ゼリー

 


貰いものだけど。
そう言って真姫さんが持ってきてくれた抱えるほどの箱。
その中身は、色取り取りのゼリーでした。















半透明の黄緑色。
容器から少し盛り上がり、持ち手の動きに合わせてぷるぷると震えます。
香るのは芳醇な果実の匂い。
甘く濃厚で、それでいてくどくないその香は、味を連想させるには十分。
プラスチック製の小さなスプーンに、弾力のあるそれは触れた瞬間こそ抵抗を見せますが、刺さってしまえばあとはするりとその身を裂きます。
中に埋もれるまあるい宝石のようなそれを避けるように進んだスプーンが引き上げられ、その上に果汁にてらりと光沢を得た欠片。
零れおちないようにゆっくりと進んだスプーン。
その先に待つのは、薄桜色の唇。
可憐で柔らかそうな唇が開かれ、欠片は姿を消します。再び現れたのは、スプーンだけ。
白磁の喉が上下して、ふっと漏れだした吐息は甘い香を乗せていました。
と、言う情景を克明に描写できる位置と近さ。

「絵里ちゃん絵里ちゃん、それ何味?」
「マスカット。散々吟味してたし、色でわかるでしょう?」
「うん。そうだね、マスカット色だもんね」
「果肉も入ってるしね」

またスプーンをゼリーにさしている絵里さんの隣に、それもとても近い位置にいるのは穂乃果さんでした。
いつものように部室。まだ全員集まっているわけではないそこで、先日真姫さんが持ってきてくれたゼリーを食しているのが絵里さん。
丁度九個入っていたそれは厳選なる勝負という名の、特定の数名によるジャンケンによりそれぞれ引き取り手が決まっていました。

「絵里ちゃん絵里ちゃん、おいしい?」
「うん、おいしい。流石真姫の家への贈り物というか……」
「そうだよね、穂乃果が食べた苺のもすっごく美味しかったもん」
「美味しそうに食べてたものね」

欠片が口に消えていくのを見詰めながら穂乃果さんは頷きます。
苺味は昨日すでに穂乃果さんの胃に収められていました。ジャンケン後、数分の出来事でした。
その場に居た全員が昨日食べていたわけではありません。ライブの件で真姫さんと話し合っていた絵里さんもその一人です。
皆が集まるまでの待ち時間に食べてしまおうと思い立ち、封を切ったのがさきほど。
パイプ椅子に腰かけ個別包装に手を掛けた時には、何故か隣に穂乃果さんがいましたが絵里さんは気にしませんでした。
穂乃果さんはどうしてかパイプ椅子の上に正座をしてこちらを向いていましたが、絵里さんはそれも気にしませんでした。
とてつもなく見詰められていましたが、どれも気にしませんでした。

「絵里ちゃん絵里ちゃん、勉強中の糖分摂取は大切だよね」
「頭が一番糖分使うから大切よ」
「そうだよね!!」
「そうね」

さらに力強く頷く穂乃果さん。
長机の上には、物理の教科書がありました。宿題と思しきプリントもありました。印刷文のみで筆記はほぼありませんでした。氏名欄に高坂穂乃果と書かれてる以外には、真っ白でした。
シャーペンが悲しむくらいに、仕事をしていません。
一旦スプーンを止めた絵里さんは、微笑みを以ってして穂乃果さんの方を見ます。

「それで?」
「一口ください!!」

呼吸すら置かない即答でした。
目がカッと開いての返事です。いっそ清々しいほどです。
ちょーだいちょーだいと正座のまま続けるその様子が何かに似てて、絵里さんはやはり笑いを零します。

「最初からそう言えばいいのに」

一応は遠慮していたらしいのですが、どう見たって、どう考えたって、おねだりが隠し切れていなかった状態。
反応が良いものだと感じ取ったのか、身体を若干揺らしてそれを待つ穂乃果さん。
絵里さんは身体の向きを変えて、穂乃果さんと向き合い、スプーンを再び動かします。
果肉が含まれた欠片を乗せたそれを、きらきらした瞳をした顔の前へ。

