まて。



※ナチュラルに犬耳と犬尻尾ある



きらきらしていました。
自ら発光することはないはずのまあるいふたつのそれは、輝いていました。
それは光の弾丸を発射していました。こんぺいとうの様な光の塊はとある目標に向かい散弾銃の如き一斉射出。
発射源。
橙色に近い明るい髪、煌めく瞳を以ってクッションの上にぺたりと座る幼い少女。
しかしてその少女がヒトと間違いなく違う部分。髪の隙間からぴんと立ったいぬ科の耳と、専用のオーバーオール、その腰の後ろでその存在を主張する忙しなく左右に揺さぶられる同じくいぬ科の、くるりと巻かれた尻尾。
期待。
その感情を溢れさせたその視線と言う攻撃を受ける人が、一人。
その人は、ローテーブルに広げられた書類、草案、報告書、企画書、諸々に落としていた視線をその瞼ので遮り、溜息。
手にしていたペンから指を離し、顔を上げて発行体へと視線を向けます。
次に発される言葉は、その人、絵里さんの現状を見れば簡単に予想出来るものでしょう。
そう、誰だってわかるはずです。絵里さんは、まず、その子の名を呼びました。

「穂乃果」
「ボール遊びがいい!」

察しろと言うシールドを豪速球がぶち抜いていきました。
さっぱりわかっておらず、むしろ、こっちを向いてくれた、と、遊んでくれる、を等符号で結びつけた穂乃果ちゃんは手にしていた樹脂製のボールを絵里さんの前に掲げます。
遊んで。

「そうじゃなくて」

違う。
空色のボールから煌めく瞳にピントを合わせた絵里さんは、白い指先でテーブルの上を示します。

「あのね、私、学校の、お仕事中なの」
「うん!」
「お仕事を終わらせないと、大変なの」
「うん!」
「だから、ね?」
「うん!」

絵里さんはとても噛み砕いて説明をしてくれたのです。
それに全力での頷きを繰り返し、とても良いお返事をしてくれていた穂乃果ちゃん。
わかってくれたか。
息をつく絵里さんに、穂乃果ちゃんは言います。

「絵里ちゃん遊ぼう!!」

ぴゅひっ!

握りしめたボールが、文字通り気の抜けた音を出して小さな掌で潰れていました。
空気口から勢いよく飛び出た風が、緩く絵里さんの前髪を揺らします。
鼻につく樹脂の匂いを感じながら、絵里さんは遠い目で己の小さなわんこを見ました。
遊べ。
雑念など一つもなく、完璧に澄んだその瞳に灯したものはそれだけ。逆に感動を覚えるほどです。逃避でした。
そんな絵里さんの鼓膜を打つ、微かな、それでもしっかりと主張する笑い。

「すごいなぁ、穂乃果ちゃん」
「笑い事じゃないんだけど」

穂乃果ちゃんとは反対側。隣に座るのは、希さんでした。
絵里さんの何とも言えない表情を受け止め、希さんは変わらず唇に弧を描いています。
ボール遊び好きー? うん! 希ちゃんも遊ぼう! 
わんこに首を傾げている副会長に、会長は溜息を吐きだします。

「やっぱり学校でするべきだったわ……」
「休日くらいたまにはお家でって言うのもええと思うよ」
「希の家でもよかったんだけど」
「うちの子に睨まれてもいいなら、どうぞ」
「……なんであの子私を敵視してるの、何にもしてないのに」
「拗ねてるだけなんやけどねぇ、可愛ぇやん?」
「知らないわよ」

東條さんちの小さなあの子の尻尾がべしんべしんと強めに床を叩く様子を脳裏に浮かべて、さらなる溜息を製造した絵里さん。
邪魔になるなら絵里さんの私室からこのわんこを締め出せばいいだけの話なのですが、そんなことをしたら部屋の前を行ったり来たりする小さな足音を聞くばかりか、最終的に鼻水をすする音に慌てる羽目になるのです。こんな時の救世主たる絢瀬さんちの妹さんは出掛けていて不在。
わんこが珍しくリビングでお昼寝してるのをいいことにお仕事をしていたのですが、起きてすぐに特攻してきたわんこ。そして今に至るわけです。
予想していなかったわけでは、ありません。

「ステイ」

絵里さんは、そう告げました。
瞬きと連動して傾いた頭と、止まった尻尾。穂乃果ちゃんは、絵里さんをただ見詰めています。
その瞳にちょっとだけ言葉を詰まらせながらも、絵里さんは言います。

