暗闇



地面を揺らすほどの轟雷。
一瞬の光。
部屋は暗闇に包まれた。


「・・・・・フェイトちゃんの魔法かと思ったわ」
「魔力反応あった?」
「ないけど・・・」


家族は仕事で、一人きり。
夕闇が迫る時刻。
休みの間の授業ノートを移し終わったフェイトちゃんがわざわざ律儀にあたしの家まで来たのが十分前。
雲行きはその時点で怪しかった。そして、お茶を口に付けた今、この事態だ。
豪雨。雷鳴。停電。
厚い雲で覆われた光は届くことなく、夜の帳を下したような空間が広がっていた。


「フェイトちゃん、ちょっと電力供給してや」
「無理だよ・・・」


突然のことに驚いているあたしと違って、フェイトちゃんは落ち着いている。
何だかそれがムカついた。


「やっぱ雷使てると驚かないものなん?」
「多少は免疫付いてるけど、さすがにいきなりは驚くよ」
「にしては落ち着いとるけど」
「・・・・・怒らない?」
「言われんと判断できひんやろ」


目が暗さに慣れてきてぼんやりと映るのは困ったように笑う顔。


「はやての方がびっくりしてたから、何か逆に、ね」
「・・・・」

ぺしっ

「・・・・痛いよ」
「うっさいアホ」


適当に当てをつけて振り下ろした掌は腕に当たったらしい。
怒らない、なんて約束はしていない。フェイトちゃんが悪い。
動揺を感じ取られたことが、悔しい。


「ごめんね、はやて」
「別に驚いてへんもん」
「うん、そうだね。私の勘違いかも」


困ったような微笑み。
フェイトちゃんの癖。何だか安心してしまう表情。
窓を叩く雨の音。穏やかさとはかけ離れた、殴るような連弾。


「通り雨、かな」
「そやろ」


半分は予想。半分は希望。
暗闇は、あまり好きじゃない。
雨も、あまり好きじゃない。
二つとも、静寂と、孤独を、膨れ上がらせるから。
独りの時を思い出すから。


「・・・・ねぇ、はやて」
「何?」
「そっちにいってもいいかな」
「なんやフェイトちゃん、怖いん?」
「うん。怖いかも」


嘘だ。
微笑みの雰囲気が少し変わったことにあたしが気付かないとでも思ったのか。
解ってる。
この人は、他人のそういう感情に敏感なのだ。逆の感情には疎い分、きっと、どんな些細なことも気付いてしまう。
そしてあたしは。


「しゃーないなー、フェイトちゃんは。ええよ、こっち来ても」
「ありがと、はやて」


それに、甘えてしまうのだ。
無条件の優しさ。無条件のぬくもり。無条件の安心。
それを、無意識に与えてくれるから。


「あとね、はやて」
「まだあるん?」
「うん」


隣から感じる暖かさに首を傾げる。


「ちょっと、ごめんね」
「へ?」


疑問も、間の抜けた声も、全部一瞬。
あたしは、ぬくもりに包まれていた。


「ちょ!何!?何なん!?」
「あはは、ちょっと大人しくして」
「お、大人しくしてられるか!!」
「いいから、ね?」
「ぐぅ・・・」


抱える様に、包み込まれる。
いつの間にかあたしはフェイトちゃんの膝の間に座りこみ、腕によって囲われていた。
頬に当たる発育が著しい柔らかさ。くそぅ、こんな場面じゃなきゃ揉んでやるのに・・・!!
なんて思考の片隅と裏腹に、あたしの身体は動かない。申し訳程度にフェイトちゃんの服の裾をつかむだけ。
どのくらい経っただろうか。
香水とかではなく、フェイトちゃん自身の匂い。優しい、香り。
あたしより少しだけ低い体温。でも今はあたしの体温が高いのか、少しだけ暑く感じた。
すっぽり包み込まれる体格差。また背伸びたんやな。
それを認識できるくらいの思考を取り戻せるくらいの時間。


