ぷりーず。



練習もない、本当の意味での休日。
絢瀬さんちのリビングには、人影が二つ。
一人はローテーブルにかじりつき、プリントを前に唸り声。
一人はソファに腰を据え、ハードカバーの本に落とした視線。

「ねえ、絵里ちゃん。先生がこの主人公の気持ちを何かに例えてたんだけど何て言ってたっけ」
「穂乃果と一緒に授業受けてないからわからないわねー」

お勉強中と。それを待つ読書中。










数学や英語なら教えることも出来ますが、今回の宿題は現国。
物語に対する自身の感想を含めたものとあっては、手伝い様がありません。
よって、絵里さんは穂乃果さんの宿題が終わるまで読書と言う暇つぶしをしているのです。とはいうものの、最近ゆっくり本を読むなど出来なかったせいか思いの外集中していました。
ソファに浅く腰を掛け、触り心地の抜群なフェザークッションに軽く埋もれるように背凭れに身体を預けるその姿は、その容姿も相まって画になります。

「ぅ絵里ちゃーん」
「んー?」

そんな絵里さんを活字の世界から意識を浮上させたのは、膝を割って潜りこんできた存在。
本を持つ腕を押し上げそのままお腹に抱きついて、額を擦りつける存在に、絵里さんは柔らかく応えます。

「終わった?」
「まだー」

抱きついてきた穂乃果さんの項辺りに本を持った手を置いて、その視線は硝子天板のローテーブルに。
少しくたびれたプリント、広げられたノートや教科書、放り出されたシャーペン。
くぐもった声と、布地越しの暖かい吐息に苦笑を浮かべた絵里さんは、空けた片手で穂乃果さんの髪を梳きながら言います。

「煮詰まっちゃった?」
「飽きた」
「終わらせなさい」

触れていた手を離しての言葉でした。
絵里ちゃん生徒会長モードだ。抱きついてないで早くしなさい。はぁい。
そう返事をしたものの、抱き着く腕を解いたものの。未だ絵里さんの膝の間に身体を置いたままの穂乃果さんはまだ宿題に戻る気はないようです。
ぴしゃりと言われた言葉のように、本によって遮られた視界。絵里さんの顔がある位置をじぃっと見ていたかと思えば、視線を下に。
そこにはソファから投げ出された、ショートパンツから伸びる脚線美が輝いていました。あえて言いましょう、眼福であると。
日本人の肌の色とは一線を画す、白。しなやかな筋肉を持つそれは、非常に美しいものです。
それを至近距離十センチあまりで見詰め、穂乃果さんは動きだします。
太腿を肩に掛けるように、さらに下から潜りこみ、それこそ目と鼻の先にある白磁の肌。
にへ。緩んだ頬をそのまま、その肌にくっつけて擦り寄ります。

「くすぐったいでーす」
「むぁ」

感触に集中するように目を閉じて三回すりすりしたところで、穂乃果さんは動きを止められました。
触れていた右頬だけではなく左頬にまで、柔らかな弾力。
簡単に言うと、挟まれてました。太腿に。ハラショー。穂乃果さんは内心そう思っていました。
瞼を押し上げると、本は横にずらされ、見上げた先には絵里さんの顔。
このアングル。良い。
なんて胸中を知らない絵里さんは、めっ、と表情だけで伝えてきました。
ほっぺを押し潰されたまま間抜けな顔で頷くこと二回。もちろん太腿に挟まれたままなので、結果、計五回のすりすり成功でした。
絵里さんの指先が穂乃果さんの背後を指します。そこにはプリントがあることくらい、見なくても解るのです。
宿題しなさい。視線だけでそう伝えられ、戻された本により、穂乃果さんの視界は再び遮られました。
同時に穂乃果さんの顔を固定していた太腿から力が抜かれます。
それを残念に思いながら、穂乃果さんはやはり白い肌を見ていました。
腕を下から回して、太腿に手を掛けます。指先で軽く押し込むように弾力を、掌で滑るように肌触りを、至近距離で肌理細やかさを。それぞれをじっくり堪能して、喉の奥からじわじわと燻ぶりはじめる熱があることに、穂乃果さんが自覚することはまだありません。それが何を示すかを、まだ、解ることはありません。
心臓からじんわり上るその熱は終には口内に。疼くような気がするのは、歯。
じわり。じくり。
熱のままに。そのままに。口を開けて。歯を剥いて。

「だーめ」

止めたのは、額を抑えつけるように髪にさしこまれた手。
額に掛かる圧力に、自分がどれだけそこに食らい付きかかっていたかを感じ取り、瞬きをして少し首を引いた穂乃果さん。
不意に感じた湿り気を帯びた熱い空気。察するに至るのは一瞬。
半開きのままの口でこちらを見上げる穂乃果さん。抑えていた掌を頬に滑らせ、目元を親指で擽って、絵里さんは溜息をつきます。

「何してるの」
「まだ何もしてないよ?」
「噛もうとしてたでしょ」
「うん」
「そこは即答するのね」

真っ直ぐな瞳で言われ、絵里さんは二度目の溜息。
身を起こして、傍らに置いた本に重ねていた手も穂乃果さんの髪へと触れた絵里さんは、眉を下げてくしゃくしゃとその髪を混ぜます。
ぐしぐしと頭を押し付ける姿に、犬みたい、何度目かの感想を抱きながら。

「もう、何でそうやって噛むの」
「だっておいしそうなんだもん」

腕を伸ばしてまたお腹に顔を埋めるように抱きつく穂乃果さんに、絵里さんは問いを重ねました。

「おいしそうなら誰でも噛んじゃうの?」
「絵里ちゃんだけだもん」

ぎゅう。腕に籠もる力が増したことと、その言葉が嬉しくないわけではありません。
穂乃果さんが見ていないのをいいことに、絵里さんの目元は和らいでいます。

「じゃれてないで、ほら、宿題」
「ぅー」

ぅるるるる。喉の奥で唸っていた穂乃果さんは、腕でソファを押し、勢い良く顔を上げました。

「ご褒美ください」

唐突でした。
目を丸くする絵里さんに、穂乃果さんは続けます。

「そしたら、穂乃果頑張る」

絵里さんの足を腕と身体の間に挟むようにして、さり気なく片手がふくらはぎを触りながらの言葉でした。

「ごほーび。絵里ちゃん。ごほーびちょーだい」
「何がいいの?」
「おいしいものがいいなぁ」
「んー……」

ふにゃふにゃ笑う穂乃果さんの、自分のせいでぼさぼさになってしまった髪を指で梳きながら宙に視線を巡らせて。

「考えておくわ。だから宿題」
「ご褒美くれるの?」

一気に輝いた瞳に、絵里さんは整えた髪をもう一度撫でて、微笑みます。

「あげる」
「よし!!」

握り拳を作って、すぐに宿題へと戻る現金なその背中に苦笑いを浮かべて絵里さんは本を開きながら考えます。
冷蔵庫の中身。お菓子の有無。それともどこかカフェにお出かけ。
何がいいかを、考えます。
何せ、穂乃果さんは。
おいしいものを、ご所望の様ですから。



太腿、いいですよね、太腿。

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