風邪っぴき



あの馬鹿、風邪を引いたらしい。







フェイトちゃんが風邪引いちゃってさー、私も、リンディさんも、もちろんクロノ君も、さらにはアルフまで仕事でさー、誰も看病してくれる人がいなくて、いや、フェイトちゃんももう子供じゃないんだから大丈夫だって言うのはわかってるんだよ、バルディッシュも傍にいるからさすがに仕事はしてないと、してないよね、してないと信じたい、けどほら、心配なんだよねー、おねーさん心配ー、フェイトちゃんってば風邪引くと何かいつもと違う感じになるから医務班に頼むのもちょっと遠慮したいし、あー、誰か仕事がオフでかつフェイトちゃんのことよく知っててかつフェイトちゃんからも信頼されてる人が看病してくれたらなー、ねー、そう思うよねーチラチラッねーチラッそう思わないかなーチラッチラチラッ。

「回りくどいわ!!!!」

思わずはき捨てるように悪態をついてしまった。
昨夜の通信の相手はちょっとした所用を伝えた後にそんなことを五分間に渡り話し始めて、ニヤニヤしながらあたしが首を縦に振るのをずぅっと待っていた。いやー、助かるぅ!!笑顔でそう言われた。そう仕向けたのはそっちだろうに。きっとあたしが了承しなければあの手この手を駆使してきたに違いない。あの堅物の補佐官を長年やってきただけの手腕だ。さすがといっておこう。そう、仕向けられたのだ。断じて、あたしの意思じゃない。うん。
はあ。
ため息をひとつ。
右手にぶら下がる袋の中身はシャマルからもらった風邪薬その他諸々。今朝仕事に行く前にあたしの自室に寄ったシャマルにものすごく笑顔で、はいはやてちゃん、と渡されたそれ。なぜ知っている。そうは言えなかった。あらあらうふふ、背中がむずむずする笑いを向けられるに違いなかったから。大丈夫、シグナムとヴィータちゃんには黙っておくから。何で。討ち入りに行くわ。なにそれこわい。

「結局リインも連れてくし」

業務時間なので人気のない寮の廊下を行く。
部屋番号に視線を流し、七つ目の扉。
インターフォンを押すことはしない。私用の通信モニターを展開して、これまたプライベート回線を開く。
通話。

“……”

繋がった、と思ったら聞こえてくるのは無言。あれ、通信障害か。

“はやて?”

ようやっと聞こえたのは、掠れた声。今、部屋に篭っているその人のもの。

「フェイトちゃん、おそよーさん」
“ああ、うん、おそよう”

あ、これ本格的にきてる。そう思った。普段はこんな風に返してくる人ではない。
吐息のような声は、風邪独特のくぐもった熱を持っていた。
フェイトちゃんは至極不思議そうな声で問う。

“どうしたの?”
「部屋、開けて」
“え?”
「風邪ひいとるんやろ? 看病しに来たん、はよ開けて」

沈黙が降りた。
この馬鹿は、風邪引いたことなんてあたしに一言も言っていないのだ。言わなかったのだ。
どうせ心配かけたくないとかそんなくだらない理由なのだろう。冗談じゃない。人伝に恋人が体調を崩していることを聞いた時のこの何とも言えない感情をどうしてくれる。看病に行くことまで宣言させられたあたしのこの遣る瀬無さをどうしてくれる。
ちゃんと、言ってくれさえしていれば、あたしだって。

“ありがとう”

沈黙を破ったのは感謝の言葉だった。
内心、安堵する。嫌だったらどうしよう、なんて、思っていなかったわけではないから。
手に持った袋がかさりと音を立てた。よし、お前ら、職務を全うするぞ。

“でも開けない”
「はあ!?」

ちょっと意気込んでいたあたしは、続いた声に思わず声を上げた。
え、なに、何言ってんの。

“風邪、伝染っちゃうよ”

あたしの心の問いに返ってきたのは至極簡単な答え。
実に、実にフェイトちゃんらしい答えだった。

「ほぅ……」

目が細まる。口元が不自然に上がる。
この状況に置いて、全く、いい度胸している。
扉のコンソールに手をかける。流れるようにキーを叩く。

ピピッ

良い返事。

“え……?”

