名残



ふと気付いた。
私の席から見える、後ろ姿。
綺麗な金髪。それが流れる肩口。
右の肩口。
彼女の手が、そこに置かれていた。
揉み解すような、凝っているような感じはしない。
ただ、軽く掴むように右手をそこに置いていた。


「フェイトちゃん」
「うん?」


放課後。
私たち以外、誰もいない教室。
待ってるよ。
そう言ってくれた彼女を、借りたノートを映しながら、盗み見ていた。
左手には本。
フェイトちゃんの指は長くて、細くて、綺麗。
だから片手でもページをめくることなんて簡単。
開いた右手は。
やっぱり、右肩口に置かれていた。
たぶん無意識になのだろう。私が声を掛けるとすぐにそれは降ろされて、柔らかい微笑みが向けられる。


「正直に答えてね」
「・・・・・・・・・・、えと、ごめんなさい・・・?」
「まだ何も言ってないよ」
「あ、うん、そうなんだけど」


困ったように微笑むフェイトちゃん。
言葉にしていないのに謝られると私がいつもお咎めを言っているみたいじゃない。
そんなつもりは、まったく、ほとんど、たぶん、ない、よ。うん。
・・・・・・・・。


「私、そんなに怖い?」
「え?可愛いよ、凄く」
「・・・・、〜〜〜〜〜〜ぅ」


そうだった。
こういう人だ。忘れてないけど忘れてた。
俯いてほっぺを両手で包む。少し冷えた手がいい感じに熱を奪っていく。よし。


「正直に答えなさい」
「は、はい」


フェイトちゃんは隠し事っていうと聞こえが悪いけど、秘密が多い。
執務官という職業柄、機密事項は多いし、守秘義務もある。
何より、自分のことを隠すことが、多い。
食事摂ってないとか。寝てないとか。疲れてるとか。
怪我している、とか。


「疑わしい場合は確かめるから」
「確かめるって・・・」
「見て、触って」
「黙秘権の行使は」
「認めません」


ここは裁判の舞台でもないし、取調室でもない。
私と、フェイトちゃんしかいない。
遠慮なんていらない。
逃がさない。


「フェイトちゃん」
「は、い」
「怪我してるでしょ」
「え?」


目が泳ぐかと思ったのに、帰ってきたのは気の抜けた声。
・・・・・・・。心当たりがない、って顔。
あれ?


「怪我、してないの?」
「うん」
「・・・・・ないの?」
「うん。どこも」
「じゃあ何でおろおろしてたの?」
「前回の任務で食事抜いてたのばれたかと思っ・・・・ぁ」


口を自分の手でふさいで、視線を逸らされた。
こんなうっかりさんが優秀な執務官っていうから仕事モードって凄い。
へー、そっかー。
食事抜いてたんだー。


「フェイトちゃん」
「はい、ごめんなさい」
「何回目のごめんなさい?」
「三桁は回ってます、はい」
「あれだけ言ったよね?」
「はい」


ごめんなさい。
眉を下げて謝るフェイトちゃん。
この顔に、弱い。
というか、私は、フェイトちゃんに弱いんだけど。


「・・・・・・もうっ、ダメだよ?」
「善処します」
「・・・・・」
「最善を、尽くします」


溜息をついて、それでも笑顔を向ければやっと安心した微笑みを浮かべてくれた。
結局、フェイトちゃんも私には凄く弱い。そういうこと。
なんて思って恥ずかしくなる。
その恥ずかしさから逃れるために、私は口を開いた。


「怪我してないんだったら」
「うん」
「肩、どうしたの?」
「肩?」


やはり無意識だったのか、ぴんとこない顔をしたフェイトちゃん。
指差す方向は、彼女の右肩口。


「そこ」
「右肩?」
「うん。首よりのとこに、授業中も、さっきも、手、置いてた」
「ほんと?」
「うん」


さっきと同じように、でも意識的に肩口に手を置いてフェイトちゃんはそこを見つめる。
しばらくして、苦笑した。
何かわかったみたい。


「ぁー、うん、そっか、・・・」
「どうしたの?」
「んー。無意識の行動って、厄介だな―、って」
「どういうこと?」


聞くと、眉が下がる。
困ったような笑顔。
聞かれたくないらしい。
でも、黙秘権はありません。


「教えて」
「なのはは聞かない方がいいと思うよ」
「他の人だったらいいの?」
「そういう意味じゃないんだけどね」
「だめ、教えて」


目は逸らさない。
逸らした方が、きっと負けだから。
一分。二分。
紅が、隠れた。溜息。
再び現れた紅には、戸惑い。


「・・・・・、怒らないでね?」
「内容によります」
「理不尽な気がする・・・」
「気のせい」


さ、話して。
促すと、フェイトちゃんはもごもごと口ごもった後。
自分の右肩に手を置いて、言った。


「かむから」
「へ?」


かむから?なにそれ。
言葉の意味が理解できない。
その四文字はあまりに淡々と言われて、どこが何を表わすものかわからない。
首を傾げると、苦笑。


「なのはがね」
「私が?」
「咬む、よね。私の肩」
「え?」


かむから。
かむ、から・
咬む。から。
構成された言葉を理解したけれど、理解したと共に湧き上がる記憶に、徐々に沸騰する頭がめちゃくちゃになっていく。


「そんなに痛くないし、丁度、咬みやすい位置にあるのもわかるし、別に嫌じゃないんだけど」
「・・・・・・・」
「それになのはがどんな状態かわかるって言うか、その」
「・・・・・・・」
「ほら、歯型は流石に消えるけど、ここ、なのは、痕も、よく付けるし、だから、何か、ね」


誰にも見せたくなくて。
たぶん、そのせいかな。
なんて照れたように微笑むフェイトちゃん。
夕日に照らされたその姿はとても画になる表情だったんだろうけど。
生憎、私はそれどころではありません。
熱を増していく脳は記憶の奔流を止められない。それどころか助長させていく。
だめ。
これは。
無理。
精一杯の息を吸い込んだ。


「フェイトちゃんの馬鹿ッ!!」
「・・・・、だから聞かない方がいいって言ったのに」
「馬鹿ッ!!」
「うん、ごめんね、なのは」


夕陽に負けないくらい真っ赤になっている顔を隠す意味がもうないから思いっきり言ってやった。
フェイトちゃんは全く動揺していないところが無性に悔しい。
何で。私だけ。ああもう。
力が抜けるように、椅子に座る。
机に、突っ伏した。


「〜〜〜〜〜〜ぅぅ」
「ごめんね」
「・・・・・・、ばか」
「うん」
「フェイトちゃんの、ばか」
「そうだね」


ふわふわと頭を撫でられる。
それだけでなんとなく直っていく私の機嫌を誰か叱ってほしい。私にはどう仕様も出来ないから。


「もう、咬まないし、痕付けないもん」
「んー、ちょっと寂しいかも」
「フェイトちゃんだって痕つけないくせに」
「私はいいんです」
「よくありません」


顎を机にくっつけたままフェイトちゃんを見上げる。
柔らかく髪を梳く手と、どうしようもないほど優しい紅。


「私が付けないかわりに、なのはが私に付けてくれればいい」
「・・・・・・、ばか」


フェイトちゃんの右肩に私の名残があるように。
私の右耳にもフェイトちゃんの名残があることを、きっとこの人は気付かないだろう。




なのは




右耳に流し込むように囁かれる、脳を溶けさせる声の響き。
それが、私に残る、彼女の痕。


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