「待ってなさい」
「待ってないとだめなの?」
「だめなの」
「いつ遊んでくれるの?」
「お仕事終わったらね」

問いに、希さんに視線を向ければ、了承の意を含んだ柔らかな表情を浮かべていたので絵里さんは頷きます。
反対側に首を傾げた穂乃果ちゃんは、むつかしい字がいっぱい書かれた紙の束と絵里さんとを何度も見て、そして希さんを見て、ボールを掲げていた腕をやっと下ろしました。

「待ってるとお仕事終わるの?」
「穂乃果がわんわん吠えずに、大人しく、いい子で待ってたら早く終わるわ」

きちんと注意事項を伝える辺りから過去の失敗がわかりますね。
一応、早く終わる、と、早く遊べる、を等符号で結びつけることに成功したらしく、穂乃果ちゃんは笑顔を浮かべました。

「じゃあ待ってる!」
「うん、なるべく早く終わらせるから待っててね」

良いお返事。絵里さんは一度その立ち耳に触れるように頭を撫でました。







そこまでは、よかったのです。
待ってる間、絵里さんのベッドに上がることを許された穂乃果ちゃんがボール片手にクッションに埋もれるように寝転がったのを確認して、お仕事は再開されました。
最初の五分までは、よかったのです。
この時点から希さんは気付いていました。
それから十分までは、よかったのです。
そして絵里さんは、気付いてしまいます。
例えば。
例えば、絵里さんが鞄から何かを取り出すために腕を伸ばした時。
例えば、絵里さんがテーブルの向こう側の書類を取ろうと少し腰を上げた時。
例えば、絵里さんが確認し終えた書類を端に置いた時。
その度に。
その一挙一動を、食い入るようにガン見するいきものが、反応していることに。
例えば。
例えば、何かよくわかんない紙から手が離れた! と顔を満面の笑顔で上げて。
例えば、立ち上がってこっち来てくれる! と尻尾をばったばった振って。
例えば、今度はボール持ってくれる! と慌てて転がっていたボールを握って。
その五秒後。
まだお仕事が終わっていないとわかり、ベッドに撃沈するいきものが、いることに。
絵里さんはやっと、いえ、ついに気付いてしまったのです。
視界の端に映るそんな光景。それが自身の行動と連動している理由も、聡明な頭脳によって導き出されます。
状況分析が終わった絵里さんは、何も言わず、ゆっくりと瞼を下ろしました。視界をシャットダウンしたのです。無駄に真顔でした。
思考の波による波浪警報がけたたましく鳴っているくらいでしたが、絵里さんは殊更ゆっくり静かに息を吐き出します。
精神統一。
今、どこかの後輩の達筆による掛け軸が絵里さんの脳内に掲げられていました。割と必死です。
よし。オッケー。いける。大丈夫。
四度ほど己に確認をして、絵里さんは極力書類しか見ないように瞼を上げて、そして、ペンを違うものに変えようと離した時。

ぴゅひっ!!

気の抜けた音が、聞こえました。
それは樹脂製のボールから空気が抜ける音でしたが、絵里さんの張り詰めていた空気が抜けた音にも聞こえました。
見なくてもわかるのです。
わかってしまうのです。
ペンを置いた=お仕事終わった。そう思って、持っていたボールを握ってしまったことくらい、わかっているのです。
絵里さんは、もう一度瞼を下ろしました。決して、音の発生元は、見ません。
しかし、聴覚は容赦しませんでした。

ぴゅぴぃーー……ぃー……ぅ……

空気が弱弱しくボールの空気穴から吸われていく音が、聞こえたのです。
何とも情けない音でした。
垂れさがっていく尻尾とへたれる耳を連想するくらいでした。

「えりち」

ずっとその様子を見ていたその人が、名を呼びます。
何だかとても、なまあったかい声色でした。

「えりち、そんなに力入れたらシャーペン折れるて」
「……」
「いや、うちをそんな目で見ても……えりちが言ったことちゃんと守ってるんやから」
「……」

そう、わんこはちゃんと言いつけを守っているのです。
珍しく、守っているのです。
それなのにこの飼い主ときたら。

「はい、早く終わらせよなー」

希さんの声に、絵里さんはちょっと泣きそうになりながら仕事を再開せざるを得ませんでした。







「きゅーん……」
「!?」
「えりち、あかんよ」
「!!?」



飼い主ァ……。

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