「はい、あーん」
「あーんっ」

満面の笑顔が花開きます。
そんな二人の様子を見ていた人がいました。
どうにも甘い生徒会長と、その生徒会長に懐いた幼馴染に、溜息を漏らしていました。
自分の分はもう食べたでしょうとか、宿題終わらせなさいとか、すみませんとか、でもあまり甘やかさないでくださいとか、色々言おうかどうか悩んでいるその人に掛かる声。

「海未ちゃん海未ちゃん」
「はい?」

名を呼ばれて海未さんがこめかみを抑えていた指先を離し、顔を上げた先。
濃紫の、欠片。と、その向こうに。

「あーん」

笑顔を浮かべた、もう一人の幼馴染。楽しそうな声。

「……はい?」

目の前にゼリーの欠片。それを持つのはことりさん。スプーンが向けられたのは自分。あーん。うきうきしてる顔。と、先述の二人のやりとり。
全てが合致して、状況把握に要した時間は、五秒。
徐々にせり上がる赤は既に耳を通り越して首まで染めています。

「な、な、なん、……!」

何でことりまでそんなことをしているんですかからかっているんですか私は穂乃果の様に欲しいとはいっていませんし宿題もしていません第一それはことりのゼリーでしょうことりが食べてくださいそれに私は今まさに頂いています洋梨味です。
ということを言おうとして言えずに詰まった言葉。
その何割を解っているのか解りませんが、ことりさんはさらりと髪を揺らして小首を傾げます。

「だって穂乃果ちゃんたちがしてるから……」
「理由になっていません!」

思わず強い調子で言ってしまう海未さん。
顔が真っ赤なので怖くも何ともありません。
断る言葉を重ねようと口を開いた海未さんを止めたのは。

「だめ?」

反対側にこてんと首を傾げて紡がれた一言でした。
海未さんが固まるには十分でした。

「ねぇ、だめ? 海未ちゃん……」

置き去りにされた巣立ち前の、名前のままに小鳥。
下がる眉と、悲しげな瞳。少し震えた声。
海未さんの弱点を確実に突いてくるものでした。
わなわなとスプーンを握りしめる手が慄いていましたが、どう足掻いても完敗です。折れるしかありません。
咳払いを一つ。居住まいを正し、海未さんはことりさんに向き直ります。

「ひっ、一口だけですよ」
「うんっ」

泣いたことりがもう笑う。
そんな言葉が海未さんの脳裏を駆けました。

「あーん」

そうして差し出されたスプーンを凄まじい葛藤の末にどうにかこうにか口に収めて。

「美味しい?」
「はい……」

欠片を喉に通した海未さんは、とりあえず頷いておきました。
味なんて解るわけがありませんでした。
急激に消費した精神ゲージ。海未さんは、頬に残る熱を逃そうと細く長く溜息をついて再び自分のゼリーを手に取ろうとして。

「海未ちゃん海未ちゃん、ことりにも一口ちょうだい?」

隣からの声に危うく取り落とすところでした。
勢いよく振り向いた先には、先ほどと同じようにうきうきしたことりさん。
固まる海未さん。そしてそれと共に気付きます。どこからか、視線を感じるのです。はっとしてその出所を探せば。

「ブドウ味……いや、穂乃果にはマスカットがある……!」
「私のだけどね」
「絵里ちゃんもう一口ください!」
「はいはい」

生徒会長と幼馴染ががっつりこっちを見ていました。
真剣な顔からまた笑顔に戻った穂乃果さん。
そして、絵里さんはスプーンをゼリーにさしながらこちらを見た海未さんににこりと微笑みます。

「あ、気にしないで続けて良いわよ?」

海未さんの精神ゲージが一気に零を通り越してマイナスになりました。


 

一方違う時間帯にみかん味のゼリーを巡って色々あったらしい。

 
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