面倒くさい。



上の空。
ふと見た表情から、ほんの少し読みとれた。
ほんの少し読みとれたということは、だいぶ上の空と言うことだ。

「はい」

笑顔以外を、あまり見たことがない友人。
ふんわり、雲みたいに笑う。掴みどころのない、友人。
屋上での練習。その休憩中。
フェンス際に座るそいつの隣に、スポーツドリンクを渡すついでに座った。
そう、これはついで。私も座って休みたかったし。
お礼を言ってボトルを受け取った、その笑顔を見て確信する。ああ、上の空だ。
真っ直ぐ前を見て、視線を合わせない。ギャーギャー騒ぐ後輩たちを、呆れてそれを見る後輩たちを、二個上の先輩と曲について話してるらしい後輩を、見ながら。

「どうしたのよ」

隣にしか届かない声で言った。
見誤ってはいけない。隠すのが、天才的ではなく、秀才的にうまい。努力によって培った誤魔化しは、見極めるのが難しい。
下手なことは言えない。核心をつけば、弱虫は逃げる。言うなら逃げられないようにしてから。今は違う。今は、聞きだしてあげるだけ。
面倒くさくて仕方がない友人。

「えりち」

だいぶ間を置いて、聞こえてきた微かな音。
やっぱりね。あんたがそんなになるのは、あいつのことくらい。
続きはない。
帽子のつばを押し下げられてむくれる後輩と、そうさせている同級生からピントを外して、その向こうの雲がゆっくり進むのを見る。
焦ってはいけない。追い詰めてはいけない。
先の言葉と関連があるだなんて思えないくらいの、それほどの時間。
冗談にデコレーションされた隠し味程度の本音なら呼吸と同じように言えるくせして、隠し味単体を出すのが苦手すぎる。
誰のことを言ったか、それを感づかれるのを怖がるくらいには。
だから、誰の、何のことを言っているのかわからないくらいの、唐突な言葉にすら感じるそれくらいの時間を経て、隣で息を緩く吸い込む気配を感じて、下手に、緊張なんかしてしまった。
吐き出された、言葉。

「可愛ぇなぁ、って」

うん。
…………うん。










爆発しろ。











「にこっち、顔凄い」
「うっさいわ」

吐き捨てた。
知るか。マジで。知るかそんなこと。むしろ知ってるわ。見ればわかる。むしろ綺麗系でしょ。私のあの緊張と真面目モードを返せ。
思わず真っ直ぐ目を見て悪態をついた私に、ころころと笑う希。もう一度言う、返せ。私の友人を気遣う美しい思いを。
後頭部をフェンスに押し付けて、空を仰ぐ。目にしみるくらいの青に溜息が溶けた。

「この脳内お花畑」
「桜満開かもなぁ」
「春ね」
「冬が長かったからそりゃあもう盛大やね」

ゆったりとした声が紡ぐ。
冬。私はその冬を、知っている。長くて、冷たくて、切なくて。臆病者の冬を、よぉく、見てきた。
ていうか春を訪れさせるために色々した。頑張った。あほみたいに。自分のことじゃないのに。その甲斐あってのこれだ。割に合わない気がしてきた。
ていうか。本当に。何なの。

「第一、これだけ周りに可愛い子集めておいてなにそれ」
「あはは」

楽しそうに笑う声。
一応はアイドルとして、むしろかなり顔面偏差値の高いメンバーがいるわけよ。
鏡の前で研究と研鑽を重ねたスマイルを向けて、言う。

「しかもこの超絶可愛いアイドルにこにーが隣にいるのにぃ」
「あはははははは」
「何でさっきより笑うのよ……!!」

腹立つ。
誤魔化すではなく、はぐらかす。希は笑って、ボトルを両の掌で包んだ。

「んー……せやねぇ」

向こうにいる皆にわからないように、気付かれないように、ただの雑談みたいに。言葉を重ねる。
希の視線はこちらに向きはするけれど、大体向こうを見ている。皆を見ている。一人を、見ている。誰かがこちらに関心を含んだ足を進めた瞬間に、きっと、この話は終わる。

「確かに。にこっちは可愛ぇよ。皆も。もちろん真姫ちゃんも」
「何でそこで真姫ちゃんの名前出すわけ」

言わなきゃよかった。
言った直後に後悔した。
にんまり。口端が上がって、目尻が下がる。この笑い方の時は良い記憶がさっぱりない。
ひくりと、顔が引きつったのを見てとった希は、さも面白そうに口を開いた。

「にこっちの面食いさーん」
「あんた人のこと言えないでしょ……!?」

むしろそっちのが酷いでしょ。どう考えたってそうでしょ。だってあれよ。あれ。あいつよ。説明不要。むかつくけど。
そうかもなぁ。
さっぱりそう思ってない色の声で、希は続ける。