扉が開く音と戸惑う声が重なった。

「邪魔するで」

通信回線を切る間際、そう伝えて、あたしは室内へと足を踏み入れた。
ざっと見渡した部屋の中は相変わらず生活臭がしない。簡易キッチンのシンクに持ってきた袋を置いて中身を取り出す。
もしものためと昨夜の通信の後に言い渡されていたプロテクトキー。流石に使い魔、色々わかっている。使うつもりはなかったけれど、まあ、致し方ない。
だって、慌てて寝室から出てきた病人が悪いのだから。

「チャオ」

満面の笑顔を意識して放った挨拶。
口ごもったフェイトちゃんは。

「……Ciao」

ため息混じりに返してきた。発音いいな。
あたしが易々と突破した扉をちらりと見て、フェイトちゃんはあたしを見詰める。

「アルフ?」
「そ。フェイトちゃん信用ないなー」
「ぁー……」

キッチンとは対面に位置する寝室の前で、フェイトちゃんは項垂れた。
明らかに仕事から帰ってきてそのまま寝ました、みたいな格好。
少し乱れたYシャツ。タイトスカートから覗く黒タイツを纏った美脚。
それだけでもアレなのに、なんていうか、風邪のせいなのか、その、ほら。

「ん……、なぁに?」
「何も。寝ててええから」

どうしてこやつときたら無意味に無駄に無意識に、えろいのか。
寝汗なのか髪が首筋にすこしひっついてたり、熱のせいで色付いた頬だったり、潤んだ瞳だったり、だるそうに扉に凭れて立つ姿だとか。
……。
閲覧禁止。禁止だ。
あたし以外見るな。
顔が熱くなったのは気のせいにして、変な思考を頭を振って振り払い、袋から取り出した戦力を物色。
そこで、まださきほどと同じ所に佇んでいる病人に気付いた。

「寝てろ言うたやろ」
「うん……わかった、寝てるから」

焦点があってないような瞳は、あたしを見ている。

「桃缶とか持ってきたから、食べる?」
「後で食べるよ」

どこか虚ろな頷き。
手にしたのは最大戦力である化学物質。

「薬も」
「飲むよ」

言い終わる前に言い切られた。妙に聞きわけがいい。
違和感。眉をひそめてじっと見詰めれば、弱く微笑まれる。

「はやて、早く帰った方がいいよ。風邪伝染っちゃうから」

まだ言うか。
部屋への侵入を許して尚、そう言うか。

「この、あたしが、看病に、来てやった、言うてるんやけど」
「うん。ありがとう。でも大丈夫だから」
「反抗的な態度やね」
「保守的なんだ」

ほう。つまり、つまりだ。
風邪が伝染るのが心配でたまらないからここにいるな、と。そういうことか。
ほう。

「はやて?」

自然、笑顔になる。
その笑顔のまま、一歩、フェイトちゃんへと近づいた。
そのまま、足を進める。足音強めに。

「ちょ、っと」

何を慌ててるのか。フェイトちゃんがうろたえる。
足は止めない。

「落ち着こう? はやて」

あと三歩。
めっちゃ落ち着いてるあたしに向かって何を言っているのだろう。
あと二歩。
押し留めようと伸ばされてきた手を取る。その熱さに苛立ち。病人の力に負けるほど、鍛えてないわけじゃない。
あと一歩。
逃げないように、俯かせるために、首の後ろに腕を回す。悔しいことに背伸びじゃ若干足りない。

「はや」

零。
病原菌移行開始。





完了。

「ほら、これでもう伝染った」

それこそ至近距離で口端を上げる。
丸くなったままの心配性の瞳。

「伝染る伝染るって心配しなくてもええやろ」

空気感染がなんだ。こちとら接触感染だぞ。
確実性はきっと高い。だから、そんな心配なんてしなくていいから。
せり上がってくる恥ずかしさに、肩に額を押しつけた。

「大人しく看病されろ」

心配してるのは、こっちもなんだから。
また、沈黙が降りた。
深呼吸をして、ゆっくり身体を離す。
頬の熱さはまだ引かないけれど、違う意味で頬を熱に染めたフェイトちゃんを見上げた。
目が合う。瞬きが、一つ。二つ。
見詰めた頬の色が、一段階上がる。
吐息。

「病人襲うなんて、はやてってばケダモノ」
「さっさと着替えて寝ろこの風邪っぴき!!!!!!!」

茹った頭を引っ叩いた。



キャー、はやてちゃんのケダモノー!!

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