余裕



抱き着いた時に回した腕。触れた背中。肩の後ろ、辺り。
違和感を感じた。


「んぉ?」
「はやて?」


耳から唇を離して、超至近距離の言葉はあたしの鼓膜を溶かす。
くすぐったい。
きっと全てを溶かされれば、貴女の声しか聞こえなくなる。


「フェイトちゃん、待って」
「うん?」


言えば大抵、フェイトちゃんはあたしの言うことを聞いてくれる。
特に、待ってとか、そういう制止を含めたお願いに関してはほぼ全て。
柔和な微笑みと、優しい眼差しを以て、あたしの準備ができるまで絶対に待ってくれる。
時々、本当に時々、待ってくれないけれど、それは数回しかない。
あたしの膝に割り入って、覆いかぶさってこられているのに感じるのは圧迫感ではなく、背中を凭れるクッションのようなふわふわな心地よさ。


「背中、どうしたん?」
「背中?」
「肩らへん。何か、ガーゼとか、しとらん?」


あたしの指摘に一瞬だけ表情が崩れた。
しまった。
それに気付かないあたしではないことを知っているので、続いて困ったような微笑みになる。
隠し事が、あるらしい。


「気にしないで、って言っても」
「剥ぐで」
「いつもは照れて前開けるので限界なのに?・・・・・痛い」


手刀をでこに叩きこむ。
小さく笑いながら目尻に唇が降りてきた。


「見なくていいよ」
「怪我?」
「怪我までいかないようなもの」
「せやかて、ガーゼ・・・」
「私のせいだから、いいんだ」


わからない。
訓練で怪我をしたのか。けれどこの人にそんなことが出来るのは極一部。
官位持ち同士の訓練なら、少しは話題に、この人がらみなら余計に話題に上っているはず。
なのに、その類を聞いた記憶がない。


「見せぇ」
「はやて」
「見せてくんなきゃ、おあずけ」
「珍しくはやてから言ってきたのに・・・・痛い痛い、ごめんってば、わかったから、痛い」


黙らんかい。
手首をやんわりと捉えられて攻撃を止められた。そのままクッションに縫いつけられる。
鼻先がふれるほど、近くに、紅。


「後悔しない?」
「は?」
「逃げない?」
「はい?」
「ねぇ、はやて」
「わけわからん」
「返事を」
「わーったって」


了承しなければ背中を見せてはくれないだろう。
投げやりに言えば、身体を起こして、どうぞと目線。
どうぞ?


「・・・・・・へ?」
「見たいんでしょ?Yシャツ脱がなきゃ。どうぞ、はやて」
「な、お、ぁ、・・・・・ッ自分で脱げ!」


掌で胡散臭い笑顔を押しやる。
苦笑いに少しだけ滲んだのは、ダメだったか、みたいな考え。あたしが見ることを止めるんじゃないかという淡い期待。
けど、そんなことしない。
釦を外す音が嫌に耳につく。瞼を落とす。落ちつけ、あたし。
続いて衣擦れの音と、テープか何かを剥ぐ音。


「いいよ」


短く息を吐いて、瞼を開ける。
半身だけ捻ったフェイトちゃんの、背中、肩の後ろ辺り。
金色。白い肌。
無数の、赤い、線。滲んで固まった、赤い痕。
視界が、暗む。


「はやて」
「や」
「はやて、逃げないって言ったよね」
「いやや、いややっ」


押さえつけられた。もがく。けど、決して離しては、放してはくれない。
首を振って、嫌だと言って、じたばた暴れて、だだこねる。
子供みたい。
泣きそうだ。泣いたらダメなのに。


「はやて」


落ちついた声が、落ち着く音が、あたしを呼ぶ。
何度も。何度も。何度も。


「あ、あたし、フェイトちゃんの、こと」
「はやて」
「ちゃう、ごめん、ごめんなさい」
「はやて」
「フェイトちゃん、ごめんなさい」
「はやて」


クッションに埋もれた身体を引き寄せられる。
優しい拘束が、あたしをすっぽり抱き寄せる。


「はやて、大丈夫」


ゆるりと背中をさする手が、どうしようもなく優しい。
腕を回したい。抱きつきたい。
けれど、赤い線があたしを留める。赤い痕跡があたしを苛む。
頭上で息が、抜かれた。