「皆、可愛い。テレビや雑誌見れば、本当にいっぱい、可愛い子おるやん?」

問いかけではなく、確認。
多種多様。可愛いは作れる、ってわけじゃないけど、目に触れるものにたくさん、可愛い子は、いる。
それこそ、部室なんてアイドルだらけ。可愛いは溢れている。

「でもなぁ」

新緑の瞳が、こっちを見る。長い冬を耐えきって、芽吹いた緑。

「うちが一番可愛い思うんは、いつでも、あの子だけだから」

その顔を、表情を、見て、もう、どうしようもなくなった。

「にこっち、顔芸習得したいん?」
「誰のせいだっつの」

勘弁してよ、本当にもう。お腹一杯よ。
膝に頬杖をついて、喉の奥に引っかかったものを飲み下す。聞かなきゃよかった。
屈みかけのような姿勢の私に合わせて、希が少し顔を俯かせた。
そして、見る。

「本当に、どうしようもない、くらい……」

続くはずの、二文字。たった一人に向けられる、その感情を表す言葉はなかった。口にすることが出来ないみたいに、ぎゅっと、噤んだ唇。
泣きそうな、笑み。
位置的に、立場的に、関係的に、私にしか見えない、その表情。
失敗したとすぐに思った。目を丸くして、呆然と、希を見てしまったから。
その表情は、嘘みたいに、消えた。嘘の表情に塗りつぶされた。
希は、やっぱり、変わらず、ただの雑談の様に言う。

「たぶんな、それだけ。うちが自信持って、勝ってる、誰にも、絶対に負けない、って言えること」

次の練習のメニューについて話してる時と同じ表情を作り上げて。

「だから、それだけだから。それのせいで。それのおかげで。色々大変なこと、って、あるやん?」

メニューの順番を並べて指折り数える時と同じ早さで。

「うちの、わがまま、なんやけど」

基礎体力作りは辛いと愚痴る時と同じトーンで。

「にこっちになら言えるなぁ。どうしてやろ」

心の内を、少しだけ、零した。たぶん、ほんの、数滴。
奥歯を噛みしめる。本当は、本当の表情で、ありのままに聞いてやりたかった、言わせてやりたかった。でも、今は、ここまで聞けただけでよかったとしよう。次への課題。学校の宿題より、もっともっと、面倒くさいけど。面倒くさい友人を持ったのだから仕方ないこと。
だけど。
そうね。
話を聞かれていないとはいえ、二人きりでもない、皆がいる屋上で。無理矢理聞きだしたわけでもない、自分から吐き出した、そのことは褒めてやろう、と思う。とっても頑張った、と思う。
思う、から。

「あんただけじゃないわよ」

ちょっとだけ、教えてやろう。
希はこっちを見ている。私は向こうを見ている。

「にこ、ずるい。って定期的に言ってくる馬鹿がいるから」

その馬鹿を見ながら、言った。

「は」

間の抜けた。ってこういう声を言うのね。
視線だけ向けた先に、珍しい顔をした希。
何よ。あんただってそう言う顔するんじゃない。にたりと、意識して口角を上げる。

「あいつにあんな顔させんの。間違いなく。間違っても。希だけよ」

私は希を見ていた。
ゆっくり、時間を掛けて、噛み砕いて、私の言葉の意味を理解しようとしている希を見ていた。
顔色で思考が解るっていうのは、中々面白い。こいつにそう言う顔をさせたということが、何より溜飲が下がる。

「え。え。ま、って。にこっち」
「何」

おぼつかない、外国語を覚えたての人みたいに、希は言う。
まだまだ思考が行き着いていないのか、頬に赤みはない。もうすぐ。きっと、もうすぐだ。無駄に察しの良い頭を使いなさい。都合の良いように解釈しなさい。それが正解。

「なに、それ、はじめて、きいた、けど」
「初めて言ったもの」

ボトルを握る両手に力が入ってるのがわかって、にやにやしてしまう。ああ、あんたが人をからかう気持ち、わかるわ。今、わかったわ。
じわじわ。顔に、熱が集まっていくのを見て取って、私は腰を上げた。軽くスカートを払って、身体ごと振り向く。

「あとは本人に聞きなさい。さっきからちらちら視線が刺さってんのよ」

馬鹿の視線がね。
言って、希の反応を見て満足した私は踵を返す。
そして。見る。見つける。わかる。
二つ下の、つい先ほどまで二つ上の先輩と曲について話していた後輩が、何だかご機嫌斜めになっていることに、気付く。
ああ。
うん。
こっちもか。
空を見上げる。くらくらするくらい真っ青な空に溜息が吸い込まれた。
本当に、割に合わないわ。



東條先輩のことを、一番よく、一番丁度いい距離で知ってるのは、矢澤先輩じゃないかな。って。

inserted by FC2 system