こっちがいい。



昼休み。自販機の前で立ちつくしている生徒会長の背中を見つけた。
他の生徒はちらちらと視線をやるだけで何も言わない。今日も麗しの会長サマは大人気だ。
つーか、そんなとこいたら他の子が使えないじゃない。

「一人占めしてんじゃないわよ」

あいにく私は会長サマに声を掛けることに躊躇いなんてないから、素直に邪魔と言える。
振り向いた絵里ちゃんに、猫を追い払うようにしっしっと手を振れば、やっと気付いたようで眉を下げて一歩隣に動いた。
最近変わったラインナップを見ながら、どれにしようか考える。

「で、何してたの」

ついでに、隣でやっぱり動かずにいる絵里ちゃんを見ずに言った。
あったかい、が増えてる。ココア。紅茶が色々。カフェオレ。コーヒー。お茶。コンポタ。おしるこ。……おしるこ?!

「……にこ、何飲むの?」

隣からの声は、質問への答えじゃなかった。ま、いいけど。自販機の前で何してたって、することは一つだけ。私のようにどれにするか悩んでたんだろう。変なとこでぼうっとするのを、もう知っている。

「あったかいの」

いちごミルク。っていう模範解答は今はいい。
今日はあったかいものを飲みたい。
コートまでいかなくてもそろそろマフラーとか、そういうのが必要になってくる気温。女の子は身体を冷やしちゃいけないのよ、絵里ちゃん。ブレザーの下にカーディガンを着こんでる私と違って、絵里ちゃんはセーター姿だ。代謝がめっちゃくちゃいいから動くとすぐにあったかくなるらしい。一年の猫と一緒だ。
コーヒーは却下。ストレートティーとお茶も除外。カフェオレって気分じゃない。コンポタは最後綺麗に飲みきれないから苦手。美味しいけど。おしるこは今度罰ゲームか何かで使おう。

「紅茶は好き?」
「ストレートはあんまし」
「ミルクティーは?」
「好き」

よくわからない質問に答えながら、候補を絞る。
ココア。ミルクティー。レモンティー。
うん。ミルクティーにしよう。お金を取り出して投入、私は人差し指をボタンに伸ばして。
押そうとするその手前。隣から伸びてきた白くて手が私の手首を掴んで、軌道修正された私の指は、ボタンを押す。
狙っていた先ではなく、隣の、ストレートティーのボタン。

「何すんの!?」

ガコン。取り出し口に缶が落ちる音と、私の抗議の声は重なった。
何してくれちゃってんの。三十秒前くらいにストレートはあんまし好きじゃないって言ったわよね。何。嫌がらせ。嫌がらせなわけ。それとも報復ってやつ。何の。あっ。もしかしてチョコ勝手に食べたの根に持ってんの。代わりににこにー特製の卵焼きあげたでしょ。しかもあーんよ。このアイドル矢澤にこのあーんで帳消しどころかおつりがくるって言うのになんなの。
って、言おうとして。

「交換してくれない?」

差し出されたのは、ミルクティーだった。
熱いのか、セーターの裾を引っ張って覆った両手に乗せられた缶。萌え袖とはやるわね。しかもちょっと首傾げて窺うような目って。ふっ、いいわ。アイドル度レベルアップを認めてあげる。
なんて、思いながら納得した。
どうやらこの会長サマは、ぼんやりして押すボタンを間違えたんだろう。ミルクティーを飲めないわけじゃないけれど、ストレートティーが飲みたかったからどうしようか悩んでて、立ちつくしていたんだろう。
オッケー。わかった。そこらへんはわかった。
けどね。

「最初っからそう言いなさいよ」
「あ、そうね、ごめんなさい」
「ああもうほんとあんたって……」

溜息だって出るものだ。普通、ボタン押す前に言うわよね、それ。ほんと、変なとこで抜けてるんだから。
ストレートティーを取り出して、絵里ちゃんの手からミルクティーと交換する。ありがとう。って嬉しそうにしてるとこを見ると、まあいいかとも思う。ほら、にこの方が誕生日も早いし、お姉さんだし。ちっちゃいことを気にしないのよ。色々と。
カーディガンの裾を引っ張って、あったかい缶の完璧な萌え袖持ちを披露した私は、歩き出す。

「部室?」
「そ」
「それ、開けずにそのまま音楽室に行くと、役立つわよ」
「は?」

振りかえると、絵里ちゃんは笑っていた。

「交換してくれたお礼」

そう言って、反対方向へ向かってしまった。
何なのよ。













そう。言われたからじゃない。
言われた単語にちょっと引っかかったからってわけじゃない。
私は、私の意思で、目的地を選んだのよ。
うん。
歩き飲みはお行儀悪いからしてないだけで、うん。今から行くところは飲食厳禁だし、うん。プルタブを開けないまま、じんわりと掌に缶の熱を感じながら、私はそこに向かう。
歩きながら、ちょっとだけ期待した音は耳に届かなかった。今日はいないのかな、なんて思ってないし。いないのなら行く意味ないし、とも思ってない。でもここまで来てまた部室に行くのも何となく嫌で、私は音楽室の扉に手を掛ける。

