絢瀬を挟んであちらとこちら 1



ダンス練習の合間、談笑する輪に居る絵里さんを見て、希さんは小さく呟きました。

「しゃあないなぁ、もう」

それは、誰にも届くことのない声でした。















「はい」
「はい、って何が」

部員たちの用事が重なり、いつもよりだいぶ早めに切り上げられた練習。
新たに与えられた部室にて、絵里さんは形の良い眉をひそめていました。
目の前には、長椅子に座り自身の太腿に触れる希さん。

「わからへん?」
「わからないから聞いてるの」

逆に不思議そうに小首を傾げられて、いつものことながら何を考えているかいまいち掴みにくい希さんに対して、絵里さんは溜息をつきます。
にこりと笑った希さんは、再び太腿をぺふっと叩きます。

「膝枕」
「……」
「変な顔しとるよ」

きっといろいろ考えたのでしょう。
言いようがない複雑な表情の絵里さんに、希さんはひらりと手を翻します。

「別になぁーんもせぇへんて」
「……」
「信用ないなぁ」

目は口ほどに物を言う。というより、思考を露わにした表情。
あえて何も言わずに抵抗していた絵里さんは、額を軽く押さえて首を振ります。行動理由を予想することをあきらめたようです。

「何で膝枕……」
「えりち、疲れとる」

間髪入れず返されたその答えに、絵里さんは澄んだ色の瞳を丸くしました。
その様子を、深い色の瞳に映していた希さんは、諭す様に口にします。

「うちが解らんと思ってた?」

指先でくるりと宙に描かれる円。
希さんの脳裏に浮かぶ、ここ数日のこと。

「授業や生徒会の仕事に加えて、ダンスや歌の練習、ついでに先生に色々頼まれてたやろ」

最後のは、クラスの子に今日聞いたんやけどな。
そう心の中で付け足して、すぐに気付いてあげられなかったことを悔やみます。

「まったく、そういうの隠すことだけうまくなるんやから」

もう一度首を傾げて、見上げた先。
揺れる空色。

「何で、手伝って、って言わんかったん?」

言葉に詰まる絵里さんに、希さんはわざとらしく溜息を吐きだします。

「はいはい、そやね、えりちは気ぃ遣いやからね」
「そっ!」
「そ?」

遮る言葉は一音だけ。躊躇う絵里さんに、希さんは内心また苦笑を浮かべていました。
片目を閉じて、薄く口端を上げて、続きを促せばつっかえながらも絵里さんは口にします。

「そうじゃ、なくて、希も、生徒会の仕事も、神社の仕事も、あるし……」
「うん」
「一人で出来ないほどじゃなかったし……」
「そやなぁ、えりちは優秀やから」

遠慮ではなく、配慮と、今まで培ってきてしまった抱え込んでしまう性根。如何にか出来てしまう能力。
全部わかった上で。

「でも、頼ってええんよ」

希さんは、少し困ったように笑います。仕方ないなと滲ませて。

「これ言うたの、何回目か覚えてる?」
「だって……」

言葉は続きませんでした。
怒られた小さな子供みたいに、拗ねた顔をする絵里さん。

「めんどくさい子ぉやねぇ」

いつだか誰かが言っていた言葉。誰かにも言っていた言葉。
希さんは、改めて太腿に手を乗せます。

「はい」
「えっ?」

さきほどとは違う意味で目を丸くした絵里さんに、殊更いい笑顔を向ける希さん。
ちゃっかり逃げられないように空いた手で絵里さんの手を掴んでから、言いました。

「最終下校時間まで、えりちはおねんねしなさい。今ならスピリチュアルな夢が見れると評判の枕もついてくるよ」
「何で!? えっ、評判って何!?」
「被験者ともいう。えりちが第一号やったやん?」
「そんな夢見てないしそれ評判でも何でもない……ああ、わかった。希、からかってるでしょう……?」