「・・・・落ち着いた?」
「大人しくして言うたんはそっちやろ」
「まあ、そうだけど。・・・体制辛くない?」
「大丈夫、このすっぽり感がムカつくけどな。また背伸びたやろ」
「・・・・・そ、そんなに伸びてないよ?」
「・・・・・」
「はやて、痛い、痛いよ」


無言で腕を伸ばして頬をつねる。
見上げた、近づいた顔はやっぱりあの微笑み。
ああ、何だか馬鹿らしくなってきた。
少し慣れてきたとはいえ、加速したままの心臓とか、暗闇だから解らない顔の熱さとか、さっきまで震えていた指先とか。
あたしだけ。馬鹿らしい。
頬を胸元に戻して、身体を預ける。


「・・・・・。フェイトちゃん、ほんとは暗いの怖ないやろ」
「・・・・・ばれてた?」
「ばれるわ」


ごめんね、と短く謝るフェイトちゃん。
嘘が本当に下手で、苦手で。優しい嘘しかつけない人。


「暗闇は、怖くないよ」
「一人ぼっちでも?」
「うん、独りでも」


数秒の沈黙。
フェイトちゃんは言う。


「慣れてるから、かな」


あたしは慣れなかった。
あの頃の小さなあたしは幾らそれを過ごそうと、感じようと、慣れはしなかった。
家族を手に入れた今は、なおさら。
フェイトちゃんは、違うのだろうか。


「慣れるもんなん?」
「私は、慣れちゃったかな」
「鈍いんと違うん?」
「そうかも」


それとも暗闇の種類≠ェ違うのか。
あたしとフェイトちゃんが経験した暗闇の。独りの。
思考を打ち切る。
考えても無駄だ。あたしが知るフェイトちゃんは、初めて会ったあの時から始まる。
資料は読んだ。経緯も漠然となら知ってる。全て書状上の認知。
見て、感じて、知ったこととは天と地ほど、違うから。


「で、何でこんなことしたん?」


話を変える。
じゃないと、また堂堂巡りだ。


「聞こえない?」
「何が?」
「心臓の音」


言われて、耳を胸元にぴったりくっつける。
少し前と同じような体勢。


とくん


聞こえた。


とくん。とくん


フェイトちゃんの、心臓の音。鼓動。
さっきは、自分の音が脳に響き渡っていて気付かなかった、穏やかな音。


「昔ね」


「怖い夢を見て真っ暗なのが怖いって言ったら、こうして抱き締められて、心臓の音を聞かされたんだって」


「一人じゃなくて、ここにいるからね、って」


「何も見えなくても、暖かさと、音でわかるから、って」


「だから、はやてもそうだったらいいな、って思ったんだ」


とくん。とくん。
規則正しい、音。傍にいる、音。
確かに、落ち着く。安心する。
けど。


「・・・・フェイトちゃんも、昔こういうことあったん?」
「ん・・・どうだったかな」


フェイトちゃんの言葉は、客観的だった。
まるで自分がそうされたような、当事者な他人事。
顔は見えない。
声も変わらない。
ただ、何となく、これ以上聞いちゃいけない気がした。
簡単に入り込んではいけない気がした。


「どうかな?少しは落ち着いた?」
「・・・・・・、うん、ありがと」
「よかった」


今は、この優しさを受け入れよう。
今度は、あたしがしてやろう。
フェイトちゃんが怖がってなくたって関係ない。
あたしが、抱き締めてやろう。
あたしが、今と同じことを言ってやろう。


「・・・・・・なあ、フェイトちゃん」
「うん?」
「また雷鳴りそで、フェイトちゃんが一人やったら、絶対あたしに教えて」
「雷?」
「その環境下やったら、絶対」
「えっと、わかった」


そうすれば、これはフェイトちゃんの経験したことになる。
フェイトちゃんが、してもらったことになる。


「約束やで」
「うん、約束」


あたしが、フェイトちゃんに与えよう。


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