わざと?」
「おまけ」


甘噛みされた右耳を押さえて問えば、悪気のない顔。
こういう顔は、最近知った。
非難の目で軽く睨んでも、可愛い、とかそんな全く効果なし。
不満。
でも言っても意味がないことも知ってるから、諦めもつく。
これで、全部。


「・・・・・。狂気の沙汰」
「狂気の沙汰、か」
「狂っちゃうのかな」
「んー・・・・」


伏し目がちになった紅が、また私を捉えた。


「ルネサンス期の言葉」


るねさんす?
ああ、確か社会の世界史でやったようなやらないような。
はやてに貸してもらった本にね、書いてあったんだ、続けてフェイトちゃんは言う。





恋愛、それは神聖なる狂気である。





神聖なる、狂気。
聖なる、狂い。
真逆の言葉で示された、その言葉。


「これも、格言」


にこりと微笑んだ顔が、なんだか何かを言いたそう。
そしてそれをわざと言わない、そんな感じ。


「・・・・・フェイトちゃん、は」
「うん」
「狂ってる?」
「狂ってる。なのはは?」
「フェイトちゃんが狂ってるなら、狂ってる」


相手が貴女なら、私は狂ってる。
狂おしいほど。


「愛してる」


そう囁かれて、耳に、口付け。
囁き返す。


「耳だけ?」


一瞬だけ見えた瞳には、最近知った紅い色。
首筋から鎖骨へ。
欲望から、狂気へ。


「なのは」
「何?」


見上げてくる紅。
今日、フェイトちゃんがまだ触れていないのは。
私の服に隠された狂気。


「もっと狂いたい?」
「うん、狂いたい」


さてそのほかは、みな狂気の沙汰。


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