一気に気力を使ったような顔で、絵里さんは項垂れます。
ころころと鈴を鳴らす様に笑う希さんは、繋がったままの手を緩く引きます。

「疲れを取るにはまず睡眠やと思わへん?」
「だからって何でここで寝なきゃいけないのよ」
「帰ってからやと授業の予習復習とか、可愛い妹の宿題みちゃうとか、生徒会の仕事のチェックとか、色々しそうだから」

さらりと言われた的確な指摘。
空色の視線が、希さんから外されました。

「そんなこと」
「しそうやんなぁ」

訂正の言葉を被せられても、未だ消えない抵抗の意思。
もう少し。希さんは思います。

「家に帰ってからちゃんと休むから大丈夫よ」
「いいや、えりちの大丈夫は信用ならへん。監視が必要や」
「大丈夫だってば」
「だーめーや」

少し強めに引かれる、手。

「えりち」

はー、と盛大に溜息をついて、絵里さんは自身の髪留めに指を掛けました。
やっと降参したようです。
結い上げられていた髪を解いて、寝転んだ長椅子。
絵里さんの頭の下には、スピリチュアルな夢が見れると評判の枕。

「えりちは良い子やねんねしなー」
「呪文……?」

金色の髪をひと房、指に絡ませて遊びながら希さんは上機嫌に微かな鼻歌を奏でます。

「んー、子守歌」
「逆に気になるんだけど」
「ええから、ええから」

目を閉じて、即興の音を重ねること、数分。
不意に音が途切れ、瞼を上げた希さんが見下ろした視界には。

「おやすみ、えりち」

穏やかな、寝顔。



















ぱたんと、控え目に閉じられた扉の音を二回聞き終えてから希さんは視線を下ろします。

「盗み聞きはあかんなぁ」
「聞かざるを得ない状況にしたのは誰」

眠気の欠片もない声。
それつまり、寝起き直後ではないということ。
ゆっくりと開いた瞼から覗く澄んだ瞳。自身を映した空色に、希さんはにこりと笑みを浮かべます。

「あ、やっぱり起きてたん?」
「こんな近くで話してたら起きるに決まってる」

未だ身体を横たえたまま、額に掌を当てて、絵里さんは溜息をつきます。

「何が、話してても起きない、よ」
「“起きなかった”やろ?」
「起きれるわけないでしょ」

腕で覆った視界。下ろされた瞼の裏。繰り返す、さきほどの誰かと誰かの会話。
頭で、誰か声が残響。顔は見れなくても、声色から想像できる表情と、声だけだからこそ伝わること。

「えりち」
「……何」

絵里さんとは違い、その人の表情もよく見ていた希さんは思います。
表情も、声も、視線も、瞳も。
全て見ていた希さんは、感想のように、零します。

「あの子、本気やなぁ」

零したそれは、絵里さんに降り注ぎました。
他者からの指摘と言うのはより認識を強くさせます。そうじゃない、勘違いじゃないのか、そんな思いこみと言う逃げ道を残してはいますが、それでもさらに自覚させるには、随分と効果があるものです。
よって。

「真っ赤っか」

白磁の肌が紅く染め上げられていくのを、希さんは楽しそうに見ることとなりました。
唇を引き結んで、ついに両腕で目を覆うように顔を隠した絵里さんを見ながら、希さんは憂いを帯びた息を吐きだしました。

「こんな可愛いえりちを一人占めできるのはあとどのくらいやろ」
「一人占めって何……もう、いいから、静かにしてよ」

押し殺したような声で窘めて、もう一度眠る体制に入ろうとする絵里さん。
外した腕から覗いた顔は、少し引いたとはいえ、紅に彩られていました。
こんな状態で眠れるわけがないのに。希さんはそう思いながら、努めて、気にしてません、と虚勢を張っている人の桜色のほっぺをつつきます。

「えりちかわいー」
「っ、希!」

堪らず起き上がった絵里さん。
いつもの生徒会長はどこへやら、目の前に居るのは、一人の女の子。

「そうそう、そうやってればええの」
「もう……希の言ってること、たまに本当にわからないわ……」

希さんは、笑いました。



本当を、自ら見つけた人。

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