「……居るなら自己主張しなさいよ」
「はあ?」

そこに、いつもの位置、ピアノ椅子に座った真姫ちゃんがいた。
思いっきり眉を顰められたけど、そうも言いたくなる。だって、いつもならピアノ、弾いてるのに。
後ろ手に扉を閉めて、ピアノの傍に寄る。しばらく変な目でこっちを見てたけど、真姫ちゃんはさっきまで見ていたのか楽譜にまた視線を戻した。
近づいて、気付く。
いつも鍵盤に触れている手が、今日は祈るみたいに、両手をぎゅっと握っている。
もちろん祈っているわけではなくて、たまに包む方の掌を変えて、ぎゅうって。いつもの、指をほぐすような動きじゃなくて。つまり。

「手」
「手?」
「どうしたの」

私は、もうわかっていながら聞いてしまった。
真姫ちゃんは、ああ、と手をぎゅうっとしながら言う。

「冷たいから、あっためてるの」

思ったように動かないから。そう言って、袖に少し手をひっこめたりして。
それから、真姫ちゃんは私の手の中のものを見た。隠そうと思ってももう遅い。ピンクに挟まれた、ミルクティーの缶。

「にこちゃん、それあったかいやつ?」
「う、うん」
「まだ飲まないなら貸してくれない?」

差し出された掌。長くて、綺麗な、指。
さっき見た、自販機で見た指がちらついた。
役立つわよ。って言ってた。
貸して。って言われた。
予想で、本当のことなんて解らないけど、でも、きっと、たぶん、貸してもらったことがあるんだろう。だから、役立つなんて言ってたんだろう。
私はそんなこと知らなかったのに。
頭の中が、妙な熱を持ったのがわかった。それが何かなんて考えずに、それが何なのかわかってるけど意識しない。だってそんなの自覚したら、今度は別の場所に熱が溜まる。ほっぺとか、耳とか。

「ちょっ、何でそっちに置くわけ?」

私は真姫ちゃんに背中を向けて、近くにある机にミルクティーを置く。不満の声が聞こえたけど気にしない。
なるほど。真姫ちゃんは手をあっためていたと。なるほど。それであったかい缶でより簡単にあったまろうとしたと。うん。わかった。
けどね、これは私が、私のお金を出して買わされたストレートティーと交換してあげたミルクティーなの。元々私が持っていたものじゃないの。それを私がわざわざ、優しいにこが、わざわざ、交換してあげた。いわば優しさの塊なわけ。そんなものであったまろうなんて十年早いわ。自分で思ってて良くわかんなくなってるけどいいのよそんなこと。
つまり。

「こっちで十分よ!!」

勢いよく真姫ちゃんの前に戻って、宙ぶらりんだった手と、ついでにもう片方の手を、引っ掴む。
どうやったって包み込むなんて出来ないけど、纏めてぎゅっと握りこむ。指長い。はみ出てる。冷たい。私の手があったまっていたから余計に冷たく感じる真姫ちゃんの手。指先が一番冷たくて、ちょっとずつ、あったかいっていうより、ぬるくなる。確かにこれじゃいつもみたいに、ピアノは弾けないんだろうな、って思う。元々体温が高めで、指先もそんなに冷えない私と違ってこういう時に大変なんだろうなって。ぎゅっと、握りながら、思って。
重なった手から、ふと、視線を上げた。
真っ赤。
それ以外にない。捕まった自分の手を見ていた藤色の目が、一瞬こっちを見て、俯いて、耳まで、真っ赤で。
こっちの顔にまで、移るくらいの熱。

「つっ、冷たぁい! 真姫ちゃんってば、冷え症なのぉ? やっぱりあっちの方が早くあったまるわよね!」

自分が何をしているのかわかっていたけれど、それがどういうことなのかが、やっと私の脳に届いた。
反射的に離そうとするのを自制して、どうにか捻りだした言葉を口にする。早口に言い切るか言い切らないかで、私は冷たい手から、掌を離す。
離したけれど。
すぐに、捕まった。

「真姫ちゃん?」

赤。俯いたまま見えない、赤。
冷たい手が、私の手を掴んでいるのを、見る。さっきとは逆で、長い指に、本当に包み込まれた私の手。
真姫ちゃんがいるのに、ピアノの音がしない音楽室。そこに、小さな音が零れた。
慌てて拾ったその音を、理解するまで数秒。理解してから、数秒。ほっぺが別の熱で、あったかくなる。

「……あっため料。リクエスト、一曲弾いてね」

微かに頷いた頭に、また口元が緩んだ。






ぬるくなったミルクティーは、微妙な味なくせして何故か美味しかった。



ミルクティーさん「俺のことは気にするな」

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