「だから、見せたくなかったのに」
「あたし、爪で」
「ん」
「いつから」
「最初から」


掌に加害物が食い込む。
足りない。あたしがフェイトちゃんにしてきたことは、こんなんじゃ、足りない。


「ダメだよ、はやて。手、ゆるめて」


拳があたしより大きいそれで包まれ、解かれる。
掌に残ったのは、微かな痕だけ。


「ごめんなさい」
「何で謝るの?」
「痛いやろ、それ」
「アドレナリン出てるから、特に」
「・・・・・あとで、痛いやん」
「はやての痕だから、いいんだ」


滲む赤い痕は、つまり、相当強く引っ掻いたということ。
他の誰でもなく、あたしが。
悔しくて、悲しくて、視界が歪む。
なのに、フェイトちゃんはただいつものように、少し嬉しそうに微笑んでいるだけ。
痛いのに。何で。


「あたし」
「うん」
「フェイトちゃんのこと、考えてへん」
「考えてるよ。今だって、私のこと考えてるでしょ」
「やって、フェイトちゃんは」


フェイトちゃんはあたしのこと考えてくれて。
優しくしてくれて。
いつでも、どんな時でも。あたし優先で。あたしを見てくれてて。
あたしの微かな変化に気付いてくれる。
わかってくれる。待ってくれる。


「あたし、そんなんできひん」


自分のことに精いっぱいで。
挙句、傷つけて。
それにも気付かず、また傷つけて。
わからない。そう、わからない。気づかない。
フェイトちゃんしか、フェイトちゃんが優しいことしかわからない。


「はやての優しさは」


額に、唇が触れた。
懐に抱えられるように座り込んだあたしの頭を、髪を梳く掌。


「はやてが気持ちを裂く場所は広いけど、もう定位置と予約でいっぱいなんだよ」


家族。仲間。友人。
上司。同僚。部下。
そして。
はやてが、はやて自身に使う気持の場所も持たなきゃ駄目なんだ。


「フェイトちゃんの、場所は?」
「私の場所は、はやての場所の隣」


けれど。
統率する人は、いつでも余裕を持って、冷静でいなくちゃいけないから。
私の場所は、はやてが自分自身の中で感情を発散させる場所にしてもらいたい。


「それやったらフェイトちゃんの場所、ないやん」
「んー」


軽く握られた手。やんわりと触れられる指先。
慰めるように爪に触れる指。
やっと上げた視線に、紅が和らいだ。


「はやての気が向いたら、ちょっと端に寄ってくれる?その時、その隙間に私をいれて」


はやての場所の、はやての隣に。
その時以外は、全部、包んであげるから。
感情も、衝動も、全部。


「だから、この痕も、私がはやてを受け入れた証拠ってこと」


背中に、クッションの感触。
また縫いつけられて、覆いかぶさる暖かい存在。
触れる熱。拙い舌でさえ、彼女は受け入れてくれる。誘いだしてくれる。あたしの自由にさせてくれる。
が、しかし。


「けほっ、は、は、ぁ・・・・あたしの、気が、向いた時、ちゃうんか」


ただひとつ。訂正。
あたしの気が向いた時ではなく、フェイトちゃんの気が向いた時に受け入れる方から、受け入れさせる方に変わってることを抗議したい。
息が、苦しい。


「陣取ってたけども膝に乗せてみました。ほら、それで一人分」
「詐欺や!ッ」


さらに、訂正。
あたしが色んなものを発散させていいと言われていた場所。
あたしの余裕であるとされるそこは、この人によって簡単に面積を変えられるらしい。
制御が、持ち主には出来ないなんて、なんて欠陥。
溢れた感情や衝動が何をするかなんてあたしにはわかるわけがない。


「はやて」


あたしの余裕≠ヘ、酸素を求めるあたしに、笑った。


「あとね、実はこの痕、証拠だけじゃないんだ」
「は?」
「私の成績だったりします」


いつの間にか、服の裾から、手が入ってきていることを、あたしは気付かない。


「はやてってね」





自分に余裕がなくなるほど、強く引っ掻くんだよ


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