マーキング



それに気付いたのは彼女に抱きついた時だった。
私を優しく包んでくれる腕も、安心するぬくもりも、耳元でただいまと囁いてくれる声も、いつもと変わらない。
ただ、一つを除いては。


(違う匂い)


彼女の制服から、彼女のものではない匂いがした。
微かなそれは彼女の優しい匂いでも、彼女が好む香りでもなく、馴染みのない、香水。
一瞬で嫌な考えがぐるぐると回る。
それを砕くのはどこまでも愛おしそうに私を呼ぶ声。
そうだ。彼女がそんなことをするわけがない。出来るわけがない。私が、出来ないように。
身も心も全て貴女しか受け入れないのだから。


「ん、おかえりフェイトちゃん」
「・・・・・・。今日の晩御飯当ててもいい?」
「どーぞ」
「クリームシチュー」
「大正解」


キッチンからの匂いでわかったのだろう。子供のように嬉しそうな笑顔を見せる彼女。
その笑顔に硬くなっていた心が解きほぐされる。それでも曇りは晴れない。
ねぇ、それは何の香水?誰の香水?どうして?何で?
でも今言ってしまうと、きっとこの人は眉を下げて謝り通すだろう。どんな理由であれ、自分が悪くなくても。私に謝り続けるだろう。


(きっと、移り香)


仕事で一緒にいた人の。たぶん。おそらく。
そう無理矢理思い込ませて、私はお腹を空かせた彼女に手洗いうがいしてきなさいと、努めて笑顔で言った。


「明日は?」
「今日の仕事の資料と書類作成、かな」
「大変そう?」
「んー、どうだろう」


食事の後はおしゃべり。
他愛もない話をしているうちに、大分夜が更けてきて。


「なのは、先にお風呂どうぞ」
「フェイトちゃんが先に入っていいよ」
「私は今ある資料、少しだけ目を通しておきたいから」
「そっか・・・」


ソファに掛けてあった上着を取って彼女が立ち上がる。
ふわりと。匂いが鼻先をかすめる。
彼女のものじゃない匂い。


「・・・なのは?どうしたの?」


気がつけば、上着を持つ彼女を掴んでいた。
無意識。首を傾げてこちらを見る紅に頬が熱くなる。
言えない。その匂いと一緒に居ないで、なんてと思ったことを。
貴女と、私以外の匂いと一緒に居ないで。そう思っただなんて。


「あ、えと」
「・・・・?なのは?」
「・・・・・ぁぅ、そ、その」


離した手をそのまま膝に、ぎゅっと握る。
ダメだ。恥ずかしすぎて顔が見れない。どうしよう。どうしよう。どうしよう。


「あ、ご、ごめん、帰ってきたのに仕事の話なんかして」
「違うのっ」
「でも、なのは怒って」
「怒ってないっ」


どう勘違いしたのか彼女は私の顔色を窺っている。
恥ずかしい。けれどこのままいるわけにもいかない。
もう、言ってしまえ。


「私明日教導隊の制服クリーニングに出すんだけどフェイトちゃんのも一緒に持っていこうか?」


一息で言ったのはそんなこと。
馬鹿。私、の、馬鹿!!
クリーニングとか唐突過ぎる。でも引き下がれない。言ってしまった言葉は戻らない。
匂いを消したい、なんて願望はもうこの際隠し通す。


「クリーニング?あ、だから上着?」
「そう!そうなの!」


私が怒っていないことがわかったのか、彼女は笑う。
じゃあお願いしようかな、なんて。


「今日、会議の時にちょっと香りの強い香水付けてた人がいてね。結構長時間一緒にいたから移ってるかも、って思ってたんだ」
「そう、なんだ」
「うん、だから丁度良かったかも。ありがとう、なのは」


屈託ない笑顔に心が晴れる。
そっか、やっぱり仕方ない移り香、だったんだ。
安心すると同時に、さっきまでの恥ずかしさと焦りから騒いでいた心臓がすっと落ち着いて行く。


「後で一緒に畳むから、その上着ここに置いておいていいよ、スカートもお風呂終わったら持ってきて」
「うん」


上着から手を離して、じゃあなのはがお風呂あがったら教えてね、なんて背中を向ける彼女。
その背中を見て、衝動的に、身体が動いた。


「・・・・・な、なのは?あの、動けないよ?」


うろたえる声がくっついた背中越しに私に届く。
真っ白なYシャツの肩口に額を押しつけて、抱きついた。
気のせいか彼女の匂いだけがするはずなのに、なんとなく違う。
髪からも。Yシャツからも。あの上着も。私が知らない匂いが付いている、そんな錯覚。


「・・・・・・・・・、お風呂」


人はそれをきっと、独占欲とか、ヤキモチって呼ぶんだろう。


「・・・・・えと、一緒に?」
「うん」
「どうしたの?いきなり」
「いいから」
「・・・・・・・、甘えてる?」
「いいからっ」


喉の奥で笑うような響きが背中越しに伝わる。
さっきとは違う意味で恥ずかしくなった私は顔を見られないようにフェイトちゃんの手を引いて脱衣所へと向かう。


「甘えてるんだ?」
「からかってる?」
「ううん、嬉しい」


後ろから聞こえる声は本当に嬉しそう。
何故か八つ当たりしたくなるけど、我慢。
とりあえず今、私がしなければいけないことは一つだけ。


「私がフェイトちゃんの髪とか洗うからね」
「じゃあなのはには私が」


可及的速やかにフェイトちゃんからフェイトちゃんの匂い以外を消すこと。
そして。


「なのは、耳真っ赤だよ」
「もうっ!いいからお風呂!」


匂い付け。








おまけ
















執務室のデスク。
その引き出しから厚い硝子で作られた小さな容器を取り出す。
硝子越しに揺らめく淡く色のついた水。
光に晒してそれを見つめていると、補佐官が帰ってきた。


「ただ今戻りましたー。って、フェイトさん、それって」
「貰いものなんだけどね」
「うわ、これすんごく高いやつですよ」
「へぇ、そうなんだ」
「そうなんだ、って・・・、くれた人が不憫・・・」
「あんまり、興味ないから」


その人にも、その人がくれた香水にも。
なんてことは言葉にせずにいつもの笑顔を浮かべておく。
どういうつもりでくれたのかも知らないし、知りたくもない。興味が、ない。
これも、どうせまた物置と化したロッカーの飾りとなる。


「でも珍しいですね、フェイトさんがそんなもの見てるだなんて」


補佐官は知らない、この香りが一度だけ空気に触れたということを。


「ん。楽しかったからね」
「楽しい?」
「うん」


首を傾げる補佐官に曖昧に微笑んで私は資料を受け取る。
今日の私の制服が変えのものだということを彼女以外は知らない。
誰も、知らない。


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